第9話 メインヒロインは腹筋シックスパック
ここで満を持して、今回の主役……いや「ヒロイン」を紹介しておきたい。
言うまでもない。原田タケヒト消防士である。
電話での野太い声は知っていたけれど、その声音声量にふさわしいイカツイ……いや、精悍な顔の青年だった。地肌が見えるくらい短く刈り上げた髪の下に、レゴブロックで造形したような角ばった顔がついている。強面だけれど、礼儀は正しい。他の消防署から移動してきた隊員の受け入れ等、社会人につきものの春先の恒例行事で、いささか多忙だという。宴会続きで肝臓が心配だ……と私が挨拶すると「下戸だって断ればいいんですよ」と彼は私の背中をバンバン叩いた。野球のキャッチャーグローブみたいな、バカでかい手だった。ピッコロがオモチャの笛に見える。よく聞かれるけど、中高通してスポーツはやったことがない、という。ジャージやスエットなど、スポーティな服、好きですけどね、とも彼はつけ加えた。
この日の彼は、ジーンズにジージャン、バスケットシューズみたいなデカいスニーカーと飾らない恰好。けれど、ガタイがいいせいか、やはり格好よく見える。私が社交辞令も兼ねて大袈裟に褒めると、日本国内のブランドでは合う服が無くて大変……と苦笑していた。
「庭野先生は、いつでもスーツの人なんですか?」
「ええ。まあ。今日はフォーマルな会合出席というのも、あります。有志の先生たちに招聘されて勉強会に参加しましてね、ついでに、寄ったんですよ」
原田消防士との待合せは、桜子たちが通う高校の音楽室で、だった。OBとして部活の指導に来るという口実で、原田消防士は週一度、ここで彼女とのささやかなデートを楽しむらしい。
「純粋に、ピッコロの練習のため、でもあります」
石巻市内に楽器の練習ができるスタジオ等が、そんなにあるわけじゃない。公民館等、公の施設も借りにくく、家で練習すれば隣近所から騒音だと苦情がくる。のびのびと楽器を奏でられる、数少ない場所だ、と原田消防士は説明した。
「そうなの? 白石さん?」
「確かにピッコロの練習もするけど、純粋にそれだけだと、つまんない」
たまにはイチャイチャしたいよね、と白石さんに言われ、原田消防士は頭をかいた。
吹奏楽部部員たちは、皆2人の関係を知っていて応援してくれるけれど、いいことばかりじゃない、という。現在、フルートをやっている部員が4人。どの部でも正式に入部希望者を受け付けるのはゴールデンウイークが終わってから、だとか。見学の仮入部者は何人も来てるけど、ピッコロをやりたい、あるいはその経験者というのは皆無だと言う。ちなみに新入部員候補にはフルート経験者が3人もいて、「あまっているならこっちにまわして」と白石さんは部長に頼み込んでいる。「ラブラブなお二人を邪魔したくないから」という恰好の口実で、転パートは遅々として進まない。
原田消防士が、ガールフレンドの言を補足した。
「気を遣ってくれるのは嬉しいケド、オレとカナデの絆は、そんなことでギクシャクしたりは、しないって」
庭野先生。あんたもオレの浮気を疑う人なわけ?
原田消防士は、これみよがしに首輪を掴み、大げさに首を左右に振ってみせるのだった。
「パフォーマンス、ごもっとも」
言い訳しようとする私をとめて、原田消防士をとっちめてくれた女性がいる。カーキ色のチノパンは白石さんとお揃い。色違いの……白石さんは水色だけど彼女はピンク色……同じ型のカーディガンを羽織った女性だ。
「妹がお世話になってます。白石カナデの姉、ウタです」
お姉さんのほうは中背中肉、目をつぶればすぐに忘れてしまうような、ごく普通の顔立ちをしている。私が指摘すると「似てないって、よく言われます。てか、ウチの妹、家族の誰とも似てないんですよ」という返事だった。お姉さんは首輪につけるリードを持ってきて、原田消防士につけた。グッと引っ張って犬扱いするパフォーマンスをすると、ノリよく原田消防士も遠吠えして、演奏練習の音をかき消す。ちなみに、白石(妹)さん当人は、彼氏の首輪にリードをつけたことなど、一度もないそうな。
原田消防士は、白石(姉)を横目で見ながら、言った。
「な。庭野先生。こういうキツイお目付け役もいるんだぜ」
「てか。原田さん。妹さんより、お姉さんとのほうが、よっぽど距離が近い印象です」
まあ、友達付き合いする時間が長ければ、自然、そうなるか。
私の感想に白石姉妹と原田消防士は顔を見合わせた。
「……隠しても仕方ないから言っちまうけど、オレ、最初はウタのほうが、好きだったんだ」
「ほほう」
しかし、2人が出会ったときには、既にウタさんにはステディの恋人がいた。彼氏持ちであることは承知の上で、原田消防士は白石お姉さんと距離を縮めていったが、半年もするうちに諦めた、という。
「あの……お姉さんがダメそうだから、妹さんに行った?」
「そんなんじゃ、ないっ」
原田消防士は色めき立った。グッと顔を寄せられると、迫力満点だ。
「……先生。オレがこういうふうにすると、怖いよな」
「ええ」
「自分でも分かってんだ。でも、オレが脅してもすかしても、全然怖がらなかった女の子が2人だけいる。一人は2歳になる姪ッコ。そしてもう一人が……」
「白石カナデさん、ですか」
「ああ。怖い人じゃないって、姉から聞いてますからって、コロコロ笑ってくれてな。外見とやかく言う人は多いけど、中身、間違いなくイイ子じゃん。思わず惚れちまったってわけよ」
「なるほど。女は度胸、ですね」
白石(妹)さんは赤面して彼の二の腕をつねった。
姉のほうが2人を促す。
「ハイハイ。ノロケはそれくらいにして。庭野先生が聞きたいのは、むしろ姫ちゃんとの関係でしょ」
週一のヌードカレンダー指導は、消防署への正式依頼のため……丸森さんのサークル参加のボランティア団体名で、石巻市役所を通して話が来たそうな……断れない。
「でも、デートは断れるでしょう」
「ウタ。あれはデートじゃないって、単なる買物だって。そんな怖い顔で睨むなよー。オレのほうは、派遣の消防署員っていう立場もあるし、人の噂になるようなこと、できるわけないだろ」
「どーだか」
「カナデ? アンタはどう?」
「えーと。タケヒト君が、姫のこと、どー思ってるか聞きたいです。そう、女の子として、どー思ってるか」
「うーん。そうだな。そう、文字通りの姫って思ってるよ。そしてオレは、どう考えても王子様ってガラじゃない」
幼稚園のお遊戯会から少女漫画まで、原田消防士みたいな人物が「出演」するとすれば、いつでも悪役(中堅幹部その1)、下っ端の味方(気は優しくて力持ち)、あるいは人外(トロールだのゴーレムだの)になってしまう。
「それに、ああいうタイプって、一緒にいたら、疲れるじゃん」
なるほど。彼氏に全くその気はなく、要するに白石さんの味方、ということか。
「カナデ。キッパリ姫を振ってやっても、いいんだぞ」
姉も消防士の決意に賛成だ。
「ウダウダグズグズやってないで、さっさと関係切ってもらいなさいよ」
しかし白石さん本人は、どーしても決断できないようだった。丸森さんとの友情が壊れないような方法を考えているから待ってて、とストップをかける。
丸森さんが陰で白石さんをデブ呼ばわりしているのは、既に白石(姉)さんの耳にも入っている。この侮蔑の言葉に、お姉さんも彼氏さんも見せないのは、客観的事実だから……というのもあるれど、白石さん本人がケロッと受け流す人だからだ。
「まったく。あんまり人がいいのも、考えものねえ」
帰る前に、視聴覚室に用がある、つきあってくれ……と原田消防士に頼まれる。私と白石姉妹は、彼に案内されて教室を移動した。
来年分の……いや正確には今年度末販売されるカレンダーに、原田消防士は再びモデルとして抜擢された、という。ついては照明その他機材が揃っている視聴覚室で、試写しておきたい、という。
「春なんだし、桜をバックに1枚撮っておきたかったけど、今年はあっという間に散っちまって」
私が最後に入ってドアを閉めた瞬間、原田消防士は既にマッパになっていた。
「え? ふつうふつう」
白石(妹)さんは顔を真っ赤にし、白石(姉)さんはニヤニヤ、妹の彼氏の尻を思いっきりスッパーンと叩いた。
「庭野先生だって、野郎どもと飲み会会ったら、まずマッパになるでしょ? 無礼講ってのは、こうじゃなきゃ盛り上がらんでしょ」
「いや、あのねえ」
ケロッとしている原田消防士は、純然たる体育会系体質のようだ。
視聴覚室には、撮影の背景にするための黒い幔幕、白いスクリーントーン、画像合成用ブルーバック……と様々な壁掛け類があった。よく分からないのは、段ボール箱四つ分にもなる大小様々なぬいぐるみだ。ウサギからクマからカメから、ティラノサウルスやアノマロカリスのたぐいまで、豊富に取り揃えてある。
白石(姉)さんが、あっけらかんと言う。
「チンコ隠すための小道具でしょ」
写真の腕は良くないけど……と言いながら、白石(姉)さんは原田消防士持参のカメラでぱちぱち写真を撮り始めた。ついでに何を思ったのか、自分のスマートフォンでも、写真を撮り出した。
「さんざん協力してあげる報酬でしょ。いいじゃない、減るもんじゃないし。タケヒト、さっさとぬいぐるみ、どかしなよ」
なんだか、丸森さんやヨコヤリ・ママに通じる何か、があるみたい。
原田消防士はポーズをとりながら、嘆いた。
「オレがウタを諦めたのは、こういうエキセントリックな一面もあったからですよ。デリカシーがないっていうか無神経っていうか、厚顔無恥っていうか」
「スケベっていうか?」
「そう。時々、ついていけないところがあるなーって」
「恋人になったら、尻にしかれそうだね」
「そうそう。庭野先生、いいこと、言う」
195センチの体躯に比例するように、原田消防士は巨根だった。
女性陣がヌードスナップを欲しがるのも、よく分かるなと思った。
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