第4話 調査二日目
部室の鍵を開けて程なく、一柳さんも部室に来た。
「今日も調査するよね」
荷物を置きながら一柳さんが訊ねた。僕は首を縦に振って答える。彼女は
「今日はちょっと暑いね」
なんて言いながら、カーディガンを脱いでいた。静電気がパチパチと小さな音を鳴らしている。
僕達が所属している文芸部には、決まりというものが殆ど存在していない。開始時刻も決まっていない上に、毎日参加する義務もない。二人とも基本的に毎日来てはいるが、くだらない理由で休む日だってある。
文集さえきちんと提出できれば、その他は自由だった。
だからこそ。
「今日は早いね」
「え? そうかな」
だからこそ、今日の一柳さんの行動には、少しだけ違和感を覚える。彼女は放課後すぐに部室に来た。普段ならば友達と談笑してからゆっくり来るので、もう少し遅い。ほんの五分、十分の差ではあるが、毎日のルーティンとなっているはずの行動を変えている。
では、一柳さんが早く来た理由は何であろう。その答えは一つしかない。
「で、今日はどのアーカイブ見る?」
一柳さんが上目遣いに僕を見つめた。
昨日、溝口先生から受けた依頼。「柚月ひな」が久瀬高校の生徒である証拠の発見、そして「柚月ひな」本人の特定。
一柳さんはこの調査に対して、非常に意欲的だった。
それ自体は結構なことである。僕一人では限界があるので、手伝ってくれるだけで御の字だ。しかし、やはりおかしい。
今回の依頼には、オカルトの要素など少しもない。……まあ、「柚月ひな」は幽霊かもしれない、なんて無理矢理こじつけることも可能だが、いくらなんでも強引過ぎる。「柚月ひな」の一件はどう考えてもミステリーの領域だ。そもそも、一柳さんだって今回の依頼に対してオカルト的なロマンを感じていない。
ならば、なぜ一柳さんは協力的なのだろうか。普段なら
「この依頼はあなたの仕事でしょ? どうして敵に塩を送らなきゃいけないの」
なんて言って、向かいで本を読んでいるだろう。或いは
「部室に行ったら手伝わされるんでしょ? 今日は休もうかな」
と言って、帰ってしまってもおかしくない。それなのに、一柳さんは来た。「柚月ひな」の事件を解決するために、ミステリーに加担している。
それを少し、妙に思った。
ノートパソコンを起動し、U Tubeで「柚月ひな」のページを開く。そして目についた配信から、調査対象を決めた。
「今日は歌配信でも見ようか」
「いいかも。色々なジャンルを見よう」
一柳さんの行動に少しだけ疑問を感じながらも、調査を開始する。ここで変に質問して、彼女の意欲を削いでしまってもおもしろくない。彼女が調査に加わってくれたことで、本当に助かっているのだ。理由なんて二の次でいい。
僕は動画一覧から、二週間前に行われた配信のアーカイブを選択した。溝口先生から訊いたのだが、匿名のメールが届いたのは一週間前らしい。つまり、それ以前の配信に「『柚月ひな』は久瀬高校の生徒である」と特定できる情報があるはずだ。
僕達は一、二週間前のアーカイブを中心に調査していくことに決めたのだった。
『はい、こんヒナ~! ひなの配信にようこそ!』
今日選択した動画は、歌配信。読んで字の如く、「柚月ひな」が歌う配信だ。正直、雑談配信の方が情報量は多いだろう。しかし、歌配信でしか得られない情報もあるはずだ。
何か、特定に至る情報がないか、聞き逃すまいと意気込んだ。
その時だった。
「こんにちは!」
その声はパソコンからではなく、廊下から聞こえてきた。部室のドアが開いたのだ。
思わぬ来客に驚いて、思わず扉に目をやり、慌てて動画の再生を止めた。先生からの依頼なので別にやましいことは何も無いのだが、U Tubeを見ている姿を見られるのは恥ずかしい。特に、「柚月ひな」を見ているとは知られたくない。なんとなく。
「……?」
それでも少し音は漏れていたようで、聞かれてしまったのだろう。部室に来た女子二人組が訝しげに僕を睨んだ。そしてその内のポニーテールの女子が、にやりと笑った。……何か、よからぬことを考えているような笑みだった。
……そんな目で見なくても。
「えっと、何か依頼ですか?」
取り繕うように僕は訊ねた。
「そう! そうなの!」
ポニーテールの女子が、一柳さんに顔を向けた。
「瞳! 奇妙な事件が起こっているの!」
「え、本当?」
一柳さんが少し身を乗り出した。どうやらオカルト関係の依頼らしい。一柳さんの瞳が心なしか輝いて見える。
「というか、知り合い?」
思わず、一柳さんに尋ねる。
「うん。クラスメイトの宗谷麻里奈さん。そして……」
入り口で固まったままのもう一人を見つめる。
紹介を待ったが、一柳さんは首を傾げて黙ってしまった。恐らく一柳さんも知らない人なのだろう。
僕達は見知らぬ女子生徒からの自己紹介を待った。しかし、彼女は目を少し見開いて俯き、呆然としたまま身じろぎ一つしない。
「……結羽?」
ポニーテールの女子……宗谷さんが、もう一人に呼びかけた。
「え? あ」
彼女はびくりと肩をふるわせ、
「橘結羽です……」
小さな声で、そう言った。長い前髪に俯きがちな姿勢。見るからに気弱で、控えめな女子だった。部室に入った後暫く固まっていたのも、初対面の僕達を相手に緊張していたからかもしれない。
「結羽と瞳は初対面だっけ?」
宗谷さんが二人を交互に見た。
「ええ、初めまして。橘さん」
「あ、うん。初めまして」
二人は丁寧に挨拶を交した。
「結羽は中学からの友達なの。それでさ、瞳ってオカルト関係の事件を追っているのよね?」
宗谷さんは僕と一柳さんの間に割り込むように陣取り、僕に背を向けた。
「それでね、少し奇妙な事件が起こったの。あのね……」
宗谷さんは一柳さんだけ見て話し始めた。声も何だか内緒の話をするかのように小さい。僕にはあまり聞かせたくないのかもしれない。特に、今回はオカルト関係らしい。探偵はお呼びでないのだろう。
僕は少し気を利かせて、椅子をずらして彼女達と距離をとった。そして携帯端末にイヤホンを差し込む。
U Tubeはパソコンでなくとも視聴することができる。当然、僕の携帯端末でも可能だ。このまま三人の会話が終わるのを、ただ待つだけでは面白くないので、僕は僕で調査を開始することにした。携帯端末の小さな画面ならば覗かれるリスクも小さいだろう。
「でさ、瞳。結羽が最近巻き込まれてる事件なんだけど……ほら、説明して」
今日見ると決めていた歌配信の動画を検索し、携帯端末上で再生した。
「えっとね……」
隣では、橘さんが依頼の内容を一柳さんに説明している様子だった。しかし、橘さんの声は小さく、やはり僕には聞こえない。動画を再生してしまえば尚更だった。イヤホンからは「柚木ひな」の声が流れ、その他の音は何も聞こえない。
『じゃあ、今日はお歌を歌っていきたいと思います!』
彼女はそう宣言し、カラオケの音源を流した。
『よし! じゃあ早速だけど、一曲目! みんな知ってるかな?』
その音源に合わせて彼女は歌い出した。その曲は最近街中でよく流れている曲で、僕でも知っていた。確か、有名なアニメの主題歌となっていたはずだ。この間、テレビで紹介されていた気がする。
軽快なリズムに乗って、「柚月ひな」の甘ったるい声がイヤホンから聞こえている。
やはり、この歌配信から、学校を特定するに至る情報が得られるとは思えない。しかし、絶対にないとも言い切れない。僕は何か見落としていないか、一層注意しながら画面を見つめた。
……それにしても。
『ひなちゃん、お歌上手!』
『めっちゃ上手い!』
彼女が歌っている間も、画面上には視聴者のコメントが表示されていた。その多くは「柚月ひな」を賞賛するような文言だった。
当然、彼女の配信を見てコメントを送っている人間は、彼女のファンなのだろう。だから、彼女に好意的な意見が集まるのは当たり前だと思う。
だが
『今まで聴いた中で一番上手!』
『本家よりも好きかも』
……なんだか、度を超えた賞賛の言葉が目に付く。
正直に言って、「柚月ひな」の歌は上手とは言えなかった。僕だって音楽に精通しているわけではないので、あまり偉そうなことは言えないが、しかしコメントの賞賛が明らかに過剰であることはわかる。
別に下手とは言わない。音程が極端に外れているわけでも、リズムがずれているわけでもない。しかし、特筆して褒める点もないのだ。素人らしいと言える歌声で、お世辞にもプロと並ぶ歌とは思えない。
けれど、視聴者の意見は違うようだ。コメントは「柚月ひな」を賞賛するもので溢れている。彼女にプロデビューを勧めるものすらあった。
勿論、わざわざ「お前の歌は素人レベルだ、調子に乗るな」なんて言う必要はない。頑張って歌っている彼女を褒めることは、ファンとして当然だろう。
けれど「プロより上手」などと甘い言葉で煽てることは、果たして正しいことなのだろうか。そのおべんちゃらは「柚月ひな」にとって、益となるのだろうか。
「……って、何を考えているんだ、僕は」
思わず、自分に呆れる。彼女とファンとの関係など、どうだって良いではないか。僕には全く関係のない話だ。
僕に持ち込まれた依頼は二つ。「柚月ひな」が久瀬高校の生徒である証拠を集めること、そして「柚月ひな」の特定だ。それ以外のことに意識を向ける余裕は無いのだ。僕は集中して配信を視聴した。
『じゃあ、どんどん歌っていくよ! リクエストも受け付けるから、コメントも送ってね!』
……しかし、まあ、今さらかもしれないが、歌配信などに彼女の特定に至る情報などがあるはずもなく。
『え? 上手? えへへ、ありがとー!』
何かこう、急にとち狂って、久瀬高校の校歌でも歌ってくれないだろうか。
「柚月ひな」の歌を聴くこと数分。その時だった。
「ね、不思議な事件でしょ?」
イヤホンの外から、宗谷さんの声が貫通して聞こえた。依頼の説明が大方済んだのだろう。イヤホンを外し、思わず視線を彼女達に向けてしまう。
宗谷さんと橘さんが、一柳さんの反応を待つように彼女を見つめた。
「……そうね」
腕を組んだまま、一柳さんが薄く笑みを浮かべた。
「確かに奇妙な事件ね。貴方達の話の通り、人間の仕業とは考えられない。つまり、これは幽霊の仕業……もとい」
一柳さんは顔を上げて、目を輝かせた。
「ゴーストの仕業ね!」
……なんだそりゃ。
どうしてわざわざ言い換えたのか。思わず苦笑する。
「あ、石澤くんが聞き耳立ててる。えっちー!」
僕の視線に気づき、宗谷さんがにやりと笑った。
「いや、別にそんなつもりじゃ……」
同じ部屋なのだから、仕方無いだろう。とはいえ聞き耳を立ててしまったことは事実である。さて、なんと言い訳しようか、と考えていると
「嘘、嘘。冗談。別に聞かれても困るような話じゃないし」
ね? と橘さんと顔を見合わせた。橘さんは、やはり控えめに頷いた。
「でもまあ、一応乙女の秘密ってことで、依頼内容は教えられないけどね」
そう言って宗谷さんは、橘さんの方を向いてにやりと微笑んだ。橘さんは申し訳なさそうに俯いている。
「……そう」
奇妙な事件、という単語に対して純粋に興味があるので、少し残念だ。もっとも、内容を聞いてしまったら、解かずにはいられないのだろうけど。
「それにしても奇妙な事件、ね。そんな話、僕には来てないけど、女子の間の話?」
何か奇妙な事件が起こったのなら、僕の元に依頼が来ても良いはずだ。そう思うのはうぬぼれなのだろうか。
「うーん。女子の間っていうか、まあ、部活かな」
「ふうん。何部なの?」
「えっと、結羽の所属している漫研で……」
そこまで言って、宗谷さんはハッとした。
「って、そうやってどんどん情報を抜き取る気でしょ! その手には引っかからないよ!」
別に、そんなつもりはなかったが、しかしなるほど。僕個人でも調べることもできる。幸い、漫研で起こっている、という情報が手に入ったことだし。
時間ができたら漫研に聞き込みでもしてみようか。
いや、いくらなんでも、橘さんが隠したがっている事件に対して自ら首を突っ込むのは悪趣味か。せめて漫研から依頼が来るまで待とう。
「というか、宗谷さんは漫研じゃないの?」
ふと気になって、訊ねる。宗谷さんは橘さんと仲良しらしいので、勝手に同じ部活だと思い込んでいた。
しかし宗谷さんは「うん、違うよ」と言った。
「私はラノベ研だよ」
「ラノベ研?」
そんな部活があったのか。久瀬高校には僕の知らない部活がまだまだありそうだ。
「って、ラノベ研?」
思わず、二度訊ねてしまう。
「え、うん。ラノベ研。ライトノベル研究会。それが何?」
宗谷さんは怪訝な目で僕を見つめた。
「いや、文芸部とは別に、小説関係の部活があるんだなって」
「あー。だって、文芸部ってなんか固そうじゃん。それに私はやっぱりラノベの方が好きだし。読むのも書くのも」
「一般文芸とライトノベルってそんなに違うの?」
「そりゃあ全然違うよ! ……まあ、区別が難しいのも沢山あるけどさ。一般文芸に比べて、ライトノベルは……」
そこまで言って
「ごめん、なんでもない。私の話でしかないから、言ってもわかんないと思うし」
彼女は自嘲気味に笑って、説明を止めてしまった。
「……そう?」
「うん。私の書くラノベがダメダメってことを、全体の話にしようとしちゃったってだけ。本当になんでもない」
少し彼女の主張を聞いてみたい気もしたが、無理に聞き出すこともできない。諦めるしかないだろう。
それにしても、ラノベ研では自分で小説を書いているのか。文芸部よりもよっぽど文芸サークルらしい。……いや、文芸部も本来はそうだったのだろう。久瀬文集のバックナンバーには、自作小説が多く掲載されていた。
僕達は久瀬文集を出版するけれど、小説は書いていない。過去の事件についての顛末を載せるのみだ。それでは「文芸」とは言えないだろう。今からでも、何か小説を書いた方がいいだろうか。
……いや、久瀬祭は近い。もう手遅れだ。それに、「何か書こうか」と言って、作品を完成させられるほど、僕に小説の才能があるとも思えない。
僕は、ぺっらぺらになるであろう、今年の久瀬文集を想像して、少し憂鬱になった。
その後、宗谷さんと橘さんは暫く部室に残って、一柳さんと話していた。今週の占いがどうとか、数学の課題が大変だ、などいった他愛のない話題に花を咲かせていた。
そして一頻り話すと、
「じゃ、そろそろ部活行こうかな」
と言って、宗谷さんが席を立った。橘さんもそれに合わせ、立ち上がる。
「じゃね。バイバイ!」
こうして依頼を終えた宗谷さんと橘さんはそれぞれの部活へと戻った。
その後、僕と一柳さんは「柚月ひな」の歌配信の続きを見た。けれど結局、彼女は流行の歌を数曲歌唱して、そのまま配信は終わってしまった。
二日目もまた、何の手がかりも得られないまま終わってしまったのだった。
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