第34話 太古の磐座信仰と修験者の道
時間は10時32分。
予定よりも遅れ始めたが、翔達にはもう一つの目的があった。
授与所の横に境内の案内板がある。目的の場所は本殿の裏手にあるようだ。
踵を返し、拝殿前を横切り御神木の楠木から拝殿の脇道を見つけ入っていく。
『順路』とあるので立ち入り禁止ではない。
拝殿の脇道には白木の柵が並び背の高い楓の木が二本ある。
秋には紅葉が楽しめそうな幅2メートル程の道を通り本殿の脇に出ると正面に『西宮』と書かれた、摂社より二回りくらい大きな社殿があり、拝礼だけして右に曲がる。
本殿裏に出ると高い崖があり、広く深い空間を構築していた。
境内から見えていた拝殿裏の山はこの崖の上にある森だったことに気付いた。
岩肌がむき出している崖から3メートルほどの所に赤い木の柵があり『落石注意!立ち入り禁止』と立札がある。
目的のものは目の前にあった。
本殿中央の真後ろに四方を朱色の柵に囲まれ、注連縄が巻かれている苔生(こけむ)した巨大な岩。
「これが寛美さんの言っていた
聡史が言い、見上げている。
「神社の御祭神は神道が形式化された後で祀った神様で古代の御神体がこの磐座なんだな。確かに物凄い威厳を感じる・・・という事はこの磐座の前に設けた
翔が言う。
「正解。ここに書いてあるぜ。」
聡史は磐座の右側の柵に立ててある『磐座信仰』の説明板を指差して言った。
内容は寛美が言っていた通りで予習済みだった。
先程通り過ぎた西宮が大神際の舞台となった生贄を捧げる離れ
御神体の磐座に拝礼してこの場に来れた事を感謝する気持ちが自然に湧き出してきた。
聡史も同じようで神妙にしている。
残る目的地は磐座のすぐ先にあった。
やはり朱色の柵で『この先御神域の為立ち入りを禁ず』とある。
その先、崖に露出している岩の前に朱塗りの小さな鳥居があり桃の老木が二本左右にある。その先に同じぃ朱色の
両開きの扉が開き、門柱の間には人一人が入れる程度の横穴がぽっかり空いていて、入口の両側に、太く大きな
揺らめく炎にキラキラと反射する壁が見えた。
神話の『天の岩戸』のような情景が広がっている。
柵の前に説明板がありこの横穴の云われが書かれていた。
「流石寛美さん。岩塩採掘の話し先に聞いておいて良かったぜ。本当にあの人の情報って正確だな。何一つ間違いがない。学校の修学旅行とかもきちんと勉強してから行くと、その場その場の感動が違うんだろうけど、大人数になるとテンションの先が違うからこういう感じにならないんだよな。きっと寛美さんと古刹巡りとか行くと楽しさが変わるんだろうな。翔。来年進学資格取ったら伝説の
聡史が脱線気味に感動を語る。
「お前な。よくこういう神聖な場所でそうポンポンと欲望を口に出来るよな。麗香さんまで巻き込むなよ。それにあの人たち誘ったら、
「はあ?お前何言ってんの。この前から参拝している大学の宗像神社の御祭神、宗像三女神に決まっているじゃないか。頭脳明晰で容姿端麗。そして姉妹のように仲の良い三人の美女に与えられる称号だろうが。多分な。その条件を満たすことが唯一出来たのが、雫さんを含めたあの三人だけって俺ら界隈では有名な神話よ。あと、げんなりするから彼氏先輩達の名前は言うなよ。」
聡史がドヤ顔で翔を見下して言う。
「お前ら界隈って・・・普通に学校の美人トップ3って訳じゃないのか?」
「勿論雫さんの時だってトップ3は選ぶ人によって何人も入れ替わっただろうが、その三人が親友レベルにあるかどうかで違うんだな。だから現役の俺ら世代には三女神と呼べるお三方は存在しないのさね。うちの学校に入学出来てる段階で普通の学校から比べれば頭脳明晰はクリアするし、美人の判定なんていうのは人それぞれだけど、誰もが認めるレベルで、かつ、親友同士っていうのは中々いない。美鈴は間違いなくそのレベルにあるけど同レベルの親友が二人出て来なければ違うのよ。お前のせいで美鈴に同性の親友いなそうだしな。」
聡史がうんちくを垂れるのを翔は辟易して聞いている。
「あのさ、お前いろいろ失礼な事言ってるぞ。何だそのレベルって・・・学校始まったら全校生徒の前で土下座して謝れ。あと、美鈴にだって同性の親友くらいいるさ。」
「誰だよ。神谷か?確かに仲いいけど親友なのかなぁ。まあその件はいいや。そろそろ登山道向かおうぜ。だいぶロスった。」
腕時計は10時46分。予定よりも大幅に遅れていた。
順路の矢印に沿って進むと『東宮』と書かれた社殿があり、『天照大御神』が祀られているとあり、今度はきちんと参拝して境内に戻った。
拝殿横の授与所に戻って来て、宝物殿との間にある鳥居に向かう。
鳥居前にも狼の姿をした狛犬が置かれていて、立札に『奥宮・登山道入口』とあった。二人はどっちに向いて一礼するのが正解か分からず、狛犬の所で境内に、鳥居前で奥宮に向かって頭を下げた。
鳥居をくぐると高い竹垣で囲まれ、境内までの参道とは雰囲気が異なり、薄暗く所々苔の生えた古いコンクリートの舗装で、10メートル程歩くと左に曲がる道がある。
授与所の裏を通る形になっていて授与所を越えるあたりから急な階段に変わり竹垣が終わる。両側に笹薮が道を囲み広葉樹の原生林が見え始めた。
次第に拝殿と本殿が左下に見えるようになる。本殿裏の御神体。磐座の姿がはっきり見え神社の境内が見下ろせた。
磐座から見上げた崖の高さまで登ってくると、二つ目の鳥居があり通り抜けると大きな岩に阻まれ、また左に曲がる。階段はさらに急な角度になり本殿の真後ろに来ると平場が見えて展望台のように景観が見える開けた場所が現れる。
崖側には木製の手摺があり、コンクリートで舗装された道はここまでのようで、先の道は丸太で仕切られた土の露出した階段が見えている。他にもハイカーは六人いて展望台のベンチに腰かけていた。
二人とも一気に数百段登って来たので息が上がっている。
気温は境内にいる時よりも下がっているが汗が止まらない。
先行のハイカーに挨拶してから、リュックを下ろして空いている一番奥のベンチに腰掛けて一息ついてから手摺の方へ歩く。
本殿の真後ろから南へ抜ける眺望が拝める。
神社の全貌と鳥居前町、参道を越えて相模湾までが一望出来た。
沖に大きな入道雲が見えるが夏の高気圧で見渡せる範囲の晴天は変わらない。小学生が絵日記に描くような夏の空が広がっていた。
鬱蒼とした森の中を歩いて来たので解放感があり、時折吹く風は爽やかだった。
「どれくらい登って来たのかな。拝殿の屋根が小さく見える。汗引いたらミドル着ようぜ。他の人達みたいにさ。」
タオルで額と腕の汗を拭きながら聡史が言う。他の人達は休みながら着込んでいた。
「そうだな、下の参道よりも急な階段を境内から三百段くらい上ったから90~100メートルくらいかな。まだ一割強か。でも20分位でここまで来たから、まあまあのペースじゃないの。」
翔も汗を拭きながら応える。二人とも息は整っていた。
休憩している人達同様、二人は無心で風景を楽しんでいる。
暫くすると先行の登山客が装備を整え翔達に声を掛け、四人と二人のパーティーで歩き出して行った。
同時に三人の女性達が登って来てへたり込むようにベンチに崩れ落ちるように座る。
「急な階段はここまでよ。これからの傾斜は、まだきついけど土の道に入るから自分のペースでゆっくり行けるよ。」
最後に登って来たリーダーらしき中年の女性が言い、ザックを下ろすと翔達に気付く。
お互いに挨拶する。
『そうらしいぜ』聡史が小さく囁いてミドルのマイクロフリースジャケットを着込んでいく。翔も着て立ち上がり、もう一度眺望を見に行った。
「いいな。山・・・憧れていたんだ。きっかけ作ってくれてありがとうな。」
後から来た聡史に言う。
「照れるからそういうのはいいよ。これ終わったら次の海で恩を返せよ。」
本心である。翔は感謝したことを反省した。
ベンチに戻りリュックを背負う。ハーネスを締めなおしペットボトルのスポーツドリンクを一口飲んで歩き出した。
土の香りがする。
右にカーブする木組みの階段を進むと立て看板があり、左路は奥宮への近道だが険しい
「初心者ではあるが、体力に自信あるから注意して登れば大丈夫だろ。」
聡史が言い、翔も同意する。
一応、スマホのマップと槍穂神社のページを確認すると本来の奥宮参道は選択した
暫く登り、見上げると先行した二人のハイカーの姿が見える。
かなりの急勾配であることが伺えた。
原生林の間を丸太で止めただけの階段で急勾配となり足場はかなり悪い。
ホームページにある説明には、奥宮参道は『修験者』が切り拓いた道であり山岳信仰の修行の場として今も残るとあった。
今は多少の安全策が施されていると言っても足を踏み外せば滑落する危険がある。
翔は伯父の宗麟が語ったというエチオピアの話を思い出していた。
「ちょっとした探検だな。これは確かにご老人や子供には向かない道だ。」
聡史も慎重に足を運びながら話すが手の届く所にある木を頼りに登らざるを得ない。
二人は足を止め、尻のポケットにあるグローブをはめて登り始める。
「本当は原生林に触れちゃいけないんだけどな。翔。大丈夫か?」
申し訳ないと思いながらも足元が水平ではない為か重力の向きが掴み辛く体が大きく傾くことがある。
「ああ。でもこればかりはどうしようもない。大人になったら自然回復のための寄付をしよう。」
翔は冗談っぽく言うが、本心でもあった。
右に左に階段を登りながら大きな岩場に到着した。岩の横に鎖が垂れ下がっている。
「マジか?これ、登れってか。」
流石の聡史も躊躇した。
「はは、確かに修験者の修行の道だな。この道拓いた時は鎖なんて無かったんだろうから当時の人達って凄い運動能力あったんだな。」
二人は顔を見合わせてどっちが先に上がるか話し合った。結局、聡史が登る事にして翔は鎖を下で抑える役に回る。
「こんなことならヘルメットも買っとくんだったな。」
聡史がこぼす。
「先行の人達も普通の帽子だったから、ベテランにしてみれば大したことないんじゃないの。まあ気を付けろよ。」
翔が応え鎖を手に取り構える。
聡史が登り始め岩の随所に足場が掘ってあることに気付き声を出す。
「あ、大丈夫だ。きちんと足を踏ん張るところが削れている。ビビッて損した。」
問題なく登り、翔に上がってくるように言う。聡史が言う様に足場があり難なく登ることが出来た。ちょっとしたハプニングだったが翔は心が浮き立つのを感じていた。
二人とも登り、下を見る。登る時に感じた以上に急な崖で吸い込まれそうな感覚を覚えた。改めて上を向き次の道を探ると上から声がかかった。
「大丈夫かい?右の
先行していた二人のハイカーだった。
「ありがとうございます。大丈夫です。」
二人で応える。先行者は手を振って登って行った。
「山の人達っていいな。挨拶しただけなのに親切にしてくれて。」
翔はまた一つ『山』の魅力を感じていた。
言われた通り梯子を登ると丸太組の階段が現れる。
梯子の上は平場になっていたので少し休憩する。汗ばんでいたが速乾性に優れた素材を選んでいたので着心地は良い。
「よし。気合入れていくか!」
聡史が吼え、階段を登り始める。
暫く無言で登り続け、先行のハイカーの姿が見えた頃。翔が声を掛けた。
「植生が変わった。ブナの木やミズナラがちらほら見えるぞ。多分、標高1000メートル付近まで登って来たんだ。」
聡史が振り返る。周りを見るが聡史には『木』にしか見えない。
「おい。自然科学オタク。どれだよ。まあ、いいけど。っていうことは、中間地点は通り過ぎてあと300メートルで奥宮が見えて来るって事だな?」
腕の時計を見る。12時16分。かなりのハイピッチで登ってきている。
「この道で正解だ。これなら予定通りの時間で奥宮に着ける。だいぶ疲れて来たけどまだ行けるよな。奥宮まで行ったら残りの愛情弁当食おうぜ。」
聡史が言って前を向いて歩き出す。
翔も付いて行くが『丹沢のブナ林』を直に見られる日が来るとは思ってもなく、疲れなど感じなくなっていた。
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