四 新妻の離れ

 葉月(八月)四日、昼四ツ(午前十時)。

 亀甲屋の奥庭に離れを造る普請が始まった。材料を運び入れるため、裏木戸は拡げられ、裏門と化していた。


 藤五郎が勝手に離れを造るように藤代に話したが、実は、藤五郎は離れを造ってそこに住むのをトキと打ち合わせずみだった。香具師が亀甲屋に出入りするのは商いだけであり、香具師の揉め事などは別件だったため、藤五郎の申し出をトキは快く承諾していた。亀甲屋の実権を握っているトキの心を掴んだ藤五郎の機転だった。


 祝言は長月(九月)八日である。離れの普請は忙しく進み、葉月(八月)末日に藤五郎と藤裳の新居が完成した。離れへの渡り廊下は、亀甲屋の奥座敷手前の座敷の外廊下にあった。



 長月(九月)八日、宵五ツ(午後八時)。

 祝言が終った。床入りと称して藤五郎と藤裳は手に手を取って早々と新居の離れへ渡り廊下を渡り、寝所の隣の座敷で座布団に正座して互いに向き合った。


「今後は、店の事、香具師の事、よろしく頼みます」

 藤五郎は畳に手をついて藤裳に深々と頭を下げた。

 この態度、立場が逆だと藤裳は思った。

「あたしこそ、よろしくお願いします」

 藤裳も畳に手をついて深々と御辞儀し、頭を上げると顔を見合わせて笑った。藤代を通して幼なじみの藤五郎と藤裳だ。気心は知れている。


「店の事は、祖母ちゃんと伯母さんが教えてくれるから、心配するな。香具師の事は、藤代の家に居たように、今までと同じにしていればいい」

「はい」

「では、寝所に」

「はい。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 藤五郎と藤裳は顔を見あわせて笑った。


 藤五郎は藤裳の手を握って立たせ、隣の座敷の襖を開けた。寝所となっている座敷に、真新しい褥が敷かれていた。



 長月(九月)九日、明け六ツ(午前六時)*日の出の30分前

「ゴロさん、もう起きてたのか」

 藤裳が目覚めて藤五郎に抱きついた。

「昼まで、寝ていろ。皆に、睦事で疲れるから昼まで起こすな、と話してある」

「それなら、もう一度・・・。最初 痛かったけど、あとは気持ち良かった・・・。

 ほら、こんなだ・・・」

「藤裳はかわいいな・・・」

「本当のあたしを見せるのは、好いたゴロさんだけだぞ」

「オレも同じだ。本当のオレを見せるのは、好いた藤裳だけだ。さあ、おいで・・・」

 藤五郎は藤裳を抱きしめた。かわいい大好きな藤裳だ・・・。



 睦事が終わり、眠っている藤裳を抱きしめて安らかな藤裳の寝顔を見つめた。

 藤裳に限らず、祖父母と叔父夫婦、亀甲屋の奉公人、香具師たちを守らねばならない・・・。藤裳にどこまで話していいものか・・・。

 そう思ったが藤五郎は考えるのを辞め、今後がどうなるか感じようと目を閉じた。すると、心に、大名屋敷に出入りする衣食住に関係する各種業者や医者が浮んだ。

 これだっ、これを使わぬ手はない・・・。

 そう感じた途端、藤五郎は藤裳を抱きしめたまま、満足して深い眠りに落ちた・・・。



「ゴロさん、昼九ツ(午前十二時)になるよ。まだ眠ってるかい」

 藤裳は藤五郎に訊いた。藤裳はすでに身支度を整えて、いつでも店に出れるようにしている。

「ああ、起きてる。藤裳、こっちに」

 藤五郎は藤裳を呼んで抱きしめた。肌身を重ねた藤裳が、これほどかわいいと思っていなかった藤五郎である。

「どうしたのさ・・・」

 藤裳は藤五郎を見つめた。ゴロさんはあたしを大切に思ってる・・・。この愛しみが永遠であって欲しい・・・。


 藤裳の心の内を知って答えるように藤五郎が言う。

「身体を大切にしろ。早く、俺たちの子を産んでくれ」

「では、毎晩、かわいがってくださいな・・・」

「わかりました。御内儀様」

「よろしく頼みますよ。旦那様」

 二人は見つめ合って笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る