打てば響く

 報告は無事に終わり、後は志乃の使い魔こと、雷吼丸が戻ってくるのを待つばかりとなった。待つ場所は即ち、このまま泊る場所にもなる。

 今日、岩断に来たばかりの紀定と志乃は宿を探してもいなかったため、要と同じ宿に泊まることとなった。しばらく手伝っていた店の居候として置いてもらっていた、誠吾と知俊も同じように。小さく狭い宿は、たちまち全室が埋まってしまう羽目になってしまったが、家主である老婆や働き手の人々は気にしていないようで、当たり障りなく受け入れてくれた。

 大柄な誠吾と、要を怖がらせた志乃は一階に。要を見張る役目も兼ねて、紀定と知俊は二階に。旅装を解かずにやって来た志乃と紀定は早々に荷解きを始め、知俊と誠吾は一旦、自分たちの荷物を取りに出ていった。そう距離は離れていないため、二人ともすぐに戻るだろう。


 まだ夕暮れの気配はなく、しんと静まり返った一室にて、旅装を解いた志乃はぐんと伸びをする。換気と、雷吼丸が来た時に分かるよう少しだけ開けておいた窓からは、遠い雑踏が聞こえていた。熱のこもった風が吹き溜まり、薄っすらと暑さを刷いて消えるようだが、汗が噴き出すほどの暑さは感じない。

 静寂に包まれた中、志乃の脳裏に、先の発言が残響をもたらし始めた。傷つけ合い、殺し合うことを至上の喜びとする。変えることのできない本性、言わずともいずれ察知される本性を、初めて会ったばかりの面々はどう受け取ったのだろう。芳親の友人とはいえ、接するに難ありと思われてしまっただろうか。そうなれば不和の原因が生まれ、紀定にも迷惑が掛かるかもしれない。


「おう孝の字! 入るぞ!」


 取り留めもなく思っていたら、当事者の片方がすぱんと襖を開けて入ってきた。志乃が振り返れば、満面の笑顔を困り顔に変えて、窮屈そうに身を縮めて入る誠吾の姿が見える。


「仕方のないこととは言え、やはり面倒だな。だが、大いなる恵みには欠点も付き物だ。甘んじて受け入れる他無いんだよなぁ」

「……俺も、とても体格が良い方を存じていますが、その方も受け入れるしかないとおっしゃっていましたねぇ」

「ほう。おれよりも大きい奴か?」


 どうでしょう、と志乃が笑う間に、誠吾は何とか部屋に入ってきた。座ってもやはり窮屈そうに縮こまっているが、その姿はどこか面白みを滲ませてもいる。


「この通り大きいと、寝るだけでも場所を取ってしまってな。こうして部屋に入ってきたはいいが、吾はここから続いている部屋を跨いで寝ようと思う。構わないか」

「大丈夫ですよぉ。俺は特に気にしませんので」

「そうか。……性別のこともあるから、気をつけた方がいいかと思ってな」


 さらに身を屈め、口の横に手を当てながら言う誠吾は、まるで兎相手に内緒話をする熊のようだ。おとぎ話めいた想像にも頬を緩めつつ、志乃は「お気になさらず」と、片手に握りこぶしを作って持ち上げた。


「大鰐さんに気の迷いが生じましたら、この通り、拳をお贈りいたしますので」

「ははは、逞しいなぁ! それと、呼び方なら誠吾で、呼び捨てで構わんぞ。歳は同じくらいだろうし、敬称はあんまりなぁ」

「では、誠吾とお呼びしますねぇ」


 えへへ、にひひ、と笑い合う二人は、もう打ち解けてしまったように見える。が、志乃の方には凝りが残っていた。新しい人と仲を深めるたび、避けては通れない芯の一部が、心臓の裏で訴えを繰り出す時を待ち構えている。


「……ところで、一つお尋ねしても?」

「おう、なんだ」

「誠吾たちは、俺を恐ろしいと思いましたか」


 拍動一つで押し出され、転げ落ちた問いかけは、ころころ誠吾の足元へ向かう。暗さ、深刻さを払拭して、軽やかな響きで送り出した問いに、返答はすぐに落ちてきた。


「恐ろしさはあるんだろうと思ったが、そこまででは無かったな。むしろ、お前はあれできちんと抑えている方だろう」


 何てことのない、淡々とした声色が、志乃の懐へ放られる。「芳の字と同じだ」と追加の笑みもまた、気軽に放り投げられ寄越された。


「深く関わることはないが、吾や知の字でも、人妖兵という存在は見たことがある。話しているのも聞いたことがある。けど、あの手合いと、お前や芳の字は違っているんだ。お前たちからは、人間への憎しみを感じない」

「憎しみ、ですか」

「おう。他所の事情を口にするのは無粋だが、人妖兵、つまり妖雛ってのは、妖怪にも人間にも恨みや憎しみを抱いていることがほとんどらしい。片方からは人生を狂わされ、片方からは爪弾きにされるわけだからな」


 曇ることのなさそうな、異国の色彩を纏った誠吾の顔が、初めて翳りを見せた。夏の日向と日陰がきっぱり分かれているのと同じで、誠吾の表情も、心側の模様を克明に浮かび上がらせる。


「そういうわけで、人妖兵は大抵、人間も妖怪も敵視している。色護衆に入っても……いや、色護衆に入ればなおさら、だな。加えて、本拠地の洛都では、妖雛は特に恐れられている。心を許せるような相手は得られにくいらしい」


 そういえば、と、志乃の記憶が色を持つ。辻川は上洛に対して否定的で、直武がいるならと志乃を送り出した。色護衆へ入る前に行った〈解放の儀〉では、失敗は落命に繋がる可能性を説かれた。色護衆は人妖兵を道具としか思っていない場所だと言われてもいたし、志乃は別に、それでも構わないと思っていた。……今は、考えを改めつつあるけれど。

 ともかく。妖雛あるいは人妖兵、すなわち半人半妖にとって、洛都や色護衆という場所は心安らげる場所ではない。安らぐような心があるかも不確かな化け物が、組織という檻や枷で縛られ、物の怪という脅威を打ち払うために飼われる。そういう場所だと聞かされていた。それがたとえ、どうでもいいことだとしか感じられなくても、何度も念を押されるように。

 志乃もまた、顔に影が差すような気分になっていたが、先に誠吾が雲を払った。戻ってきた笑みを受ければ、志乃に及びかけた雲も退散していく。


「けど、お前や芳の字ときたら、すーぐ人と親しくなる。芳の字はちっと難ありだったが、お前は別格だ、孝の字。人に恵まれたのだとよく分かる。お前は、誰かのことを考えられる、そういう余裕を作れる奴だ。だから本性がどうあれ、信じるに値する」


 信じる。これまでにも向けられてきた言葉だが、志乃の胸裏を最も冷やす言葉だ。今も、志乃が常備する笑みを引きつらせる。喉奥に氷が広がり、発声の震えを邪魔してくる。


「それ、は、どうでしょう。せっかくいただいた信用に傷をつけるのもなんですが、俺は今までに、多くの期待を裏切ってきて……」

「そうなのか。それは取り返しがいがあるなぁ!」

「取り返しがいが、ある」


 未知の言葉を聞いたかのように繰り返して、きょとん、と、志乃は目を見開いた。予想外の言葉すぎて、何故そんな言葉が出てきたのか分からなすぎて、なかなか理解が追いつかない。

 呆然としてしまっている志乃をよそに、誠吾は明るく笑っている。「だってそうだろう」と続けられるが、志乃の首は頷くのではなく、傾く方へ動こうとしている。


「裏切ったことを気にしない人間は、そもそも裏切りを重大だと考えないし、すぐ忘れる。だが孝の字、お前はずっと気にしているんだろう。それは、挽回したいからじゃないのか」

「挽、回」

「おう。名誉挽回、汚名返上。新しい成果を挙げることで、名誉を回復し、汚名を綺麗に上塗りする。変えられないことや捨てられないものがあるとしても、吾たちは日々前進し、変わっていくんだ。生きていれば、取り返す好機などいくらでもある」


 堂々と胸を張り、言い切ってみせる誠吾は、妙な力強さを纏ってさえいるようだった。傾げつつあった志乃の首が、頷きに動きを切り替えそうなほどに。

 巨躯、声、表情、全てに明るさと力を宿した誠吾は、屋内に縮こまっているのが不自然なほど大きく眩しく思えてくる。志乃が知っている範囲では晴成に近いが、まだ柔らかさが感じられる晴成と違い、ちょうど今頃、夏の晴れやかな昼間を彷彿とさせる熱があった。それでいて、空気を籠らせないよう吹き抜ける風のような気配もあった。


「……そう、なのでしょうか」

「ん? 好機がいくらでもあることか? あるだろう、山のように。毎日いつでもどこにでも、好機なんてものは転がっていると思うぞ。思い立って、そのうち一つを拾い上げて上手くいけば、好機を掴んで成功したことになるだろう」


 か細く憂いを零しても、すぐさま払拭されてしまう。梅雨さえ吹き飛ばしていそうな雰囲気に、志乃はただ、圧倒されるしかなかった。それと同時に、腑に落ちてもいた。芳親が会いたがる友人なだけあると。


「……誠吾は、すごいのですね」

「すごいか? 特にこう、有難みのあることは言わなかったと思うんだが」

「俺にとっては初めて触れる知見でした。ありがとうございます」


 納得いっていない様子で首を捻る誠吾に、志乃はにっこりと笑って言い切る。本心からの礼だとはすぐに伝わって、誠吾もそれなら良しと片付けたようだった。


「役に立ったなら何よりだ。あ、そうそう。全く話が変わるんだが、こちらも訊きたいことがあるんだ」

「何でしょう。俺に答えられることだと良いのですが」

「むしろお前に答えてもらえないと困る。……今はつい、流れで孝の字と呼んでしまっているが、そう呼んでいいのか。あと、元の名前で呼ぶ時は花の字と呼んでも?」


 再び身を屈めて声を潜め、重大な話でも切り出しそうな雰囲気で繰り出された問いは、何てことのない些細なもの。思わず志乃は目を丸くし、次いで噴き出し笑い出した。


「そんな、深刻そうな顔で訊くことでしょうか、それ」

「いやなぁ、あんまり上品な呼び方じゃないだろう。吾はそういう品位云々と縁遠いが、もしかしたら嫌かと思って」

「全然そんなことありませんよぉ。常であれば下の名前の方が呼ばれ慣れていると言うところですが、名字の方で呼ばれるのも悪くないものです。意味合いとしては、夜蝶の志乃と呼ばれるのと大差ありませんからねぇ」


 元々、花居という名字は「花街に居る」というそのままの意味。志乃にとっての花街である夜蝶街を含めて呼ばれるのなら、それは良いことのように思えた。


「では、考の字、花の字と呼ばせてもらおう。知の字共々、これからよろしく頼む」

「はぁい、こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 差し出された誠吾の大きな手に、志乃も手を差し出す。男を装うには華奢な手だが、誠吾の前では誰の手でも華奢に見えそうで、まるで気にならなかった。


「……お。戻ってきたみたいです」


 笑みで細めていた目を丸くして、志乃は開けておいた窓を見る。握手を済ませた手がほどけるのと同時に、窓外に光が瞬いたかと思えば、室内へ入ってきた。

 ぱち、ばちりと音が弾け、薄金の姿が現れる。これまでは音もなく現れていたのに、わざわざ存在を知らせるように入ってくるあたり、気を遣っているのかもしれない。人形めいた少年の無表情からは、そんな素振りを見せそうな気配は感じ取れないが。


「ただいま戻りました、志乃様」

「あっ、今は孝信と呼んでください」

「承知いたしました、孝信様。追跡の結果をご報告いたします」


 挟まった指示にも淡々と応じながら、雷吼丸は仕事をこなす。相変わらず名乗らなかったが、誠吾は気にしていないらしく、志乃と一緒に聞く態勢を取っていた。


「箱を持っていった人間は、北西の方角に向かい、山奥の洞穴に入っていきました。人の手が加わっていた痕跡があったことから、かつては坑道として使用されていたものと推測されます」

「ほう。そのまま追いかけなかったのは、何らかの結界が施されていたからか?」


 誠吾の問いかけに、雷吼丸は答えない。怪訝な顔をした誠吾に、志乃も同じく首を傾げそうになったが、すぐに気づいた。雷吼丸は、志乃以外の指示を聞かないのだ。


「すみません、誠吾。おそらく俺にしか応答しないようになっているのだと思います」

「はい。それがしがお仕えしているのは、孝信様だけですので」

「なるほど、忠義者か。使い魔としては最高の出来というわけだ。すごいな孝の字」

「いえ、俺の功績ではないので……」


 とりあえず、誠吾が不愉快に思わなかったのならいいのだが、志乃は緊張を強いられることとなった。良く言えば確かに忠義者なのだろうが、それで志乃以外への態度が見逃されはしないだろう。誠吾の心が広いから、当たり障りなく流してもらえただけだ。

 これからは志乃が、雷吼丸を教育しなければならないのだろう。荷の重さを感じつつ、今はそれより優先すべきことがある。


「個人的な話は後回しですね。雷吼丸、続けてください」


 促せば、雷吼丸も「はい」と口を開く。誠吾や知俊とは上手くいきそうだが、雷吼丸との関係構築は、前途多難の気配が漂っていた。

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