第5話 二月十二日「刺殺の呪い」

 寒い日は続き、今日も廊下に出る度に震えてしまうほど気温が低かった。暖房が効きすぎて少し暑いくらいの教室で、ほとんどじっとしている内に授業は進んでいく。

 そして暖房の温もりに微睡んでいると、あっという間に昼休みになってしまった。保温のお弁当箱に入った昼食で温まり、特に何をするでもなく席で呆けていた。しかしただぼうとしているのではない。僕は人を待っていた。

 数分後、食堂から戻ってきた一人の男子が、教室の前の方に座った。彼が暇そうにしているのを見て、僕は席を立った。

 最近久瀬高校を騒がせている「呪い」の事件。その容疑者は八人。まだ五人に話しを聞けていない。

 視聴覚室で事件が起こったのは昨日だが、時間が経てば経つほど証言が曖昧になってしまう。急いで情報を集める必要があるのだ。そういった訳で、昼休みも無駄にできない。聞き取り調査を行う。

 戸川誠也。

 僕と同じクラスの男子で、出身中学は利根岡中。容疑者の内の一人だ。同じクラスではあるが、正直彼ともあまり話したことはない。一柳さんと同じ中学だったことを僕が知らなかったのは、言うまでもないだろう。

「や、戸川くん」

 話し掛けると、少し驚いたように彼は振り返った。

「おお、石澤。どうかした?」

「うん」

 ……全く関わりの無い人であれば単に証言者として話を聞けるのだが、彼はクラスメイト。容疑者としてだけでなくこれからもクラスメイトとして関わる必要がある。そう考えると、話を聞く前に少し心構えが必要だった。

 ……まあ、今まで話を聞いた人達も来年度以降同じクラスになる可能性は充分にあるのだけれど。

 僕はなんて言おうか考えて彼をじっと見つめる。戸川くんにはある特徴があった。彼は身長が低いのだ。教室の前の方に座っているのもそれが理由であり、この一年間、ずっと一番前に座っていた。

 僕は思いつきで、彼に聞いた。

「ねえ、戸川くんって中学の時も前の方に座っていたの?」

 しかしこの話題は失敗だった。身長というデリケートな話題に、戸川くんもいい顔はせず、怪訝な表情を浮かべていた。

「うん、まあ、小学校の頃からずっと前にしてもらってたかな。でも、前の席だって悪いことばかりじゃないんだぜ。ほら、先生と近いから授業には集中できる」

「なるほどね。確かに戸川くんって成績良かったよね」

「ああ、いや、まあ、悪くはないかな」

 彼は少し困ったように笑った。

「で、俺に何か用? それを訊きに来たわけじゃないんだろ?」

「まあね」

 結局、良い訊き方がわからなかったので、素直に今までの経緯を全て話す。彼は相槌を打ちながら、黙って話を聞いてくれた。

「ああ、そういえば今日もその話題でもちきりだったな。視聴覚室で『呪い』の事件が起こったって」

 僕は頷く。戸川くんの言う通り、第二の「呪い」事件も瞬く間に噂が広まっていき、一週間前の事件と合わせ、また盛り上がりを見せていた。

 それも、今回呪われたのは四駆。犯人の目的すら見えない不気味な事件に生徒達の関心は集まっていた。

 一週間前の犯人がまた事件を起こしたとか、今度の事件は模倣犯だとか、本当の目的はこうだとか、様々な憶測が飛び交っていた。中には、二つの事件の関連性を無理矢理こじつけ、陰謀論めいた考察をしている人もいた。

 そしてやはり、今回の事件も一柳さんが犯人だと疑う人も少なくなかった。彼女は冤罪を着させられようとしている。だからいち早く事件を解決する必要がある。しかし

「でも、俺、事件のこと何も知らないよ」

 戸川くんの反応は薄かった。

「……あんまり事件に興味ないの?」

「いや、まあ、全く気にならないってわけじゃないけど。でもどうせバカな生徒がイタズラとかしたんだろ? そう考えると、そう珍しいもんじゃないっていうか、まあ、どうでもいいかなって」

「そっか」

 今回の事件に対する姿勢は人によって本当に異なるようだ。

 僕は探偵として、いや、一柳さんの友人としてこの事件を解こうと考えている。

 一柳さんは犯人の濡れ衣を着せられて困っているので、やっぱり解決を望んでいる。

 小川くんは一柳さんが犯人だと疑っていた。

 三森さんも一柳さんが犯人だと思っていた。だからこそ証拠を隠蔽した。

 鈴木くんは一柳さんを犯人だと考えるのは早計だと考えていた。

 今まで話を聞いた人達は、立場や考えは違っても何かしらの関心を事件に対して持っていた。

 しかし戸川くんに関してはそもそも事件に関心を持っていない。確かに彼と事件は何の関係もないかもしれないけれど、ここまで無関心でいられるものだろうか。

 まあ、本当は戸川くんが犯人で、無関心を演じているという可能性もあるけれど。

「んで、なんで俺? まじで俺、何も知らないぞ」

 昨日と同様に、一柳さんの落書きのことを話した。そして容疑者が利根岡中出身に絞られることを伝えた。

「はあん、なるほど。一柳さんの落書きね。確かに一柳さんが怪しいみたいな話はよく聞くけど、まさかそんな繋がりがあったなんてね」

 事件に関心が無いからだろうか。容疑者だと疑っても彼はまるで無反応で、どちらかというと僕の出す情報に驚いている様子だった。

「それで一応、アリバイを聞きたいんだけど……」

 しかし、やはりというべきだろうか

「いや、覚えてないかな……」

 正確なアリバイは得られなかった。

「もしかして、これ、俺が犯人ってことになるのか?」

「いや、正直今のところ、誰のアリバイも証明できていないかな」

「おお、よかった。これで冤罪になったら堪らないからな」

「はは……」

 僕にとっては誰のアリバイも得られないのは良いことではないのだけれど。まあ、正直もうアリバイから犯人を割り出すのは半ば諦めている。かといってどこに突破口があるのかもわからないので、とにかく情報を集める必要があるだろう。

「戸川くんって、一柳さんとどんな関係だったの?」

「俺? まあ、普通に仲良かったかな。一柳さん結構話しやすくてさ、女子にしては仲良かったよ。2年の時に同じクラスで……ああ、それに委員会も一緒だったんだよ」

「委員会が?」

「うん。俺達環境美化委員でさ。つってもそんなに大したことはしてないけどな。植物に水やったり、節電呼びかけたり。そんな感じ。一緒に校門に立って『節電しましょう!』って。今考えるとバカみたいだろ。で、その時暇だったから、結構色んなこと話したんだよ」

「なるほどね。そこで何か事件が起こったりしなかった?」

「ん? いやどうだろな。ああ、一回俺が集まりに遅刻した所為で、連帯責任として一柳さんも怖い先生に叱られたことはあったかな。あれは悪いことしたなぁ」

「ふむ」

 確かに可哀想だが、しかし今回の事件との関連性はあまり無さそうだ。

「じゃあ、最後に、青野くんとはどんな関係だった?」

「ん? ああ、今回は青野が呪われてたんだっけ? いやまあ、どんな関係って言われてもな。まあ、良いんじゃね?」

「そう……」

 口ぶりから察するに、そこまで親密でもなさそうだ。

「なるほど、ありがとう。疑うみたいになっちゃってごめんね」

「おう。また何か聞きたいことあったら聞いてな。まあ、事件の情報は多分何も出せないけどな」

「いや、助かるよ。ありがとう」

 今のところ、もう聞くべきことは無い。彼に礼を言って自分の席に戻ろうとした。その時だった。

「あ、そういえば本田の事情聴取ってもうした?」

 戸川くんが僕を引き留めた。

「本田?」

「おう、一組の。アイツも利根岡中出身なんだけど」

「ああ……」

 そう言われても顔が思い浮かばなかったが、昨日取り調べを行った生徒の中に「本田」はいなかった。

「まだかな。で、本田くんが何?」

「おう。そいつ、今日の放課後カラオケ行くって言ってたから、取り調べるなら急いだ方がいいよ」

 できるなら、取り調べは今日中に終わらせたい。戸川くんの言う通りなら、お昼休みの内に話を聞いた方がいいかもしれない。時計を見ると、午後の授業まであと十分。まだ間に合うだろう。

「ありがとう戸川くん。早速聞いてみるね」

「おう、頑張れよ」

 僕は席には戻らず、教室を出て一組へ向かった。


 今になって一柳さんを誘っていないことに気づいたが、時間も無いし、お昼休みの時間に三組に行って呼び出すというのもなんだか躊躇われるので、このまま一人で聞き込みを行うことにした。

「本田くん、いる?」

 教室を覗いて呼びかける。すると親切な某くんが一人の男子を連れてきてくれた。

「こんにちは、本田くん、だよね」

「おう、そうだよ」

 本田くんはどこかニヤつきながら頷いた。急に教室に来て呼びだしたので、驚かせてしまうとばかり思っていたので、僕は少し奇妙に思っていた。しかしその疑問はすぐに解消された。

「お前、石澤だろ? 探偵の」

「え? うん。そうだけど……」

「それで今はあの事件を追っているんだろ? 『呪い』のさ!」

「まあ、うん……」

 それを聞くと、本田くんは「やっぱり!」と目を輝かせた。そしてわざとらしく声を抑えて言った。

「やっぱり、犯人は一柳さんなのか? そのことについて訊きに来たんだろ?」

「……」

 本田くんは戸川くんとは違って、「呪い」事件に興味津々らしい。そして例に漏れず、彼も一柳さんが犯人だと信じて疑わないようだ。そんな彼に向かって「実は君のことを疑っているんだよ」というのは気が引けた。

 まあ、もうどうせアリバイから犯人を見つけるのは不可能なのだ。一柳さんを疑っている体で二人の関係を探ってもいいかもしれない。

「まあ、まだ犯人はわかっていないんだけど、一柳さんが関係してそうなのは確実なんだよね。だから色々知りたくって」

「いやいや、あんな事件起こすの一柳さんで確定でしょ! 頼むホント! 探偵なんだからさ、犯人くらいすぐ見抜いてよ!」

「いや、まあ、だからこそ証拠が大切というか……」

 そんなことをぼそぼそ言っても、彼の笑い声にかき消されてしまうし、そもそも聞いていないだろう。信条はさておき、早速聞き込みを始める。

「一柳さんって中学の時どんな人だった?」

「うん、まあ、大人しいっていうか、何考えてるかわからないっていうか、やっぱりオカルト好きだしさ、暗いよな」

 彼はますます調子を良くして続けた。

「なんか、裏で呪ってそうだなって、昔から思ってたんだよ。なんかやらかしそうだなって。俺って割とさ、そういうのわかるんだよ。なんか怪しいなって思ってたヤツが何かしら事件起こしたりさ、コイツがやったんだろっていう直感? みたいなやつが良く当たってさ」

「へえ」

「ほら、ドラマとかの犯人とかも、良く当たっちゃうんだよな。あはは、俺の方が探偵に向いてたりしてな!」

「かもね」

「まあ直感って言っても、実は何かの根拠があるとは思うけどな。さすがに偶然で犯人を当て続けるとか無理だろ? 俺は何かさ、こう、人の表情とか読み取る才能とかあるんじゃねって思ってるんだ。割と人の気持ちとか読み取るの得意でさ、たまに人の思ってることとか考えてることとか言い当てて驚かれることもあるんだよ。だから人に気を使ったりすんのも得意でさ、いやあ、人に気づかれずに色々回したりしてんだよ、俺も。マジで俺が居なかったらお前等終わりだぞっていっつも思ってるもん。でも、こういう気遣いとかが俺は大切になっていくと思うんだよな、人間関係って」

 よく喋る。普段ならこのまま聞き続けているところだが、今日は時間が無い。授業が始まるまでに情報を抜き出さなくては。

「一柳さんのこと、良く知ってるんだね。仲良かったの?」

 相づちもそこそこ、彼が息継ぎをした瞬間に質問をねじ込む。

「ん? 一柳さん? まあ、悪くはなかったよ。でも、まあ、ほら、暗いやつだからさ、別に話し掛けようって気もなかったというか。いや別に悪口ってわけじゃなくてさ、ほら、ああやってバリア作ろうとすると話し掛け辛くなるじゃん? そういうのってあんまり良くないと思うんだよな。だってさ……」

「同じクラスだったことあるの?」

「ん? ああ、一年の時と三年の時に一緒だったかな。ああ、今でも覚えているもん。一年で初めて同じクラスになった時のこと。一柳さんって見た目はさ、そんなに悪くないだろ? だから少し話してみたいなって気もあったっていうか、まあ、別に下心とかじゃないんだけどさ、ほら、グループで仲良くなれたらいいなっていうか、その程度なんだけどな。でもアイツ、多分甘やかされて育ったんだろうな。っていうか多分、見た目がいいからどうせ男子たちからすっげえちやほやされてきたんだよ。なんか態度がどこか素っ気ないっていうかさ、『私は特別よ』みたいなさ。そういう雰囲気、お前も感じねぇ? 人の事上から見てそうな感じ。その上趣味がオカルトだろ? いやなんていうかさ、多分クラスのみんながもうそれで興味を無くしてたよ。なんかアイツ、イタくね? みたいな」

 最早偏見の域すら超えていそうな批評に、怒りすら感じなかった。なんだか一柳さんの名前だけ借りた別の物語を聞かされている気分だ。

「いやしかもさ、アイツ青野のこと一日で振ったらしいんだよ。酷くね? たった一日ってさ。マジで自分勝手だよな。人のことアクセサリーとか思ってるんだよ、多分。だって一日で何がわかるんだって感じだろ? ちょっとでも気に食わないことがあったら関係を切るような女なんだよな、結局は。ああいうヤツは結局最後まで自分が選ぶ立場だと勘違いして、生き遅れるぜ。それで年取って魅力が無くなった後も勘違いするから、モンスターが生まれるぜ」

 なんて、なんて酷いことをいうのか。まあ、ここで反論しても仕方が無い。授業が迫っている。

「青野くんとは仲良いの?」

「おう。結構仲良いぜ。いや、アイツマジでやべーヤツなんだよ。マジで」

 そこから青野くんのやべーヤツエピソードを聞かされる内に時間は経過し、授業時間になってしまった。

 長話だったくせに、目新しい情報はほとんど無い。情報が無いのは今までも同じだが、どこか僕は損をしたような気分になっていた。

 しかし。僕が聞きたいことは聞くことができた。運が良ければ全くの無駄にはならないだろう。僕は少し早歩きで教室に戻った。

 次の授業の準備をしていなかった僕は、少しばかり遅刻してしまい、軽く叱られた。遅刻に対する叱咤がいつまで経っても耳に残り、心臓に冷たい水滴を垂らし続けた。心はさっと冷え、その日僕はずっと落ち込むことになるのだった。


 授業が終わり、部室へと向かう。その途中、本田くんの言っていたことを思い出す。別に本田くんの言ったことを真に受けているわけではない。

 あれは本田くんの偏見だ。一柳さんはあんな人じゃない。まあ、僕だって偉そうに一柳さんのことを語れはしないけれど、でもあんな根拠の無い罪を被せるなんて、それはダメだろう。

 僕が怖いのは、そこだ。

 この事件が起こる前まで、一柳さんのことを冷たい目で見る人はいなかっただろう。変わった人だと言う人はいたかもしれないが、嫌悪を露わにする人はいなかった。

 本田くんだって、一柳さんのことをあそこまで言うようになったのは事件後だろう。一柳さんが犯人だと疑われているからこそ、あそこまで罵ることができたのだ。

 それが恐ろしい。人はきっと、何か理由さえあれば、いや、理由なんてなかったとしても、そういう風向きさえできてしまえば、それが誰であろうと何処までも見下げることができるのだ。カリスマ性も能力も実績も何も関係なく、ただの風向きで決まってしまう。当人の叫びはどこにも届かない。

 教室だって一つの社会。それどころか逃げ場のない密室だ。きっと誰も無関係じゃいられない。その風向きになびいてしまうことも、その風に凍えることもあるだろう。勿論、この僕だって。

 それは教室にいる以上、仕方が無いことなのかもしれない。けれど、その無自覚な加担と、必然ともいえる迫害が待っているというのは、到底受け入れられることではなかった。

 ……だからこそ、僕は事件を解かなければならない。正直、今の僕の視点が冷静かと聞かれればそれも疑わしいけれど、それでも今一柳さんの力になれるのは、きっと僕だけだ。

 決意を改め、僕は鍵を開けて部室に入った。

 そして少しした後、一柳さんが教室に入ってきた。

「こんにちは、石澤くん」

「うん、こんにちは」

 挨拶を済まし、僕は早速今日の調査の結果を一柳さんに報告した。

「そう、一人で聞き取りしたんだ。二人でしようって言ったのに」

 一柳さんは少し拗ねたように言った。

「いや、ごめん。少し急ぐ必要があるかなって思って」

 すると一柳さんはくすりと笑った。

「冗談。ありがとね、調査してくれて。正直私が一緒でもできることできなかったと思うから気にしないで。あ、調査した内容の確認程度ならできるけど……」

「あ、それは助かるかも。ありがとう」

「うん、じゃあ、聞かせて?」

 僕は戸川くんと本田くんから話を聞いたことを伝えた。そして印象に残っていた話……特に一柳さんとの思い出についてはなるべく詳しく話した。

 そして

「うん、あったかな」

 一通り話したけれど、特に矛盾する点も嘘の部分も無さそうだった。二人の話は概ね正しいのだろう。

「一柳さん、他に二人に関して印象深いことってある?」

「ううん……。まあ、覚えていることはいくつかあるけど、全部普通の思い出だし、事件に関係があるとは思えないかな……」

「そっか」

 まあ、そもそも事件と関係がありそうな思い出があれば、事件が起こった後すぐに思い出しているだろう。

「しかし、犯人の目的はなんだろうね」

 最近の風向きを考えるに、一柳さんを追い詰めたいという目的が可能性としては高そうだが、それでも四駆を呪うというチョイスは謎だ。適当に選んだだけなのだろうか。

 ともかく

「まだ調べてないのは三人だね」

 容疑者は八人。後残っているのは、青野くんとそのお友達だ。しかしこの三人に話を聞くことは少し躊躇われた。一つ目の事件で呪われたのは青野くん本人だし、そもそも一柳さんと青野くん達はあまり仲が良くない。というより、一柳さんが彼等を良く思っていない。

 一柳さんは聞き取りに一緒に行くと言ったけれど、あの三人に対してはどうだろう。そう悩んでいた時だった。部室の扉が開いた。そして一人の男子が勢いよく顔を覗かせた。

「おい! まただぜ!」

「?」

 きょとんとする僕達に、彼は興奮したように言った。

「だから事件だよ! 『呪い』の事件がまた起こったんだ!」


 事件現場は第三自習室。吹奏楽部がパート練習で使おうとしたところ、新たな「呪い」が見つかったのだという。

「今度は二日連続だなんてね」

 犯人の目的がわからない以上、次の犯行がいつ起こるのか、そもそも次があるのかどうかすら予測がつかない。

 依頼者についていき、自習室に入る。中には吹奏楽部の部員数名がいた。

「あ、やっと来た」

 吹奏楽部の人達はどこか楽しそうにニヤついていた。その表情から、今回の呪いもイタズラのような内容に違いないと直感した。そしてその直感は当たる。

「……これか」

 自習室の教卓の上。そこには様々な物が置かれていた。その中から一枚の紙を拾い上げる。その紙には最早見慣れた一柳さんのキャラクターが描かれていた。そして、それだけではない。そこに書かれた文字を読み上げる。

「『参考書は刺殺の呪いを受けた』か」

 もう一度教卓に目をやると、大小深浅、様々な傷の付いたボロボロの参考書が置かれていた。

 昨日は絞殺された四駆。今回は刺殺された参考書。やはり意味がわからなかった。それだけに、唯のイタズラのようにも、甚だ不気味な事件のようにも感じられた。

「ねえねえ、やっぱりこれも最近の事件と関係があるの?」

 興味津々といった様子で吹奏楽部の女子部員が尋ねてきた。

「うん、多分ね」

 昨日の事件とあまりに類似している。そして昨日の事件現場は早々に片づけられてしまったので、恐らく模倣犯という線も低いだろう。

 教卓の上には、昨日と同じく民族風の衣装を着た人形も三体置かれていた。こちらに関しては呪いの内容とも何の関係も無いので、まるで意味がわからない。この人形には何の役割があるのだろう。

「ん……?」

 と、そこで小さな違和感に気づいた。

「一柳さん、昨日の現場のこと覚えてる?」

「え、うん。大体は」

「じゃあ、昨日の現場にも、この人形が置かれていたの思えてる?」

「勿論覚えてるよ」

「じゃあさ、昨日この人形が何体あったかも思い出せる?」

 一柳さんは少し考え

「……あ。そういえば、昨日は四体だったね。机の四隅に置かれていたから、はっきり覚えてるよ」

「……だよね」

 僕の記憶が一柳さんのものと一致したことに安堵する。そしてその記憶が指し示す意味を考える。

 昨日の人形は四体。そして今日は三体。それに、この民族衣装を着た外国風の人形という要素。僕はこの状況を知っている……。

「あ!」

 思わず声を上げる。

「お、犯人がわかった?」

 吹奏楽部の部員が期待を込めた目で見つめてきたがそうではない。しかし、この不可思議な事件の輪郭を少しだけ掴んだ。

「……これは、ミステリーだ」

 僕は呟く。

「……は? まあ、謎の事件だよな」

 部員達ががっかりしたような顔をしたが、僕が言いたいことはそうではない。

「減っていく人形。そして、外国風の人形……インディアン人形」

 僕は結論づけて言う。

「『そして誰もいなくなった』」

「……?」

 言わずと知れたミステリーの名作。クローズドサークルの代表格。アガサ・クリスティ著、そして誰もいなくなった。

「それ、有名なミステリーだよね。どういうこと?」

 一柳さんが僕に尋ねかけた。名作ではあるが古典だ。一柳さんが内容を知らないのも無理は無い。

「……少しネタバレするけどいい? 勿論核心部は避けるけど」

「まあ、私は全部バラしてもらっても構わないけど」

 それを聞いて、説明を行う。

「『そして誰もいなくなった』は孤島で起こる事件を扱った、いわゆるクローズドサークルのミステリーなんだ。孤島に招かれた人々が、何者かによって次々と殺されてしまうんだ。で、人が殺されていくのに合わせて、部屋に置かれたインディアン人形が壊されていくって描写があるんだよ」

「……まるで、この状況ね。というより、この状況がその小説に合わせているのかしら」

「……十中八九そうだろうね」

 人形の数や、あらゆる状況に大きな差異があるけれど、犯人が「そして誰もいなくなった」にインスパイアを受けているのは疑う余地もないだろう。

「……いや、待てよ」

 僕はもう一度机の上を見つめる。影響を受けているのは「そして誰もいなくなった」だけではないかもしれない。

「……一柳さん。今度は『オリエント急行の殺人』のネタを割るけど、いい?」

「あ、なんか聞いたことあるタイトルかも。全然ネタバレしてもいいよ。全部」

 ……本当はもう少しくらい興味をもって欲しいのだけれど。という不満はさておき説明をする。

「『オリエント急行の殺人』はそのタイトル通り、オリエント急行っていう列車の中で殺人が起こるんだ。けど、その遺体が奇妙で、十二カ所の刺し傷があったんだけど、その力加減や右手左手が違ったんだ」

「どうして?」

「それは読んで。……まあ、とにかく色んな傷があったんだよ。それで、これだ」

 僕は今回の参考書に視線を移す。一柳さんもそれにつられて参考書を見た。そこには様々な傷痕が残っている。「オリエント急行」と同じだ。

これは少々わかりにくいオマージュだけれど、「そして誰も」のことを考えれば、こちらもほとんど確実に影響を受けているといってもいいだろう。

 「そして誰も」と「オリエント急行」。二つのミステリーに影響を受けた事件。やはり意図はわからないけれど、一つ一つの事件の意味は見えてきた。

だとすれば。今回の事件がミステリー作品に影響を受けているとするならば。

「昨日の事件も、何かのオマージュかな……?」

 僕は昨日の事件を思い出す。昨日呪われたのは四駆だった。そして呪いの種類は絞殺。使われた凶器は斑目模様の紐。……まだらの紐。

「はは」

 思わず乾いた笑みが溢れる。あらすじに触れるまでもない。シャーロックホームズシリーズでも名作と名高いエピソード、「まだらの紐」。オマージュ元は確実にそれだろう。

「やっぱり、今回の事件はミステリーに関係しているんだ」

 小さく呟くと、一柳さんが僕の顔を覗き込んだ。

「ふうん。じゃあさ、数字関係も元ネタがあるの?」

「数字?」

 彼女の言っている意味がわからず聞き返す。

「うん。ほら、四、三っていうやつ」

「ん? それは『そして誰も』だよ」

「でも、人形の数だけじゃないでしょ?」

「え?」

「だからさ、ここ」

 彼女は地面……この教室を指した。

「ここは第三自習室だよ」

「あ……」

「そして参考書が呪われて、人形が三体。全部三だよ」

「……」

「それだけじゃなくて、昨日もそう。視聴覚室で、四駆が呪われて、人形が四体」

「……たしかにね」

 「し」聴覚室で「よん」駆が呪われ、第「さん」自習室で「さん」考書が呪われた。これも間違い無くミステリーに影響を受けているだろう。

 数字のカウントダウンという点から、とあるミステリーのアニメ映画とも考えられるけれど、多分そうではない。これまでの流れから考えるにオマージュ元はきっと……

「……『ABC殺人事件』」

「それもなんか聞いたことあるね。いいよ」

「……」

 「いいよ」は「ネタバレしていいよ」ということだろう。まあ、これも最後まで話すつもりはないけれど。

「『ABC殺人事件』はAから始まる町でAから始まる名前の人物が殺されて、Bから始まる町でBから始まる名前の人物が殺されて、Cから始まる町で……っていう話だよ」

「ふうん。なんでそんなことするんだろうね」

「読んで」

 ……とにかく。「ABC」をオマージュしていることは殆ど確実だろう。これで四駆と参考書をターゲットに選んだ理由にも納得がいく。

 「そして誰も」、「オリエント急行」、「まだらの紐」、「ABC」。アガサ・クリスティの作品が多い気がするけれど、単に有名なミステリーを列挙しただけとも考えられるだろう。

「……でも、なんでこんなことを」

 じっと考えを纏める。しかし答えは見えてこない。と、その時

「じゃあ、二と一もあるってことだよね」

 会話をずっと聞いていた吹奏楽部の部員が、独り言のように呟いた。

「というか、このカウントダウンの果てには何があるの?」

「……確かにね」

 「ABC」の完全な模倣ではなく、わざわざ数字にした理由。そして数字が一つずつ減っているという事実。これはカウントダウンだ。だとすれば、犯人の目的はそのカウントダウンの果てにあるのだろう。それは一体なんだろう。

 二のつく物。一のつく物。そして今回の事件は「呪い」であり、一柳さんを意識した事件であり……。……一柳。

「あ……」

 僕が気づいた瞬間、一柳さんも察したのか、彼女もさっと顔を青くした。

 この事件は呪いだ。そして一柳さんのキャラクターが描かれた紙が毎回現場に残されている。この事件が一柳さんを意識しているのは明白だ。

 そしてカウントダウンで呪われていく、数字のついたターゲット。ならば、最後に呪われるのは恐らく……

「『一』柳、瞳……」

 この事件はやはりイタズラなんかじゃない。なぜならば、最後のターゲットが十中八九、一柳さんであり、これまでの事件で用いられている言葉が「絞殺」に「刺殺」と、「殺す」という内容だからである。


 部室に戻る道中で、今回の事件について考える。今回の事件で様々なことが判明したけれど、なおも不明な点は多い。

 まずは一つ目の事件だ。一つ目の青野くんが呪われた事件。あの事件は今日と昨日の事件とは異なり、ミステリーとはまるで関係がなかった。人形を使った失恋の呪い。……まあ、僕の知識不足なだけかもしれないが、しかし今日と昨日の事件でオマージュされたミステリーは誰もが名前を聞いたことがあるような有名作だ。しかし一件目の事件に関してはまるで思い当たらない。

 普通に考えれば、一件目の事件はただの呪いであり、二件目からミステリーの要素を入れた、ということになる。

 一件目とそれ以降で犯人が違うという可能性も考えたが、それはないだろう。何故なら、一件目の現場に一柳さん自作のキャラクターが描かれた紙が残されていた上、その紙が三森さんに隠蔽されてしまったからである。つまり、事件現場にあの紙があったことを知っていたのは犯人と三森さんだけなのだ。にも関わらず、二件目の事件、「四の呪い」の現場にもキャラクターが残されていた。

 ……と考えると、二件目以降は三森さんが起こした事件とも考えられるのか。まあ、可能性程度に考えておこう。

 それにしても、何故ミステリーなのか。このオマージュに何の意味があるのだろうか。

 ……思い当たらないわけでもない。

 そもそも、今回のオマージュ自体に意味はないだろう。事件の状況は確かに有名なミステリーと似ている。しかし、状況を真似ているだけであり、その状況になってしまった合理的な理由がない。原作の真相を当てはめることができないのだ。

 だからこそ、今回の事件に対して「ミステリーの雑なオマージュ」という印象を抱かざるを得ない。有名なミステリーを適当に聞きかじって、適当に再現したのだろうと感じてしまう。で、あるならば、犯人はミステリーにあまり興味が無いと考えられる。言ってしまえば愛がない。

 では犯人の目的とは。

 ……元々、この事件はオカルトだと考えられていた。しかし、オカルトとしての要素も適当だった。一柳さんが言うには、人形の呪いの手順として、人形の中に腐った物を入れた後三十日以上放置する必要があるらしい。しかし実際の事件で使用された人形に入っていた腐ったミカンはどうみても三十日放置されていなかった。続く事件も同様だ。「絞殺の呪い」も「刺殺の呪い」も一柳さんは見たことがないと言っていた。

 要するに、呪いの手順が適当なのだ。

 そして考えるに、その理由は一つだ。犯人は元々オカルト自体には興味がないのだろう。この事件は明らかに一柳さんを意識したものであり、そのためにオカルト要素を組み込んだに過ぎないのだ。

 だったら、ミステリーに関しても同じだろう。犯人は僕を意識しており、ただそのためだけにミステリーの要素を組み込んだのだ。

僕はずっと、この事件は一柳さんに向けたものだと考えていた。しかし、ミステリーが関わってくるというのなら話は別だ。

 この事件は僕と一柳さん、つまり文芸部に向けられたものなのではないだろうか……。そう考えてしまうのは、単なる自意識過剰だろうか。

 部室に戻り、一柳さんと向かい合って座る。何となく気まずく、僕達は黙ってしまった。最後のターゲットが一柳さんだと決まったわけではないけれど、一連の事件が僕達に関係していることは疑う余地がないのだ。

 しかし、このまま鬱々と考えて、いたずらに不安になっていても仕方ない。

「一柳さん、僕は聞き込みに行くけど、一柳さんはどうする?」

 利根岡中出身の生徒、つまり容疑者は八人だ。そして今まで五人に聞き込み調査をした。残りは三人。まだ取り調べをしていないのは……。

「青野くん達か……」

 一柳さんがため息交じりに言った。二週間前、部室に来て一柳さんにインタビューをした三人組。意図的に避けていたわけではないけれど、最後になってしまった。

「まあ、気まずいなら僕だけでもいいんだけど……」

 一番初めに呪われたのは青野くんだ。内容は「失恋」であり、「絞殺」、「刺殺」よりかは穏やかだけれど、それでも青野くんだって事件に対して良い思いはしていないだろう。それに今回の事件の犯人は一柳さんだと疑われている。青野くんが一柳さんにどう思っているのかわからない。

「……ううん。私も行く」

 一柳さんは立ち上がった。

「疑われているなら、尚更話さないと」

「……そっか」

 僕達はまた部室を出て、体育館へと向かった。


 青野達彦。桂木吾郎。結城悠人。中学からの付き合いで、仲良し三人組だ。高校受験も、一緒の高校に進学したいからという理由で決めたらしい。そして現在でも仲が良く、常に三人で行動しているようだ。部活動も一緒で、三人ともバスケ部に所属している。

「お邪魔します」

 体育館に入るとバレー部とバスケ部が体育館を分け合って使っていた。と言ってもバスケ部の方は真面目に取り組んでいるわけでもなく、談笑している生徒や、適当にじゃれ合っているような生徒ばかりだった。

 その中で青野くん達三人組を見つけた。と同時に青野くんと目があった。

「……」

 彼は僕達を睨み付けるように目を細めた。僕達の要件が「呪い」事件絡みだと察したのだろう。彼は一番目の事件で呪われているので、事件のことをもう思い出したくないのかもしれない。それに、今回の事件の犯人は一柳さんだと噂されている。青野くんが僕達のことを快く思わないのも当然かもしれない。

「やあ、青野くん。久しぶり。今少しいいかな」

 彼は鬱陶しそうに僕達を睨み、上級生の方に視線を巡らせた。あまり興味が無いのか、先輩は適当に手を振り、また談笑を初めてしまった。

「……仕方ねえな」

 青野くんは深くため息を吐いて、

「来いよ。あんま他の人に聞かれたくねえだろ」

 そのまま体育館を出て行ってしまった。

「……」

 桂木くんと結城くんは困惑したように顔を見合わせていた。彼等にも話を聞きたかったので、二人も連れて行くことにした。

 そして体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下で、彼等の話を聞くことにした。さて何から話そうか、と考えていると

「……俺が悪かったよ」

 青野くんが唐突に言った。

「悪かったって?」

「だから、瞳のこと。もう狙わないからさ、もういいだろ。こんな回りくどいやり方して」

 彼は吐き捨てる様に言った。その言葉の意味を考え、彼の勘違いに気づいた。彼はやはり一柳さんが犯人だと思い込んでいるらしい。三森さんから聞いた話だが、青野くんは同窓会の日、「一柳さんを狙っている」という趣旨の発言をしていたようだ。それが一柳さんの怒りを買って失恋の呪いを受けたのだと、青野くんはそう思っているのだろう。

「まあ、お前達の目論見通りだよ。呪いなんて受けたら、誰でも引くよ。もう瞳のことは好きじゃないから。だからもういいだろ?」

 勘違いしているとはいえ、酷い言い草だ。僕は苦笑して言う。

「一柳さんは犯人じゃないよ。だからこうして事件を追っているんじゃないか」

 しかし青野くんは訝しげに僕達を見て

「あれを瞳以外の人間がやるとは思えないけどな」

 と小さく呟いた。

「本当に私じゃないの」

「……ふうん」

 その言葉を信じたのか信じていないのか。とにかく青野くんはもう完全に一柳さんへの好意を失ったように、冷ややかな目を向けている。

 二週間前まで一柳さんのことが好きだったはずなのに、こうも簡単に興味を失ってしまうものなのだろうか。まあ、元々「チョロいからイケるぜ」とか言っていたようなので、そもそも好きだったかも怪しいのだが。

 とにかく。今回の目的は三人の話を聞くことだ。僕達の話が信じられないならば、それでも構わない。

「で、瞳が犯人じゃないなら何の用だよ」

 ぶっきらぼうに青野くんが尋ねたので、本題に入る。

「僕達もまだ犯人がわかってなくてね。犯人を探しているんだ」

 そして事件の内容を彼に伝えた。一柳さんの落書きの件も話し、利根岡中出身の生徒が関係しているということも話した。

「……もっと直接的に言ったらどうなんだ?」

 話し終えて、青野くんは僕達を睨んだ。

「俺を疑ってるってワケか?」

「まさか」

 本当は容疑者の一人ではあるけれど、このまま機嫌を損ねて取り調べを断られてもおもしろくない。

「青野くんは被害者でしょ。犯人だとは思っていないよ。それに桂木くんと結城くんも、青野くんと仲良しだからね。容疑者からは外れてるよ」

「……ふうん。だったら尚更、なんで俺達に話を聞くんだよ」

「利根岡中の頃の話が関係しているって言ったでしょ? だから当時の話を色々な人から聞いておきたくて」

「ふうん、まあ、いいけど」

 まだ完全に納得していないようだが、協力はしてくれそうなので、話を進める。僕は一柳さんの描いたキャラクターを青野くんに見せた。

「早速なんだけど、この絵見たことない?」

 彼は紙をじっと見つめて

「ああ、瞳が描いてたやつか?」

 一柳さんのことを一瞥した。

「……」

 一柳さんにとってそれは少し恥ずかしい過去なようで、気まずそうに目を逸らした。

「まあ、見た事あるけど、どこで見たとかは覚えていねえな。つかそれ覚えてたからなんだってんだよ」

「まあ、確かにね。ちなみに、青野くんと一柳さんっていつ付き合ってたの?」

 尋ねると青野くんが苦い顔をした。恐らく一柳さんもそんな顔をしているのだろう。

「それが事件と何の関係があるんだよ」

「ほら、だって今回の事件は青野くんが呪われて、一柳さんのキャラクターが残されているんだよ? 二人に関係していることは明白じゃん。だから付き合っている時に何かあったのかなって」

「……まあ、いいけど。三年の夏だよ。夏休み前の終業式の日に付き合ったんだ」

 それで一日でフラれた、と。三年生の時に付き合っていたことは知っていたが、夏というのは初めて知った。

「ちなみに、出会ったのはいつなの?」

「三年になってからだよ。ほら、俺と瞳って苗字の五十音が近いだろ。それで席が隣だったんだよ」

 青野と一柳……「あ」と「い」。確かに近い。

「んで、その時は結構仲良かったんだよ」

「そうなの?」

「おう。瞳も普通に話してくれたしな」

 振り返って一柳さんの顔を見ると、彼女は小さく頷いた。

「沢山話掛けてくれたし、明るい人だと思ったの」

「へえ、実際は違ったって言うのかよ」

「だって、ずっと下品な話してたじゃん」

「別にあれくらい普通だろ」

 ……気まずい。一柳さんを連れてきたのは失敗だったかもしれない。

「でも、そのあと付き合うことにしたんだよね?」

 青野くんに尋ねると、小さく頷いた。

「きっかけは席が隣だったからなんだけど、その後も結構俺から話掛けたんだよ。まあ、そん時から避けられてる感じはあったけどな」

「で、夏休み前までそれが続いて、結局一柳さんが折れたってことかな」

「……まあ、そうなるのかな」

「なるほどね」

 まとめると、席が隣になってよく話していたけれど、青野くんの本性がわかり一柳さんは青野くんを避けるようになった。けれど青野くんは一柳さんに好意を持ったままアタックを続け、結局一柳さんは青野くんと付き合うことにした。しかし映画館で事件が起こり、やはり別れることにした、と。

 ……まとめてもなんだか複雑だ。まあ、学生の恋愛なんてそんなものなのかもしれないが。

「でも、俺達が付き合ってたのは一日だけだし、特に事件なんて起きなかったぜ。正直、瞳が犯人じゃないなら、他に犯人の心当たりなんてないぞ」

「そっか。ちなみに、一柳さんと同じクラスになったのは三年生の時だけ?」

「おう。そうだよ」

 なるほどと呟いて、今度は桂木くんを見る。

「桂木くんは一柳さんと同じクラスになったことある?」

「へ?」

 突然話を振られて戸惑っていたが

「いや。俺は一回も同じクラスじゃなかったよ」

「そうなんだ。結城くんは?」

「俺? 俺は三年の時に」

「じゃあ、青野くんと一柳さんと結城くんは三年の時に同じクラスだったんだね」

「そうだな」

「そこで気づいたこととか、最近の『呪い』事件に関係しそうな出来事とかあった?」

 結城くんは少し考え

「さあ。まあ、青野が結構露骨にアタックしてたからそれを快く思わなかったヤツもいるのかもな。でも、正直良く知らないよ。一柳さんと青野が不仲になってから、俺達も一柳さんと話さなくなったし」

「そっか。ありがとう」

 確かに青野くんを避けるようになったのなら、グループ全体と気まずくなっても仕方ないのかもしれない。それで一柳さんにアプローチを続けた青野くんは一途なのやら、しつこいのやら。

「なあ、結局これで何がわかるんだよ。部活中断してまで聞くような内容だったのか?」

 少し苛立った声で青野くんが言った。確かに、中学時代の繋がりを聞いただけだし、その上、犯人に繋がる重要な情報も特に無い。

 しかし、この時間は決して無駄ではなかった。

 何故なら、この三人の内、恐らく二人は犯人ではないことがわかったからである。

「良い情報が手に入ったよ。ありがとう。時間取らせちゃってごめんね」

「良い情報って……。まあ、いいけど」

 彼等は少し釈然としない様子だったが、僕達とずっと居たくもないようで、そのまま体育館に戻っていった。

 そして別れ際、やはり青野くんは一柳さんのことを疑っているのか

「……俺、本当にもうお前のこと狙ってないから。オカルト趣味とか冷静に考えれば気持ち悪ぃし。それに今、お前学校で犯人だって疑われてるんだぜ? そんなヤツと仲良かったら、俺までキショくなんじゃん」

 そう吐き捨てていった。


「別に、気にしてないよ」

 部室に戻って一柳さんと二人になったものの、少しだけ気まずく黙っていると、一柳さんがそう呟いた。

「元々青野くんのこと少し苦手だったし。別にいいの」

「……まあ、そうかもしれないけど」

 僕だって別にその心配をしていたわけじゃない。「瞳はチョロいからすぐ食えるぜ」なんて言う人が手を引くのは、僕にとっても一柳さんにとっても悪いことではないはずだ。

 しかし、彼が手を引いた理由。これが気がかりだ。青野くんが一柳さんを嫌いになっただけならば別に良い。しかし彼はこう言った。「周りが嫌っている人間と仲良くすることはできない」と。

 そして今、一柳さんを嫌いになるだけの材料が揃いつつある。彼女は今、学校を混乱に陥れる、不気味な犯人だと噂されているのだ。

 今はまだ噂程度だから良い。しかし、これからどうなるのか、僕にはわからない。青野くんがその大きな声で一柳さんの悪口を言えば、そういう風向きがいとも簡単に作られてしまうだろう。

 教室に吹くその風は、あまりに強く僕達を煽る。閉ざされた密室の中、吹き抜けることもなく、その風は強い渦になって全てを破壊するだろう。

 友情だけじゃない。たとえ恋愛感情だったとしても、その風の前には弱々しく吹き飛ばされてしまうのだ。青野くんの、中学三年生の頃から続く、ある種一途とも言えたその感情が崩れてしまったように。

 ……もし、そうなってしまったら。もしその風が本当に作られてしまったら、その時僕はどうなるのだろう。僕もまた、彼女を見放してしまうのだろうか。それとも彼女の唯一の理解者になって、ここぞとばかりに彼女の心を独占してしまうのだろうか。

 ……考えるだけ、馬鹿馬鹿しくなってくる。本当に、本当に下らないことだ。どうしてこんな、得体の知れない犯人の所為で、そんなちっぽけな風の所為で、一柳さんが窮地に立たなければいけないのか。人間関係が左右されなければいけないのか。

 大人達は「学校は社会の縮図だ。その勉強をしているのだ」と言う。しかし今考えればそれも疑わしい。だって、教室は学校にしか無いのだ。こんなに風通しが悪いのは、学校だけではないのか。

 こんな異常な環境で、正常でいられるわけがない。そんな必然とも言える渦に一柳さんが巻かれつつあることを考えると不憫でならない。そして馬鹿馬鹿しい。こんなことで、何か大きなものを失いかねないことが、本当に馬鹿馬鹿しい。

「一柳さん。絶対に解こう」

 改めて言う。

「え?」

 最早、冤罪がどうこうとかの問題じゃない。この事件を甘く見ていた。犯人の狙いはわからないままだけど、恐らく犯人すら予想だにしていなかったことが一柳さんに降りかかろうとしている。ならば絶対に阻止しなくてはならない。

 そして急ぐ必要もあるだろう。風向きが完全に作られてしまった後では遅いのだ。たとえ真犯人を捕らえたとしても、風向きさえあれば理由なんてなくても人を見下げることができるのだから。

「……ありがとう」

 一柳さんは戸惑った様子だったが、やがて小さく礼を呟いた。


「でも、犯人を見つけることなんてできるの? さっきも『良い情報が手に入った』って言ってたけど、本当?」

「うん、本当だよ。少なくとも二人を犯人候補から消すことができる」

「……!」

 一柳さんは驚いたように目を見開いた。

「誰を消すことができるの?」

「その前に、少し確認したいことがあるんだけど、いい?」

「勿論。私にわかることでよければ」

「ありがとう。じゃあ、早速。中学の時、数学の授業って教室だった?」

 突然の質問に彼女は首を傾げたが

「うん。そうだったよ」

 素直に答えてくれた。

「じゃあ、席順ってどうだった?」

「普通の、いつもの席順だったよ」

「ってことは他のクラスと合同だったり、混合だったりってことはなかったわけだ」

「そうなるね」

 その答えに満足し、僕は胸をなで下ろす。やはり、あの二人は犯人候補から外してよさそうだ。

「それで、何がわかったの?」

 一柳さんがしびれを切らしたように身を乗り出した。

「ごめんごめん。ちゃんと説明するね」

 僕は小さく咳払いをして、ここまでの推理を話す。

「一柳さん。一つ目の事件で使われた紙覚えてる?」

「え? うん、勿論。私の落書きでしょ?」

「そうそう。あれは複製でも模写でもなくて、一柳さんが中学生の頃、実際に描いたものなんだよね?」

「うん、多分。あのキャラクターの描き方は私だと思う。だから、私が授業中に隣の人のノートに描いた落書きを切り取ったんじゃないかな」

「そう。それが重要なんだ」

 そう言うと、一柳さんは小さく首を傾げた。

「でも、それってこの間から言っていることでしょ? だから利根岡中の同級生が容疑者ってことになったわけだし」

「そうだね。でも、それ以上の情報があるんだよ」

「?」

「ほら、授業中の落書きってやつ」

「……あ」

 先日、一柳さんは「わざわざ授業時間外にノートに落書きなんてしない」と言っていた。その言葉を信じるならば、あの落書きは確実に授業中にされたものだ。

 そしてあのノートの切れ端に書かれていたのは、連立方程式。数学のノートだ。つまり一柳さんの落書きは、数学の授業中に描かれたのだ。そして数学の授業が自分達の教室で行われていたのなら。

「クラスが違う人のノートに、一柳さんは落書きできないよね。つまり、一度も一柳さんと同じクラスになったことがない人は、今回の事件の犯人じゃない」

 そして今まで話を聞いた内、一柳さんと一度も同じクラスになっていない人が一人。

「桂木くんは犯人じゃないってことだ」

「……なるほどね」

 これで容疑者が一人減った。残り七人。

「じゃあ、あと一人は? 二人外せるって言ったよね」

 僕は頷く。今日の話を聞いて、二人容疑者から外すことができる。

「もう一人は、結城くんだよ」

「結城くん? でも結城くんは三年生の時に同じクラスだったよ。隣になったことがあるかは覚えてないけど……」

「いや、そんなこと考えなくても、彼は外すことができるんだよ」

 僕は青野くんの話を思い出しながら、説明を行う。

「青野くんと一柳さんは三年の初め、隣の席だったんだよね」

「うん」

「初めは仲良かったけど、途中から青野くんが下品な話ばかりするようになって、一柳さんは青野くんを避けるようになった」

「うん」

「そして青野くんだけじゃなくて、桂木くんと結城くんとも気まずくなったんだよね」

「まあ、そうだけど……」

「ちなみに、青野くんのことが苦手になったのは、席が隣だった期間内だよね?」

「うん。初めは休み時間とかにあの三人で話しているのが聞こえる程度だったんだけど、途中から私にも話を振るようになって……」

「なるほどね」

 やはり、結城くんは除外できそうだ。

「でも、それが何の関係があるの?」

「関係大ありだよ。だって、不仲な人のノートに落書きしようなんて考えないからね」

「?」

「いいかい、一柳さん。前提として、同じクラスになった人のノートにしか落書きはできない。つまり青野くんと結城くんのノートに落書きできるのは三年生の間だけだ」

「そうね」

「そして三年生の初め、青野くんと隣の席だった。授業中に落書きをするんだから、席は隣か後ろか、とにかく近い必要がある。その点、青野くんは隣だったから可能性は高い。でも、結城くんはあり得ないんだよ」

「どうして?」

「だって、三年生の初め、青野くんと隣の席だった時、すでにあの三人とは仲が良くなかったんでしょ?」

「あ」

「だったら、席替えがあって結城くんと隣の席になったとして、そんな気まずい男子のノートに落書きなんてできる?」

「……」

 一柳さんの描いたキャラクターは可愛らしい幽霊。それはある程度仲の良い人のノートにしか描けないだろう。

「だから結城くんはない。三年生の初めの席で不仲になった時点で、結城くんのノートには落書きできない。どうかな」

「たしかに、そうかも」

 納得したように一柳さんは頷いた。これで容疑者は六人。まだ多いけれど、徐々に絞り込めつつある。これは大きな前進だ。

 とはいえ。「四」と「三」の事件が既に起きている。「一」のターゲットが一柳さんだとすると、猶予は「二」の事件だけだ。つまり明日中には犯人を特定しなければいけない。

「一柳さん。残りの六人の中で、近くの席になったことが無い人とか思い出せない?」

「ううん……」

 彼女が必死に頭を捻っているようだったが

「ごめん、断言はできない。それに移動教室での記憶もごちゃごちゃで、いつもの教室のことだって自信を持って言えないかも」

「そっか……」

 まあ、適当な記憶をもとに犯人を誤認してしまっては、元も子もないだろう。

「他に証拠が手に入ればいいな」

 淡い希望を口にしてみる。犯人の目的は不明なまま。オカルトマニアなのかミステリーオタクなのか、それすらも判然としない。

 不気味な不快感と漠然とした不安に気分が落ち込む。けれどだからといってそれで犯人がわかるわけでもない。

 結局、胸に重りを抱えたまま何もできず、放課の時間になってしまった。


「忘れ物はない?」

「うん。大丈夫」

 部室の電気を消して、廊下に出る。時刻は午後六時。冬は放課の時間が早いというのに、外はもう真っ暗だ。

「私、この時間帯の学校好きなんだよね」

 薄暗い廊下の先を見つめ、一柳さんが呟いた。

「なんか夜の学校って特別な感じがして、ちょっとワクワクしない?」

「わかる。一年の中でも、暗い学校って冬の間だけだもんね」

「うん。エモだね」

 一柳さんは少し照れくさそうに笑って、マフラーに顔を埋めた。ダッフルコートにマフラーと、防寒具に包まれて暖かそうな格好をしている。

 エモ。ふと、一柳さんの放った言葉が耳に残った。エモーショナル。彼女の感情を揺れ動かすのは、夜の学校だけだろうか。それとも、夜の学校に僕と一緒だからこそ、彼女の心は動くのか。

「……鍵、掛けるね」

 ポケットから部室の鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。その時

「あれ?」

 鍵穴近くに紙が貼り付けられているのに気づいた。

「何これ」

「石澤くん? どうしたの?」

「いや、何か紙が……」

 紙を剥がし、顔を近づける。暗いのでこうでもしないと文字が読めない。

「……!」

「なんて書いてあった?」

 彼女もその紙を覗き込み

「これ……」

 僕は頷く。僕はその紙を読み上げた。

「『第二理科室にて第二の呪いは起こる』」

 第二理科室。この紙の内容が本当ならば、僕の推理通り、やはりカウントダウンで事件は起こっている。

「でも、これ本当に犯人が書いたものなの?」

「さあ……」

 今日の「三」の呪いを知った生徒ならば、事件がカウントダウンで行われていることに思い当たっても不思議ではない。次に事件が起こる「二」のつく教室を適当に書くことだってできるだろう。

 それに、真犯人がわざわざ教室を予告する意味も無い。普通に考えれば、これはヤジウマによるイタズラの可能性が高いだろう。

 しかし。万が一ということもある。そもそも今回の事件の目的はわからないことだらけなのだ。

 時計を見る。完全放課時間までまだ余裕がある。

「一柳さん。第二理科室を見に行こう」

「うん」

 部室の鍵を閉め、僕達は第二理科室に向かった。

 ……第二理科室といえば、昨日も事情聴取で訪れた。利根岡中出身の生徒、鈴木くんが所属している部活が科学部だったからだ。

 だからと言って鈴木くんが犯人だというつもりもないけれど、とにかくこれで新しい証拠が出ることを祈るしかない。「一」の呪いが迫ってきているのだ。

 第二理科室に着き、辺りを見回してみる。付近の部活動はもう解散したようで、廊下は真っ暗だった。

 僕は扉の取っ手に指を掛けた。もしもあのメモが犯人のものならば、第二理科室に呼びだした理由が何かあるはずだ。

 しかし。手に力を入れてみたが、扉はピクリとも動かなかった。

「……」

 窓や地窓なども調べたが、どれも鍵が掛かっている。一応ライトで教室の中を照らし、窓から覗いてみたが、異常はどこにも見当たらなかった。

 やはり、あの張り紙は第三者のイタズラだったのだろうか。

「どう?」

 一柳さんに尋ねられたが、手がかりは得られそうにない。僕は何も言わず、首を横に振った。

「……そろそろ帰ろうか」

 鍵も掛かっており、教室の中も異常がない。これ以上調べても何もないだろう。下校時刻もそろそろ迫っている。諦めて僕達は帰ることにした。職員室に部室の鍵を返しに行き、僕達は学校を出た。

 今のところ、事件は一日置きに起こっている。順当にいけば「二」の呪いは明日だろう。そして事件が起こるのは「二」の付く名前の教室だ。明日張り込みをすれば現行犯で捕らえることができるかもしれない。まだ焦る必要はないだろう。

「ほんと、寒くなったね」

 一柳さんのマフラーから白い息が漏れた。街灯の光が彼女の髪を暖かく照らしている。

「じゃあ、バイバイ」

 一柳さんが手を振った。手にはニットの手袋。暖かそうだ、と思った。……そして、その瞬間、ふと手袋の上から彼女の手に触れてみたいと思った。

 ……僕は「人肌恋しい」という表現が好きではない。何だか生々しい上に下心が透けて見えて、言ってしまえば気色の悪い表現だと感じてしまう。

 しかし、それを自覚した上でなお、彼女に触れられなくても良いから、その温もりだけでも、生きている証にだけでも触れてみたいと思ってしまった。

「石澤くん?」

 一柳さんが僕の顔を覗き込んだ。小さく髪が揺れた。

「ああ、いや、なんでもない」

 僕は目を逸らして、小さく手を振る。

「うん。また明日」

 彼女は夜道を歩き出す。僕は何度か振り返って、小さく揺れる彼女の後ろ姿を見送った。

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