6-3 外出中の寄り道

 5年ぶりに来た彩人の家は、前に来た時とそれほど変わっていなかった。アニメのポスターやフィギュアがいくつも飾られていて、本棚は大量の漫画で埋め尽くされている。

 その変わらなさに少し安心をした。


「お前、こんな平日の昼間に仕事はどうしたんだよ」


 玄関で智章を通した後、彩人はワンルームの中で狭そうに置かれた机の前の椅子に座った。机には、絵を描くためのタブレットや資料となるような大判の本がいくつも置かれている。

 智章は近くのクッションを持ってくると、彩人の前に置いてそこに座った。


「外回り中にちょっと寄っただけだよ。休憩取って帰るって言ってるから、一応休憩中ってことで」

「お前、そんなキャラだったっけ? いや、ゲーム作りの時もスイッチ入ると強引だったな」

「うん。あの頃はそうかもね」


 ゲームを完成させるために必要ならば、どんなことだってやる。大学の頃は、それだけのモチベーションがあったはずだった。けれど今、そのモチベーションの理由はあの頃のように純粋な想いだけではない。


「で、わざわざ家まで来て、また俺に描けって言うつもりか? 言っておくけど、何回頼まれたって変わらないからな」

「ねえ、なんでそんな頑なに拒否するわけ? そんなに忙しい?」


 分からなかった。どうして彩人がここまで拒絶をするのか。

 間違いなくムキになっているのは分かるが、どうしてここまでムキになっているのかが分からない。


「そんな忙しそうに見えるか? 一応描かなきゃいけない絵もあるけど、まったく時間が取れないわけじゃないし」

「じゃあなんで――」


 ふと、それが目に入ったのは偶然だった。

 とある企業のロゴが入ったビニール袋が床に落ちている。その企業は、よく広告で目にするような大手転職サービスだった。それが彩人の部屋にあるということは、意味することは一つだ。


「これ……」


 智章の視線に気づくと、彩人は「あっ」と声を上げた。次に一度舌打ちをしてから、気まずそうに目をそらした。


「昨日、お前と会う前に行ってたんだよ」

「働くの? 普通に」


 絵を活かした職種で仕事を探している可能性だってある。だがこの反応は、きっとそうではないのだろう。

 彩人はきっと、当たり前のサラリーマンになろうとしている。


「もう面倒なんだよ。クソみたいなクライアントばっかでさ」


 彩人はそんな言葉で切り出した。


「俺だって、いつかはチャンスが来るかもって思って、面倒な依頼も安い依頼もコツコツこなしてきたんだ」

「うん」

「今描いてる仕事だってそうだ。提出した後に急に方針が変わったとか言われて描き直しでさ。やっと修正したと思ったら、挙句の果てに、やっぱり”いらすとや”でいいやとか言い出して」

「うん」


 トントン、と彩人は指で机を叩く。怒りや苛立ちが、その指先が放つ音から伝わってきた。

 彩人の苛立ちはヒートアップを続けていく。


「そんな時だよ、お前が脳天気にゲームをまた作りたいとか言い出したんだ」


 そして、ついに話がつながった。


「俺はお前らとは違う。絵で食っていくって決めて、なんとかここまで頑張ってきた。なのになんで俺は描きたくもない絵を描くしかなくて、逃げたはずのお前らが楽しそうにしてるんだよ!」


(ああ、そうか。そういうことだったんだ)


 やっと、今の彩人の“本当”に触れることができた気がした。

 生きるために必死に絵を描き続けて彩人にとって、創作から逃げて一般企業に入った智章や梨英は、ある意味で見下す対象だったはずだ。

 だが、そんな相手から無神経にも“お遊びの”ゲーム作りに誘われて、冷静でいられるはずがなかったのだ。


 だからなんだ、と思った。


「上手くいかなかったからって、俺に当たらないでよ」

「あ?」


 トントン、と机を叩く指が止まった。


「結局のところさ、彩人ってただのオタクじゃん」

「急にバカにしてんの?」

「そうじゃなくて、絵師としての性質っていうのかな。彩人って、絵を描くのが好きっていうより、好きなキャラを描くのが好きってタイプだと思ってた」


 だってそうだ。

 大学時代の彩人が描いていたのは、ハマっていたアニメキャラばかりで、それも特にこだわりを持っていた。


「だから、それは昔の話で……」


(そうだ。彩人がいつも描いていたのは)


「覚えてるから。彩人がいつも、気に入ったNL(ノーマルカップリング)の絵を狂ったように上げまくってたの」

「てめえ……!!」


 やっと、彩人が焦った顔を見せた。


「男女のカップリング至上主義で、いつもハマってるアニメからお気に入りのペアを見つけてたよね。パッと思いつくだけで、遍歴が3つは浮かぶよ」


 BLも百合も見下して、彩人はいつも男女のカップリングにこだわっていた。関係性萌えを自称していた時期 もあって、よくSNSでその時ハマっているカップリングの魅力を語っていたはずだった。

 もう全部思い出した。


「俺だって、別にその熱がなくなったわけじゃねえよ……」

「だから辛いんじゃないの? 彩人が絵を描くのは、オタクとしての熱量が根本にあるんだよ」

「好き勝手言ってんじゃねえ」


 言って、彩人は椅子を立った。


「お前、もう帰れよ」

「そうするよ。言いたいことは言えたから」


 少しスッキリする気持ちがあったのは正直なところだ。あとのことは、全部彩人の判断だ。彩人がどんな決断を下そうと、他人である智章にはそれに異を唱える権利はない。

 智章も立ち上がって玄関に向かって歩く。その途中で、「そうだ」と足を止めて振り向いた。


「アインスの顔は、彩人にしか描けないと思ってるから」

「黙れ」

「彩人が描いて、初めてアインスとクラウスの物語は完成するから」


 彩人が歯ぎしりをする。その表情で、まだ全部覚えているんだと確証が持てた。


「帰れ」

「うん、また連絡する」


 智章は最後にそう言って、彩人の家を後にした。

 伝えるべきことはすべて伝えた。彩人がこれから何を描くのか、あるいは描かないのか、それはもうすべて彩人次第だ。

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