7-1 編集者:小田倉隆文
「やば、めちゃくちゃ緊張してきた……」
AM9時、普段なら仕事が始業となる時間に、智章はとあるオフィスビルの前に立って、そびえるそれを見上げていた。
昨夜、蒼汰からもらった名刺に電話をかけた結果、詩月の担当編集であった「小田倉隆文」と、この時間に直接会って話が聞けることになっていた。
会社には適当に捏造した事情を説明して前半休を取った。
(できるなら、別の形で出版社の門をくぐりたかったけど)
自動ドアを開けて中に入ると、すぐ正面に受付が見える。さすがは大手出版社というような、大きなエントランスホールだ。それから受付に立つ女性へアポイントがあることを伝えると、すんなりとセキュリティゲートを潜って中に入ることができた。
エレベーターに乗って指定された6Fまで移動する。ドアが開いて一歩出ると、すぐ正面に1人の男性が立っていた。
目が合って、この人だと分かった。
「こんにちは。甲斐智章さんですね? 小田倉です」
電話で聞いていた穏やかな声とつながった。声の印象通り、柔和な顔をした40代ほどの男性だった。
「あ、はい。すみません、本当に急なお願いになってしまって……」
「全然構いませんよ。私も、久しぶりに山口さんの名前が聞けて嬉しかったですから」
小田倉は「こちらです」と一言添えてから、近くの会議室のような小部屋に案内をした。4人掛け程度の小さなテーブルがひとつあるだけの、シンプルな部屋だった。テーブルの上には、来客用の小さなペットボトルが2つ置かれている。
どうぞ、と促されて智章が座ると、続いて小田倉も向かいに座った。
なにから聞けばいいのかと迷っていると、最初に切り出したのは小田倉だった。
「甲斐さんは、山口さんと大学の同級生だったんですよね?」
「はい。3年になる時、一緒のゼミに入って、それで……」
「他の同期たちと一緒にゲームを作っていた、と」
驚いた。まさか、ゲーム作成の話が知られていたなんて。
驚きの次に湧き上がった感情は恥ずかしさだ。だってこんなの、子どものお遊戯を大人の前で披露するようなものだ。もちろん、お遊戯のような適当な気持ちで作っていたわけじゃないけれど。
「山口さんから聞いてたんですか?」
「ええ。よく聞かされていましたよ。それこそ、一時期は彼女の小説のことよりも話題に上げていたかもしれません」
詩月は大学生の頃にはすでにプロの作家だった。これは否定のしきれない事実となった。だが、そんな彼女は5人でのゲーム作りを楽しんでいるような様子を見せていた。
(結局、どっちが本当の詩月なんだ?)
作家として活動する詩月、大学の仲間と趣味でゲームを作った詩月。智章には、まるで詩月が2人いるように思えていた。
「山口さんは、なんて言っていたんですか?」
唇が乾くのを感じた。この返答によっては思い出の形が変わってしまう。
だが、小田倉はその質問の答えを返さなかった。
「甲斐さん、私はずっとあなたを待っていました。会って確認したいことがあったんです」
「え、僕にですか……?」
突然の予期しない言葉に驚く。それから、なんで、と思った。
俺なんて、小田倉さんにとっては担当作家の友人程度でしかないのに。
「実は山口さんと少し約束をしていまして、この返答によってはお伝えできる範囲が変わります」
――約束。
『オレからは言えない。それは、そういう約束だから』
そういえば昨日、蒼汰もそんな言葉を口にしていたことを思い出す。
想像していたものとは違う方向に話が転がっていく。小田倉が知っている事実をただ淡々と教えてもらえるものだと想像をして、このビルに乗り込んできたはずだった。
「約束……?」
「ええ。山口さんもひょっとしたら、こうなる未来が見えていたのかもしれませんね」
小田倉は不意に、智章の顔をじっと見つめた。あまりに真っ向から視線を向けられて、思わずたじろいだ。
「甲斐さんは、ゲームを完成させるつもりはありますか?」
(ああ、ここでもこれなのか……)
不思議と驚きはなかった。ゲーム作りについて、この1週間でいろいろな人に訊かれすぎてしまったせいだろうか。
この問いの正解はなんだろう。小田倉が、詩月が、求めている答えが分からなかった。
(考えても分からないなら、思ったままに答えるだけだ)
「完成、させたいと思ってます。いや、絶対に完成させます」
夢の中で実際にキャラクターたちと冒険をして、そして、梨英や彩人と共に作りかけの世界に命を吹き込んで、いつの間にか大きく意識が変わっていた。
絶対に完成させたい。
もはや半分は意地だけれど、ここまで想いを込めて作ってきた作品を放棄するなんて、ひとりの創作者として絶対に許せるわけがなかった。
「ありがとうございます。その覚悟、信じます」
どうやら、この返答は正解だったらしい。
小田倉は小さく息を吸って、それから告げた。
「山口さんは、2年ほど前に亡くなっています」
その言葉に、智章はなにも驚きを表さなかった。
山口詩月はすでにこの世にいない。これはもう予期できていたことだった。
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