三 損料屋と両替屋

 長月(九月)八日、朝五ツ(午前八時)。この日も快晴になった。

 藤代と藤代の女房のあや、藤代の手下で従弟の、今は亡き先妻藤裳の弟の藤治郎とうじろうが亀甲屋の暖簾を潜った。


「これはこれは、よくおいでくださいました。

 ささっ、お上がりください」

 亀甲屋の大番頭佐吉は帳場から立ち、雪駄を履いて土間に立ち、亀甲屋の店先に現れた藤代と藤代の女房の綾、藤代の手下の藤治郎二深々とお辞儀した。

 大番頭がこのような対応をするのは、今後、藤代たちが、亀甲屋一の稼ぎ頭になるであろうと踏んでの事である。


「大番頭さん。これからはよろしくお願いします。一介の奉公人ですから、その様に扱ってください」

「そう言われましても、藤代様たちは損料屋と両替屋を取り仕切る御方。格の上では、ここ亀甲屋の大番頭の上ですから、その様な軽はずみな扱いはできません。

 今後は、何とぞよろしくお願い致します」

 先日の藤五郎の説得も有り、大番頭は低姿勢だ。大番頭に見習って番頭の吾介も手代の佐平も、そして奉公人も、藤代たちにお辞儀している。


 盆暮れの給金の話を聞いている藤代たちは互いの顔を見て思わず苦笑いした。

「では、送料屋と両替屋の御店に上がらせていただきます」



 藤裳たちは改築建て増しされた送料屋と両替屋の店先に上がった。

 すると、手代の佐平が、店の雨戸と障子戸を開けて、損料屋と両替屋の暖簾を外の長押の暖簾掛けにかけて戻った。


「佐平さん。ありがとうございます。大助かりです」

「いえいえ、これも、亀甲屋の仕事です。気にしないでください。

 損料屋も、両替屋の積立も、香具師の皆さんが大の得意先ですから、藤代様たちが仕事をしてくださって私どもは大助かりですよ。

 いえ、香具師のみな様の扱いを言ってるんじゃありません。

 皆さんとは顔なじみで、物事、良くわかった気でいたんですが、先日藤五郎さんに言われましてね。あっしらは担い屋台を担いだことは無いし、大八車を引いたことも無い。

 あげくが、銭金の交渉すらしたことがないって気づかされましてね。

 今までは亀甲屋の暖簾で、言われるままに商い仕事をしていたと気づかされました。

 藤五郎さんは、藤代様たちが稼いだら、奉公人の皆に盆暮れの給金を出して、折に触れ、物見遊山にも連れて行くと話しました。

 そこで言われれば、奉公人一同、藤代様たちを応援しない訳にはゆきません。

 これは、お世辞じゃありません。藤五郎さんは一度口にしたことを守る人柄です。

 ですから、奉公人一同、皆さんとともに、御店を盛り立てたいのです」

 手代の佐平はそう言って深々とお辞儀した。手代の背後で、大番頭と番頭、奉公人たちが藤代たちに深々とお辞儀している。


 いやあ、これは参った・・・。とんでもない商いの片棒を担がされたものだ・・・。

 藤代は女房の綾と従弟の藤治郎を見ながら、にやりと笑みを浮かべた。



 藤五郎が損料屋と両替屋の店先に現れた。

「ごくろうさん。両替屋は藤代の好きな様に商いをしてくれ。

 年貸し金利は二割四分、日銭貸し金利は一日に一厘、十日で一分、一ヶ月三分を目安にしてくれ」


「年貸し金利だと半年は一割二分。日銭貸し金利では六ヶ月で一割八分だ。

 この辻褄をどう合わせればいいか」

 藤五郎に、藤代が訊いた。


「客には、年貸し金利から説明せずに、日銭貸し金利から追って説明すればいい。

 日銭貸し金利ならば、一年の年利は三割六分。これでは高すぎるから、

『日銭貸し金利の半年金利一割八分から、年貸し金利の金利二割四分までを割りふった』

 と説明すれば、長期の借り付けの方が特だ、と客は判断する」


「わかった。その手があったな。藤治郎、綾、納得したな」

 藤代は、藤代の女房の綾と従弟の藤治郎が納得したか確認した。説明の順番をたがえると大変である。

 ちなみに、巷の高利の日銭貸し金利は一日に八厘から二分七厘(年利三十割から百割)である。それにくらべ、亀甲屋の日銭貸し金利は遥かに安い。


「損料屋の商いは、これまでのままでいいか」

 藤代は損料屋の商いを気にしている。

 亀甲屋はおもに香具師相手に担い屋台にないやたいやそれらで使う道具、辻商いで使う道具、大八車などの運び道具を貸し出して損料を得ている。


 損料は、客が、借りた物が損耗する代償として支払う料金である。客は品物を借りる際に「保証金」を支払うこともある。品物を返す際に残額が返還される。

 昨今は物の値段が高く、物を買うより借りる方が経済的であり、また、火事が頻繁に起きているため、物を所有すること自体が大変な苦労である。


「そうだな。江戸市中の損料屋は町人相手の店が多い。

 それにくらべ、亀甲屋の客は大八車引きや、香具師や毒消し売りや飴売りなど辻商いが多い。特殊な損料屋だから、他の店から横槍を射されずにいる。

 ここで貸し出す品を町人相手向けにしたら、必ず他の店から横槍を射される気がする。貸し出す品を少しずつ町人向けしながら、様子を見た方がいいと思う」

「わかった。貸し出す品を考えて様子を見ることにする」


 町人が損料屋で借りる主な物は、衣服や寝具は、冠婚葬祭用の礼服や晴れ着や夜具、蚊帳などである。生活用品や家具は 鍋釜、食器、風呂敷、手ぬぐい、調度品、畳などだ。特殊な品は、 ふんどしや湯巻ゆもじ(腰巻)、旅道具、雨具などだ。

 また、損料屋は、日中のみ貸し出す烏貸からすがしや夜間のみ貸し出す蝙蝠貸こうもりがしなどと呼ばれた。

 亀甲屋の損料屋の貸し出しは日中のみである。



 その後。

 藤代が切り盛りする損料屋は、香具師の客が増えて繁盛した。藤代たちが損料屋を切り盛りしているとのうわさが広まり、荷運びする運脚うんきゃくや、町人の煮売屋にうりやたちが損料屋の新たな客となって、亀甲屋の損料屋は繁盛した。


 また、積立屋も兼ねる両替屋は、香具師仲間の積立金の金利を、年貸し金利や日銭貸し金利の半額にすると約束し、香具師仲間からの積立金を、両替屋の貸し出しに当てる許可を得て、貸し出し資金源を安定させた。


「藤治郎。これで両替屋の資金は安泰だ。

 あとは予期せぬ事が起きぬようにせねばならない」

「はい、元締め。じゃねえ、世話役。見張り番を立てますか」

「藤五郎さんと打ち合せて、見張り番と見張る日取りを決めよう・・・。

 ところで、見張りにめぼしいのがいるか」

「世話役は、誰れに目星をつけてるんですか」

「うむ、これと言った者がおらぬな・・・。

 元締たちに相談するか・・・」 


 日本橋の周辺には四人の香具師の元締がいる。

 又芳は、押上村で暮す本所界隈の香具師の元締だ。又芳には息子又三郎と二人の娘がいる。

 深川界隈の香具師の元締は末次郎だ。末次郎には三人の娘と末っこの末吉がいる。

 神田の香具師の元締は権太だ。権太には息子権助と嘉吉と三郎がいる。

 藤代は馬喰町界隈を仕切る元締だ。藤代は、藤五郎の亡き父、藤吉の再従弟で歳は藤五郎より二つ上だ。藤五郎の再従弟叔父である。(後に藤代には長女藤と長男藤吉が産まれる)

 この者たちは、日本橋界隈の香具師の総元締であった藤吉の配下だった。

 父藤吉亡きあと、跡目を継いで日本橋界隈の香具師の総元締となった藤五郎に、絶対的な信頼を寄せており、藤五郎の配下と言って過言ではなかった。



 両替屋の店先に現れた藤五郎に、藤代は提案した。

「藤五郎さん。土蔵の金蔵に見張り番を立てた方がいいと思うが、どんなもんだろう」


 藤代の提案に、すぐさま藤五郎は答えた。藤五郎も藤代と同じに考えていた。

「そうだな。いつ夜盗が襲撃するかわからんな・・・。

 元締たちに見張り番に立ってもらえるか、頼んでみよう。

 見張りの日当をどれくらいにしたら良いか、考える。

 藤代はいかほどにしたら良いと思うか」

「大工の日当くらいが妥当か・・・」

 江戸の大工は高給取りだ。庶民の平均的な日当の二倍だ。


「相場は三百六十ぐらいだな・・・。よし、四百文にするか。(※)

 それと、いずれ見張り番なり用心棒が必要になると踏んで、五、六人が寝泊まりできるよう、離れも建て増しして土蔵に繋げた。

 見張り番の部屋の前の廊下を通らねば土蔵の入口にたどり着けぬし、裏庭からは土蔵に入れぬ」


(※)(1 両=4 分=16 朱=4000 文、1 両が20万程の時代であるとすれば、1文は50円、400文は2万円)


「藤五郎さんはそこまで先を見越していたか・・・。

 では、見張り番の件は、元締たちに話してみる」

 さすが総元締めだ。先を見越している・・・。

 藤代はそう思った。


 その後 藤代は香具師の元締たち、押上村で暮す本所界隈の元締又芳、深川界隈の元締末次郎、神田の元締権太に事情を話し、元締が配下の者たちとともに交代で見張り番に立ってもらうことになった。


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