火花

 知俊と誠吾、そして要の三人が合流したのは、紀定と志乃がそれぞれ決意を固めてから程なくのことだった。


「おお! 久しい顔だな!」

「小糸の旦那やないですかぁ! なんやおるなら言うてくださいよぉ」

「言うたらおもんないやろ、お互い様や。二人ともお久しぶりやね。そんで、そちらさんが初めましての方と」


 誠吾と知俊は顔見知りということもあり、福一と打ち解ける時間が必須となったのは要だけだった。おだてられるまま購入した刀を盗まれたなんて失態を犯したからか、福一の風貌が油断ならないからか、少年の幼い顔には警戒が色濃く浮かんでいる。


「小糸福一いいます、どうぞよろしゅう」

「要だ」


 簡潔すぎる名乗りに、福一は余計な詮索をしない。「要殿」と敬称で呼べば、それでいいとばかりの表情をされていたが、にこにこと笑みを深めるばかりだ。


「それにしても、えらい心強い面子が揃ったなぁ。紀ちゃん誠ちゃん知ちゃんの三人はもちろん、孝ちゃんは人妖兵やし、要殿は器用な術師さんやし、もう勝てる気しかせぇへんで。なあお前ら!」


 入り口前の広場に集った部下たちに福一が問いかければ、ときの声じみた歓声が上がる。びくりと要は縮み上がったが、紀定たちが平然と声を受け止めていると見るなり、慌てて背筋を伸ばした。


「そう緊張するな、要殿。あなたには実力もあるし、刀を必ず取り戻せるって」

「う、うるさいな。分かっている」


 まるで含みのない笑顔で明るく言ってのける誠吾に、要はつっけどんな返事をした。照れ隠しなのはこの場の誰にでも見透かせるほどだったので、刺々しさは微笑ましさと化している。

 他者との協力に難を持っていそうな要が、誠吾や知俊と打ち解けてきつつあるのは良い兆候だった。士気も充分な面々をざっと流し見つつ、紀定は冷静に分析する。福一がしっかり手綱を握っているのと同じように、紀定も統率者として、歩調を整えなければならない。


「我々は相手側の用心棒に対応し、そちらは引き続き潜伏しつつ行動する。そういうことでよろしいですか、小糸殿」

「せやな、仕上げまできっちり丁寧にやらんと。ボクらは盗品と下っ端を何とかしよるさかい、紀ちゃんたちは組織の真ん中潰したってや」


 真面目な表情を崩さない紀定に対し、福一は散歩にでも赴くかのような気楽さを漂わせている。荒れ事にも慣れているが故の余裕だ。これがあるから、福一はこの場に集う荒くれ者たちを行儀よくまとめられている。


「カチコミをかけるのは久しぶりですねぇ、うぇへへへへ」


 別の意味で余裕を保つどころか、だらしない笑い声を立てる味方もいて、紀定は呆れの視線を向ける。戦いの気配に血が騒いでいるのか、紀定への兄貴呼びを勝ち取ろうとしているからか、志乃は目に見えて上機嫌だった。男を装う声や挙動はそのまま、出陣の時を今か今かと待っている。


「……目先の欲に溺れて言うことを聞かないのなら、旅路の同行者としても認められませんからね」

「んえへへ、大丈夫ですよぉ。俺は良い子ですから、言うこともちゃんと聞けます」


 否定しにくい返しに、紀定の呆れはため息へと形を変える。福一よりも軽く見える態度に、誠吾と知俊に挟まれている要からは厳しめの視線が向けられていたが、志乃は全く気にしていなかった。やはり、志乃と要はこのまま分けて行動させた方が良いだろう。


「ほな、気合も充分っちゅうことで、早速行ってもらいましょか。ボクは目立ちすぎるんで、また来た時と同じ子ぉに案内させますわ」

「はい、任されました。大船に乗ったつもりでついて来てくださいね、紀定のアニキ!」


 提灯を手に進み出てきた少年の悪気のないアニキ呼びに、紀定はまたも志乃からの視線を感じる。笑顔を硬くして視線を差し込むような気配を。鬱陶しくなってきたが、紀定は努めて作った笑みを向け返した。


「他人から他人への呼び方に、いちいち過剰に反応するのは、良い子とは言い難い態度ですよ。お利口にしていなさい」

「……はぁい」


 紀定の笑顔がお叱りの前触れだと覚えているからか、志乃は目を逸らしつつ返事をした。不貞腐れず、きちんと返事もするあたり、芳親よりも扱いやすくて助かる。

 志乃も大人しくなったところで、紀定一行は福一たちに見送られ、山内の奥深くへと踏み出した。人一人が通れる程度の細い隧道を、明かりを持った少年を先頭に、一列になって進んでいく。殿は誠吾になった。大きな体が、提灯の光を遮ってしまうので。

 案内役の少年は入り組んだ道を迷いなく進み、やがて、分岐路で止まった。多方面に穿たれた複数の穴には、黒々とした闇が凝っている。


「前方右側にある道が、福一さんがお偉いさんと会う時に使うやつ。左の道が、おれたちが使うやつです。左の道は壁伝いの縄を頼りに行けば、仲間がおるところへ出るんでええけど、前の道はちょっと複雑なんで、今から道順お教えします」

「ほんなら手前どもはもう行ってええんやな、紀定さん」

「ああ。くれぐれも気をつけて」


 ほな、と軽く別れの挨拶をし、知俊を先頭にした一列が左の道へ入っていく。要は張り詰めた表情で真ん中に挟まれていたが、変わらず殿を務める誠吾が背後に続いていると、何となく大丈夫そうな印象があった。


 三人を見送ったのち、紀定と志乃は少年から道順を教えてもらい、前の道へと入った。闇に塗り込められていても、手のひらや足裏、耳や鼻など、体の感覚が鋭敏になって手がかりを拾う。少し深めの窪み、壁に刻まれた印、足音の反響、湿った土の臭い。口頭で教えてもらったばかりの手がかりを、ぶっつけ本番で拾いながら正しい道を探り当てるなど、普通なら無理だ。影や夜という暗闇に慣れた紀定と、妖怪の領域に踏み入っている志乃だからできている。

 入り組んだ道を迷いなく進み、紀定と志乃は無事、出口へと辿り着いた。簾が掛けられた出口からは、火明かりがぼんやりと入り込んでいる。頭巾や口元の覆いを確認し直し、左右の壁伝いに出口へ近づいて様子を窺うも、足音や話し声は聞こえてこない。目で確認してみても人影はない。


 紀定が簾を持ち上げ、迅速に隧道を出た。志乃も続き、すぐに右方向へ進む。足音を殺して駆け抜ける二人は、意志を持って独立した影のようだった。壁に掛けられた松明の炎の揺れだけが、侵入者の存在を告げている。

 明るくなっただけで、先ほどの隧道と変わらないかと思われた道だったが、途中から松明が片側だけに掛けられているのが見え始めた。減速していた紀定が手前で止まり、志乃も止まると、それぞれ前後の様子を窺う。紀定は松明が途切れた道の左側を、志乃は後方を。紀定が様子見をしている間に、志乃が後ろから来る者がいないかを見張っておく。


 紀定が見たところ、これから向かう道の左側には壁がなく、吹き抜けになっていた。下方から人の声が聞こえてくるのが何よりの証拠。そっと下を覗き込むと、予測の通り開けた場所が見え、壁掛けの松明で照らし出されている。動く人影も見えるが、人が寄り付いていない場所も見えた。広場か舞台のようになっている場所があるらしい。

 目線を戻せば、これから歩く道と向かい合うようにして、岩壁にくり抜かれたような空間があるのも見えた。あそこからなら、この道を行く者も見えるだろうし、広場も正面から眺められるだろう。


 ――ここにおる組織のお偉いさんは、用心棒たちの試合を眺められて、お客さんが来るのも見られる場所におる。行けば一目で分かるで。


 福一からの言葉を思い返し、紀定は確信を得た。ここが目的地の一つだ。


「孝信、出番です」


 後方を見張っていた連れを振り返れば、笑みで細まった目と視線が合う。いつもなら呆れてしまう目だが、いざ事が始まる前に見ると頼もしく見えてしまい、紀定は自分が感じたことながら嫌になった。直武が教え導こうとしている道から、志乃を外してしまっているような気がして。


「下が、用心棒の試合が行われる舞台です。盛大に暴れて来てください」


 志乃が注目を集めているうちに、紀定はすばやく道を進んで、組織の頭を叩きに行く。知俊たちも、志乃が暴れるのを合図に動き出す算段だ。


「はぁい。行ってまいります」


 えへへ、と暢気な笑い声を零し、志乃はすっくと立ち上がる。散歩にでも行くような足取りで道の中腹まで進み、左側を向いたかと思うと、ぴょんと飛び出して紀定の視界から消えた。

 飛び降りた志乃はと言うと、軽やかに、何事もないかのように着地。突然降ってきた人影に、それまであちこちで交わされていた取引の声がぴたりと止んだ。何事かと視線を独占した舞台の上、志乃は頭巾と口元の覆いを取り、にっこり笑ってみせる。


「どうも、こんにちはぁ。ここにはとっても強いお方がたくさんいると聞いたので、遊びに来ましたぁ」


 男を装いながらも暢気な声が、どこまでも伸びやかに響き渡る。何とも言えない戸惑いが漂い始める中、からん、と下駄の足音が返ってきた。

 からん、ころん、からん、ころん。数多の名品を収めた箱の山に、荒くれ者や商人崩れや詐欺師が入り乱れる中を、舞台へ真っすぐ歩いてくる影が一つ。目深に被った浪人笠と、襤褸ぼろになりつつある着流し。一度見たことがある姿に、志乃は笑みを深めた。


「またお会いしましたねぇ、番傘のお兄さん。お兄さんに袖にされたのがかなしくて、俺、ここまで来ちゃいました」

「心にもないことをよく言えるものだ。獲物に逃げられたのが気に入らなくてやってきたの間違いではないのか、餓狼の如く鼻が利く小僧よ」


 からん、ころん。下駄の音は舞台へと上がってくる。浪人笠の男が用心棒であることは、志乃にとっては既知のこと。裏打ちするように、「喧嘩か」「喧嘩だ」「賭けるぞ!」「賭けだ、賭けだ!」と声がし始める。


「やれやれ。ここの者たちは喧嘩となると喧しいことだ。拙者は単なる用心棒に過ぎぬというのに」

「賑やかなのはお嫌いですか?」

「そうでもない。前に雇われていたところも、こうして試合の勝敗に賭ける場所だった。賢い女狐が取り仕切るだけあって、ここよりも行儀は良かったがな」


 舞台の周りにも人が押しかけ、怒鳴りつけるような野次が飛び始める。柄傘、としきりに呼ばれているのが、浪人笠の男の名だろう。志乃の方には小僧だとかガキだとか、とりあえず見た目そのままの呼び声が浴びせかけられていた。


「お前につられて、少し口が軽くなったようだ。語るのは不得手というのに」

「喧嘩が楽しみだからじゃぁありませんかぁ? 俺もお兄さんと喧嘩をするの、楽しみにしていたんですよぉ」

「さて、どうだか。ああ、分かっていると思うが、ここでやるのは喧嘩ではない。殺し合いだ。死んでも文句を言うなよ」

「言いませんよぉ。喧嘩は楽しいものですし、俺は死にませんし!」


 誰に殺してもらうか決めている志乃としては、至極当然のことを言っただけだが、周囲には大口と解釈されて騒がれている。早くやれ、と急かすような怒声も聞こえたが、両者は一触即発の空気を限界まで引き延ばしていた。


「乱入も普通にあるから、喧嘩仲間は増えると思うが、お互い自由にやり合おう。――いざ」

「えへへへへ、いざ!」


 片や顔を明かさぬ浪人笠の男、片や男を装いながらも顔は晒している女。人ならざるモノであることだけが共通している両者は、それぞれ抜刀し、構えた。

 野次馬たちの盛り上がりも最高潮に達すると同時――ギィン、と。高らかな剣戟が、戦いの火蓋を切って落とす。男たちの野太い歓声が山を揺らし、陰で動く者たちを覆い隠す。

 朝来山の各所で、火花が爆ぜ散り始めていた。

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友士灯―ともしび― 継承編 葉霜雁景 @skhb-3725

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