第20話 渡り廊下

昇降口で靴に履き替え裏門へ向かう。

午後の陽が照り付け熱が地面から湧き上がるようだった。

塀際の樹木ではせみが合唱している。

体育館の脇を通り抜ける途中、渡り廊下に弓道部の部員達が歩いていた。

真っ白い道着を着て、黒いはかまを履いたショートカットの女生徒が一人。他の部員が通り過ぎる中、立ち止まりこちらを見て微笑んでいた。

『誰に?』と思って後ろを見た。周囲には自分達しかおらず、見返している内にその生徒は弓道場へ向かってしまった。

「へ、誰子さん?今『俺』に微笑んでいたよな。よく見えなかったけど清楚系の爽やか美人だったよな。」

聡史が言う。

午後の陽射しが強く、屋根からの影で覆われ、顔がよく見えてはいない。

「いや、俺達だろ。よく見えなかったのに美人だとは思ったんだな?」

翔が言い返す。

「何自分の手柄みたいに言ってるんだよ。ちょっと弓道場見て行こうぜ。あんな生徒いたっけ?先輩かな~同級生にはいないよな。こっち側の渡り廊下だから大学生じゃないしな。校内の美人はチェック済みなんだけどな。コスプレ分割引してもスタイルといい、絶対に清楚美女であることは間違いない。」

言うだけ言ってさっさと弓道場に向かう。

『コスプレ分って・・・お前はいろいろ謝れ!それに、お前の美人判定の範囲は太平洋のように広いから自分に微笑んでくれる人はみんな美人になる。』と翔は思いながら、自分の基準も同じ事に気付いて聡史を追い弓道場へ向かう。


弓道場は剣道部や柔道部も使用する武道館に併設されていて大学構内にある。

附属校にも武道場は在り剣道や柔道の部活動は出来るのだが、弓道場は大学構内にしか無い為、全ての附属校生徒の使用も出来るようになっている。

大学構内の正面玄関と高校側の渡り廊下の二通りの入り口があり、小中学校の生徒達は専用バスで大学構内から入場する。

射場しゃじょうは大学側にあり、的場まとばは高校側にある。丁度、北から南へ向かって矢を射る形になる。そのため高校生は観覧席の裏の廊下を通り射場に向かうことになり、歩いている姿は外からは見えない。

二人は渡り廊下を乗り越えてから靴を脱いで通用口に入り選手控室を通り過ぎて正面玄関まで廻り、脱いだ靴を土間に置いて来客用のスリッパを勝手に拝借して、ガラス張りの観覧席に潜り込んで行く。弓道場には近的競技用と遠的競技用の二つの射場があり観覧席に近いのは近的競技用の方だった。

まだ競技は始まっていなかったが観覧席には数名の見学者と、一年生部員らしき生徒達が雑用をこなしていた。

弓道の作法は勿論、ルールも知らないので周りを見ながら邪魔にならない様に観覧席の中段、射場側に二人は座り、大人しくしていた。

それでも何かあれば集合場所の目印にさせられる長身の二人はかなり目立つ。

暫くして三人の男女が射場に入って来た。手前側の近的競技と分かり二人は身を乗り出す。雑用を行っていた一年生達が空いている席の最前列に移り、後ろを振り向いて迷惑にならない様にしながら先輩の立射を食い入る様に見ている。

弓道場はミッション系カトリックの大学構内にあるにもかかわらず、小さな神社をまつった鎮守ちんじゅもりに接していて、蝉の鳴き声が響き渡っていた。最初の三人が終わり礼をして退場した後、前列の生徒達がざわつき始めた。

「忍先輩の入場だ。」

女生徒達が興奮している。

新たに三人の男女が射場に入り、礼をしてそれぞれ立射の位置に入った。

二人のお目当ては中央の女性である。観覧席からは正面を向いているので今回はしっかりと顔が見えた。


「深山先輩だ。」


翔が言った。

小学校に転入して来て、慣れない学校生活で困った時に何故かいつも助けてくれた一年歳上の先輩だった。生活にも慣れ、美鈴や麗香達が面倒を見てくれるようになってからは特に接点は無くなっていたが、誰もいない時には不意に現れて手助けをしてくれていた。これまでも、そしてこれからも同じ学校に通う先輩の姿だった。

『そういえば、中学の全国大会で優勝して表彰されていたのを全校集会で見た覚えがあった。』その時も何か懐かしく誇らしかったのを覚えている。


「しょお~う。お前は~お前って奴は~何故なにゆえ先回りして美女をゲットしている。知り合いなのか。深山先輩っていうんだな。」

聡史が小声でうめき散らす。

「別にゲットはしていない・・・っていうか、ゲットってなんだよ。」

本当に鬱陶うっとうしくなって聡史を左手で払った。


他の二人はまったく目に入らなかった。

翔に弓道の作法についての知識は無い。見とれて眺めていると、近くの席にいた老人が隣に来て静かに解説してくれた。まず、足を開き姿勢を正しくする『足踏あしぶみ』そこから『胴造り』に移り弦に右手をかける『弓構ゆがまえ』静かに両拳を同じ高さにあげる『打起し』そこから弓を引く『引分け』そして引分けが完成し、静止する『かい』。

翔だけでなく聡史や後輩達も釘付けになっていた。なんの知識もない二人は、深山の所作に魅入られていた。蝉の鳴き声すら聞こえなくなり、周りの空気も凍り付いて止まっているように見える。まさに『凛』とした世界。『美しい』ただただ感じた。老人が静かに『離れ』と言うのと同時に弓から矢が放たれ的に吸い込まれていった。

「シャー」後輩達が興奮して叫び拍手をした。

深山は離れの姿勢を崩さず、老人は「残心も綺麗だ。動きに迷いも無駄もない。実に素晴らしい。」と言って元いた席に戻っていった。

同時に入場した三人それぞれの立射が終わり礼をして退場して行く。

射場から出る時に深山が観客席の翔達に小さく手を振って微笑んだ。

手を振る深山に、後輩達が大騒ぎになった。勿論、聡史も一緒に騒いでいる。

「忍先輩勿体無いよね。二連覇かかっていたのに今年からは競技には出ないで趣味として弓道やっていくんだって。先生も何度も説得したんだけど逆に説得されて引退が決まったらしいよ。私憧れだったのにな。」

後輩の一人が言っていた。去年全国大会で優勝していた事を今知った。

「翔。おい翔!行くぞ。出待ちだ!」

聡史が翔の左手を掴んで立ち上がる。

「馬鹿なのか?警察呼ばれるぞ。普通に。煩悩の塊め。もう、お前帰りに教会寄って懺悔しろ。」

舞い上がる聡史を置き去りにして正面玄関に向かい解説してくれた老人を見付けてお礼を伝える。

「これを機に、弓道に興味を持ってくれると嬉しいな。」と言われた。

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