円滑

 確認と報告を終えた後、四人はひとまず偵察を開始した。窃盗を行う人間がいるかどうか、西守隊にしもりたいの人間が来ているのか。後者は本当に来ていたとして、何のために岩断へやって来ているのか。知らなければならないことは数多ある。

 中でも注意すべきは、元より報告が上がっていた盗賊でなく、色護衆側の存在。色護衆常駐部隊、朱泉常守隊しゅせんじょうしゅたい、西守隊と、いずれの呼称でも朱泉府の重点的な守護が役目と示す場所に属しているかもしれない人物。先行して任務に付いている守遣兵、人妖兵に何の報せもなくやって来るなどあり得ない人物だ。

 上役がお忍びでやって来ているとしても、必ず関係者に報せが入る。故に、知俊かずとしが見かけた西守隊らしき人物は、偽物の可能性を含んでいるのだ。偽物だったとすれば、西守隊を装う目的は、悪評の流布など色護衆にとって不利益なものかもしれない。


「ところで紀定さん。西守隊の方というのは、一目で分かる特徴などがあるのでしょうか」


 既に男を装った声で、孝信たかのぶと名を偽る志乃は、隣に座る紀定へ問いかけた。平穏な通りに面した、こぢんまりとした茶屋の前。知俊が西守隊らしき人物を見た場所、その人物が入っていったという店の近くを、二手に分かれた色護衆四名が見張っている。


「ええ。西守隊の方には、所属を示す色の組み合わせこそありませんが、異国の要素が混じった装いをしています。形は着物と袴ですが、少しゆったりしていますね。それから、赤い帯紐を始めとした、赤いものを身に纏っています」

「へえぇ、赤色を好まれるのですねぇ。それなら、この毛氈もうせんなどもお好きなのでしょうか」

「そういうことではありません。赤い物を身につけることは、代々受け継がれてきたという魔除けの形です。朱泉府の守護を担っているから、赤を身につけるという側面もあるらしいですがね」


 腰掛けた長椅子の毛氈を撫でる志乃に、紀定は呆れ気味の視線を向けながら解説する。それぞれ頼んだ茶はとっくに飲み終わり、追加を頼む気もない。すぐ動けるよう支払いも済ませてある。後は店から西守隊らしき人間が出てくるのを待つだけだ。

 視線を適度に逸らしながら、志乃と紀定は交互に店を見張る。程なくして、目当てと思わしき二人連れが出てきた。片方は大人の男だが、もう片方は子どもに見える。加えて、子どもの方は色こそ地味なものの、形状は明らかにゆったりとした衣服を纏っていた。頭巾を被っているため髪は靡かないが、布は歩く度にひらひら、ふわふわと波打っている。

 子どもは志乃たちに背を向けていたため、大人の方が顔までよく分かり、何やら箱を抱えているのも見えた。小綺麗な格好をしているが、薄っぺらい笑顔や、箱を片手に身振り手振りを交えて話す姿がどうにも胡散臭い。誠吾たちの報告にあった通り、言葉巧みに誘導して、高い品を買わせた後のように見えなくもない。


「紀定さん」

「……、合図が出ました。行きましょう」


 皆まで言わずとも、視線の応酬で理解できる。別の場所、より店に近い建物の陰に潜伏した誠吾と知俊からの合図を確認し、紀定と志乃は席を立った。どちらも笠を目深に被り直し、ちぐはぐな二人組に歩み寄っていく。

 大人の男は語りに夢中なようで、周囲から遠巻きにされつつあること、疑いの視線を向けられていることに気付いていない。子どもも男を見上げたまま、素直に話を聞いている。子どものように背が低い大人ならともかく、本当に子どもだったら大金の出所が謎になってくるが、西守隊関係者なら不思議ではない。あちらにも高名な家系は存在しているのだから。


「――名品はすぐ誰かに買われてしまいます。良い品を手に入れたいなら、すぐ動かなければ。刀に茶碗と来て、次は何を購入なさいますか?」

「そう焦らせるな。こういう買い物はじっくり考えて進めるもの。浮足立っては売る側の思うつぼになる」

「はっ、その通り。失礼いたしました。若様の審美眼に感服するあまり、浮き立ってしまっておりました」

「なに、それも仕方のないこと。一級品に囲まれてきた私の目は肥えているから、君のような庶民からしたら、膨大な品数から真正を見つけ出す様が奇術のように見えてしまうのだろう」


 すれ違うまで間もなくというところで、大人と子ども、というよりもう詐欺師とカモの会話が明瞭に聞こえてくる。こっそり志乃が紀定の羽織を引っ張り、紀定も小さな首肯を返した。探している対象ではなかったとしても、これは止めなければならない。


「失礼、少しよろしいでしょうか」

「え? ああ、何でしょう。もしかして目当ての通りに出られなくなりましたか?」


 少し笠を上げて尋ねた紀定に、男はすぐに応じた。戸惑いはあるようだが、こちらを警戒するまでには至っていない。


「いえ、お尋ねしたいことは、いま岩断で増えているという盗賊に関して。我々も良い品を求めて旅をしてきたのですが、賊が巧妙に品を盗んでいくと噂を聞いたものですから。何でも、騙す相手に高価な品を買わせ、後から盗むのだとか」

「その詐欺については、私も承知しているぞ」


 男の警戒を引き上げるかと思われた質問に、答える声は下から出てきた。紀定も志乃も見てみれば、頭巾を被った小生意気な顔と視線が合う。


「だが、被害に遭っているのは素人ばかりというではないか。私の目利きは確かなのだから、何も問題ない」


 明らかに子どもといった顔から繰り出されるのは、背を伸ばして胸を張っているのが透けて見えるような口調。ついでに抱えていそうな問題も透けて見えるが、無闇に刺激するわけにもいかず、紀定は微笑の裏で流しておいた。


「そうでしたか。ところで、貴殿はどうやって高価な品を購入なさったのでしょう。失礼ながら、大金を持ち歩けるような姿ではないと思いまして」

「構わない。そう思っても無理はないからな。だが、私はこれでもれっきとした名家の出。一級品を購入できる金は持っている」

「なるほど。しかし、私はあまり、貴殿のような方を見た覚えがありませんね。高名な家の方々とは、何かと接する機会があるのですが」

「ふ。どれほど接してきたかは知らないが、都から出たこともない程度なら、私の顔を見ることさえできないだろう。忍んできているから名乗りはしないが……」

「朱泉府出身の名家だから、ですか?」


 続けざまに掛け合わされていた会話が、ぱたり、止まる。用意していたのだろう言葉が呑まれる微動、見張った目に驚きが滲む様までもが、幼さの残る顔へ見事に浮かんでいた。

 図星を突かれたと、全身から困惑や焦燥を滲ませ始める子どもの視線は、すっかり紀定に釘付けとなっている。惹きつけたそれを受け止めながら、紀定は会話の外へ追いやり置き去った男の気配が離れつつあることも察知していた。あちらもあちらで、離脱すべきと判断したらしい。


「どうなさったのですかぁ、お兄さん」


 もちろん、逃がすつもりなど毛頭ない。動かない紀定に代わって、志乃が男の退路を塞ぐ。暢気な口調は男を装う声でもそのままだが、低い分、威圧感が増していた。


「お話はまだ終わっていませんよぉ。貴方は質問に答えていませんよね。何か、ご存知ではありませんかぁ、岩断で頻発している詐欺と窃盗について」


 言い終わらないうちに、男は片手に握り締めた何かを地面へ叩きつけた。たちまち煙が一帯を覆い尽くすが、「追え!」と紀定の指示が飛び、志乃は迷いなく駆け出した。


「こっちだ!」


 間もなく視界が晴れるところで、煙の外にいた誠吾せいごの声に呼ばれ、志乃は入り組んだ路地の方へ走る。抜群に目立つ広い背と赤毛をすぐに見つけて追いつき、今日顔を合わせたばかりの三人は、誰も遅れず逃亡者を追いかけた。

 翻弄するように、箱を抱えた男は見つけ次第に角を曲がっていくが、三人は苦も無く食らいついていく。距離は徐々に縮まっていくが、男は道端に積まれていた箱や桶を殴り倒し、三人を阻もうとした。それも軽々と回避あるいは突破するが、少なからず距離は空いてしまう。


「くっそ、このままじゃ逃げられるかもしれへん。なんぞええ案ないか、二人とも!」

「俺一人でなら、屋根を走って先回りできるかもしれません」

「ほんまか! よっしゃ頼んだで志、やあらへん孝信くん!」

「その前に足場をいただけるとありがたいです! 良い感じのところが見当たらなくて」

「それなら吾が作ろう、いけるか」

「お願いします!」


 よし、と誠吾が一足先に前へ抜け出し、腰を落として手のひらを上に、腹の前で組み合わせる。志乃が助走をつけ、重なった手のひらに片足を掛けると、ぐんと上へ投げ上げられた。

 助走と跳躍の勢いを殺さず、着地を屋根上での疾走へ繋げる。下の路地では男が変わらず逃げているが、上に志乃がいることには気づいていないらしい。視界が開けたことも相まって、志乃はぐんぐん男との距離を詰めた。次に角を曲がって一瞬でも失速すれば、上から逃げ道を潰せる。


「――ッ!」


 いつ、獲物が隙を見せるか。狙いを定めていた志乃だったが、鋭い気配を感じ、弾かれたように顔を上げた。誰もいるはずがない屋根の道に、すらりと細い人影が立ち塞がっている。

 襤褸ぼろになりつつある着流しを纏い、浪人笠で顔を隠した人影は、手慣れたように抜刀。次いで、ゆらり姿勢を低くしたかと思うと、真っすぐ志乃に向かって来た。


「今は喧嘩を買えませんので、お引き取り願います!」


 志乃は刀を抜かず、バチリ、片手に発生させた雷で愛想の挨拶を差し向ける。白昼では見えづらい雷を、相手が横へ避けたのを見て、志乃はその反対に避けてすれ違った。

 瓦の斜面を駆け抜け、足場が終わる先に見えた男の背へ跳躍しようと試みるが、先んじて背中へ突き刺さる殺気が邪魔をする。次の足場へ飛び移る際に後ろを見れば、先ほどの人影が見えた。深編の笠から顔が覗くことはなくても、視線は確実に志乃を捉えている。

 地面、狭い路地へ降りれば刀は使いづらいと諦めるかもしれないが、誠吾と知俊にも危害が及ぶ可能性が高い。あしらいながら男を追う他ないだろう。志乃は再び、片手に雷をほとばしらせ――同時に、頭にも光が閃いた。


雷吼丸らいこうまる! 追跡を引き継いでください!」

「了解。追跡を開始します」


 当然のような素早い相槌を聞かされた直後、バチッと音を立て、雷吼丸が駆け出していった。振り返らなくても分かる事実に笑いながら、志乃は素早く抜刀し、突如現れた浪人笠の人影に向き直る。


「気が変わりましたぁ。貴方からの喧嘩、買わせていただきます」

「……従僕を持っているとは、予想外。担わされたのは足止めだけだが、さて、どうしたものか」


 男を装う暢気な声に返されるのは、まごうことなき男の淡々とした声。どうしたものかと言ってはいるが、構えを解いていない以上、油断はできない。


「降参していただけると、こちらとしてはありがたいですねぇ。色々とお話も聞きたいですし」

「あいにく話は不得手。語るならば刀にて」

「左様ですかぁ。俺は刀が不得手ですので、少し無粋にはなりますが、お相手させていただけれ、ばッ!」


 言い終わらないうちに踏み込んで、志乃は先手を取りに行く。浪人笠の男は狼狽することなく、初太刀を受け流した。

 斜めった瓦の足場を物ともせず、志乃は猛攻を開始する。刀だけでなく、宣言通り無粋な手足や雷の横槍も入れて追い詰めていくが、相手は防戦一方ながらも見事に持ちこたえていた。力を流すのが上手いらしい。捉えどころのない布相手に戦っているような心地になる。

 相手は隙を見つけ次第、逃げる算段を立てているのだろう。担わされたという言葉が出るあたり、単なる雇われ用心棒でしかなさそうだが、どちらにせよ今は敵だ。箱を持ち去った男と同じく、そう簡単に逃がしはしない。

 予測を立てながら斬り合いを繰り返すうち、志乃は鍔迫り合いに持ち込んだ。間近で見る相手の刀は、どうやら少し変わっているらしいが、つぶさに眺める暇はない。


「やる気が無いなら大人しく捕まりませんかぁ、お兄さん。お話を聞くのであれば、もっと優しくできますよ」


 唸るように震える刀越し、志乃は笠の下から笑みを覗かせ、誘いをかけた。浪人笠には覗き穴があったが、この近距離でも男の顔を見ることはできない。が、かすかに妖気が漏れているのは感じ取れ、人間でないことは知れる。ふっ、と小さな嘲笑が漏れるのも聞こえた。


「雇われには雇われの通すべき筋がある。それに、男に優しく扱われるというのは気色が悪い」

「えー。俺、男にしては可愛いと思いません? 可愛く優しく対応させていただきますよぉ、どうです?」

「餓狼のような気迫を隠しておいて、よく言う」


 えへへ、と笑い声を零す志乃だが、きちんと音色の低さを保っている。喧嘩の楽しさに頭まで浸かりたいと思いはすれども、実行しようとはならない。弁えるところは弁える。志乃はそういう風に育てられてきて、そういう風に居続けようと決めているのだから。


 故に。


「仕方ありませんねぇ」


 遊びは終わり。ここで仕留める。


 せめぎ合っていた力の流れを変え、姿勢を低く、下方へ潜り込み胴を狙う。動作に合わせながら、志乃は刀の向きも変えていた。瞬きも呼吸も置き去りにする速さで繰り出そうとされているのは、峰打ち。


「む、っ」


 確実に捉えた、捉えられた。双方が確実に見切った結末は、しかし現実にはならなかった。苦渋の声を漏らした男が忽然と消え、志乃の一撃は空を切る。

 相手を負かすことが目的の喧嘩であれば、この間隙に打ち込まれる一手を警戒するところだが、今回は逃がすか逃がさないかの攻防だ。消えた相手を探して視線を飛ばすも、見当たらない。

 ぐ、と奥歯を噛みしめ、志乃は態勢を整えつつ気配を探る。まだいるはずと見渡した矢先、視界の端で何かが動いた。開くような、弾くような瞬発を見定めたそこには、くすんで鈍い橙色をした番傘が浮いている。


 ――あれだ。


 志乃に直感が走ったのと、番傘にぎょろり一つ目が覗いたのは同時。張られた和紙と同じ色をした一つ目はすぐに閉じ、何の変哲もない傘の振りをして飛んでいく。逃がすかと言う暇も惜しく、志乃は即座に手のひらから雷を放ったが、番傘は風の波に乗るかのように避けていった。

 逃げおおせていく様を見送るしかなくなり、刀を収める。勝負は志乃の負けだった。この場は引き下がる他に無いが、盗賊側の味方らしい以上、また相まみえることは明白。番傘が飛んでいった方向を確かめておく。次は必ず、こちら側が勝つために。


「あ、あっこにおった。おーい、孝信くーん!」


 番傘が見えなくなり、ちょうど降りようと思ったところで、下からも呼び声が届いた。今度は足場を探す必要もなく、志乃は軽やかに飛び降りて、知俊と誠吾に合流する。

 逃げ回っていた男の追跡をすっかり任せてしまっていたが、二人とも全く疲労の色を滲ませていない。誠吾に至っては件の男を気絶させたらしく、しっかり肩に担いでいる。


「申し訳ありません、お二方。俺が上から回るという話でしたのに」

「気にしんとって、誰ぞに邪魔されてもうたんやろ。なんか別の使い魔みたいやの回してくれはったし、助かったわ」

「そいつが行く手を阻んでくれたおかげで、こいつに追いつけて確保もできたわけだからな。ただ、最後の最後に盗品の箱は別の奴に渡されたみたいで、まんまと盗まれてしまった。孝信が遣わしてくれた奴が、引き続き追ってくれると言うんで任せたが……」


 意外な報告に、志乃は目を見開く。追跡対象が変化しても、正確に見定めて尾行ができるなんて。言われたことを忠実にこなすだけの使い魔だと思っていたが、雷吼丸は自分で損益を考えて動けるらしい。もっとも、雷吼丸を従僕にした雷雅が、そういう風に躾けたのかもしれないが。


「咄嗟の判断で、初めて使い魔を動かしたのですが、間違っていなかったようで何よりです」

「咄嗟にしては的確だ。芳の字の相棒を務めるだけある。あいつも咄嗟で良い差し込みをするんだよ。それで何度も助けられた」

「ほんまになぁ。ところでぼちぼち戻らへん? 紀定さんが待っとるし」


 知俊に促され、三人は通りで待っているだろう紀定の元へ戻っていく。群発した問題のうち、小さな一つが片付いただけだ。立ち止まってはいられない。

 けれど、と。志乃は先行く二人の背を見る。道行きは困難にならなさそうだ。会ってまだ数刻と経っていないのに、誠吾や知俊と上手くやれている。加えて紀定もいるのだから、円滑に任務をこなせそうだ。夜蝶街で中谷や山内、辻川と行動を共にしていた頃のように。

 声は立てず笑みを浮かべて、遅れないよう歩調を合わせる。そうすることも楽しいのだと久々に思い出したような気がして、志乃はますます笑みを深めた。

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