第53話 秘密基地 ー 2

「はーちゃんさ」


 ブロックに腰を下ろしつつ、言葉をかける。


「本当に体はもういいの?」


「いいと思う?」


「よくないと思う」


「てことは、いろいろ知っちゃったのかな?」


 幸介はなにも言わなかった。なにも言わずに、ただ首を縦に振った。


 猫の騒ぎの直後のことだった。シロが戻ってくるより前に、部室にはーちゃんの担任教師がやってきた。彼は少し稀有な人で、職員室への訪問の後に二人が幼馴染であることを知り、それならば幸介には正しい事情を話しておこうと考えたのだった。


 本来ならば生徒のプライバシーとして口を噤むところを、逆に打ち明けることで、幸介に注意を促したということである。


「そっか」


 はーちゃんは言った。溜息を吐くように、言葉を吐いた。そっかそっか。繰り返した。


「死にかけたって」


「一年半前ね」


「今日もそれを理由に休んだって」


「ああ、そっちは嘘ね。そう言ったら休ませてくれると思って」


「本当に?」


 勢いに任せて、肩を掴んだ。体を寄せて、顔を寄せて、丸い瞳を見据えた。たぶん、焦っていたんだと思う。怖かったんだと思う。けれどもそういう感情は、隠すまでもなくはーちゃんに筒抜けだった。幸介が肩に置いた手にそっと自分の手を重ね、彼女は言った。


「嘘じゃないよ」


 優しい声色だった。


「こーちゃんに、嘘は吐かない」


 ああ、ここなんだよ。こういうところなんだよ。どうしようもなくこっちが熱くなったとき、はーちゃんは決まって優しい声でそれをなだめるんだ。


 こういうやり取りが、六年前には幾度とあった。大人以上に、はーちゃんは幸介をなだめるのが上手かった。言葉と、声と、仕草と、たったそれだけのことで、火照っていた心がゆっくりと冷めていくのだ。


 それは、なんてことのない話だった。引っ越し先の近所に大きな病院があって、そこに一学年上の女の子が入院していたのだ。病名は知らなかった。一度聞いたような気もするけど、覚えていない。ただずっと病院にいたから、簡単な病気ではないと思う。覚えているのは、その子の担任からプリントを届けるよう頼まれたことと、何度も会っていくうちに、少しずつ仲を深めていったこと。


 あだ名で呼ぼうと言い出したのは、彼女の方だった。


 幸介だからこーちゃん。


 そう呼ばれて、少し照れくさい気持ちになった。


 反撃のつもりで、こっちもあだ名をつけてやった。


 遥香だからはーちゃん。


 呼んでみたら、はーちゃんは笑った。やっぱり照れくさくて、でもとても嬉しそうに。つられて幸介も笑った。


 写し鏡みたいに、二人で笑い合った。


 いつしか、幸介は頭を抱かれていた。


「こーちゃん、覚えてる?」


 ふわりとした優しい匂いに包まれて、言葉が降ってきた。


「UFO探してくれるって言ったの」


「違う」


 顔を上げて、幸介は言った。なんだか気恥ずかしくなって、ついでに体も離した。


「はーちゃんの方が見つけるって言って聞かなかったんだ」


「そうだっけ」


「そうだよ。あの頃の病院のビデオ、UFO特番ばっかりだっただろ。それで変な影響受けちゃって、自分も探すんだ! って言い出して」


「あー、そうそう! お父さんもお母さんもすっごい笑ってた。いるわけないって言われて、ムキになって、じゃあこーちゃんと見つけてやる! って息巻いて……」


 はーちゃんが言葉を切った。切られたその意味を、幸介はどうしてか、瞬時に理解できたような気がした。彼女が今日を選んだ理由はわからない。学校を休んだ本当の理由もわからない。それでも、呼び出された理由だけはそれで察しがついてしまった。


「気付いたら、こーちゃんがいなくなってた」


 声色は平坦だった。咎めるでもなだめるでもなく、寂しそうにそう紡いだ。


 俯いたのは幸介だった。


「……ごめん」


 絞り出すように、謝罪の言葉を口にした。


【次回:秘密基地 - 3】

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