第56話 4体目の遺体 ー 2
頷きつつ、戸倉さんは話を継いだ。
「ハサミからは魔獣の血液反応も出た。髪は人間のものだった。そこであたしたちの推測はこう。被害者は昨晩、女性を狙って髪切り魔の犯行に及んだ。けれどもその相手が、一連の事件を引き起こした魔術師だった。被害者は魔術師の連れていた魔獣から反撃に遭い、絶命。しかし予定外の犯行だったことから、魔術師はそのまま逃走。心臓も食われずに遺体発見。でもねえ」
言葉尻へ添えるように、戸倉さんが長い息を吐く。幸介が首を傾げてみせると、どうにも腑に落ちないといった表情で彼女は言った。
「遺体発見現場周辺に、被害者の血液反応がほとんどないの。昨日からの雨で流れちゃったのかもしれないけど、それにしたって出なさすぎ。それから死亡推定時刻。深夜一時頃とみられるんだけど、その時間帯に犯行の音や声を聞いたっていう情報がまったくない。いくら人通りが少ないからって、まだ一時だよ? 小田原には住民全員イヤホンして寝る習慣でもあるわけ?」
戸倉さんは二度目の息を吐いた。先ほどよりも、もっと長い息だった。参ったよ。やり切れない気持ちを言葉にして、しかしそれでも自らを諫めるように頭を振った。自身の両頬をパンパンと叩き、据えた視線を幸介に向けた。
「被害が出ておいて言うのもアレだけど、これは一種の好機だと思ってる」
「好機?」
「完全に予定外の犯行だったにもかかわらず、犯人はまだ小田原を出ていない。曾我谷津の事件の後、うちの魔術師を使って市の外周部と交通機関に魔獣探知の魔術を張り巡らせたんだけど、今の今までまったく反応がないの。犯人は犯行を魔獣に頼り切っていたから、逃げるにしても必ず魔獣は連れていくはず。だから―――」
戸倉さんは言葉を切った。しかしそれは、言い淀んだわけでも言葉を探したわけでもなく、敢えてそうしたように思えた。これから自身が紡ぐ言葉の重大性や深刻性。そういったものを、胸の内に落とし込む時間だったように感じられた。
やがて、彼女は告げた。
「ローラー作戦を敷く。特殊情報局の魔術師や魔獣も総動員して、小田原市内一帯の魔力反応を探る。市内は完全封鎖。住民は自宅待機。高速道路も一般道も電車も、蟻一匹だって外に出してやらない」
「そんなこと―――」
「できないと思う? でも残念、できるの。あたしたちには、それだけの力がある。それだけのことをする理由もある」
戸倉さんの瞳は、真っすぐに幸介を見据えていた。
その視線で、察してしまった。
「……僕……ですか……?」
「気付いてたかもしれないけど、本当のことを言うね。あんたを利用して、犯人をおびき出すつもりだった。それが一番簡単な方法だったから。でもそうやって悠長なことをしている間に、次の被害者が出た。これはあたしたちの責任。だから、あたしたちでケリをつけるの。そのことを伝えるために、あたしはここに来た」
あたしたち。戸倉さんはそう言った。立ち上がった彼女に追随したのは、シロだった。
ここからは魔術師だけの領域になる。眼前の状況は、そういうことを意味していた。
故に迷った。事件の情報を知ることで思い浮かべたその可能性を、口にするべきか否か。
迷った末、幸介は口を噤んだ。
「この子は連れていくよ。うちの切り札だからね」
シロの手を取り、戸倉さんは言った。
シロはなにも言わなかった。幸介を見て、戸倉さんを見て、また幸介を見た。
「気を付けて」
幸介が告げると、返答するように軽く頭を下げた。
玄関まで見送りに出ると、戸倉さんは思い出したように言った。
「今回の件、迷惑料ってわけじゃないけど、バイト代はちゃんと出すから。全部が終わったら、また会いに来る。文句が言いたかったら、そのとき全部聞いてあげる」
小さな手が頭に乗った。戸倉さんの手だ。撫でるでもなく叩くでもなく、ただ乗ったのだ。瞳はほんのりと潤んでいた。そこに映っていたのは幸介自身だった。けれども、彼女は別のものを見ているような気もした。確証があったわけではない。彼女がそう言ったわけでもない。ただ、瞳の中に映る自分の姿を見て、そう思ったのだ。
やがて、手は離れていった。
「ごめんね」
優しく置くような言葉を残し、戸倉さんとシロは去っていった。
ドアの鍵はかけなかった。かける必要がなかったからだ。
雨の上がった薄曇りの空に、サイレンが鳴り響いた。Jアラートってやつだ。テレビを点けると、ニュース番組のスタジオが大騒ぎになっていた。ゲリラ攻撃情報。自衛隊の派遣。小田原封鎖。物騒な言葉が右に左に飛び交っていた。
そのうちに画面が切り替わった。市境にほど近い
「未確認ですが、今回のJアラート発令には、市内で頻発していた三件の変死事件が関与しているとの情報もあり―――」
頻発していた変死事件。
一見するだけなら無関係にも思えるそれぞれの事件を結びつけていたのは、県警が発表した遺体発見場所の共通点だった。
人の立ち入らない山林。逆に言えば、公にされている情報はそれだけだったのである。
スタジオのコメンテーターが言う。先日はミサイルで森が吹っ飛んだらしいですよ。嘘だ。違う。そんなものはただの噂話に過ぎない。彼らの言葉に、確定された情報はほとんど存在しない。
だからこそ、どうしてもその違和感だけが拭えなかった。
否定したかった。可能性が現実のものであった場合、全ての状況に説明がついてしまうことを。
身支度は最低限に済ませた。万が一の場合を考え、極力動きやすい服装を選んだ。
小道具を忍ばせたポーチを身に着け、テレビは点けたまま、部屋を飛び出した。
【次回:異質の部屋 - 1】
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