第17話 そもそも論
「そもそも、色気って、修業して身に着けるもの、なんですか?」
営業データ……新規顧客(生徒さん)の申込状況や、在学生の受講継続、集金具合だのの資料を持って、木下先生が直談判しにきた。
立町商店街の子どもたちが、親御さんのボイコットのせいか、本当に集まりが悪くて、危機感を抱いたからだ、という。生徒数の減少具合によっては、ボーナスの額にも響くということで、このグラマーな秘書は真面目に心配していた。
なにか欲しいものがあるなら、私がポケットマネーで買ってあげよう……いつもなら、ヒヒ爺みたいな提案をして、木下先生にやりこめられる私だけれど、この日はそんな雰囲気じゃない。
それで、私は、感づいた。
相談ごとは、ボーナスの……お金の話、じゃない。
桜子は、友人のスマホ買換えにつきあうかとかで、珍しく塾長室にいない。多分、お給金以上のもっと生臭い話込みで、木下先生は、私と2人っきりの時を狙っていたのだろう。
けれど、あいにく、先客がいた。
我が「婚約者」プティーさんだ。
下は黒いレギンス、上はざっくりした原色のセーター。
石巻中の女性が持っていそうな、ありふれた服だけれど、彼女が着ると、その容貌とあいまって、すごくエキゾチックに見える。
たいした用事じゃない、デリケートだけれど……と前置きして塾長室に乗り込んできたプティーさんの相談は、本当にデリケートな一件だった。
桜子の姉・梅子が結婚式をあげるんなら、二次会でも三次会でもいいから、自分のレストランも一枚噛みたい、という商売ッ気たっぷりの相談だ。営業のこともあるけど、純粋に祝ってもやりたいのよ……というプティーさんの言葉も、ウソじゃないんだろう。けれど、梅子たちは、現在プロホーズ目前の一番重要な時期。「黙っていても、梅子はプティーさんのレストランを何らかの形で利用すること、間違いナシだし、藪蛇はよくないよ……」とたしなめていたところだった。
まあ、方向は真逆だけれど、2人とも「美人」の範疇である。
眺めているだけなら「目の保養」だけれど、妙な緊張感がある。
そう、犬猿の仲、というほどでもないけれど、この2人は決して「友達」じゃない。普段、木下先生は私の秘書役もやっていて、塾長室への客にはお茶を淹れてくれる。けれどこの日は、「お仕事で戻ってきたみたいだから、私が秘書役をやるね」とプティーさんが茶碗と急須を準備した。木下先生は「私がやりますから、結構ですよ」と、ソファに無理やりプティーさんを座らせ、ポットに駆け寄った。プティーさんも負けじと立ち上がり、ほうじ茶入りの茶筒をキープして……争いは10分も続いただろう。
「ふー。闘いの後の一服、おいしいわよね」
「そうですね」
君らは、一体、何がしたいんだい?
ソファにどっかり腰を下ろして二人はリラックスしたけれど、結局私のデスクに、茶碗はまわって来ないのだった。
間の悪い沈黙のあと、木下先生が言う。
「富谷さんは、ウチの生徒さんじゃ、ありませんよ」
「と、いうと?」
トボける私に、プティーさんが解説する。
「木下先生が言いたいのは、明後日の仕事にかまけて、本業が疎かになっている……いや、その埒外のお節介のために、自分のボーナスが減りそうだって、ことよ」
でも、たぶん、これが本音じゃないし、本題でもない。
「彼女、花の女子高生なんですから、放っておいても、自然に色気なんて出てくるモノだと思います」
木下先生は常識的な発言をしたつもりなのだけれど、それは「持たざる者」の苦悩が分からない強者の台詞だと、プティーさんが笑いながら反論してくれる。
「誰もがあなたみたいなフェロモン垂れ流しなわけじゃないです。中高大と通して、異性の友人さえできなかったミジメな人も、いるんですよ。ね、ダーリン?」
「プティーさん。そういう形で、私に話をふらんでください」
それに、少なくとも桜子は懐いてくれた。
「身内はノーカウントで。ま、娘に嫌われまくっている父親も少なからずいるでしょうから、絶望的にモテない部類じゃないってことは、認めます」
木下先生は、目を伏せて、言った。
「プティーさんは、いつも私をモテてモテてってからかいますけど、いや、実際にモテてましたけど、これはこれで苦痛なんです」
好きでもない男と自分を無理やりくっつけようとする、お節介な友人。
ストーカー、盗撮魔、痴漢、下着泥棒。道を普通に歩いているだけなのに、いきなり抱き着いてくるオッサン。
「私なら、逆に、色気を消す方法を、伝授して欲しくいくらいです」
そりゃ、まあ、木下センセの場合はね。
ポツリとつぶやいた一言だけれど、私はここで、ようやく気づいた。
これが、この和製マリリンモンローの本当の相談ごとだ、と。
彼女は、エロい自分に苦しんでいるんだ、と。
そして、私が気づいたことに、プティーさんも気づいた。
「ふうん。だ、そうだけれど?」
プティーさんが、妙な流し目を私に送ってくる。
どんな……トンチンカンな返事をするのか、楽しみにしている目だ。
「……一目ぼれ、とか、町で見かけてナンパして……みたいな偶発的な出会いを排除するのは、難しい。でも、社会人や学生同士でのつき合いがあって、というのなら、多少は対処できますよ。今まで説明してきた漫才アプローチのうち、一人漫才アプローチなら、その漫才を止める。二人漫才アプローチなら、ボケじゃなく、ツッコミの側にまわる」
すかさず、木下先生の反撃。
「塾長。私、塾長にその……一人漫才アプローチとかを伝授されたともなければ、もちろん使ったこともありませんよ?」
「伝授されなくとも、サキュバスみたいな天性のエロ女……あ、ゲフンゴフン、魅力的な女性っていうのは、無意識に発揮しているものなのですよ。いや、発揮していなくとも、男どもが勝手に、そういう目で見てる」
「だから。はた迷惑です」
「そう。はた迷惑。ねえ、木下センセ。自覚のないフェロモンを遮断するのは、大変なんです。無意識に振りまいてるのを、無意識にシャットアウトなんて、原理的にできない。なんせ、もともと本人が気づかないものなのですから。それをムリしてやめようとすると、人付き合いにも、多少支障がでます。モテない男どもの貧弱なボキャブラリーに沿って言うと、そういうシャットアウトしている女性は、『とりつくしまもない』とか『冷感症女』だとか、ひどい悪口で呼ばれてしまうんです」
プティーさんが、すました顔で合いの手を入れる。
「なるほど。で、そういう悪口を言えば言うほど、モテない男どもは、ますますモテなくなる、と」
「ま。そんなところ。一人漫才アプローチを意識的にやめようとすれば、程度の差こそあれ、そんな女性的なところに欠ける、と陰口されてしまうんです」
「ふーん。じゃあ、二人漫才アプローチの場合は?」
「結論から言うと、オカンになる。そう、母親役ですね。それも、一般的な意味の母親役というより、大阪下町にいそうな、豪快で下世話なオカーサンになる」
モテない男から見たエロ女性の代名詞に「娼婦」という職業女性がある。春をひさぐ、つまり金銭を得るために色んな男と寝るというイメージには、「カネのため」という枕詞がつこうがつくまいが、性に奔放なスキモノ、という曲がった解釈がついてくるのだ。
では、この反対、エロくない女性の代名詞に来るのは何か?
「処女」……男性を全く知らない女性か、というと、そうではない。これは、モテない男性の良からぬ妄想をかきたてるという意味で、「娼婦」と同じくらいエロい存在なのだ。じゃあ、対極にあるのは何か、というと、それは「母親」だ。それも、さっき説明したような、大阪オカンのような、生活臭にあふれ過ぎているような……女性であるということを、どっかに置き忘れてきた(と、モテない男どもには感じられる)ようなキャラクターである。
「塾長。もっと具体的に」
大阪オカンが、お色気発揮のときに、ボケじゃなくツッコミにまわるというのは……たとえば、スカートが短い女性に対して、「アンタ、そんなやと痴漢にあうで。気いつけや」などとお節介を焼いてくる場合とか、である。
「それって、常に自分より色気のある女性がそばにいなければ、ダメってことなんでしょうか」
自分よりエロい女性と一緒にいれば、わざわざ大阪オカンにならずとも、自然に男どもの視線はそちらに行く……ような。
「それを言ったら、身も蓋もありませんよ、木下先生」
プティーさんが、私のフォローをしてくれる。
「一人漫才アプローチって、色気を出すためには有効だけれど、反対のことをやっても、色気を消すのが難しい、みたいね」
私は、結局自分でお茶くみしながら、言った。
「はあ。というか、色気が有り余って困ってる……モテてモテて困ってるっていう女性っていうのは、漫画やアニメではポピュラーでしょうけど、現実には希少種ですよ。私の知人友人、周囲の人間を見まわしても、木下先生、あなたしか、該当者はいない。ごくごく例外的、少数派なんですよ」
色気をなくす方法。
一人漫才アプローチの逆。
少なくとも、私がこのアイデアを考案した時には、あんまり意識されなかったことだ。ストーカー等が当たり前に社会問題になっている現在になって、はじめて需要が多くなったことなのかも。
「……俗に、デートの時にバッチリとキメていく女性服のことを勝負服と言ったり、バストの大きい女性を指して『男を落とすのに立派な武器を持ってるじゃん』などと言ったりするでしょう。これはもちろん、比喩ですけど、この手の色気って、女の人にとって……いや女性の『闘い』にとって、大事な『武器』であり『道具』なんだと思いますよ。一人漫才アプローチは、あくまで、色気の有無とか、色気の量とかの調整にまつわるアプローチです。だから、木下先生のような悩みには、色気をなくしていく、なんていう解決方法というか対処法しか、できない。けれど、本来なら、消すんじゃなくて、その色気を有効活用していく方法を考えるべき、なんだと思いますね」
「はあ」
木下先生は、なんだか気の抜けた返事で、話の続きを待っている。
「……ええっと。たとえば、童顔で背が低くて貧乳の女性に対しては、木下先生流に言えば、ロリコンストーカーがつきまとってタイヘン、ということになるんでしょうけど、逆に、この可愛さを生かして、会社学校サークル等で、有利なポジションにつく、『姫』になる、なんてのもアリかな、と。それから、木下先生みたいなグラマーさんなら、ファッションモデルみたいな、一般女性では手の届かないような職業やアルバイトも選択肢として出てきますよ、と」
「はあ。でも塾長。もっと根本的な問題として、自分の色気が嫌いな……性的な自分が嫌いな女性とか、いますよね」
「それは、アプローチうんぬん以前の話です。恋愛対象であれ、そうでない人であれ、アプローチは誰か他人に向けて対処するためのスキルです。自分自身に向き合うためのスキルじゃ、ないですから」
木下先生は、自分自身の色気、そんなに嫌いですか?
「……私、とっても真面目な性格なので」
「知ってます」
「男の人って、この手の悩み、なくて、いいですよね」
「月並みな言い方になっちゃいますけど、男にも、男なりの、悩み、ありますよ」
「はあ」
「誰でも、誰か他人とつきあうのは難しい。でも、自分自身とつきあうのは、もっと難しいんです」
律儀な木下先生は、給湯室で、自分の呑んだ茶碗だけ、きちんと洗って退室した。
プティーさんは、改めて私にほうじ茶を淹れてくれた。
「梅子と同類なのに、真逆なのよね、彼女」
そう、梅子も、ランドセルを背負ってた頃から、ボーイフレンドが途切れない、モテ女だった。木下先生と違って、決して肉感的なタイプではなかったのだけれど、男子が放っておかないタイプだ。
「でも、梅子はそんな自分を受け入れてる。気に入ってる。自分のエロさと向き合ってる」
「それを言うなら、自分の色気と、ですよ、プティーさん」
「私、いいこと思いついちゃった。名づけて、ツメの垢アプローチ。梅子のツメの垢を煎じて、木下センセに飲ませるっていうのは、どう?」
「ははは。悪くないかも」
この手のジョークに怒っちゃうんじゃなく、当意即妙に答えてくれる女性ならなあ、と思う。
「なんか、もったいない」
「それセクハラよ、ダーリン。ま、聞かなかったことに、してあげる」
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