三章 香具師の元締めの跡目

一 十五歳の夏

 商家も香具師も、武家でいう元服のような仕来り、前髪を剃り落とす「前髪落としの祝」があった。これをすませ、藤五郎は月代を剃って町人の髪型になった。(「前髪落としの祝」については※参照)


 藤五郎は藤吉に似て、五尺九寸を越えて六尺に近い上背があった。そして、商才に長けた藤五郎を十五の小僧と思う者は誰もいなかった。


 藤五郎は亀甲屋の孫として亀甲屋へ出入りし、祖父の亀甲屋亀右衞門と伯父の庄右衛門から廻船問屋の商いを学び、また、父藤吉とともに商いに出て、辻商いと香具師の元締の立場、手下たちをどう動かすかを学んだ。つまり表家業と裏家業を学んだ。

 生まれた時から両者を見てきた藤五郎にとって、亀甲屋の商いも、香具師の辻売りの商いも、大した違いはなかった。顧客や仕入れ先が不当な取り引きをすれば、出向いて諫めるのは表の家業であろうと裏の家業であろうと変わり無いし、商いの販路である縄張りを侵害する事は、表家業だろうと裏家業だろうと、取り引き相手の信頼を一方的に損ねる事であり、決して許されぬ事だった。


 藤五郎は廻船問屋亀甲屋の孫であり商才に長けている。容姿と才覚ともに藤吉に似た藤五郎は日本橋界隈を仕切る藤吉の跡目として、香具師の元締たちから一目置かれる存在になっていた。


 父藤吉の縄張りは日本橋界隈だったが、藤吉の商いと人を動かす才覚が優れているのを江戸市中の香具師の元締たちが認めていた。元締めたちは何につけても藤吉の意見を求めた。藤吉は意見を述べても見返りをいっさい求めなかった。元締めたちへの協力を惜しまず、無宿人たちが平等に稼ぎ、暮らせるよう、自分なりの考えを教えた。その人柄がさらに元締めたちを藤吉への尊敬の念へ変えていった。

 いつしか、藤吉は江戸市中の香具師たちから総元締として崇められる存在になっていたが、藤吉は日本橋の香具師の元締に徹していた。そして、藤吉の人柄は、藤五郎へと受け継がれていった。



(※ 一節には、「江戸時代の庶民は、男子は18歳から19歳になると前髪を剃り落とす「前髪落としの祝」が行われた」とあるが、ここでは、十五歳で成人を迎えたこととして話を進めます。以下に参照文献を記載しました)


【歳事暦 気づいてみよう 日々のくらし 成人の日の歴史より、出典】

『昔から「成人式」ってあったの?』

成人式は、「元服式」が由来です。

奈良時代にはすでに「元服」という言葉が用いられていました。


『「元服」って何?』

元服とは「はじめて大人の服を着る」という意味で、平安時代の公家社会では、男子は13歳から15歳になると冠をかぶり、大人の服を着ました。

女子は、13歳から16歳になると長くしていた髪を結い上げて簪で飾る「髪上(くしあげ)」と、裳(十二単の正装のさいに身に付けるエプロンのようなもの)を付ける「着裳」が行われ、眉を墨で書き、お歯黒を付けました。


『公家ではない人は何をしたの?』

武家社会では男子は烏帽子をかぶり、幼名から大人の名前に改められました。

このとき、烏帽子を授けてくれた人の名から1文字もらうことが一般的でした。


『庶民はどうしていたの?』

江戸時代の庶民は、男子は18歳から19歳になると前髪を剃り落とす「前髪落としの祝」が行われました。

女子のお歯黒や眉墨は、江戸時代には結婚した後に付けるようになりました。

また、男子は褌をしめる「褌祝い」、女子は腰巻を付ける「湯文字祝い」もありました。




 さて、時は水無月(六月)二十日。梅雨の時期。


 両国橋西詰めはまだ広小路になっていないものの、柳橋や浅草御門を抜けて、奥州道と水戸道と日光道への基点となる千住へ行く要所とあって人通りが多く、他の橋の袂にくらべて広かった。そのため、辻商いが、道行く者たちを呼びとめ、商いをするのはありふれた光景であった。

 ここ両国橋西詰め辺りは、馬喰町界隈を仕切る元締めの藤代ふじしろが、香具師たちを仕切っていた。藤代は藤五郎の父藤吉の再従弟で歳は藤五郎より二つ上だ。藤五郎の再従弟叔父である。



 曇天の暮れ六ツ(午後六時)。日没まで四半時ほどあった。

「くそっ、また邪魔者が来やがった、用心しろ・・・」

 両国橋の西詰めで、担い屋台にないやたいで煮売屋を営む藤代が仲間に告げて、浅草御門の方角を目で示した。

 若い無頼漢ごろつきが五人、煮売屋の担い屋台にいる客をからかいながら、藤代たちの屋台に近づいてきた。両国橋の袂は、地元の衆や仕事帰りの運脚うんきゃくや大八車引きや馬子たちが晩飯の惣菜を求めてにぎわっている。


「茂吉、屋台を守れ。他の煮売屋にもそう伝えろ・・・」

 藤代は隣の屋台の茂吉を見ずにそう告げた。

「へいっ」

 茂吉はただちに仲間に知らせた。知らせを受けた仲間たちは、担い屋台の陰にある棍棒を手元に引きよせ、すぐにも使えるようにした。



「茂吉。屋台を店終いして、客と屋台を守れ・・・」

 茂吉が戻ると、藤代は、茂吉の担い屋台の客が置いていった飯と惣菜の代金十八文を茂吉に渡し、屋台の陰にある樫の棍棒を握った。

 茂吉も代金を懐に入れて屋台にある棍棒を握った。


(ちなみに、握飯二個入り六文、蛤煮付け六個で一串六文、鰯生姜煮六尾 六文、蕎麦一杯十六文、天蕎麦三十二文、銭湯八文、と言われる時代である。

 そして、1 両=4 分=16 朱=4000 文で、1両が20万円ほどであったとされているから、一文は50円程か・・・)



「おめえさんたち、挨拶もなしに俺たちの島に店開きとは、大した度胸だぜ」

 無頼漢の一人がにたにた笑いながら藤代に近づいた。

 藤代はこの無頼漢たちを知っている。新たに馬喰町界隈にたむろしはじめた無頼漢だ。いっぱしの香具師を気どって縄張りを主張しはじめている。


「ここが島なら、おめえたちは無宿人の香具師か」

 声が響いた。声の主は藤代の屋台の横で樽に腰かけて握飯を食っている男からだった。男は茶碗で冷や酒を飲んでいた。

 藤代は屋台の陰にある棍棒を握った。両国橋西詰は馬喰町の香具師の縄張りだ。


「なんだとっ。偉そうなことを抜かすなっ」

 無頼漢の一人が懐から匕首あいくちを取りだし、屋台の樽に腰かけている男の顔をめがけて振りまわした。背後の四人も匕首を振りまわし、周囲に群がる者たちを遠ざけている。

 その時、樽に腰かけている男が茶碗を投げた。匕首を振りまわす無頼漢の額に、ガツンと音をたてて茶碗が当った。

 無頼漢はその場にひっくり返った。同時に、樽に座っていた男が棍棒を持って立ちあがり、あっという間に残りの無頼漢四人をその場に叩きのめした。男の身の丈は六尺に近かった。



「名は、なんていうんだ」 

 男は無頼漢を地べたに座らせて問いただした。

「・・・」

「黙っていると手足を縛られて石を抱いたまま、大川に入る羽目になる・・・」

 男がそう言っても無頼漢たちは、

「・・・」

 黙っている。


「よし、やれ」

 男の指示で、藤代と煮売屋たちが、それぞれの屋台から麻縄と屋台の重しの石を取り出した。地べたに座っている無頼漢たちの傍に持ってきて、無頼漢たちを後ろ手に縛りあげて膝に石を置き、その石が膝から離れぬように、しっかり麻縄で脚と足を縛りあげた。


「元締め。これで良うござんすか」

 藤代は男に確認した。

「ああ、いいだろうよ。藤代の元締め。

 だがよ。こうして大川に叩き込まれても、次から次へと無頼漢が出てくるとは、いってえ、どういう事だ。俺たちに刃向うとどういう事になるか、こいつら、知らねえはずはあるまい」

 男はそう言って、地べたにいる無頼漢たちの顔を棍棒でぴたぴた叩いた。

 無頼漢たちは震えている。


「そうは言っても、元締め。大川に叩き込めば、何をされたか話せませんぜ」

「死人に口無しだな。それじゃあ、叩き込むか・・・」

「待ってくれっ」

 慌てて無頼漢が震えながら言った。股間が濡れている。口ほどになく小便を漏している。



「なんだ。何か言い分があるか」

 男が無頼漢を睨みつけた。

「すまねえ。おめえさんたちの島を荒す気は無かった。ちょいと脅してみただけだ」

 無頼漢は震えながら口から出任せを言っている。


「チョイの脅しで匕首を振りまわすたあ、物騒じゃねえか。死人が出りゃあ、おめえさんたちの首が飛ぶぜ」

 男は棍棒で無頼漢の首をぴたぴた叩いた。


「俺たちを大川に入れたら、おめえらも、人殺しじゃねえか」

「ほほう、殺しをやった事があるんか。この場に及んで張ったりを嚼ますんじゃねえ。

 そんな、しょん便ちびる、ちっちぇえ玉で、大口叩くんじゃねえっ」

「たすけてくれっ・・・。

 味噌問屋の甲州屋をったんは俺たちだ。何かと役に立てる・・・」

 無頼漢は震えあがっている。どうやら本音らしい。


「先だって、夜中に押しこんで主を殺ったんはおめえか」

 男は、無頼漢の俯いた顔が見えるように、無頼漢の喉に棍棒を当てて、無頼漢の顔を力任せに仰け反らせた。

「そうさっ。何でもやるぜっ」

 喉を棍棒で小突かれて、無頼漢は苦しそうだ。

「そうか。殺ったんか」

「ああ、殺った。匕首で刺した・・・」


「そうか。夜盗も殺しも死罪だ。詮議の手間が省けた・・・」

 途中から男の声が変わり、屋台の陰から男と同じ身の丈の男が手下とともに現れた。与力の藤堂八十八とうどうやそはちと同心岡野智之助と手下の岡っ引きだった。


「元締めたちと皆に礼を言うぞ、このとおりだ」

 藤堂八十八は同心岡野智之助と岡っ引きが、藤代と男と煮売屋たちに頭を下げた。

 無頼漢は何が起こったのか、一瞬理解できなかった。



 同心岡野智之助と岡っ引きは、駆けつけた同心松原倫太郎と手下の岡っ引きとともに、無頼漢たちを後ろ手に縛りあげて北町奉行所へ連行した。 

 北町奉行所で改めて詮議される手筈だが、すでに無頼漢は夜盗と殺人を自白ずみだ。


「あいつらは何者だ・・・」

 連行されながら、無頼漢が呟いた。

「打ち首になるお前たちだから、教えてやる。香具師の元締めの藤代だ」

 与力の藤堂八十八は無頼漢に、煮売屋の藤代を目配せした。

「馬喰町のか」

「ああそうだ」


「背の高い方は何者だ」

 無頼漢は藤代の隣に立つ背丈の高い男へ顎をしゃくった。


「総元締の藤吉の倅、藤五郎だ」

「二人とも藤吉一家かっ。何てこった・・・」


 日本橋の香具師の元締め藤吉一家は、御上とも通じて頭が切れて腕が立つ。江戸市中の香具師の元締は藤吉の縁者が多く、藤吉は総元締めとして崇められている。無頼漢は、とんでもない男たちを相手にしたと後悔したが、悪事をすでに与力の藤堂八十八に聞かれ、事すでに遅しだった。



 この出来事は藤五郎の名をいっきに高めたが、父の藤吉同様、藤五郎はそんな周りの目や噂を気にかけなかった。

 大事な事はこれから何をするかだ。父藤吉のように、

『無宿人と言われる身分の低い立場の者が憂き目を見ぬよう、まっとうな行いをして、世間の大切な立場でありたい』

 そう思う藤五郎だったから、何かにつけて、藤吉とともに北町奉行所へ出入りして江戸市中の出来事を知らせ、無頼漢たちが世間を騒がせぬよう手を打つと同時に、亀甲屋の商いをおびやかす悪どい取引先や顧客を北町奉行所に知らせて戒め、裁きにかけ、藤吉たち一家の成す事の正当性を世に知らしめた。


 藤吉たち一家の評判は高まる一方だが、藤吉はいつもと変わらず辻商いをし、藤五郎も辻商いをしつつ亀甲屋の商売を学んだ。

 妻を亡くした藤吉も、母を亡くした藤五郎も、周りに振りまわされることなく、妻や母がいた時のように、無宿人たちが幸せな日々を過ごせるよう、己たちの思いを遂げるため日々を暮した。

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