七 松平善幸 抜け荷を承認す
それから、ひと月後。
弥生(三月)十五日、昼四ツ(午前十時)。
昨年、霜月(十一月)二十日に流行病が蔓延して以来滞っている、霊岸島の越前松平家下屋敷留守居役松平善幸から依頼されている商い下請けを、藤五郎は再開した。
商いを再開するに当たり、藤五郎は松平善幸と松平悠善に商い再開を報告したが、阿片を仕入れ値で卸してほしい旨は依頼しなかった。
と言うのも、松平善幸との昨年の取り決めで、
『幻庵が菓子折の配達を承知したら、幻庵は何処で菓子折を受けとるのか』
との松平善幸の問いに、藤五郎はこう答えていた。
『幻庵先生が大名家を往診する日に菓子折を配達して頂きたいと存じます。
その日の往診前に、私がこちら(越前松平家下屋敷)に菓子折を届けます。こちらにて二重底に商いの品を満たし、幻庵先生に配達して頂くという段取りでと思っております』
そして藤五郎は念を押した。
『そののち折をみて、菓子折の二重底を私ども亀甲屋にて満たし、幻庵先生に届けるように致したいと思いますが、いかがでしょうか』
藤五郎は松平善幸の考えを読んで、暗に、亀甲屋宛ての宝石と阿片の商い許可証文である公儀のお墨付を松平善幸の口添えで得て欲しい、とほのめかした。
松平善幸は快く藤五郎の依頼を承諾したが、公儀(幕府)は松平善幸からの、
『亀甲屋宛ての宝石と阿片の商い許可証文である公儀のお墨付を得たい』
との依頼書の提出に、
『亀甲屋は薬種問屋でもあるから、宝石と阿片の商い許可証文は本人から公儀(幕府)に申請すべきであるが、松平善幸が宝石と阿片の商いをしており、亀甲屋がその下請けをしているのだから、そのまま松平善幸の下請けとして、松平善幸の商いを続けるように』
と妙な理屈を述べて松平善幸の依頼書を却下したのは前述の通りである。
そのような事もあり、藤五郎は再度、松平善幸にお願いした。
「幻庵先生にお渡しする菓子折の二重底を私ども亀甲屋にて満たし、幻庵先生に届けるように致したいと思いますが、いかがでしょうか」
「うむ、そうだな。そうしてもらえれば、当方で菓子折の二重底を満たす手間が省け、其方がここ下屋敷に通う手間も省ける。互いに、月に二十度の手間は大変故・・・。
だがのう、そうなると宝石と阿片は亀甲屋へ荷揚げされ、亀甲屋から幻庵を経て顧客へ流れる。儂の宝石と阿片の商い許可証文である公儀のお墨付は、有名無実と化してしまう。
どうしたものかのう・・・」
考えこんでいる松平善幸の横で、松平悠善も考えこんでいる。
藤五郎は尋ねた。
「と言いますと」
「其方の元に宝石と阿片が有ると公儀(幕府)に知れれば、儂は其方に全ての商いを任せたと言い逃れできる。だが、宝石と阿片の商い許可証文を持たぬ其方は、言い逃れできぬ。
その覚悟があれば、
『儂が宝石と阿片を仕入れて其方に全ての宝石と阿片の商いを依頼した』
と証文に認めて其方に渡す故、それを持って直に宝石と阿片を扱って構わぬ。
その危険を冒す見返りに、儂の商いの他に、其方の店で商う宝石と阿片を自由に調達して構わぬ。その覚悟はあるか」
松平善幸は藤五郎に好意的にそう言って微笑んでいる。
松平善幸の横で、松平善幸の決断に、松平悠善が驚きを隠せずに唖然としている。
「覚悟はできておりまする」
藤五郎は畳に手をついて深々と御辞儀した。
「では、宝石と阿片の商い全てを依頼した、と証文に認める・・・」
松平善幸は、己が仕入れた全ての宝石と阿片を亀甲屋に渡して商いを依頼した旨を証文に認めて藤五郎に渡した。
これで、藤五郎は、松平善幸の宝石と阿片の商いの完全下請けなったのであるが、あくまでも建前である。
本音は、松平善幸が暗に藤五郎の抜け荷を認めたのである。
「のう、藤五郎よ。其方、此度の流行病で、熱冷ましと阿片の咳止めの重要性を知り、咳止め用に阿片を手に入れたいのであろう。女房のために。
違うか」
そう言う松平善幸の横で、松平悠善は、女房の藤裳を思う藤五郎の思いを察した。
「はい。善幸様の仰るとおりです」
藤五郎は畳に手をつき、深々と御辞儀した、
「ならば、思うとおりにやってみよ。
ただし、其方の商いの実態が御上に知れて其方が抜け荷を疑われても、その証文に認めた量の宝石と阿片のみを亀甲屋に委託したと申す故、亀甲屋で扱う過剰の阿片については、其方が御上に説明して対処するようしかと心得よ」
松平善幸は藤五郎を見つめて笑っている。藤五郎が亀甲屋で商う阿片を御上に知られて抜け荷を疑われても、松平善幸は一切関知しないというのである。そして、そのような場合、藤五郎が単独で事態に対処しろというのである。
藤五郎は
「ありがとうございます。いかなる事があろうと、この藤五郎が対処いたします。善幸様には迷惑をおかけいたしません。
なお、菓子折は私から幻庵先生に届けます。如何でしょうか」
「相分かった。その旨伝えよう。
悠善、
『来月、卯月(四月)から、亀甲屋が直接菓子折を幻庵先生に届ける』
と伝えよ」
松平善幸は笑いながら松平悠善に指示した。
「わかりました。幻庵先生が往診に来た際に、そう伝えまする」
松平悠善は松平善幸にそう答え、藤五郎に頷いている。
これで、藤五郎さんの願いが叶いましたなあ、きっと女房殿も喜んでおいででしょう・・・。
「いろいろありがとうございます。このご恩は一生忘れません。
いずれ、御礼をいたしますゆえ」
藤五郎は再び深々と御辞儀した。
「これまでの其方の功労に報いるだけぞ!礼には及ばぬ。
いや、礼をしてもらおうぞ!
菓子折が直接、幻庵先生の元へ行く故、儂には別口で菓子折を所望いたす。
二重底の菓子折を、月に二度に分けて一つずつじゃ」
そう言って松平善幸はニヤリと笑った。
松平善幸への饅頭の付け届けは、月に二十個入れの饅頭の菓子折二つだ。
今度は二重底の菓子折を月に二度に分けて一つずつ、つまり二十個入りの菓子折にすれば四つ分が欲しい、それも月に二度に分けて納めよ、と言うのだ。
藤五郎はふたたび面を上げた。
「わかりました。
では、月に二回、それぞれの日に二重底の菓子折を一つずつお納めいたします」
その程度ならお安い物だ、時には目付役の悠善様に、悠善様お気に入りらしい饅頭、大福、最中、葛切りをそれぞれ五個入りした二十個詰めの菓子折を納めよう・・・。
策が思い通りに進み、妙に、藤五郎の心は弾んでいた。
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