二 新たな門出

 長月(九月)一日、快晴になった。

 亀甲屋は御店の改装と建て増しを終え、これまでの廻船問屋と薬種屋やくしゅや(薬剤の小売り)を備えた薬種問屋に加え、損料屋と積立屋を兼ねた両替屋を開業した。


 損料屋と両替屋の開業にあたり、藤五郎は、藤代たち香具師を使う人選を奉公人に話した。これには、藤代たち香具師と顔見知りの、亀甲屋の大番頭の佐吉と亀甲屋の番頭の吾介、亀甲屋の手代の佐平、奉公人たちが驚いた。


 大番頭の佐吉と番頭の吾介が何か言おうと口を開きかけると、藤五郎は二人を遮った。

「奉公人の皆は、担い屋台を担いだことがあるか。

 大八車を引いたことがあるか。

 天秤棒を担いで棒手振りをしたことがあるか」

 誰もが何も応えない。

 藤五郎はさらに続けた。

「渋る相手から金子取り立てができるか。

 借金を言い逃れする者から取り立てができるか。

 言い分がある者は、この場に出ろっ」

 店の板の間で、藤五郎は奉公人を問い質した。

 奉公人の誰も名乗り出ない。


「そして・・・」

 藤五郎の言葉が途切れた。奉公人たちは、藤五郎が次に話すことを察し、小刻みに震えた。

 

「俺の父親は香具師だ。香具師の総元締めだ。

 そして、俺は父親の後を継いだ香具師の総元締めだ。

 さあ、大番頭と。番頭。

 香具師が亀甲屋の商いをやってはならぬなら、この俺にそう意見してみろ」

 藤五郎は大番頭と番頭を睨みつけた。


「・・・」

 大番頭と番頭、奉公人は言い返せなかった。藤五郎は亀甲屋の主だ。言い返せば、亀甲屋から追いい出されても文句は言えない。


「香具師は、身分制度で町人より下の無宿人として扱われているが、昨今の香具師は家があり、無宿ではない。

 そして、藤代はここに居る誰よりも、江戸市中に名が知れている。

 亀甲屋の儲けが増えれば、毎月とはゆかぬが、盆暮れには皆に給金も出せるのだ。それが、皆はわからぬのか」

 藤五郎は奉公人を睨みつけた。 

 次第に奉公人たちの顔付きが変った。皆、約束事を守る藤五郎の人柄を知っている。



 藤五郎は、奉公人たちの思いの変化に気づいた。

 こいつら、儲けが増えれば、盆暮れの給金をもらえると知り、気持ちが香具師を雇うことから遠退いたぞ。なんと浅はかな者たちか・・・。

 祖父の右衞門と義父の庄右衛門は、これほどに浅はかな者たちをが使っていたとは驚きだぞ・・・。

 だが、こんな者たちを、祖父と義父がうまく使っていたとは思えない・・・。

 いや、そうではないな・・・。

 奉公人たちを使っていたのは祖母と義母だ・・・。


 祖母と義母は、丁稚たちや下女たち奉公人に、

「使いが終ったら、好きなものを買って食べなさい」

 と言って駄賃を与えて使いに出していた。

 あるいは、店の仕事とは別に、奉公人たちができるちょっと難しい仕事をさせて、仕事が終ると礼を言って休憩させておやつを与え、季節、季節には、奉公人を物見遊山に連れ歩いていた・・・。


 あれら奉公人にさせていた使いも仕事も、祖父母や義父義母ができる、内輪の使いや仕事だったが、祖母と義母はあえて奉公人たちにさせて、駄賃やおやつを与え、物見遊山に奉公人を連れ歩いていた・・・。

 祖母も義母も、祖父や義父が成しえぬ、奉公人たちの手名づけをしていた・・・。


 亀甲屋は御店おたなだが、祖母と義母にとって、奉公人は家族だったのではあるまいか・・・。いずれ独立して暖簾分けするまでの修業として奉公人を預っているとはいえ、奉公人たちが家族だから、一人として不満を抱く者が出ぬようにしていた・・・。

 亀甲屋がこれまでになったのは、祖母と義母が、奉公人たちの気持を汲んで機嫌をとってきたお陰だ・・・。

 亀甲屋で、祖母と義母の立場が強かったのは、そうした陰の力があったからだ・・・。

 なるほど・・・、祖父と義父は、祖母と義母に頭が上がらなかったはずだ。祖父と義父の立場は対外的な顔だけだ・・・


 今後は奉公人に盆暮れの給金を与え、大川の夕涼みのごとく、折にふれて物見遊山に連れだそう。そして、奉公人をうまく使わねばならない・・・

 藤五郎は奉公人たちを見てそう思った。


 ゴロさんは祖母様と義母様を理解した。祖父様や義父様とは違う・・・。

 藤五郎の傍で話を聞く女将の多紀は、藤五郎の変化を感じていた。

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