膨れ上がる想い

それは3年になって間もない朝のこと。

いつもの面子といつもと少ない3人で登校した俺は、いつも通りに下駄箱を開けて、いつもと違って珍しく固まった。


「……………」

「賢一どうしたの?下駄箱開けたらいきなり石化して」

「中にメデューサの生首でも入ってた?」

「イジメがすぎる」


勿論、生首が『おはよう!死ね!!!』とエンカウントした訳では無いが、もしかしたら衝撃は負けていないかもしれない。俺は何も言わずに靴箱に手を入れる。


「………繋」

「ん?」

「………ヒナ」

「様をつけなさい」

「(無視)………これ」


「……え」


そして、俺が震える手で取り出した可愛らしい便箋を見て、さっきの俺の様に二人がぴたりと固まった。


「……これ…って…」


頼りなく揺れる瞳でヒナが俺を見る。恐らく、発想は俺と同じはず。いや、こいつのことだから恋か呪詛かは五分五分かもしれない。


………。


おちおちおちんおちち着け。まだあわあわあわわてる様な時間じゃない。


すっ……。


便箋を繋に渡す。


すっ………。


渡された便箋を繋がヒナに渡す。


「何でよ」


渡された便箋をヒナが俺に返す。

三国を渡り歩いた旅人が、遥か長い旅を終えて今ここに帰還した瞬間である。おかえり。


中毒者の様にぶるぶるバイブレーションを繰り返すマナーモード賢くんは、俺が繋に手渡した便箋を手渡されたヒナに手渡された便箋の表裏を念入りに確認する。けれども大変残念な事に、そこに差出人の名前は無い。


思わず俺達は無言で顔を見合わせ、廊下の隅に寄ると、小さな円陣を組むようにして縮こまる。


「何で書かないのかしら……」

「……恥ずかしいから、とか?」

「…同じ乙女のヒナさん。見解は?」

「………………面倒くさくなった…!?」

「「よし開けよう」」


こいつは駄目だ。乙女を名乗ることすらおこがましい。坂本龍馬の姉ちゃんが助走つけて殴りにくるレベル。何が『…!?』だ。カットイン入れてるんじゃねーぞ迷探偵ヒナン。

世界の秘密に気付いてしまった様な迫真の面した似非古畑を無視して、俺は慎重に封を開ける。


「…どう?」

「やっぱりドッキリ?」

「やっぱりって何だ」


乙女としての矜持は捨て去ろうと人としてのモラルはまだ残っていたのか、繋と共に視線を逸らして俺の様子を伺っていたヒナが、にやにやといやらしい顔で問いかけてくる。何か今日のお前はいつにも増してめんどいな。やはりお目付け役は必要ということか。


「取り敢えず、宛名は?前みたいな間違いは無い?」

「………陽向先輩、だとさ」

「おおう、まじかぁ…。……呪い系?」

「………」

「まじかぁ……」


ワンチャンからかいで済まないかと思ったヒナが、俺の無言の視線を受け取って何処か気まずそうな顔で俯いた。後輩の淡い恋心が砕かれる未来を想像したのだろうか。流石に、俺がここにいない恋人を裏切る様な男だなどとは、まさか思っていないと願いたい。


「…どうするの?ヒナ」

「行かない訳には行かないだろ」

「だよね」


『会って話したい事があります。放課後、屋上で待っています』


丁寧な字で綴られたその文字をもう一度眺めると、丁寧に折り畳んで懐に収め、俺達は何処か重い空気で教室へと歩を進めるのだった。

















「来てくださってありがとうございます、陽向先輩」

「…ああ」


そして放課後、手紙通り屋上で待っていたその女子生徒と、俺は真っ直ぐに向かい合っていた。

人の気配が無い静かな屋上で立ち尽くしていた、夕焼けの明かりに照らされて赤く染まる後輩の顔は、お世辞抜きで可愛らしい。


「…私のこと、覚えていますか?」

「………」


恥じらう様にかけられたその問いに、俺は答えない。答えられない。

いや、正確には、彼女を傷つけない柔らかい否定の言葉が思いつかない。


「…そうですよね」

「……ごめん」

「いえ、いいんです」


向こうからしてみれば、予想はしていたことだったのだろうか。

さして傷ついた振る舞いも見せず、いや奥底に隠して、その女子生徒は改めて俺と相対する。

その頼りなく揺れる瞳に、少なくともからかう様な色は無い。と、思う。


「私―――」


彼女は言う。


入学して間もなく、慣れない環境で頼りなく迷っていた自分に優しく手を差し伸べてくれた、と。

それから1年余り、俺の事を目で追い続けていた、と。


そして。


「――です……」

「………」

「あの、その、月城先輩と、別れたんですよ、ね…?」


と。


「………」

「………?」


……………。



…………………。






と?????


「え?」

「え?」

「「え???」」


え??????????


「…………」

「……………」

「……いや、別れてないっ、す…」

「え!?」


思わず後輩に敬語が出るくらい焦り倒した。

一体全体、何がどうなってそんな誤解が生まれたというのか。

まさか、俺と志乃のらぶらぶばかっぷるっぷり(自分で言ってて死ぬほど辛い)を妬む可哀想な独り身が俺を嵌めるために一計を案じて―――


「で、で、でも、月城先輩自身が、『賢くんをよろしくね』って周りに言ってたって部活の先輩が……!!」

「……………」


【悲報】月城、裏目に出たってよ。

そういや、そんな事もありましたね。あの後ごたごたしてたからすっかりうっかり。


「せ、先輩、ここぞとばかりに捨てられたのでは…!?」

「ここぞとって何だ」

「そ、そうですか…。先輩、月城先輩と普通に遠距離恋愛続けてるんですね…」

「続けてるんです…」


今から彼女の誤解を解く為に長い長い時間を要するのかと思いきや、思いの外優秀だったらしい後輩が、素直に納得してくれる。割と本気で胸を撫で下ろした。でもちょくちょく出てたちくちく言葉は忘れないからな。


お互いに変な空気になったオレンジ色の空間に、暫しの静寂が流れ始める。


その直後だった。


「………でも、辛くないんですか?」

「………ん?」



「いつ帰ってこれるかも分からない人を、ずっと待ち続けるだなんて」



「………」


遠慮がちに投げかけられたその言葉は、世間一般的な人からすれば、極々当たり前な疑問だったのかもしれない。


何故、そこまでするのか。


そこまでする価値があるのか。と。


「…………わ、私なら……!」

「辛くない」

「………っ」


でも、俺からしたら。


「寧ろ辛く思う余裕が無いよ」


俺達からしたら。


俺が志乃を、志乃が俺を。

お互いがお互いを想う事は、呼吸をすることと同じ様に当たり前で。


「次会った時、あいつに恥ずかしくない自分である様、自分磨きに必死だからな!」


向こうが俺の為に死ぬ気で頑張っているのに、どうして俺が弱音を吐かなければいけないのか。


「それに君、さっき告白の時、言ってくれたよな」

「………え?」

「『一途な俺が好きになった』って」

「………ぁ………」


そんな想いが、俺を奮い立たせる。

離れた距離が、俺達をより強く繋げる。


「志乃を裏切ったその瞬間、俺はもう君の好きな俺じゃない。だから、ごめん」


時が立つにつれ、想いは膨れ上がるばかり。楽しみは膨れ上がるばかりだ。

…そういやこんな話、真鶴にもしたっけ。でも、きっと、その時よりも。




「………そう、ですか。……そうですよね」


俺の半分虚勢をひた隠した堂々としたお断りに納得してくれたのか、肩の力を抜いた後輩が、力無く微笑んで頭を下げた。俺の胸に、ちくりと鈍い痛みが走る。


「…ありがとうございました、先輩。ちょっと誤解はあったけど、それでも真正面から受け止めてくれて」

「………うん」


顔を上げた時、確かに見えた目尻に光るものに気付かない振りをすれば、後輩が振り返り、足早に屋上を去ろうとする。


「――さん」

「………はい?」


その背中に俺は声をかけた。


「本当に嬉しかったよ。ありがとう」

「…………っ!」


もしかしたら、必要の無い追い打ちの様な真似だったかもしれない。

けれど、そう思ったことは紛れも無く事実だから。


「っ…私も、先輩が好きで良かったです…!」


振り返ること無く言い放ち、顔を袖で乱暴に拭いた後輩が、今度こそ去って行った。


「……………」











「……、っっっっはぁ〜〜………」


屋上の重々しい扉が確かに閉まった事を確認したその瞬間、俺は全身の力を抜いて、その場に膝を折るようにして崩れ落ちた。

胸に手を当ててみれば面白いくらいにビートを刻んでいる。


「緊張した緊張した緊っっっ張したぁ……」


うっそだろ。どっかの星の字はこんなことをしょっちゅう経験してんのかよ。

今度からあいつに敬語使おうかな。ぱねぇっす星セン。


「あー顔あっつ……」

「大変ですね」

「あ、ども…」


終わったと実感して張り詰めた糸が切れたのか、気温とはまた別の熱が全身を巡り、じんわりと変な汗が次々と湧いて出る。

横から手渡された団扇を有り難く受け取ると、それで顔を扇いで…


扇いで……


あおいで…?


「どうかされましたか?」

「あおいでぇ!?」

「葵ですが」


突然、気配も無く音も無く隣に立っていた見覚えのある恋人の後輩の姿に、仰け反る様にして飛び上がった。

それを見て、後輩尚も無表情。


「アイエエエ!?アオイ!?アオイナンデ!?」

「何でと申されましても…。お二人より先に屋上にいたのは私ですし。別に覗くつもりも無かったですし」


さも心外だと言う様な無表情で、俺を見下ろす後輩。因みに今更であるが、屋上は普通に立ち入り禁止である。となると、俺が慌てるのも極普通だろう。

成程、この子がいたから踊り場までではなく屋上まで入れたのか?と、こちらが思うのも束の間、オールウェイズマイペースな彼女はおもむろに携帯を取り出すと、突然、無言で俺を写真に収め始める。若干、手つきは怪しい。


「何しとん」


そして俺の頬から静かに流れ始める、冷たい汗。


「出発前、月城先輩から任務を言い渡されました」

「……何を?」

「『陽向先輩に何かあればどんなことでも都度報告を』、と」

「………………」


「水無月」

「はい」

「………どっから見てた?」

「………………………」

「…………」




……にこ。


口角を指で押し上げて無理やり笑顔を作りだした後輩が、次の瞬間、何も言わずに颯爽と立ち去ろうとする。


「そーしん」

「いやちょっと待ってぇー!?」

「格好良かったですよ」

「それでも!!」


格好良く決めたはずだった賢くんを彼方へかなぐり捨て、足を縺れさせながら素晴らしく情けなくその背を追う俺を、夕焼けを照らす太陽だけが渇いた目で見つめているのだった。

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