五 襲名と祝言

 その後、患者たちは秋を待たずに他界した。

 祖父の亀甲屋亀右衞門と義父の庄右衛門は、喪明けなどを待たずに、藤五郎が亀甲屋を継ぎ、年内におさきと良磨が夫婦になるように、と遺言を残していた。

 また幻庵も、

 喪明けを待たずに良磨が鍼医室橋幻庵を襲名し、おさきを妻にするよう、遺言を残していた。

 藤五郎も良磨もおさきも、菩提寺の丈庵住職と主治医だった竹原松月立ち合いの元、故人の遺言に従った。仏法の制度より故人の魂を尊重した丈庵住職の粋な計らいだった。


 長月(九月)十日。

 藤五郎は亀甲屋の主、亀甲屋藤五郎を襲名した。菩提寺の丈庵住職と主治医だった竹原松月、そして、良磨も襲名の席に列席した。


 長月(九月)十五日。

 藤五郎、丈庵住職、竹原松月列席の元、良磨は室橋幻庵を襲名して、おさきと祝言を挙げた。良磨とおさきは、亡き室橋幻庵の遺言を叶えることができた。



 翌年、水無月(六月)初旬。

 おさきは息子を出産した。室橋幻庵(良磨は)は、息子を和磨と名付けた。


「此度は出産の祝いに参りました」

 藤五郎は亀甲屋の上女中多紀を伴って鍼医室橋幻庵宅を訪れた。

「丁寧なご挨拶。傷み入ります。ささっ、お上がりください」


「これは、出産の祝いです・・・」

 座敷に上がった藤五郎は、上女中多紀が持参した包みを室橋幻庵に渡した。

「有り難く頂戴した致します」。

「包みを開けて見てください」  

「おお、これはっ」

 風呂敷包みを解いて現れたのは、羽織、袴、肩揚げされた小袖、そして脇差しである。


「医者の子息(※)に、在り来たりの七夜(※)の祝いの品や節句人形(※)では詰らぬだろう」

 藤五郎と上女中の多紀は、室橋幻庵とおさき、そしておさきに抱かれている和磨に微笑んだ。

 室橋幻庵は各大名家に仕える鍼医で武士の格式を持つ士席医師(※)である。



「ささっ、隣に膳を用意しました。ごゆるりと寛いで下さい」

 幻庵は藤五郎と上女中の多紀に、隣の座敷に仕度した膳を勧めた。


 藤五郎と多紀が膳に着いた。

「本日は出産の祝いの品をありがとうございます。

 頂いた羽織り袴を着られるよう、早う大きくなって欲しい物です。

 お飲み下さい」

 幻庵はそう話しながら、藤五郎と多紀に酒を勧めた。


「私は、不調法なものですから・・・」

 そう言う多紀に、おさきが、

「我が子和磨の出産祝いですので、一献だけお受けくださいまし」

 と言って酒を勧めた。

 多紀は藤五郎を見た。


「せっかくです。頂きなさい」

 藤五郎は多紀に頷いた。

「では、一杯だけ、いただきます」

 多紀は恐縮しておさきのお酌を受けた。


 お酌を済ませると、おさきは子息の和磨を見て微笑んだ。

 和磨は座敷の隅の褥でぐっすり眠っている。

 人の気配がするであろうに、気にならぬらしい・・・。

 藤五郎はそう思い、今は亡き娘美代を思った。美代も人を気にせず、何処でも眠る腹の座った子供だった・・・。和磨もそうなるのだろう・・・。


「お飲み下さい」

 物思いに耽る藤五郎に、幻庵は酒を勧めた。

「幻庵先生もお飲み下さい」

 藤五郎は幻庵が持つ銚子を受けとり、幻庵に酒を勧めた。


 多紀はおさきと世間話を始めた。おさきは、亀甲屋の先々代と先代が、藤五郎の後添いにと見込んで可愛がられた女中だった。亀甲屋の上女中の多紀の下で働いていただけあって、上女中の多紀の扱いには慣れていた。


 藤五郎と幻庵は互いに盃を酌み交わした。

 幻庵は、五郎から何を話されるか気になっていた。

 幻庵は既に失礼に当らぬよう、亀甲屋や医者竹原松月、丈庵住職、下屋敷留守居役の松平善幸、そして出入りしている各大名家、馴染みの商家や出入りの商人らに、和磨の七夜の祝いは内々で行うと知らせて、七夜の祝いを済ませていた。


 

 拙宅の関係筋には失礼に当らぬように、和磨の七夜の祝いは内々で行うと知らせ、既に和磨の七夜の祝いを済ませている。こうして藤五郎さんが出産祝いを持参するからには、それなりの訳がある・・・。

 幻庵はそれとなく藤五郎から、それなりの訳を聞きだそうと思った。


「今日ここに参ったのは、出産祝いの他にも、話したい事があったのです」

 幻庵の思いに気づいたように、藤五郎が話し始めた。

「はい。お教え下さい」


「亀甲屋の薬種問屋は、下屋敷留守居役様から薬剤を手に入れています。

 今のまま、留守居役様の下請けをしている限り、亀甲屋の咳止めの値は下がりません。

 なんとかして安く薬剤を手に入れ、流行病にかかった人たちに安い咳止めを届けたいのです。

 留守居役様にお願いして、薬剤を仕入れ値で卸して貰い、亀甲屋が安値で咳止めを商えば、留守居役様の薬剤は亀甲屋で扱う物より高値のために売れず、留守居役様は大損します故、留守居役様は薬剤を安く卸してはくれませぬ。

 そればかりか、私から留守居役様に、薬剤を安く卸してくれ、と頼めば、亀甲屋は留守居役様の商いの下請けを解雇され、薬剤は手に入らなくなります。

 以前、留守居役様を通じて御上に、薬剤の商い許可証文である公儀のお墨付をお願いしたところ・・・」

 藤五郎は、松平善幸に、亀甲屋宛ての宝石と阿片の商い許可証文である公儀のお墨付を、松平善幸の口添えで、得て欲しいと依頼した折の事を説明した。


 以前も話したように、

 藤五郎が松平善幸に、亀甲屋宛ての宝石と阿片の商い許可証文である公儀のお墨付を松平善幸の口添えで得て欲しいと依頼した折、松平善幸は藤五郎の依頼を快く承諾したが、公儀(幕府)は松平善幸からの、

『亀甲屋宛ての宝石と阿片の商い許可証文である公儀のお墨付を得たい』

 との依頼書の提出に、

『亀甲屋は薬種問屋でもあるから、宝石と阿片の商い許可証文は本人から公儀(幕府)に申請すべきであるが、松平善幸が宝石と阿片の商いをしており、亀甲屋がその下請けをしているのだから、そのまま松平善幸の下請けとして、松平善幸の商いを続けるように』

 と妙な理屈を述べて松平善幸の依頼書を却下している。


 これで、亀甲屋が正式に安値で薬剤の阿片を仕入れる策は消え失せたのであったが、藤五郎は何として阿片を安値で仕入れたいと思っていた。



「私が、薬剤を安値で仕入れたいと思うようになったのは、妻の藤裳と娘美代と、祖母のトキ、義母のお咲を亡くしてからです・・・」

 愛しき者たちへの思いに、藤五郎の目に涙が溢れた・・・。 


 上女中の多紀とおさきの話し声が途絶えた。

 幻庵は口元へ運んだ盃を止めた。

 多紀とおさきは、和磨を見詰め、亡くなった藤五郎の家族を思った。


「こうして生れてくる子らのためにも、何とか、安値で薬を届けたいと思っている事を、幻庵先生にも、解って欲しかったのです」

 藤五郎は日頃思っている事を幻庵に話した。


「松月先生は如何お考えですか」

 幻庵は、医者竹原松月の考えを知りたいと思った。

「私はと同じ考えでした・・・」

 藤五郎はこれまでの役者と陣屋の商いを説明した。



 流行病が蔓延した当初、藤五郎は他の薬種問屋に、医者竹原松月の説明付きで口鼻覆いの事を語った。

 だが、材料費と手間賃にイワシの煮付け一尾分の儲け上乗せした、亀甲屋の口鼻覆いの値に、他の薬種問屋は舌を巻いた。

 藤五郎が明かした口鼻覆いの売値とその内訳に、他の薬種問屋は太刀打ちできなかったのである。

 そして、流行病が蔓延した当初から薬の値も、口鼻覆いの場合と同じように他の薬種問屋より安くしていた。


 流行病で妻の藤裳と娘美代、祖母のトキ、義母のお咲を亡くした後、藤五郎は竹原松月に薬の値を相談していたが、竹原松月にも打開策は無かった。

 只、一部の策を除いて・・・。

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