四 二重底の菓子折と饅頭善哉
これまで藤五郎は、喜楽堂から仕入れた菓子折の饅頭を霊岸島の越前松平家下屋敷に持ち込み、饅頭の餡を阿片と入れ換え、饅頭を菓子折に入れなおして大名家に商っていた。
「それでは手間がかかります。こうしたらいかがでしょう・・・」
喜楽堂善哉門は説明した。
菓子折の底と同じ大きさの桐板を二枚用意し、一枚に厚み五分(1.5センチメートル)以下の団子状の阿片を二十個載せ、もう一枚に饅頭を二十個を載せ、菓子折に阿片の載った桐板を入れ、その桐板の周りに阿片の厚みの介在物を菓子折の内部にまわし、さらにその上に饅頭が載った桐板を載せるのである。これなら菓子折の蓋を開けても、饅頭しか見えない。
「さすれば、饅頭の餡も皮も無駄にせずともすみまする」
藤五郎は説明に驚きを隠せなかった。
「おおっ、そんな考えがありましたかっ。
今後、大名家に納めていただく菓子折は、全て、ぜひそのようにしてください。
私どもも大助かりです。納めていただく日取りは後日連絡差しあげます。
此度は、祝言の手土産ですから、今までの菓子折にしてください」
藤五郎と藤裳は畳に手をつき、喜楽堂善哉門に深々と頭を下げた。
「お話は全てわかりました。そのように致しましょう。
ところで、これまで商いに使った饅頭を、いかが致しておりましたか」
喜楽堂善哉門は不審な眼差しで藤五郎を見つめた。
藤五郎は、喜楽堂善哉門が、藤五郎は阿片の商いのために、丹精込めた作った喜楽堂の饅頭を餡も皮も捨てていたのだろう、と思っているのを感じた。
「商いに使った饅頭を捨てるなど、そんな勿体ないことはしません。
皮は焼き、餡とともに、善哉にして食しました。
これも大名家で好評でして・・・」
藤五郎は事実を述べた。
喜楽堂善哉門は藤五郎の機転に驚いた。そんな食し方があったとは・・・。今度から、売れ残った饅頭をそのようにして食してみよう・・・。
そうだっ、店の縁台で饅頭善哉を売ってみよう・・・。
「若旦那、その善哉、売れ残った饅頭で作り、私どもの店の前の縁台で売ってもかまいませぬか。若旦那の善哉の作り方、この喜楽堂善哉門に使わせてくださりませ」
喜楽堂善哉門は畳に手を着き、藤五郎と藤裳に頭を下げた。
喜楽堂の店先は茶店のように、その場で菓子を食えるよう、
「もちろんです。喜楽堂さんの貴重な饅頭です。無駄なく商ってください。材料を商う私どもも、材料を使い切っていただければ
藤五郎と藤裳は、また畳に手を着き、深々と頭を下げた。
喜楽堂善哉門も慌てて畳に手を着き、藤五郎と藤裳に頭を下げた。
頭を上げると三人は顔を見合わせて大笑いした。
その後、藤五郎と藤裳は喜楽堂善哉門に挨拶して、喜楽堂を出た。
「うまくいった。あたし、驚いた。さすがゴロさんだなあ~」
「子供の頃から親爺に商いを見習わせられた。祖母ちゃんに商いを教わった・・・」
藤五郎は父の商いを思いだして笑みを浮かべた。
「厳しかったんか」
先代の総元締めに商いを仕込まれたのだろう、と藤裳は思った。
「いや、無理強いされたことはなかった・・・」
「じぁあ、ほんとに 見て習うだけか」
「親爺の商いの口上がおもしろかった・・・」
「どんなだったんか」
「親爺は簪を売った。半値で。すると下女たちがさらに値切った・・・」
藤五郎は十歳の時に見た、父藤吉の簪売りを説明した。
話は藤五郎が十歳の時に溯る。
藤五郎の父の藤吉は、香具師の元締の傍ら、藤五郎を連れて小間物売りをしていた。
藤吉は背負っている小間物箪笥の風呂敷包みを勝手口の板敷きに下ろして、御店の下女たちに挨拶した。肌着の上に筒袖の小袖を着て
「藤吉さん。もっと安くしとくれよ」
下女たちが、藤五郎の父藤吉に、銀の簪を値切っている。
「二朱の簪を、おおまけにまけて、一朱でして」
「そこをなんとかしておくれよ」
「考えてもみてください。一朱は銀でできてます。この簪も銀です。
簪は、細工をとっても、目方は簪の方がはるかに重いのは一目瞭然。
銀の簪を一朱、つまり二百五十文で売るってんだから、この藤吉も、とんだお人好しってもんですぜっ」
藤吉の口上に下女たちは納得している。
藤五郎も納得した。だが、それは父の理屈に従った場合の筋道だと藤五郎思った。
翌日、独りで商いゴッコする藤五郎は、
『一朱と刻印した銀には、一朱の価値がある、と御上が決めたから、一朱の価値があるのだ。一朱銀の銀そのものに一朱の価値があるのでは無い』
と独り理解して納得していた。
「・・・」
藤裳は、先代の元締めの藤吉が「見て習え」の手本を示していた事と、それを理解していた藤五郎に驚いた。返す言葉が無かった。
「祖母ちゃんには、商いを考えることを、無理せずに教えられた・・・」
祖母のトキは、十歳の藤五郎が考え事をしているのを感じていたが、トキはその事を藤五郎に尋ねなかった。
藤五郎が訊きたい事があれば、藤五郎が訊いてくる。その時、教えればいい。
藤五郎がその気になる前に先手を打って何かすれば、みずから何かしようする、藤五郎なりの思いを潰してしまい、誰かが何かをしてくれるのを待つ、という事を学んでしまう。それはさせてはならなかった。
何事もみずからの思いで事を成さねば、藤五郎のためにならない。
祖母のトキは、いつもそのように藤五郎に接してきた。
「祖母様も、優れた御方だなあ・・・」
藤五郎の説明に、ただ驚くばかりの藤裳だった。
三日後、喜楽堂善哉門から、
「とりあえず、一日に挨拶する二十軒分の菓子折ができました。残りの分は、日を追って仕上げますので」
と知らせがあり、藤五郎と藤裳は、御店は五十店と得意先の大名家は二十五家のうちから、手近な御店二十軒を選び、手土産を携えて祝言の挨拶回りする段取りになった。
喜楽堂善哉門は、
「手土産が多ございますから、手前どもの店の者に手土産を持たせて付き添わせまする」
と申し出たが、藤五郎は、
「恋い女房と二人、水入らずで挨拶回りしたいのです」
と言って、喜楽堂の店先で、二十軒の御店に挨拶回りする手土産が入った風呂敷包みを背負い、藤裳の手を握った。
藤五郎の背丈は六尺を越え、藤裳は五尺七寸だ。その二人が店先で手を握って立っている。藤五郎の背には二十箱の菓子折の風呂敷包みだ。まるで恋女房を連れて商いに出かける雰囲気に、喜楽堂善哉門は思わず、今は亡き、藤五郎の父藤吉と藤五郎の母の美代の面影見出して胸が厚くなった。
「では、善哉門さん、行ってきます。一日に二十軒に挨拶しますから、五日間、お世話になります」
大名家二十五家には、菓子折と大福の菓子折の、御店の二倍の量の手土産を持参する予定である。
藤五郎と藤裳は、喜楽堂善哉門と店の者たちに深々と御辞儀して、喜楽堂を出た。
店先で二人を見送る喜楽堂善哉門は、藤五郎の女房となった藤裳が、藤五郎の母美代に似ているのに気づいたが、その事は口にしなかった。なぜか心の内に、
『亡き父母の分まで幸せになって欲しい』
との思いが湧いたが、なぜ、そのような思いが湧いたか、喜楽堂善哉門は不思議だった。
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