3.竜の谷


 兵舎の一室、汚れた制服の代わりにと借りた白いシャツとカーキ色のパンツスタイルへと着替える。

 二回り程大きなサイズでダボつく裾を捲り、キツく締めたベルトの中へとシャツを 仕舞いこんだ。

 シャツの袖も捲り、肘の近くまで上げた所で見苦しい痣が覗いているのに気付いて手首まで戻す。


「ん゛ー?」

 聖剣を身に付ける為にと渡された革紐に手こずりながらも部屋に備え付けられていた鏡を見て何とか形にする。

 額から左目まで覆った包帯が少し不恰好だがまぁいいだろう。

「よし」

 鏡で最終確認をし、靴を履いて廊下に繋がる扉を開けた。

 この部屋まで案内をしてくれたスプモーニとルジェは外の広場に戻ったようだ。

 男二人に扉の前に立たれていたら着替えにくいかもしれないという配慮だろうか。


(広場に戻ったらいいかな)

 靴下しか履いていなかった為に合ったサイズの靴も無く、借りた軍靴ブーツは歩く度に余白が長靴のようにカッポカッポと鳴いている

 子供用の鳴き靴のようで少し楽しい。

 わざと足を大きく上げて黄昏に染まり始めた廊下を歩いた。


「マリー、戻ったのか」

 広場に出て最初に顔を合わせたのはルジェだった。

 頭2つ分程背の高い大男はこちらを見下ろしながら目をぱちくりさせている。

「やはり、随分と大きいな」

 これでも兵士の中で比較的小柄なスプモーニから借りた服なのだが、まだまだ子供を抜けきっていないこの身体には小柄と言えども兵士の服では不釣り合いだろう。

「もうじき飯の用意が出来るから、沢山食べて大きくなれよ」

 子供だと揶揄からかって言っている訳ではないようだが、発言がまるで親戚のオジさんだ。

 着替えに案内されている道すがら、畏まった口調は居心地が悪いと伝えた為か随分と砕けた言葉遣いになっている。


「マリー着替え終わったの?あー、やっぱりちょっと大きかったかな」

 離れた所に居たスプモーニがこちらの姿を見付けて駆け寄ってきた。

 服に着られている自覚があるので少しばかり恥ずかしさが湧くが、服の主は「お屋敷の妹達みたいで可愛い」と笑っている。


「おや、このお嬢さんがさっき聞いた?」

 スプモーニの後に歩み寄ってきたコラーダや隊長と並ぶ、斑に白髪が混じった見覚えのない高年男性が首を傾けた。

 ルジェと同じくらいに背が高くガタイがいい。

 シャツの上には質の良さそうな臙脂色のベストを着ていて、足元には上品な革靴を履いている。

 どうやら身分の高い人らしい。

「えぇ。アウローラの竜血ですよ」

 相手が誰かは置いといて、自分を紹介しているのだと理解できる隊長の言葉にとりあえずペコリと頭を下げた。

「マリー。この方がシャルトリューズ様だよ」

 スプモーニの言葉に地面へと向けた顔が固まる。

(つまり、この人が噂の英雄様…)

 ゴクリ。喉を鳴らしてコッソリ深呼吸をしてからゆっくりと顔を上げれば、視界に映った英雄様は眩しいくらいに満面の笑顔だった。


「いやー、長男が竜血になれば建国から続く名門に更に箔がつく。これでギムレット家は更に安泰だと思って祝いに来てみたが、形無しじゃないかサム坊!」

 バシンッと派手な音を立てて笑顔のまま隊長の背中に掌を打ち付ける。

 白髪に似合わない程の厚い筋肉を纏った姿勢の良い身体は今だ現役だといわんばかりの若々しさだ。

 背中を叩かれた隊長がその勢いに咳き込んでいる。

「?」

 隊長の名前はサミュエルと云うらしい。

 着替える前に自己紹介を受けていたので最後の言葉が略称なのだろうという事は推測できたが、他の言葉は聞き覚えがない。

「隊長の家──ギムレット家は国王陛下の祖先である初代の竜血を支えて建国へと貢献し、そして後の歴史で二代目竜血の戦士を輩出した名家です。彼の父親は陛下の側近も務める近衛騎士で、我々騎士団の総統でもあります」

 豪快に笑う英雄様の言葉を理解できずに傍らのルジェに問い掛け、返ってきた言葉に納得する。

(歳で言えばルジェの方が隊長よりも少し上に見えるので序列を少し不思議に思ってはいたが、隊長は元々身分が高いのか)

 森の中で自分に跪いた相手の身分の高さと、その相手に対する遠慮のない態度から見える英雄様の地位の高さ。

 序列で言えば自分もそこに並ぶのか、と思い当たってゾッとした。


「そうですね。私はアウローラを逃してしまいました」

 コホン。息を調えた隊長がシャルトリューズに向き直る。

「アウローラの向かった先にマリーが居なければ、貴方の領地に多大なる迷惑を掛けたでしょう」

 断罪を望むような、真剣な眼差しで少し高い位置にある領主の瞳を見つめる隊長。

「…そうだな」と、交わされた視線を外してこちらに向き直ったシャルトリューズが握手を求めるように手を差し出す。


「マリー、と言ったか。貴女のお陰で今回は誰も犠牲にならずに済んだ」

 差し出された手に応えなければ。と、反射的に上げた右手を固い皮膚の大きな両手でギュッと握られる。

「アウローラが人を傷付ける所を見なくて済んだ。本当にありがとう」

 最後に一際力強く右手が包まれ、そしてすぐにパッと離れた。


「さぁ、腹が減っただろう?飯を食おう!街のおばば共の料理は絶品だぞ!」

 彼の指し示す方に目を向ければ、小さな子供から年配までの男女入り雑じった面々が揃って炊き出しの準備をしている。

「来て来て!みーんな俺達の家族だよ、マリー」

 スプモーニが自慢気に笑いながら手を引く。

 ルジェの小言が背後から投げられたがどうやら届いていないようだ。


「貴女が今回の竜血様かい?可愛い顔して逞しいね」

 膝を抱えればスッポリ入ってしまえそうな程に大きな寸胴の鍋に満たされたシチューをかき混ぜるご婦人がにこやかに声を掛けてくる。

 隣で器を用意していたお婆さんに拝まれて居た堪れなくなった。

「竜血さま?」

「シャルトリューズさまとおんなじだ」

 足元に集まってきた子供達もキラキラと眩しい眼差しを向けてくる。

「そう。それに、今日から皆の姉ちゃんだ!」

「おねーちゃん!?」

 スプモーニの発言に眩しかった眼差しが更に光を増した。

「まだマリーは了承していなかった筈だが?」

 追い付いてきたルジェが仔猫を持つようにスプモーニの首根っこを掴む。


「まぁ、いいじゃないか。新しい竜血が成されたって報せはこれから王都に送っても迎えが来るまで早くて3日は掛かるだろう。それまで年端もいかない嬢ちゃんをこんなむさっ苦しい男所帯に置いておけねぇさ」

 シャルトリューズが投げ掛けた言葉に閉口したルジェから解放されたスプモーニはすぐさま育ての父へと飛び付くように抱き付いた。

「さすがシャルトリューズ様!」

「わーい!おねーちゃん!」

 シャルトリューズに抱き付く義兄あにを真似るように足元の子供達が抱き付いてきて、こちらの毒気まで抜かれてしまう。

 屈んでその子達の手を取った。

「よろしくね」

「うん!」

 ぱぁっと花咲くように笑う顔につられて少し自分の口角が上がったのを感じた。


「ほら、出来たから皆並んで取りにおいで!」

 鍋の蓋をお玉で一つ叩いて呼ぶ声。

 握ったままの手を引かれて列に並び、危なっかしい足取りでシチューが注がれたカップを運ぶ子供達に手を貸しながら席に着く。

 炊き出しの背後に用意されていた一枚板のテーブルの上には既に溢れんばかりの御馳走が並んでいた。


「それじゃあ皆、いただこう!」

 シャルトリューズの号令に皆が声を合わせてがっつき始める中、手を合わせて小さく「いただきます」と呟く。

 器の中からシチューを掬って一口。パンを齧り、もう一口。

 ローストチキンやサラダ、キッシュに似た料理などが並ぶ豪華な食卓。

 和やかな話し声や楽しそうな笑い声がそこかしこから溢れる。

 こんなにも、穏やかに心から安心してご飯を食べるのは何年ぶりだろうか。じわり、視界に膜が張って目の前のパンの輪郭が歪んだ。

「どうしたの?」

 心配そうに問い掛ける子供の声と、近場に座っていた名前を知っている面々から注がれる視線に気付いて乱暴に袖口で目元を拭う。

(しまった。借り物の服だというのを忘れていた)


「何でもない。ただ──すごく、おいしくて…」

(情けない所を見せてしまった)

「おいしい…」鼻を啜りながらもう一度呟く。

不思議そうな顔をしていた近くの少女が「おいしーね」と言って笑った。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 食事が終わり片付けを済ませ、世話になった兵舎の住人達にお礼と別れを告げてシャルトリューズや子供達を含めた街の面々と共にすっかり日の暮れた夜道を歩く。

 街灯などは無い、森に挟まれた暗い道を月明かりと数人が持つランプの灯火だけを頼りに進む。

 左側にはシャルトリューズが並び、右手は食事を共にした少女に繋がれブンブンと前後に振り回されていた。

 大きな寸胴やらの調理道具を積み込んだ荷車を引く男衆や子供達がはぐれないようにと手を引くご婦人方は皆揃って笑顔で、誰かが口ずさみ始めた鼻唄をいつの間にか全員で歌っていたりする。

 そうして石を取り除かれ砂を均され──しっかりと整えられた道の上を辿って進んで行けば20分程で遠くに灯りが見えてきた。


「それじゃあ、ここでな」

 双方を挟んでいた森を抜けてしばらく、砂の道から石畳が敷かれた広場へと変わった街の入口でシャルトリューズからの声を受けた皆が子供達や数人のご婦人方を残してバラバラの方向へと帰っていった。

 全員が同じ所に住んでいるのかと思える程に親しげだったので少し呆気に取られていれば見送りを終えた領主様が豪快に笑う。

「あれは皆、俺の子供達さ」

「子供?」

 中にはシャルトリューズと大して歳の変わらなさそうな人たちも居た。

「一人立ちした奴の方が多い。なんせ40年分だからな」


(この人は幾つなんだろうか?)

 40年前に、彼は竜血となったと聞いた。

 ならば少なくともその時には自分より歳上だったのだろうか。

(スプモーニくらいかもしれない)

 20歳前後と考えれば今は還暦辺りか。

 その時からずっと孤児の世話をしていたならば確かに、今の年齢になってあまり歳の差を感じない子供が居ても不思議ではないのだろう。


「貴女も今日から一員だ」

 じっと見つめていたこちらへと向き直って優しい声で告げる。

「…はい。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げれば大きな手が晒した後頭部の髪をくしゃりと撫でてくれた。


「さぁ。ようこそ、マリー。我が家へ」

 街の玄関口のように設けられた石畳の大きな広場から建物の間へと三方向に伸びる道の一つを進んだ先、そこにそびえ立つのがシャルトリューズの屋敷だった。

 絢爛豪華というよりはシンプルな佇まいだが、とにかく恐ろしく広い。

 二階建ての屋敷はちょっとした学校の校舎くらいの幅が有るし、庭だって端から端まで全力で走れば息が持ちそうにないくらいに広大だ。

 孤児院を兼ねていると知らなければ足を踏み入れるのを躊躇するだろう程に、今の状況で例えるのも可笑しいがまさしく別世界である。


「多い時はもっと子供達が居たもんでな。今ではだだっ広いが、まぁ広々使えていいだろう」

「掃除だけが大変なのよねー」と、シチューの寸胴をかき混ぜていたご婦人が言う。

彼女は屋敷の住人らしい。


「巣立って行った娘らが、自分の子を一人立ちさせた後に家業押し付けて出戻って来てるんだ」

「出戻りじゃないよ。手伝いに来てんじゃないか」

 本当に、皆家族なのだなと思った。

 英雄様なんて感じさせない程に気さくで軽口を言い合いながら皆が幸せそうに笑っている。

(恐いくらいに立派な人だ…)


 皆の笑い声に包まれた泣いてしまいそうなくらいの暖かさの中、今夜眠っても明日はちゃんと来てくれるだろうかと──このままの明日が来てほしいと、初めて祈るように考えていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る