隔たり

 追跡を志乃たちに任せた紀定は、朱泉府の名家出身だという子どもを連れ、泊っているという宿へと案内させていた。最初こそ、子どもは警戒の素振りを見せていたが、人目を指摘すれば渋々ながらも従った。

 ほとんど無言で二人が向かった先は、狭い路地にひっそりと入り口を構えていた宿屋。長屋の民家と見間違えそうな宿屋は、ずいぶん人気が少なかった。受付に座っていた老婆も、子どもと紀定を一瞥して会釈をするだけで、あまり商売っ気を感じられない。だが、紀定が使いを出してほしいと頼めばすぐに応じてくれたため、対応が悪いわけではなさそうだ。使いに任せたのはもちろん、志乃たちへの居場所伝達である。


 どうやってこんな宿を見つけたのかはさておき、子どもはとにかく素性を隠したいらしい。それにしては迂闊が過ぎるようだが、未熟だからと思われる。廊下を進み階段を上る小さな背を観察しつつ、紀定は胸中に呆れが広がり、それを複雑さが追い抜いていくのを感じ取っていた。子どもの無謀と、それを許さない名家という枠組みの軋み。幾度となく見聞きして、自分も体感してきたことではあるが、やはり良い気分にはならない。

 無音の観察を終えれば、子どもが泊っている部屋に到着。窓を開けても隣家の壁しか見えない部屋は、質素の一言に尽きた。日差しが遮られているため、なおのこと見窄らしく見えてくる。


「……では、名乗りましょうか。私は産形紀定と申します。色護衆は四大補佐家が一角、産形家の者です」


 後ろ手に戸を閉めつつ、紀定は自らの素性を明かした。子どもは開けた窓の近く、紀定から距離を取り、じっと口を引き結んでいる。少し表情が強張っているのは、紀定が家名を明かしたからか、色護衆関係者であることを明かしたからか。なんにせよ、まずいと思っているのは確かだろう。そういう顔をしているというか、顔に思惑が透けて見えすぎる。


「我々の目的は、岩断周辺での窃盗や盗品売買、それらを景品とした違法賭博の調査と取り締まりを行うこと。西守隊関係者の方がいるという連絡は入っていなかったため、貴殿には事情を説明していただきたく」

「……何故、私が西守隊の人間だと分かった」

「着物の形状が独特、というだけなら早計でしたが、貴殿が顔と沈黙で話してくださったようなものですよ」


 流れに逆らうような問い返しに、紀定は無表情で答えたが、問うた子どもは唇を噛んでいる。幼い顔は悔恨一色に染まっており、もう答えてもらったようなものだった。あくまで「らしき」だったのに、本人が証明してしまった。


「して、貴殿はどうしてここへ?」


 ついでに何故、まんまと騙されていたのかも訊きたいところではあるが、直球に問うほど紀定は非情ではない。子どもは子どもで自分がしたことの暗愚を分かっているだろうし、それを見られたという羞恥もあるだろうから、過ぎた掘り下げで傷つけるわけにはいかなかった。


「……刀を、買いに来た」


 紀定と目を合わせたり、視線を逸らしたりしながら、子どもが小声で答える。まだ警戒されているらしいが、とりあえず、応じてくれはするらしい。


「刀、ですか。身一つで朱泉府から離れて、わざわざ藍山府まで来なければいけない理由でもあったので?」

「それは……」


 口ごもりながら、子どもは歪めた顔を逸らす。空気の軋みを感じ取りつつ、紀定は少し戸口から離れ、座り込んだ。動く気配にびくりと反応した子どもだが、紀定が無理に距離を詰めようとしたわけではないらしいと察してか、そこまで怯えるような素振りは見せない。


「詳細が答えられないのであれば、一つだけ。貴殿は、家からの命でここへ来たのですか」

「いや……それは違う。そもそも、我が一族は武器を買い求めるような性質ではない」

「では、刀を依り代などに用いることもない、と」

「あ、ああ、そうだ。よく知っているな」


 この程度は誰でも、という返しを呑み込んで、紀定は「恐縮です」と控えめな返答を出す。紀定の見立てだと、おそらくこの子どもは家柄や誇りに対する意識が強い。そこを傷つけることはもちろん、掠めるようなことがあれば、また距離を取られてしまいそうな予感があった。野良猫を手なずけるような慎重さが要りそうだが、地固めは着実にできている、はず。


「も、申し遅れたが。私はかなめという」


 証拠のように、やっと名前が知れた。下の名前だけで、偽名かもしれないが、名字を言いたくないのは確かだろう。己の行動で、家名に泥を塗りたくないからだろうか。ともかく、呼べる名を名乗ってくれただけ前進はしていると、紀定は気にしないことにした。


「教えていただき、ありがとうございます、要殿」

「名乗りに返さないのは礼儀に反するからな」


 刺々しさは抜けきらないが、少しは歩み寄ってくれそうだ。紀定は密かに息を吐く。他の面々が合流しても、口を噤まずにいてほしいものだ。

 その面々がそろそろ到着する頃合いかと思いが過ったところへ、鍛えられた聴覚が複数人の足音と話し声を拾う。軽い足音が二つ、重い足音が一つ。間違いなく志乃たちだ。予想通り足音は部屋の前で止まり、「失礼しますー」と西の訛りが顕著な知俊の声が先行してきた。


「紀定さん、おられますか」

「ええ。入室は少しお待ちを。……要殿、私と同じく色護衆の者です。入らせてもよろしいですか」

「ああ、許す」


 身だしなみや姿勢を整え直してから、要は毅然と応じた。尊大な態度に隠して、壁も強固に作り直されてしまったようだが、あちらも余裕を確保できたらしい。それくらいの余裕が無いと、おそらく困る。

 目線を受け、紀定は立ち上がり襖を開けた。知っての通り、廊下には待っていた三人がいたのだが。


「……何をしているんですか、貴方がた」


 一気に呆れで崩れた紀定の顔と、見上げる三人の固まった笑顔が合う。出会って間もない若者三人はしゃがみ込んで、握り込んだり指を出したりした手を出し合っていた。石拳じゃんけんの途中で見つかったという風体というか、まさにそうとしか見えない。


「おお、紀定殿。順序決めをしていたんだ」

「順序決め?」

「はい。部屋に入ったら自己紹介の必要があるかと考えまして。誰が先にやるか決めておこうと」


 誠吾と志乃は変わらぬ明るい笑顔で話し出すが、知俊は若干、まずかったかと顔を引きつらせている。まずくはない。まずくはないのだが、紀定としては人の苦労も知らないでという気になってしまう。言及するほどの苦労でもないので、呆れ顔で済ませているだけ。


「……。入ってください」


 出かかったため息を呑み込み、表情を立て直しつつ、三人を部屋に入れる。志乃と知俊が入った時こそ微動だにしていなかった要だが、さすがに誠吾が入ってくると驚きを隠せなかったらしく、目を見開いていた。


「岩断での任務をこなす面々です。以後お見知りおきを」


 紀定が手で示したのちに、知俊、誠吾、志乃の順で名乗りが挙げられる。志乃は男を装った声に偽名――今度は稲葉いなばという名字付き――だが。それに返された名乗りは「要だ」と簡素な物だったものの、三人もそれなりに察したのだろう、追及するような態度は見せなかった。


「では、早速。追跡の結果を報告していただけますか」

「ああ。要殿を騙していた男は確保して、岩断側の警邏けいらに引き渡したのだが、刀の方は別の者に渡されて持ち去られてしまった」

「何だと!?」


 誠吾が言い終わらないうちに、早くも冷静を欠いた要がかっと目を見開いて叫び、立ち上がろうとする。そこに「すみません」と、志乃の苦笑と声が被さった。


「相手側の護衛をしているという妖怪に阻まれてしまい、予想通りの連携ができず、取り逃してしまいました。ですが、俺の使い魔が追跡を続行してくれているので、刀がどこへ行ったかは判明すると思います」

「……稲葉孝信と言ったな。お前がしくじったのか」

「うーん、俺は確かにしくじりましたが、巻き返すための布石を打つことはできたかと」


 ぎろり、敵意と取れるほどの鋭い睨みを向ける要に、のほほんと笑う志乃。すれ違っていることと、要が感情を抑えきれていないのは明白だ。「お待ちを」と、紀定が介入せざるを得ない。


「孝信が申した通り、追跡は続いています。まだ、刀を取り返せないわけではありません」

「ふん、どうだか。そっちの二人と違って、こいつはへらへら笑っている。真面目に取り組むとは思えん」


 紀定の制止もむなしく、要は立ち上がって志乃に詰め寄り、しかつらで見下ろした。要の横顔には、様々な根源から成る怒気の混ざり合いを感じ取れるのに対し、志乃の笑みは清々しいほどに空っぽ。その差が隔たりを大きくしてしまう。


「なぜ笑う。何がおかしい」

「笑うのは俺の常ですので。おかしいなどとは思っておりませんよぉ。俺には、そういうことは分かりません。俺にとって至上の喜びに当たることは、誰かと互いに傷つけ合い、殺し合うことです」


 笑いながら言ってのける志乃に、要が面食らったように、少し仰け反った。横顔に窺えた怒気は、恐れが混じったことで削がれている。それを分かっているのかいないのか、志乃は笑みを深めた。


「どうかご心配なく。化け物の性を持ってはいますが、俺は人に言われたことをできる限り守りますし、遂行します。要殿の刀も、必ず取り戻してみせますよぉ」


 えへへ、と笑い声を零す志乃に、早くも要は呑まれてしまったらしい。幼さの残る横顔を染めるのは恐怖一色となり、足は後ずさりの瀬戸際をさ迷いながらも固まってしまっていた。

 少女の声で言われるのも恐ろしいが、男を装った低めの声で言われると、凄むような響きがあって恐ろしい。そうやって他人事のように思うのは、この中で最も志乃の発言に慣れている紀定くらいだ。故に、改めて止めるのも紀定の役目。


「要殿、お座りになられては」


 立って肩に手を置いてやれば、びくりとした震えから、要は動きを取り戻す。気まずそうに、この場の誰からも目線を逸らして座り直す姿を、志乃だけがにこにこと見守っていた。


「孝信の言う通り、要殿の刀は取り返します。我々を信じていただきたい」


 要の隣に座り、紀定は顔を覗き込みながら言う。じっと、目を逸らさずに。その視線に押し負けたのか、後ろめたさが大きくなったのか、要は苦虫を噛み潰したような顔を背けた。が、「分かった」と応じる声がすぐに零れ、心を閉ざしたわけではないことも明らかにしていた。

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