3-4 梨英とメイ

 いったんオフィスに戸締りをして、いつも梨英が手土産を買っているという和菓子屋に向かう。

 その途中、いよいよ蒼汰はそれを切り出した。


「梨英はさ、いつもこんなことさせられてるわけ?」

「別に土曜は毎週出てるわけじゃないよ。それに、手際よく仕事できないあたしが悪いだけだし」

「そういう問題じゃないだろ」


 蒼汰の声には、ついに怒りが隠しきれなくなる。蒼汰の怒りも、智章にはよく分かった。


「俺も、さすがにひどいと思う。梨英ひとりに押し付ける仕事の量じゃないし、内容でもないよ」

「これがおかしいってことくらい、2人に言われなくたって分かってるし。けど、しょうがないじゃん。あたしが女子で、しかも一番年下なんだから」

「いや、女子とか年齢とか……」


 蒼汰は言いかけて言葉を止めた。どうして途中で言葉を止めたのか、なんとなく分かるような気がした。自分たちは、そういう昔ながらの会社の風習とは遠い業界にいる。


「心配してくれるのは嬉しいけどさ。この会社には、就職が決まらないあたしを拾ってくれた恩があるから。それに、少しでも音楽に関われる仕事ができてるのは嬉しいし」


 そう言って、梨英は少しだけ寂しそうに笑った。

 こうして3人で集まって話していると、ただ歩いているだけで懐かしい感覚がこみ上げてくる。それだけに、今のこの会社に慣れ切ってしまった梨英の姿が悲しかった。


「今日、巣鴨の方で小さなイベントがあるのは知ってる?」

 

 ふと、梨英はそんな話題を口にした。智章は蒼汰と少し目を合わせてから、「いや」と答えた。


「まあ、地元の小さなイベントなんだけどさ。地元の人が音楽を披露するコーナーがあって、そこで楽器を提供するのがうちの会社なんだ。小さなことだけどさ、ちょっとはいいこともあるんだよ」


 足元を見つめながら歩く梨英の口角は僅かに上がっている。それは自然と浮かんだ表情なのか、作られた表情なのか、智章には判断がつかなかった。


「2人から見たらブラックなんだってことくらい分かってる。けど、こういうやりがいがあるから耐えられる」


 きっとこれが、大人になる正しい方法なんだろうと思う。

 理想と現実に折り合いをつけて、納得をして、目の前のことと向き合う。どうしょうもないほどに大人として正しくて、だけど、そんな正しさを梨英から教わりたくはなかった。


(だって、梨英のロックはそういうことじゃないでしょ……)


「それよりさ、智章はなんで急にまた懐かしいゲームを作りたいと思ったわけ?」


 この空気を嫌ってか、梨英はそう言って話題を変えた。

 これから他のメンバーに手伝いを頼む時にも、絶対に避けて通れない質問だ。少し考えてから、智章は答える。


「それは、やっぱりこのままじゃダメだと思ったから」

「急に?」

「たまたま懐かしい夢を見てさ。ノインとか、フィーアとか、ゲームのキャラに夢の中で会ったんだ」


 キャラの名前を出すと、梨英はくすりと笑った。


「夢でキャラに会うとか。その名前すっごい懐かしいわ」


(違う。俺の知っている梨英が見せる反応はこうじゃない)


 懐かしいという言葉で笑うのは、諦めた者にだけ許された特権だ。智章が見てきた梨英は、なにかを創ることを、決して諦めたりはしなかった。

 智章はさらに続ける。


「その夢には、メイも出てきたよ」


(メイのことも、梨英は懐かしいと思うのかな)


「メイ……」


 梨英は小さく名前をつぶやいた。

 それから特に言葉が続くことはなく、しばらくの間沈黙が流れる。和菓子店まではオフィスから徒歩5分くらいだと言っていたが、そろそろ半分は過ぎただろうか。

 沈黙が重たい。                                                         


「あたしだって、自分の才能ってヤツを昔は本気で信じてたんだ」


 不意に、梨英はそんなことをつぶやいた。


「分かるよ。俺も、今はそんな気分」

「分かんないでしょ。どこか少しでも期待している気持ちがなきゃ、なにかを創ろうなんて思わない。もう一度ゲームを創りたいなんて言える、智章は違う」


 違うよ、梨英。俺が今もう一度ゲームを作ろうとしているのは、全然前向きな気持ちなんかじゃなくて。

 ゲームを作らなければいけない本当の理由を話せないことが、智章はただもどかしかった。


「なんか懐かしいな」そう言って笑ったのは蒼汰だ。「オレたち5人の中で、2人が一番熱い創作談義をしてたよな」

「昔の話だよ。これは別に創作談義ってわけじゃないし……」


 梨英は決まりが悪そうに顔を逸らした。

 そんな梨英に、智章はさらに追い討ちをかける。


「梨英はさ、メイを作った時のこと覚えてる?」


 みんなで作ったゲームだという実感を少しでも強く持てるように、シナリオの担当でない3人も、それぞれキャラクターの原案を1人ずつ考える。それは、詩月の考えたアイディアだった。

 そして梨英は、メイという音楽家のキャラを生み出した。


「もう忘れたよ」


 梨英は嘘をつくのが下手だ。わざわざ顔を見なくても、その声だけで分かる。メイのことを、梨英が忘れるわけがない。

 メイは、梨英そのものだったんだ。


『あたしが、あたしの歌でこの街を変えてやるよ』


 あの世界の中でメイはそう言った。だけどそれは本来、梨英の口癖だったんだ。「あたしは、あたしの歌で世界を変えてやるんだ」、と。

 梨英はいつも、お酒が入った時なんかは特に、そんな大それたことを口にしていた。


 ――キャラの原案を考えるって言われてもさ、あたしは2人と違って物語の知識なんて全然ないし。

 ――だから決めた。メイはあたしの等身大にする。等身大っていうより、あたしが在りたいあたしみたいな感じかな。


 メイはまさに、その通りのキャラになった。

 与えられた生活に満足する周りの人間を糾弾し、自らの信念を貫いて、自分の歌には世界を変えられるだけの力があると本気で信じている。

 だけど――。


(メイは歌えなかった。梨英が、曲を書かなかったから)


「やっぱり、梨英はもう曲は書かないの?」


 智章の質問に、梨英はしばらく何も答えなかった。無視されたのかと思った頃、梨英は道の前方のお店を指して言った。


「あそこ。いつも適当な饅頭買ってんだ」


 目指していた小さな和菓子店がそこにあった。

 それを使って話を誤魔化したのだろうか。けれど梨英は、再び真面目な声で言葉を続けた。


「あたし、2人と違ってバカだしさ、今の会社を辞めても、次が見つかる自信なんてないんだよ」

「そんな弱気になるなよ。別に梨英ならいくらだってあるだろ」


 蒼汰が言った。梨英は首を振る。


「実際に無理かなんてどうだっていいんだよ。無理かもって思って日和るくらいに飼い慣らされた自分が赦せなくて、だからあたしは曲を創る資格なんてないんだ」


 梨英はそれだけ言うと、和菓子屋の中に入っていく。


 やっと梨英の本音を聞くことができた気がした。

 梨英が曲を書かなくなった理由は、ただ忙しいからとか興味を失ったからとかではなくて、自分には書く資格がないという思い込みからだった。


(やっぱり、あの梨英がなにも感じてないわけがなかったんだ……)


 5人の中で誰が一番創作に熱かったかと訊かれたら、智章は間違いなく梨英の名前を挙げる。それくらいに本気だったからこそ、余計に苦しんでいるのかもしれない。


 智章も蒼汰とともに梨英を追って店内に入る。

 店内は3人が入るだけでいっぱいになるような狭さで、お煎餅やどら焼きなど、昔ながらの和菓子が所狭しと並んでいる。

 どうやら買う物は事前に決まっていたようで、梨英は店頭に並ぶ饅頭の箱を持って、慣れた様子で会計を済ませた。


「さあ、これで今日の仕事も残すところひとつだな」


 店内を出ると、梨英は明らかに作ったような明るい声を出した。


「そういえば、大事な仕事があるって言ってたよな。なにがあるんだ?」


 蒼汰が訊いた。

 どうやら、この手伝いにもやっと終わりが近づいてきたらしい。


「さっき巣鴨でイベントがあるって話したでしょ? このあと担当の人が来て、その人に楽器を引き渡すのが最後の仕事」


 小さく笑って梨英が言った。

 その笑顔が、今の梨英を物語っているような気がした。


「その楽器っていうのは、さっきのビルの中にあるのか?」

「うん。4階にまとめてあるはずなんだけど、一応確認しておこうかな」


 そんな話をしながら、智章たちはオフィスのビルに戻る。

 それから、事務所のある2階には寄らずに、イベントで使う楽器が置いてあるという4階へと向かった。

 エレベーターのドアが開くと、だだっ広い簡素なフロアに置かれた楽器の山が3人を出迎える。

 それを見た瞬間、3人はある異変に気付く。


「は、嘘でしょ……?」


 梨英の口からは絶望の声が漏れた。

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