地金を出す
「ややこしい子ぉですね、ありゃ」
宿の二階、要が取っているのとは別の部屋にて、知俊が入ってくるなり忍び声を漏らす。困ったように目を瞑ったところへ、「どちらが」と紀定が問うと、ぱっと丸い目が開いた。
「どちらが、って。要殿の方ですけど。孝信くんこと志乃ちゃんはまあ、確かに問題はあるみたいやけど、ええ子やないですか。手前の知っとる人妖兵や妖雛とは全然ちゃいますよ」
「……そうでした。貴方がたは二人とも、芳親殿の友人でしたね」
志乃がやりすぎたことは紀定も察していたが、今日が志乃と初対面の二人、そのうち片方は気にしていなかったらしい。おそらく、もう片方もそうだろう。二人と芳親の付き合いが長いように、紀定もまた付き合いが長い。知俊のことも、誠吾のことも、ある程度は分かっている。
「いややなぁ、紀定さん。手前どもと芳くんの美しい友情を忘れてまうなんて、薄情やで」
「こちらとしては、面倒事が多くて困りものでしたけれどね」
「その節はほんまにご迷惑をおかけしまして。堪忍」
ちろりと舌を出して、笑顔で軽く謝ってくる知俊に、紀定は小さなため息を吐いた。悪いと思っているだけマシである、と。
さらに、マシなことはもう一つある。本性を垣間見せても、志乃は恐れられなかった。つまり、夜蝶街や沢綿島で見せていた姿から変化しているということだ。人妖兵や妖雛のことを知っている紀定ですら恐ろしいと感じた異質さは、確実に薄まってきている。
「んで、どないするおつもりなんや、紀定さん。あの子を連れて行くことになっても、正味、役に立つとは思いまへんで。実力はあるでしょうけど、団体行動は苦手なんとちゃいますか?」
考えを寄り道させていた紀定の前へ座りつつ、知俊は声を潜めながら言う。紀定も、要に対して同じような印象を持っていた。自分の行いが他者にどう影響するのか、想像しきれていない。おそらくまだ、周囲と協力するような経験を積めていないのだろう。
要が十五歳以前であるなら、色護衆の養成所のような、同年代と否が応でも組まなければならない施設にも入っていない可能性が高い。まだ家の外を知らず、庇護されているお坊ちゃんといった気配が、警戒の下から滲み出ていたようだった。
「我々に同行することを望まれたら、守ることになるでしょう。それが役目ですから」
だが、紀定からすると、特に気にすることではない。自分たちが常に有利、万全である状況など無いし、いつでも不利を補って行動しなければならない。お荷物になりそうな人員が増える程度、なんてことはない。
「そやんなぁ。ちょっとムカつくかもしれへんけど、仕事ならきちんとせんとあきまへん。それに、孝信くんとは息を合わせられよったから、そないに苦労することも無さそうや」
「それほど連携が上手くいったのですか」
「上手くいきましたとも! 養成所時代に、芳くんと色々やったこと思い出して楽しくなっちゃいましてん。防衛やのうて攻勢って違いはありますけど、これはこれで組みがいがあるってもんです」
知俊もこの通り、割り切るところは割り切り、志乃と組むことに意欲的だ。不和や決裂が起こる可能性は低いだろう。加えて、知俊は裏方としての立ち回りも上手い。要への対応や、仲間内での連携にも大いに役立ってくれるだろう。
「そのあたりはたぶん、大丈夫ですよ。問題は、孝信くんの正体を、要殿に悟られへんよう立ち回ることやないですか?」
話題を一つ終わらせると、知俊はぐっと距離を詰め、さらに潜めた声で問うた。要が西守隊の関係者であることは、報告の後、三人にも明かされている。その瞬間から、志乃の素性を明かせないことは確定していた。いずれ明かすことにはなるが、全てが終わった後だと。
「ええ。意図しない出来事ではありましたが、幸い、要殿は孝信を恐れたと思われます。であれば、距離を置きたいと考えるはず」
「ですね。そこをさらに離しとく、と。そのお役目には手前が適任やな。人と話をするのは好きですし、それなりに得意やから」
「商家出身は、謙遜もできたものですね。もちろん、貴方だけでなく、私や誠吾の役目でもあります。そのあたりの連携も心掛けていきましょう」
紀定は毅然と言い、知俊は笑みと共に頷く。幾度となくしてきた掛け合いに、しかし、紀定は僅かな違和感を覚えた。よくよく知俊の顔を見てみると、何だか笑みが生温かく、含みがある。
「……何か、おかしなことでも?」
「んー? ふふふ。紀定さんったら、気付いていまへんなぁ。孝信くん含め、手前どものことずっと呼び捨てにしとりまっせ」
「は」
時が止まったかのように、紀定の体が固まる。そんなはずは、と思いかけたが、ついさっきの自分が証言済みだった。孝信のことも、誠吾のことも、しっかり呼び捨てにしている。
「手前どもの面倒見てくれてた頃に戻っちゃいましたん? 嬉しいなぁ、紀定さん全然変わってへんくて」
「……」
「何や、どないしましたん、凹んどるんですの? 気にせんでええやないですか、それでこそ紀定さんやで!」
静かに片手で目元を覆った紀定に、知俊はすかさず隣へ距離を詰め、バシバシと背中を叩く。投げやりに「やかましい……」と弱々しくも吐き捨てられた紀定の言葉も、知俊の笑みを深めるばかりだ。
「いやぁ、紀定さんには悪いんやけど、その話し方こそ正にって感じやから」
「やかましいゆうとるやろが……」
「あーっそれそれそれぇ! やっぱ紀定さんはそうやないと! 澄まし顔なんてしんとってや、寂しいわぁ」
とうとう肩を組んで揺らしてくる知俊に、紀定は深くため息を吐いた。整え保たせていた丁寧な態度が、ボロボロと崩れていく。崩れていくということは、丁寧な口調を用いて控える自分は、本当の自分ではないということ。それが嫌悪を誘い込み、他者を気にせず足を伸ばせるような緩さも誘い込もうとしている。
「紀定さーん、孝信です。いま少し、よろしいでしょうかぁ」
が、男を装っても暢気さは変わらない声に口調が聞こえた途端、緩さはぴしゃりと遮断される。知俊も弁えて離れたので、紀定も調子を取り戻し、「どうぞ」と平静に声を返せた。
「失礼します。先ほど、使い魔が戻ってきましたので、ご報告に参りましたぁ」
襖を開け、座したまま入ってきた孝信こと志乃は、雷吼丸の名前を出さない。志乃や雷雅の名前を出せない以上、雷吼丸の名前も、何かの拍子に綻びとなりかねないからだろう。必要以外に名前を呼ばないことで、不用意に呼びつけることを避けるというのもある。
「刀を盗んでいった男は、北西方向の山中に消えていったとのことでした。どうやら、今はもう使われていない坑道があるらしく、それが悪用されているのではないかと」
「使われなくなった坑道ですか。知俊、聞いたことは?」
「あるにはありますけど、一つ一つの詳細は不明ですね。こないなところじゃ鉱山の存在なんて当たり前やから、話に上がらへんねやと思います。こっちから聞きに回ったら、詳しい話が出て来るかもしれまへんけど、あちらさんに気付かれてまうかも」
紀定たちは既に、敵として知られているだろう。岩断内部に内通者が潜んでいる可能性もある中、拠点を絞り込むような素振りを見せれば、警戒されたり逃げられたりするかもしれない。
「おそらくですが、俺の使い魔が尾行したことも、既に気取られているかと。あちらは妖怪を用心棒として雇っているようですし、その手の気配を察知することは容易でしょう」
「ってなると、もう打って出るしかあらへんのでは? もちろん坑道の危険は承知やけど、ちゃっちゃと抑えてしもた方がええと思います。取り返さなあかん物もありますし」
「ええ。ここは、迅速に動いた方が良さそうです。幸いこちらは少数、機動には長けていますし、戦力もある。一気に間合いを詰めて叩く、この方向で計画を立てましょう」
普段であれば、もう少し情報を集めてから動きたいところだが、紀定たちには強攻策をとれるだけの戦力がある。多勢に単騎で勝算が見込める志乃という突出した戦力もさることながら、中枢十三家に連なる紀定、巧みな連携もできる誠吾に知俊と、実力は申し分ない。経験不足が窺えるお坊ちゃんを抱えていても、何とか補えるだろう。
「……ところで、紀定さん。とても関係ない質問が浮かんだので、今のうちに消化させていただきたいのですが」
「何でしょう」
「俺のことを呼び捨てにしていただいているのは、もう、その必要が無くなったからでしょうか」
真面目で追いやっていた問題が、角度を変えて切り込んできた。紀定の喉奥で、声にならない声が、くぐもった音を立てながら潰れる。隣では知俊が顔を逸らし、笑いをこらえていた。完全に面白がられている。
男二人がそれぞれ悶絶している前で、質問を投げかけた志乃と言えば、無垢な期待を仄かに浮かべて紀定を見ていた。何一つ悪意が無い。だからこそ返しづらい。芳親相手に幾度となく味わってきた感覚を、再び味わわされる羽目になるとは。理不尽への文句が渦巻く中を掻き分け、水上に顔を出した気分で、紀定は言葉を継ぐ。
「恥ずかしながら。知俊や誠吾のことを呼び捨てにし続けていた期間が長かったので、二人のことを呼び捨てにしているうちに、流れでそうなってしまいました」
「なるほどぉ。俺としては、呼び捨てにされることは嬉しいことですので、お気になさらず。むしろこのままでお願いします。あわよくば、俺も紀定さんを兄貴と」
「それはやめてください」
紀定が即座に止めるのと同時に、「ぶふぉ」と知俊が抑えきれなかった笑いを漏らす。沢綿島へ行く際、初めて顔を合わせた時にも言われて許可しなかったが、まだ諦めていなかったとは。笑顔をぺしょりと
「うーん、仕方がないですねぇ。芳親のような基準を用いるなら、紀定さんを兄貴と呼ばせていただけるようになれば、もっと仲良くなれるかと思ったのですが」
「良い影響なのかもしれませんが、その基準は採用しないでいただきたい。誰にでも通じるものではありませんので」
「それもそうですね。でも、紀定さんと仲良くなれた気がするのは本当ですので、呼び捨ては続行していただければ」
素直に引き下がり、えへへと笑う志乃だが、紀定を兄貴と呼ぶことを諦めたかどうかは分からない。物分かりが良さそうに見えて、時に、妙に強情、それもまた志乃の一部なのかもしれなかった。「妙」に引っかかってしまった紀定からすれば、迷惑な話なのだが。
「……で、貴方はいつまで笑っているのですか、知俊」
「んぐっふふ、ほんま、すんまへん。けど、カッコつけなくてもええやないですか。せっかく仲良うなりたいって言うとるんやし」
知俊の意見は正しいと思いつつ、紀定としては頷けなかった。紀定にも、貫き通すと決めたことがある。要のことをとやかく言えない
「呼び方についてはもういいでしょう。孝信、誠吾を呼んできてください。作戦会議を行います」
「はぁい。使い魔も呼びますか。一応、姿を保たせたまま、部屋で待たせているのですが」
「では、そちらも。なるべく情報を提供してもらいたいですからね」
きっぱりと冷静を取り戻せば、知俊も笑いを収める。一度、退室する志乃を見送ったのち、紀定は知俊に地図を広げさせた。岩断とその周辺が大まかに記載された地図は、知俊と誠吾が岩断にやって来て間もなく、岩断の自警団から渡されたものだ。信憑性を確かめるため、二人が実際に見聞した情報も書き込まれている。
「北西っちゅうとこっち側やけど、もっと深いところかもしれませんね。ちょっと行ったくらいじゃ、使われとらへん坑道は見つけられませんでしたから」
「しかし、かつて使われていた道であれば、洞穴だけにあるとは限りません。そこまで行くために使われていた道の痕跡も、もしかしたら」
「ですね。その情報も出るとええんですが」
二人が話し合ううちに、志乃の軽い足音と、制限された誠吾の足音が聞こえてくる。要の刀を取り返すためにも、移動するだけで窮屈な思いをしてしまう誠吾のためにも、話し合いもまた素早く纏め上げなければならなさそうだった。
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