ちびた鋸
紀定の思わぬ再会は、朝来山内部への活路を開いた。紀定をアニキと呼ぶ若者たちが、自分たちの潜伏場所へ案内してくれたのだ。
他の見張りに出くわさないよう、こそこそ忍び足で向かった先にあったのは、山肌に隣接して建てられたというあばら屋。森林に馴染むよう草木で覆い隠されており、最低限とはいえ、施すべきものは施された丁寧な作りをしている。ところが、あばら屋部分は入口、番頭小屋のような物に過ぎず、内部には山の中へ続く洞窟があった。
「後はここを真っすぐ進めば、みんなの所に行けますよ」
紀定の正体を言い当てた少年が、嬉々としながら洞窟への戸口を開ける。一目では分からないよう岩肌に似せた戸口には、徹底さと慎重さが見て取れた。
気絶した仲間を肩に担ぎ、先導を務める少年とは別に、もう一人の少年は洞窟へ入らない。紀定が、要たちを連れて来るよう頼んだからだ。一人では何かあった時の不安があるため、紀定たちが洞窟の先に到達し、入れ替わりに送り出されるだろう人員と合流してから向かうと決まっている。
全員が洞窟へ入ると、残った一人が外から戸口を閉める。途端、真っ暗になってしまったが、壁に伝っていた縄を頼りに前進できた。
そう長くない暗闇の終点は、またも戸口。先行する少年が特定の調子で戸を叩くと、向こう側から開けられ光が差し込む。日光ではなく火明かりだ。人の気配やざわめきを纏った生温かい空気も、緩やかに洞窟へ流れてくる。
「すまん、誰かこいつ運んでくれ。ちょっと気絶させられただけやから、心配せんでも大丈夫や」
先に気絶した仲間を運び込ませ、次に少年が戸口をくぐる。他にも人がいる旨を誰かへ伝えた様子が無いあたり、戸を叩いた時に伝えていたのだろう。
一拍おいて、紀定も戸口をくぐった。頭を打つことも想定してすぐに身を起こさなかったが、天井は結構高い。椀を逆さにしたような空間は広く、壁には松明が燃えている。広場だけでなく他の空間も確保されているらしく、動いていた男たちがそこここで止まり視線を此方へ向けてくるが、全容を把握しきる前に、紀定の視線は広場中央へ吸い寄せられた。
「どうも。よう来てくれたな、お二人さん」
紀定と、斜め後ろに控えた志乃と相対するように、一人の男が堂々と立っている。髭が特徴的な強面だが、垂れ目がちで、人好きしそうな雰囲気も併せ持っていた。この場にいるのがいずれも粗野、動ければいいという格好をした者たちばかりなのに対し、強面の男は質素に見せかけた気品を纏ってもいる。
「またお会いしましたね、
言いながら、紀定は頭巾や口元の覆いを解き、すぐに顔を明らかにした。途端、相手方も「おお!」と相好を崩し、止まっていた周囲もどよめき空気が揺れる。
「なんや、よそよそしいがな。ボクとあんさんの仲やろ。そっちの言う通りまた会えたんやし、そないに力まんとってや」
「そういうわけにはいきませんので」
そっけない返答にも、にへらと笑いながら、小糸と呼ばれた男は鷹揚な足取りで近づいて来た。羽織や着物の生地が、歩み寄る際に時に見えた光沢の通り、上等だと目視できるまで近くに。帯に下げられ揺れる根付が、
「ん、そちらさんには初めてお会いしますね。お初にお目にかかります。ボクは小糸
「初めまして、稲葉孝信と申します。こちらこそよろしくお願いいたします」
紀定より前に出ないよう半歩ほど進み出て、志乃もまた顔を明らかにしたが、名乗るのは偽りの名前。礼の仕方も声も男を装ったものだが、福一は疑う素振りもなく、にこにこと受け入れた。笑みに隠すのが上手いだけかもしれないが。
「色護衆さんが来とるらしいっちゅうのは知っとりましたけど、紀ちゃんが来とったんや。芳ちゃん共々お偉いさんに付いて、旅しとったんとちゃうん?」
「その呼び方はやめてほしいところですが、よくご存知で。そのあたりの説明は後ほど。早速で申し訳ないのですが、小屋に待たせている者に一人つけていただけますか。この札を持っていれば合流できます」
「お、そうやったか。ほなら……うん、目ぇ合ったな、お前行ってこい」
ぐるりと周囲を見回した福一が、適当な一人に声を掛ければ、青年がすぐ返事をして洞窟へ入っていった。熊の囮を作ったものと同じ紙で作られた札も、忘れずに受け取り携えて。
「で、お仲間は何人おるん?」
「三人です。うち二人は誠吾と知俊。少数で殴り込みに来ました」
「アッハッハッハ! そりゃあええ、痛快ですわ。あんさんらはホンマにおもろいなぁ。けど、芳ちゃんはいないんか」
「その相棒ならここに」
「あれ、紀ちゃんは芳ちゃんのアニキ分やなかったっけ?」
「違います。監視役です」
出されたくない言葉が出た瞬間、紀定は被せるように断ち切る。そう呼ばれるのを聞かれたくないという元来の思いもあるが、今はやたらと紀定を兄貴判定したがる存在が斜め後ろにいるし、また鋭い視線を向けてきた気配もする。どうでもいい面倒くささはお断りだった。
「えー、せやったっけ。まあええか、ついて
根付を揺らし、羽織を翻し、福一は紀定と志乃を連れて歩き出す。避けて道を開けてくれる面々に会釈しつつ向かった先には、入り口に簾を掛けた岩室があった。
後続が来たら知らせるようにと人払いをし、福一が簾を上げて入っていく。小さな空間は、向き合って座れば膝を突き合わせられるくらいだが、あと一人は確実に入れるため余裕がある。直に地面へ敷かれた二枚の茣蓙も、座れるのは二人ずつらしい。
「先に確認しとくけど、稲葉くんは人妖兵ってことで合っとるんか」
「えっ」
唐突に指摘され、腰を下ろす三人のうち志乃が驚きで遅れた。しかし紀定は全く驚かずに正座し、「ええ」と返答を続ける。
「芳親と同格の相棒です。加えて女性です」
「あらー、それはまたえらいこっちゃ。女の子でもおかしない顔やなと思っとったら、ホンマに女の子やったか。あんさん、男の声も所作も上手いなぁ。ホンマのお名前は何ていうん?」
「……花居志乃と申します」
遅れて座りつつ声を戻して名乗ると、福一は軽い調子で「そかそか、改めてよろしゅう頼んます」と笑った。志乃と同じく笑みを多用するらしいが、空っぽな愛想笑いの志乃と違い、何を含んでいるのか分からない。同じく人妖兵である芳親と面識があるとはいえ、基本的に恐れられる妖雛を前にし、余裕を崩さない時点で只者ではないだろう。
「ま、人妖兵がおるんやったら、少数で殴り込みもできるな。前と同じっちゅうわけや」
「それより、あなた方はどうしてこんなところにいるのですか」
「ちょっと前から気になることがあったさかい、独自に探り入れとったらこうなってもうた。さっきは、色護衆さんが来はったの噂聞いただけみたいに言うたけど、情報流したのボクやしな。ここに潜り込みながら、商人に噂流して、色護衆さんにまで伝わるようにして。先月からよう働いてますわ」
明るく笑い声を立てる福一に、紀定は呆れたような、それにしては険のある顔をする。何とも言えないが気安いのは確かな空気で砕ける二人に、志乃が「あの」と男に装い直した声を挟む。
「お二人……というか、皆さんはどういうお知り合いなのでしょうか」
「芳親たちが色護衆の学問所に属していた頃、事件解決のために協力した関係です。小糸殿は先も仰っていた通り、黄都府浪輪郡にて商いをやっている方ですが、今回のように怪しい物流などをいち早く察知し、必要であれば色護衆へ報告してくれる方でもあります」
「商人には裏稼業をやっとるモンもおるからなぁ。
ほう、と。問うた志乃は納得の顔で答える。何かしらの稼業を掛け持ちしたり、治安維持を担う者に情報をくれたりする存在は、志乃にも馴染みがあった。……花街だからか、良い側の存在ではないことが多かったが。
「今、直武様と芳親とは別れて行動しております。お二人は
「ああ、稲葉くんは行けへんのやな、芳ちゃんが変わっとるだけで。せやから、ついでに別の任務やってもらおうと思ったわけか、色護衆さんは」
「どうやらそういうことのようですね。それで、この山では何が起こっているのですか、小糸殿。岩断の町から盗まれた物品が違法に売買され、賭博にも流れているというのは、間違いないのでしょう。しかも、組織的に行われている」
「間違いありませんね。ボクらも関わって実際にやりましたから、よう分かります。もちろん、違法な品はこっそり回収して、ひとまずここに隠したり、あるべき所にお返ししたりしましたけど」
「同盟関係でも結んだのですか、この山にいる組織と」
「そないなところです。綺麗な言い方をせぇへんなら、単なる利害の一致を装って、利用し合っとるだけやけど」
紀定が淡々と質問をし、福一がにこにこ答える。情報を含みながらも、さらさら流れていく会話は、傍らに控えるばかりとなった志乃もきちんと聞いていた。
「盗品が売られとる先は様々やけど、ある程度は分かっとるさかい、色護衆さんが各地へ守遣兵を行かせれば捕まえられる。物流も、根元のここを押さえてしまえば後は先細るだけや。問題は賭博の方やで」
初めて、福一から笑みが消えた。人好きしそうな朗らかさは一転、強面が威圧感のある重たい雰囲気を醸し出す。
「この山には坑道があったらしいけど、どうやら坑道自体が虚偽申告やったみたいでな。お役人さんには上手いこと誤魔化して、洞窟を広げて、ずうっと違法賭博してたらしいねん。ここも、今はボクらが使っとるけど、前は賭博で使われることもあったらしい」
「……妖怪の用心棒を雇っているようでしたので、ある程度の想定はしていましたが、やはり相当な組織のようですね」
「そうそう。用心棒がまあ揃いも揃っておっかないねん。人も妖怪もおるし、違法賭博と切っても切り離せぇへん。あいつら用心棒だけやなくて、賭博で潰し合いもやりよるからな。試合ならまだええけど、怪我すんのも死ぬんも自己責任や。強い奴しか残らへんし、そいつらが景品扱いの盗品を守っとる」
おっかないと言ってはいるが、本当に恐れているというより、目の上のたん瘤に辟易しているといった風だ。商人である以上、荒事は得意ではないのだろう。
「では、そちらは我々の領分ですね」
故にこそ、紀定たちがやって来たのだ。ずっと眼前の福一を見ていた紀定が、しばらくぶりに志乃の方を見る。
「できますね、孝信」
「えへへへ、はぁい。喧嘩は俺の得意分野ですので。頑張ったら褒めていただけますか?」
「ええ、いいですよ」
「できれば頭を撫でていただきたいのですが」
「……まあ、いいですよ」
「加えてできれば兄貴と」
「お断りだと何度言えば分かる」
何となく流れがおかしくなりそうなのは分かっていたが、油断も隙も無い。紀定が丁寧な態度も捨てて容赦なく断れば、またぺしょりと落ち込み引き下がるかと思いきや、志乃は頬を膨らませた。
「なんでですか。ここへ案内してくださった方々は紀定さんをアニキと呼んでいたじゃありませんか。つまり紀定さんの弟分ということですよね。俺は紀定さんの妹分足りえないということですか」
「弟分を作った覚えはありませんし、貴女を妹分にした覚えもありません。そもそも、どうして私をそう呼びたいのですか。貴女にとっての兄貴分は、もう故郷にいらっしゃるでしょう」
「もちろんおります。でも、
「頑ななのに加えてしつこいのはそちらでしょう。いい加減諦めなさい」
「嫌です。それに俺知ってますよ。こうして芳親のように駄々を捏ねれば、紀定さんはいずれ折れてくださるかもしれないと!」
志乃にしては妙にしつこいと思えば芳親のせいか。紀定は舌打ちをしたくなったが、それさえ喜ばれそうな気がして顰め面で済ませた。芳親がやたらと子どもっぽくなってきたのにつられて、聞き分けのいい志乃まで子どもっぽくなるなんて。成長と言えば成長なのかもしれないが、現在進行で迷惑を
「ともかく俺は紀定さんを兄貴と呼びたいんですーっ! いいじゃないですかいいじゃないですか、俺だって紀定さんのこと兄貴って呼びたあああああいいいいいいっ!」
「ええいやかましい大声を出すな! 見苦しい!」
「二人とも仲良しさんやなぁ」
すっかり置いてけぼりにされた福一が、のんびりとくつろいだ様子で言う。すっかり見世物にされてしまい、紀定はぐっと言葉に詰まったが、志乃は膨れっ面でそっぽを向いている。その様子さえ笑われてしまう始末だ。
「けどまあ、
もう気安い名前で呼べると思ったのか、紀定を兄貴と呼べない分の埋め合わせなのか、福一が取りなそうとしてくれる。呼ばせるつもりはないと言いたいところだが、それも紀定は我慢した。不毛な言い合いの繰り返しになってしまう。志乃も、いつまでもそっぽを向いていられるとは思っていないのだろう。不服そうな顔をしながらも福一を見た。
「孝ちゃん、頑張ったらって言っとったやん。頑張ってもう一回、紀ちゃんに頼んでみい。そんで断られてもうたら、また別に何か頑張って、そんとき頼んでみたらええ。紀ちゃんが優しくて、折れてくれることは分かっとるんやろ?」
「はい……」
はいじゃないが。その言葉も紀定は呑み込んだ。丸く収めるためだ。
「ほんなら二人とも仲直りやな。孝ちゃん頑張りぃや、アニキに認めてもらうんは、男だけの夢やないからな」
「はい……!」
だから、はいじゃないが。調和のために押し黙る紀定の前では、志乃は顔を輝かせ、福一は何を考えているのか分からない笑みを浮かべている。だが、確実に面白がられてはいるだろう。芳親と似たようなやり取りをした時にも、面白い云々と言われた記憶がある。
今回の件も、世のため人のため素早く解決すると意気込んでいた紀定だが、私情でも素早く解決すべき理由ができてしまった。押し込んだ言葉が消えゆく中、紀定は一人、いっそう強く決意した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます