第54話 秘密基地 ー 3
はーちゃんは言った。
「寂しかった」
「……ごめん」
「心配した」
「……ごめん」
「でも、帰ってきてくれた」
「……」
「どうして?」
……。
言葉が喉に詰まったような感覚。けれども詰まっていたのは喉ではなく、心の方だった。
正直、こんなにも早く目的を達せるとは思っていなかった。もっと長い時間をかけて、ゆっくりとその行方を捜すつもりでいた。三年間という時間は、そのために貰った時間だ。
びっくりしたのは、目的の方からこっちを補足してきたことだった。体の弱い彼女が、義務教育を終えてもなお進学しているという保証はどこにもなかったのに。日本全国で五千近い選択肢の中から選び抜いた一校は、単に以前の家に近いからという理由だけだったのに。
入学式の日、はーちゃんは自分を見つけてくれた。
拉致同然のやり方で、オカルト研究会へ引っ張っていってくれた。
啜り上げたのは、感情の塊だった。気を抜けばうっかり溢れ出てしまいそうな気持ちを、寸でのところで堪えて言葉にした。
「はーちゃんに、会いたかったから。UFO探すって、約束だったから」
耳が熱かった。頬が熱かった。ああ、きっと今、自分はすごい顔をしている。視線は上げたかったけれど、上げられなかった。はーちゃんの顔を見るだけで、体が爆発してしまいそうなほど恥ずかしかったのだ。
視界の外で、はーちゃんが息を吐いた。
「よかった」
安堵の感情と共に、言葉を紡いだ。
「ちゃんと生き抜いた意味、あったんだ」
一瞬だった。故に、向けられた言葉を思考する間さえ与えられなかった。夜を吹き抜ける微かな風の音でさえ、聞こえないほど遠くに去っていった。
感じられたのは、頬を包んだ柔らかな手のひらの感触と、重なった唇の温かさだけだった。
時間さえも超越した感情が、ほんの数秒を数時間にも数年にも引き延ばしていくような感覚。
やがて名残惜しそうに唇が離れると、漏れ出た吐息が白く煙って、眼前をユラユラと昇っていった。
「ごめんね」
はーちゃんは言った。しかしそれは、音として幸介の鼓膜を揺らしたに過ぎなかった。
「でも、やっぱり私じゃダメなんだ」
言葉を置き去りにして、はーちゃんが立ち上がる。遠くなっていく足音を、走り去る後姿を、幸介はただぼんやりとした心境で見つめていた。
やがて風の音が戻ってきた。冷たい空気が頬を撫で、湿った匂いが鼻をつく。雨の前兆はすぐそこにあった。しかし、幸介はいつまでもその場に座り込んでいた。状況も、理由も、行動も、理解できないことが多すぎたのだ。
部屋に帰り着いたのは、ちょうど雨が降り出した頃合いだった。
制服も、鞄も、頭さえもびっしょりと雨の滴に浸かったその姿を見るや、シロは浴室のタオルを差し出すと同時に説教をかましてきた。
命令の使い方が間違っているとか、警護対象が勝手に動かれては困るとか、パスを繋いでいない幸介相手では魔力で居場所を特定できないとか。
他にもいろいろ言われたような気がするが、言葉のほとんどは、意識を右から左へと素通りしていった。食事など摂る気にもなれず、制服の上から簡単に体を拭くと、埋もれるようにしてベッドへと倒れ込んだ。
ふと、眠れないのではないかと不安になった。
けれども意外かな、睡魔はすぐにやってきた。
意識が闇に落ちる直前、誰かの声が聞こえた気がした。
シロのものでも、はーちゃんのものでもない声だった。
× × × × ×
ひどい夢を見た。なにかを食べる夢だ。
オレンジ色の光が射し込む薄暗い部屋で、自分はそれにむしゃぶりついていた。
甘くて、辛くて、苦くて、しょっぱくて、とにかくいろんな味がした。感情を満たしていたのは、過ぎるほどの空腹感と食欲だった。本能の赴くままに、とにかく手に持ったそれを食した。
最初、食していたものの正体はよくわからなかった。けれども途中から骨が見え始めた。そこでようやく、自分が肉を食べているのだということを理解した。肉の部分をしゃぶり尽くし、骨だけになったそれを見て、自分は言った。
ごめんなさい、と。
言葉は壊れた機械のように、繰り返し口をついた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
言いながら、別の肉塊を手に取り、再びむしゃぶりついた。齧りつくその瞬間、肉塊の先端に指のようなものが見えた。薬指の辺りが、オレンジ色の光を受けてキラリと輝いた。
× × × × ×
翌朝、目覚ましが鳴るよりも早く、部屋のチャイムが鳴った。
訪ねてきたのは戸倉さんだった。
「入れて。今日、学校は休みになるから」
すっかり皺のついた制服姿のまま、ボサボサの頭で応対した幸介に対し、しかし彼女は冷静に状況を告げた。
「四体目の遺体が出たの」
【次回:4体目の遺体 - 1】
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