第60話 異質の部屋 ー 4
パンドラの箱とは、まさにこのことだと思った。
あらゆる不幸、悪、禍、そういったものがこの場所に封じられているという予感が確かにあった。
真実を知りたいと願ったのは自分であり、知ろうと行動したのもまた自分である。知ることで、証明しようとしたのだ。憶測は所詮憶測であり、実在する真実とはまったくの別物であるということを。
正直に言おう。怖いのだ。もしもこの中に、自分の想像したものがそのまま存在していたとき、自分はそれにどう対処するべきなのか、わからないのだ。
指先が震えた。振動はやがて腕を伝い、体全体に広がっていった。
怖い。怖い。怖い。
感情を制御できずに立ち竦む心。しかしそれを、誰かの指がそっと撫でた。正確には、撫でられたような気がした。懐かしい体温が、心の内側から腕を通り、指先に伝わっていった。気付けば、震えはどこかへと消え去っていった。
意を決し、観音開きの戸を開ける。
同時に、スマホのバイブレーションが鳴った。
「……」
クローゼットの中身を見つめつつ、僅かに思案し、幸介は電話に出た。
スピーカーから、怒り狂った叫び声が飛んできた。
「あんた今どこにいるの⁉」
戸倉さんだった。
まあ、想像はできていたけど。
「どうして、今電話を?」
「それはちゃんと話すから、居場所を―――」
「いいからっ!」
クローゼットに反響して、音が響いた。言ったというよりは、叫ぶような言葉の発し方だった。
面を食らったのは戸倉さんの方だったようで、捲し立てるような声が止んだ。無音のまま、一秒、二秒と時間が過ぎていく。やがて、仕方ないとばかりに息を吐き、彼女は言った。
「……重要参考人が挙がったの」
また少しの間があった。幸介がなにも言わずにいると、促されるようにして戸倉さんは話を継いだ。
「久野の遺体について、死亡推定時期に、被害者と話していた人間が目撃されていたの。正確には、偶然映っただけなんだけど。学校の盗撮魔。あいつの猫が録画していた映像の中に、それがあったんだ」
「……相手は?」
「市役所の職員。生活困窮者への就労支援や、生活相談を担当していた人間。それで、その人間を軸にして調べてみたら、今朝の四件目を除く三件の被害者が、それぞれ半年から三カ月ほど前までに彼の元に相談に来ていたことがわかったの」
「……担当者の、名前は」
戸倉さんは言い淀んだ。そういう間があった。だから促すように、幸介は言った。教えてください。言葉は繰り返した。教えてください。
泣き出しそうになる心を必死に制し、懇願した。
達成感の欠片もない、苦々しい声で、戸倉さんは言った。
「……桃生敏明」
言葉を絞り出している様は、どうしてか、容易に想像できてしまった。
「……桃生遥香の、父親だよ……」
「……そうですか」
呟いた言葉が、彼女に届いたのかどうかはわからない。返ってくる言葉があったような気がしたけれど、気付かないフリをして、スマホはズボンのポケットにしまった。
同時に、骨の割れる音がした。足音だ。その主が誰なのかなど、真相が見えてしまった今となっては、もはや問いかける価値もない。
故に幸介は言葉を紡いだ。問いかけではなく、一縷の希望として。クローゼットの中に転がった、無残な白骨遺体を見つめて。
「冗談だって、言ってくださいよ」
振り返った。視線を投げた。その先に、敏明さんがいた。
「敏明さん」
【次回:仕方なかった - 1】
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