寄付癌

そうざ

Cancer Donation

 病院のエントランスに見慣れない人物が居る。何やら、行き交う人々にチラシを配っている。誰一人、足を止めようともしないのは、シルクハットに燕尾服というその格好も影響しているのだろう。

「どうぞ~」

「何ですか?」

「お得なお知らせです」

 手渡されたチラシに踊っていたのは、『寄付癌』という三字熟語だった。

「キフ、ガン?」

「読んで字の如し、癌の寄付を募っております」

 男は黒目勝ちの眼に柔和な笑みを湛えている。

「医学の研究か何かですか?」

「そうじゃありませんが、世の為、人の為ではあります……ご協力頂けませんか?」

「私、癌なんて患ってませんから」

「昨今は二人に一人が癌を患うと言われております。明日は我が身、決して他人事ではございませんよ。一度ひとたび闘病となれば行動を制約されます、癌に束縛されたも同然の生活になります」

「定期的に検診を受けてますし」

「見落としもございますよ。それに、検診の翌日から細胞の癌化が始まって、気付いた時にはもう手遅れだったり……」

 男の黒目が一際ひときわ大きくなった。途端に不安の種が芽を吹いた。

「……考えておきます」

「事前予約も可能でございますよ」

「予約?」

「事前に予約をしておけば、癌化した瞬間に寄付に回させて頂きます」

「癌になっても直ぐに治るって事ですか?」

「はい、面倒な治療を全て省けますよ……ご協力頂けますか?」

 チラシに名前を書くだけで良いらしい。男は、取り敢えず数が揃ったぁと小躍りしながら去って行った。


 そう言えば近頃、気になるニュースが世間を賑わわせている。

 自らの支持層を暴力へと焚き付ける政治家、海外に潜伏していた特殊詐欺グループの頭目とうもく、性加害を繰り返しながらショービズ界に君臨していたプロデューサー、大虐殺の上に誕生した独裁国家の指導者――世間から忌み嫌われながらも太々ふてぶてしく人生を謳歌していたような面々がばたばたと亡くなっているのだ。

 報道に拠れば、死因は全て癌。気付いた時にはもう全身に転移していて手の施しようがなく、誰もが藻掻き苦しみながら死んで行ったとも噂されている。

 連中が方々で深い恨みを買っていただろう事は想像に難くない。憎まれっ子世に憚ると言われる一方で、天網恢恢てんもうかいかいにして漏らさずとも言われる。其処彼処そこかしこから、ざまぁ見ろという声が聞こえて来そうだ。


 幸い私は現在まで癌を患わずに済んでいる。沈香じんこうも焚かず屁もひらずで生きて来たからなのか、『寄付癌』に協力したお陰なのか、そんな事は知る由もないが、私は今日も粛々と病院へ足を運ぶ。

 二人に一人が患う病もあれば、数万人に一人を束縛する病も厳然と存在するのだ。

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寄付癌 そうざ @so-za

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