第59話 異質の部屋 ー 3

 視線を動かして見据えたのは、はーちゃんの部屋から対角線上にドアが位置する桃生夫妻の部屋だった。


 ドアの前に立つと、甘い匂いがいっそう濃くなった。菓子やジュースの匂いとも異なるそれは、例えるならば花の匂いのように思えた。蜜に誘われてやってきた幸介が、ドアノブを握る。だが同時に、脳内で警鐘が鳴った。ヤバい。絶対にヤバい。誰かの声が聞こえた。問うまでもなく、それは自分の声だった。


 ここから先に進むことは、自分と桃生一家の関係を決定的に破壊する。そんな予感が、確かにあった。だからこそ、対立する心がその行動を必死に諫めた。


 けれども幸介はそれに抗った。ドアノブを強く握った。例えその結果が予感通りの展開になったとしても、ドアの向こうにあるものが、憶測とはまるで関係ない代物であることを期待したのだ。


 故に、視界へ飛び込んできた光景は、そんな幸介の思考を一瞬にして停止させた。


「え――――――?」


 骨が散らばっていたのである。


 部屋一面に。


 フローリングに敷かれたカーペット、夫婦が使っていたであろうベッド、棚の上、その間。スマホのライトで照らせる範囲だけでも、様々な場所に骨は散乱していた。勿論、特別な知識を持たない幸介にとって、それらがどのような動物の骨であるのかは判断しかねるところである。


 しかし一方で、時間が経つに連れて思考が回復し、理解できたこともあった。


 第一に、リビングに鎮座していた謎のベッドの件。骨の散乱した部屋は、一見しただけでも人が生活できる環境とは思えない有様だった。故に、この部屋を主としていた人物が階下の部屋へと移ったのである。


 そして第二に、甘い匂いの正体。部屋に入った瞬間、骨と同時にクローゼットの前で鎮座した巨大な観葉植物らしき物体が目に留まった。人の背丈ほどに成長した植物は、棘のような細い葉を主張しつつ、甘い匂いを四方八方へと撒き散らしている。幸介にとっては見たこともないような種類の植物だった。匂いや存在が有害か無害かさえ、判断に困るところである。


 部屋の明かりを点けた。骨だらけの室内において、確実な足場を確認するためである。


 そして、明かりが点くことによって見えてきたものもあった。


 部屋中に飛び散った、赤黒い染みである。


 染みはありとあらゆる場所に散見されたものの、特にカーペットとベッドの上が顕著であった。元の柄や色がわからなくなるほどそれらは深く根付き、重ね塗りをし過ぎた絵の具のように数か所が黒ずんでいる。


 ふと思い出したのは、以前観たサスペンスドラマの内容だった。血液は、時間が経つごとに新鮮な朱色から濁った黒へと変色を遂げるという。では、仮に部屋の中の染みが全て血液だったとして、それは散乱した骨とどのような因果関係にあるだろうか。


「……」


 考えてから、無駄なことだと悟った。骨と血液の関係など、ほとんどの生物においてそれは同義なのである。


 深く呼吸をし、視線を動かした。観葉植物のような物体を見やった。


 正確には、その奥にあるクローゼットを見た。違和感というよりも不自然なその光景に対し、意図せずとして目が向いたのである。


 クローゼットとは、本来なにかを収納しておく場所である。服であろうが、物であろうが。しかし収納するということは、取り出す可能性があるということでもある。ならば普通、そういった収納スペースの前には大きな物を置かないのではないか。理由は明白。中のものを取り出す際に邪魔になるから。


 では逆に、物を置いておく理由とはなんだろう。


 中のものを取り出さないから。


 取り出すつもりもないから。


 取り出そうとすらしたくないから。


 植物は見た目よりもずっと軽かった。試しに鉢植えを押してみたところ、たいした力もかけていないのに簡単に動いた。そもそも、鉢植えに入っていたものは土ではなかった。BB弾のような小さな球体が土の代わりに敷き詰められ、植物を支えていた。


 観音開きの取っ手に手をかけ、しかしそれでも幸介は思案した。


 勿論、クローゼットの中身についてである。


【次回:異質の部屋 - 4】

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