三 縄張りと商いと道具と仕入れ

 十七歳になった藤五郎はふと思いついた。


 毒消し売りたちは、以前、薬種問屋から薬を仕入れていたが、廻船問屋の亀甲屋が薬種問屋の代理店をはじめて以来、毒消し売りたちは亀甲屋から薬を仕入れている。

 毒消し売りたちが使う道具は、薬を入れて背負う薬箪笥くすりだんす栁行李やなぎこうり、それを包む風呂敷だ。

 だが、煮売屋などの担い屋台となると、薬箪笥や栁行李などとはちがう。

 担い屋台の材料と組み立て、屋台に積む鍋や釜や器や火桶や、飯台と樽を運ぶ大八車、そして米や酒や惣菜の材料や調味料など、必要な物が多々ある。

 煮売屋たちは多大な負担を負って商いしている。一方、亀甲屋は廻船問屋だ。あらゆる物が揃っている。足りない物を仕入れる手立てもある・・・。


「祖父ちゃん。伯父さん。亀甲屋は廻船問屋だ。あらゆる物がある。それで、こういうのは無理か・・・」

 藤五郎は説明した。


 担い屋台の煮売屋をする道具一式を貸し与えて原材料を何割か増しで供給し、煮売屋たちは売上の定まった割合を亀甲屋に収める。

 煮売屋たちは、屋台と道具にかかる費用を気にせずに日々の商いができ、働いた分に応じた収入を得られる。亀甲屋は屋台道具の貸料と原材料の販売益、そして各屋台の売上に応じた見返りがある。

 貸し与える屋台と道具が安物だと、すぐさま同じ物を作って自分たちで同じような事をする者が出てくるから、屋台も道具も簡単には作れぬ高価な物にし、壊れたり傷ついたらただちに新品にする。そのために屋台の貸料の他に、売上の一部を亀甲屋に払うのである。

 こうすれば、亀甲屋は香具師を相手に商いができ、亀甲屋から仕入れをする香具師も安心して商いをできるはずだ・・・。


「そうなれば煮売屋をしている香具師は、今までのように収入が得られるし、屋台を修理する手間が省け、商いに励めると思う」と藤五郎。

「なるほど・・・」

 亀甲屋の主の亀右衞門と、倅で藤五郎の伯父の庄右衛門が納得した。


「では、その話をまとめて、書付けておきましょうか」

 亀右衞門は藤五郎と庄右衛門を店の奥座敷に呼んだ。

「トキさん。紙と筆を用意して、こちらで話を聞いてください」

 亀右衞門は女房のトキを呼んだ。



 刻限は、昼四ツ(午前十時)。亀甲屋は開店したばかりだ。

「開店直後の忙しいさなかに何ですか」

 文句を言いながら、トキは紙と硯と筆を持って座敷に現れた。座卓の上に硯と筆と紙があるのを見ると、

『亀右衞門はいったい何を考えてるのだろう。呆けたのか』

 と思いながら、トキは座卓の前に座った。


「実はな。藤五郎がおもしろい事を話してな。トキにも聞いてもらって書付けておいてほしいと思い、来てきてもらったのだよ」

 亀右衞門は藤五郎が話した事をトキに説明した。


「なんて事ですか。そんな事なら、私を呼ばすとも、どんどんやれば良いでしょうに。男が三人も寄って、何を考えているんですか。

 とっとと、おやんなさい」

 トキはそう言うと藤五郎に目配せしてその場を立った。トキの目尻に笑みが現れていた。


 亀右衞門と庄右衛門は互いを見て頷いた。トキを抜きにして話を進めると、結果がどうであれ、後でひどい嫌味を言われる。こうしてトキが納得すれば、結果がどうあろうと問われない。

「トキも納得しました。では、

 貸し与える物と、その条件と、証文。

 仕入れの条件と、その証文。

 それら雛形を決めましょう。

 これ、藤五郎。どこへ行くんです。手伝いなさいよ。言い出しっぺなんだから」

 亀右衞門は、立ちあがろうとした藤五郎を引き留めた。


「いや、香具師仲間の話も聞こうと思って・・・」

「藤吉さんに来てもらえば、すみますよ」

 亀右衞門も心得たもので、藤五郎が細かな取り決めを準備するのを逃れようとしているのを見抜いた。



 その日から、亀右衞門と庄右衛門は藤五郎の話を注意して聞くようになった。

 二人が今まで藤五郎の話を聞かなかったわけではない。長年廻船問屋をやってきた手前、藤五郎のような若い者に商いは難しいだろうと思っていたためだったが、この藤五郎、今までにない発想をする。藤五郎の話を聞き逃せない・・・。

 二人は考えを改めていた。

 

 藤五郎が長屋に帰らず、亀甲屋に泊る機会が増えた。トキは藤五郎の世話をした。

 藤五郎と亀右衞門と庄右衛門は、商い道具の材料と仕入れ、商い道具を作る職人、商う品の材料仕入れについて語りあった。

 藤吉はこれら三人に加わわらなかったが、藤五郎を通じて藤吉はいろいろ意見を述べていた。亀右衞門も庄右衛門も、藤五郎を独り立ちさせるため、あえて藤五郎に事をさせようとする、藤吉の考えを認めていた。



「辻売りたちに、積立をさせるのはどうだろう。自分の店を持ちたいという者もいるはずだ。その者たちが店を開くときの銭を積み立ててやるんだ・・・」

 藤五郎がそう話すと、亀右衞門と庄右衛門の顔から表情が消えた。

「なんか変か・・・。俺、妙な事を言ったか」

 藤五郎は、亀右衞門と庄右衛門に何か妙な事を話したのだろうか、と思った。


 亀右衞門と庄右衛門の二人は、藤五郎が変な事を話したとは思っていなかった。二人は、香具師たちに銭金を積立ててやるなどと考えた事が無かったのである。二人はこの藤五郎の話を聞き、はたと気づいた。奉公人にも、暖簾分けに備えて積立をさせればいい・・・。


「なあ、辻売りたちに、積み立てさせるのは、馬鹿げてるか」

「いや、そんな事は無い。藤五郎の考えに驚いておったのだ。

 これは、妙案だぞっ。奉公人の暖簾分けにも備えられる。とても良い考えだ」

「積立の条件とその証文。それらの雛形を決めましょう」

 亀右衞門と庄右衛門の顔が笑顔になった。


 藤五郎は安心した。

 俺の考えはまちがってなかった。これで香具師や辻売りの暮らしが楽になる。一度に高い利息で多額の借金を背負ったら、香具師や辻売りは、借金返済に追われて苦しい生活をつづけるだけだ・・・。

 亀甲屋が香具師や辻売りのために、商い道具をまとめて造り、商品材料をまとめて仕入れれば、香具師や辻売り一人一人がそれらを用意するより安い手間ですむ。香具師や辻売りは日々の商いの上がりから、道具の賃料と商品材料代を払えばいい・・・。

 藤五郎の考えは、全て、辻売りや香具師たちのその日暮らしを考えての事だった。

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