岩断・後

 届け先の一覧を渡された紀定が指示を出し、既に道を知っている誠吾が迷いなく進む。進んで、辿り着いて、荷を下ろして、また進んで。大きな通りへ出ることはなく、裏手の小さな路地や、船に積むのだろう川の近くを巡る。とんとん拍子で決められた三人がかりの運搬は、順風満帆、滞りなく遂げられていく。


「それにしても、よく品を任せていただけるまで信頼されましたね、誠吾殿。守遣兵であることに加えて、貴方の人柄なら納得はできますが」

「なあに、ここへ着いた二日前から手伝っているが、最初は運び手の助手役が付きっ切りだったぞ。まあ、手伝いを申し出てすぐに受け入れられた時、吾たちが泥棒だったらどうすると訊いたら、泥棒はそんなことを訊かんと言われたが」


 ははははは、と豪快に笑う誠吾は、確かに盗人とはかけ離れた雰囲気をしている。二人の会話を聞くだけだった志乃が、紀定の方に視線をやれば、小さな笑みを浮かべている紀定が見えた。困り笑いと似ているが、それより遥かに優しい笑みだった。

 顔立ちは違うのに、先ほど誠吾に荷運びを頼んでいた男と紀定の面影が、志乃の中で重なる。どちらも親しい表情をしていたからだろうが、何故こうも頭に引っかかる感じがするのかは謎。あまり心地よくないと感じているのもまた謎だった。悪いことなど何もないはずなのに。


「それより、次で最後だよな、紀定殿」

「そうですね。早めに店名を読み上げましたが、後回しだと言われた所です」

「おう、かずの字が手伝っている店だ。その近くで一旦、紀定殿と花居殿を休ませていただいて、おれは荷車を返しに行こうと考えていた」


 一人で勝手に謎を抱えながらついて行くだけ状態な志乃の前で、紀定と誠吾はテキパキ道を決めていく。なんとなく、志乃は片手を荷車に触れさせた。そうしないと忘れられ、置いて行かれそうな気がして。

 前にも似たような想像をしたと思い返せば、中谷と山内の姿が浮かぶ。同時に、謎もするりと解けた。どうやら自分は「さびしい」と思っていらしい。

 兄貴と呼んだ二人について行くだけだったことを、最初は何とも思っていなかった志乃だが、いつの間にか奇妙な気持ちが湧くようになっていた。置いていかれたら、自分はどうなるのだろうと。だが、思い返してみると、自分はどうにもならなかったし、どうにもしなかったに違いない。その頃の志乃は、指し示されなければ道を認知しなかったのだから。

 志乃が空虚を思い出している間、荷車はどんどん進み、目的地へ着いていた。大通りから少し離れた長屋の、店頭に陶器を並べた小さな店。住人のためにあるのだろう店からは、はきはきとした女性の声が飛び出してくる。


「おや、誠吾じゃないか! 今日は遅かったねぇ、何かあったのかい」

「すまん、おかみさん。待っていた人たちが来たんだ。悪いが荷車を戻してくる間、お二人を休ませてくれないか」

「いいよ、行ってきな。お二人さん、狭い店で悪いんだけど、どうぞ休んでいっておくれ」


 誠吾から、志乃と紀定の方へ顔を見せた女性は、声の通り明るさと活気に満ちている。志乃は荷車から手を離し、紀定の隣へ並んで、共に一礼した。


「狭いなど、とんでもない。ありがとうございます」

「いいのいいの。……あら、あんた、良い男ねぇ。そっちのあんたはずいぶん可愛い顔だけど、もしかして女の子かい?」

「さあ、どちらでしょう」


 紀定の顔にうっとりと目を細めていた女性に、志乃はわざと声を低くして、愛想笑いを浮かべながら答えた。口元に人差し指を立てて、「秘密です」と言い添えれば、女性は軽やかな笑い声を立てる。


「秘密ならしょうがない。引き止めて悪かったね、立ち話も何だし入ってくれな。あ、知俊かずとしは今ちょっと出てるけど、もうすぐ戻ってくるはずだよ。まっすぐ進んで奥にある階段を上がって、二階で待ってとくれ」

「分かりました。失礼いたします」


 紀定と志乃が店へ入るのと入れ替わりに、誠吾は店を後にした。茶を持って行くという女将の声に応じつつ、二人は言われた通り、店の奥にあった上がり框で草履を脱ぎ、階段を上がっていく。

 二階には部屋がいくつかあったが、階段のすぐ近くに戸を開けっ放しの部屋があったため、そこで腰を落ち着けた。二人とも旅装を解き、畳んで置いたのと入れ替わるように、急ぎの足音が階段を上ってくる。志乃も紀定も目線で予想を確認しつつ見やれば、現れたのは別の影。


「……あっ、ほんまに紀定さんやぁ! お久しぶりですー!」


 ふわふわした黒い癖毛に、団栗眼どんぐりまなこのハッキリとした顔立ちが、手すりの間で輝いている。志乃が初めて聞く訛りで話しながら、芳親と同じ年頃の青年が、素早く部屋へ入ってきた。纏われた着物と袴は、誠吾と同じく麗境山所属を示す色合いをしている。


「お久しぶりです、知俊殿。手伝いは終わったのですか」

「すぐ終わりました。そんで戻ってきたら、自分らの待ってた人来はったって教えてもろて……ところで、こちらの人は、あの?」


 ええ、と紀定が志乃へ視線を寄越す。二度目ゆえに呆けることなく、志乃の視線はにっこりと、腰を下ろした青年へ向けられた。


「初めまして。人妖兵の花居志乃と申します」

「めっちゃにこにこやん、可愛い。手前は室戸むろと知俊かずとしいいますー。どうぞよろしゅう」

「志乃殿、男性としての声も、一応」

「はぁい。ええ、こほん。この声で話している時は、孝信とお呼びください」

「うっそやろ声の可愛さどこいったん?」


 がくんと低くなった志乃の声に負けず劣らず、知俊の表情もくるくる変わる。驚きようにいつかの芳親を思い出して、志乃はすぐに戻った音色の声で笑う。


「それにしても、知俊さんも誠吾さんも、俺のことをご存じなのですねぇ」

「ご存じて、当たり前やで。人妖兵が増えるってだけでも衝撃やし、それ以外にも話題の種を持ちすぎやねんで、自分」

「……自分、というのは、貴方という意味なのですか?」

「急に話題変えてきたな。けど、そうか。こっちの言葉聞いたことおまへんのか。そうそう、自分は貴方って意味やで」


 瞬く間に打ち解けた会話が成される傍ら、階段を上る音が二つやって来る。茶と菓子を運んできた店の女性と、荷車を置いて戻ってきた誠吾だった。


「お待たせしてすまない、紀定殿」

「全く問題ありませんよ」


 詫びつつ室内へ入る誠吾だが、やはり窮屈らしく、何もせず座っているだけでも縮こまっていた。それでも部屋の半分を占領してしまったかのような、圧倒的な存在感を漂わせている。

 それぞれに茶と菓子が行き渡り、女性がきびきび退室すれば、部屋には四人の色護衆が残るのみ。車座になった中で話の進行役を務めるのは、最年長の紀定だ。


「では、早速。我々に課せられた任務について、確認と報告を行いましょう。まず、事の発端として、直武様に通達された伝令があります。長らく明掛あかけ近隣の海に居座っている物の怪〈散羅さんら〉討伐の準備をすべく、光鏡みかがみ神宮にて刀を回収したのち、紫峡しきょうふ府を通って合流せよと」


 厳かに述べられたのは、色護衆上部すなわち百元家から直武への伝令。直武の行動が決まれば、供をしている紀定、芳親と志乃の行動も決定される。ところが、紀定と志乃はこうして二人、直武から離れて岩断へやって来た。後から別の任務を課せられたために。


「しかし、光鏡神宮は歴史ある聖域。その神聖は妖雛を跳ね退け、威光だけで弾くほど。そのため、志乃殿は同行させられないとして、藍山府経由の遠回りで光鏡神宮を通過することとなりました」

「それで、岩断周辺で窃盗や盗品売買、それらを景品とした違法賭博の調査と取り締まりを任じられた、と」


 先んじて答えを言ってくれた誠吾に、紀定の首肯が返された。

 数か月前から、岩断では窃盗被害や盗賊の目撃情報が増えており、それらが違法な売買や賭博へ流れているらしいと判明している。が、賊の根城や取引場所の詳細は、連なる山々に隠れ潜んでいて不明のまま。そこへやって来る見込みとなったのが、結界に弾かれてしまうため、回り道をすることになった人妖兵。人並外れた感覚を持つ妖雛であれば、発見できるのではと考えられたわけだ。


「そっかぁ、志乃ちゃん……志乃ちゃんて呼んでもええ?」

「構いませんよぉ。名字よりは下の名前の方が呼ばれ慣れていますし」

「おおきに。志乃ちゃんも難儀やなぁ、お宮さんにもお寺さんにも行けへんなんて。いや、芳くんのが変わってるんか。芳くんは行ってんな、紀定さん?」

「ええ。お二人に会いたがっていましたが、説き伏せて二手に分かれました」


 目に浮かぶわぁ、と呆れた笑顔の知俊に、誠吾も頷く。そういえばと、志乃も芳親の言動を思い出した。岩断に派遣されるのが学友、外で出来た初めての友人たちだったと分かった途端、僕も行く僕も行くと駄々を捏ねまくっていた姿を。無論、直武を一人にするなど言語道断だと承知だったし、直武本人からは「私と一緒は嫌かい?」と意地悪な質問をされ、大人しくなっていたが。

 芳親はその後すぐに元気を取り戻して、茉白のことを語り倒すように、友人たちのことも語り倒そうともしていた。これから会う志乃本人の楽しみを奪うのはどうかと、また直武に説き伏せられ――説き伏せると言えるほどでもないが――志乃はこうして対面するまで、誠吾と知俊のことを何も知らなかった。知らない人と会うことを楽しめたかはともかく、夜蝶街近郊で出会う前の芳親を知っていくかのような感覚に、面白みは感じていたように思う。


「して、先んじて岩断へ来ていたお二人とも。どうでしょうか、何か新たに分かったことはありますか」


 志乃が相棒の愉快な一喜一憂を思い出している間に、話が進む。誠吾と知俊がここへ来たのは数日前だが、数か月前から窃盗被害の増加に伴って派遣されてきた守遣兵と、情報交換を済ませている。本人たちも、短期間ながら市井の人々に混じって情報収集していたため、収穫が皆無ということはなさそうだ。


「拠点などは分からないままだが、窃盗の手法に関しては収穫があった。奴らは目利きを称して素人、刀を持っていない客に近づき、言葉巧みに高い品物を買わせるらしい。その後、偽物とすり替えて盗むんだとか。そうして、門ではなく抜け道から離脱し、待っている仲間に渡して遠くへ持ち去るのだと」

「これを結構な人数でやっとるらしくてな。変装してた奴は見抜いて捕まえられて、そいつらから情報を聞き出せたんやけど、替えの奴はなんぼでもいるっちゅうねん。捕まえても蜥蜴とかげの尻尾切り、本体には辿り着かれへんっちゅうことになっとるんですわ」


 それと、と。知俊が言いかけ、口を噤む。迷っているかのような表情に、「気になることは報告すべきかと」と進言したのは、笑みを浮かべたままの志乃だった。「せやな」と知俊もすぐに応じて、紀定を見る。


「手前の見間違いかもしれへんやけど、西守にしもり隊所属らしい人影を見たんです」

「西守隊、ですか? いたとしても何故……」


 表情に出た怪訝の色を深めながら、紀定は口元に片手を当てる。その隣では志乃が初耳の名称に首を傾げていたが、紀定も志乃が知らないと思い至ったのか、すぐそちらを向いていた。


「志乃殿。一応お尋ねしますが、西守隊のことはご存知ないですよね」

「はい。初めて聞きましたぁ」

「では手短に。西守隊というのは通称で、正式名称を朱泉しゅせん常守隊じょうしゅたいと言い、黄都府から見て西南にあります朱泉府に置かれた色護衆常駐部隊です。要は支部ですね。前身となった組織の成立経緯から、妖怪のみならず妖雛に対しても厳しい姿勢を持つ人が多く、志乃殿には特に風当たりが強い……いえ、それどころではないかもしれません」

「ほへぇ、俺に当たりが強いのですか。なにゆえ……いえ、んん? 朱泉府……」


 何も分かっていなさそうな、へらへらした笑顔から一転。志乃も考え込んで口元に手を近づける。朱泉府。志乃にとっては縁のない場所だが、聞き覚えがある。どこで、誰から聞いたのだったか。


 ――在雅は洛都からはるか西の地へ追放され、朱泉府筑幸郡に幽閉、人格更生に努めるはずだった。


「あっ」


 そうだ、裏舟吉うらふなよし龍爪亭りゅうそうていから抜け出した時、風晶から聞いたのだと思い出した直後。志乃の口から明らかに濁点の付いた、思い当たったとばかりの声が転げ落ち、紀定が正解とばかりに頷いた。引きつった笑顔で固まった志乃に、より詳細な答えが告げられる。


「西守隊、すなわち朱泉常守隊の前身組織は、雷雅による潰滅的な被害を受けて立ち上がりました。あちらに所属している人間にとって、雷雅は最大の怨敵です」


 そのまま頭を抱えてしまいそうなほど深刻な表情が、紀定の顔を覆っている。志乃の固まった笑顔も同じくだ。人間で言う血縁者とは違えども、志乃が雷雅と深い繋がりを持っている以上、風当たりが強いなんてもので済まされるはずがない。

 この世の終わりに立ち会ったかのような顔で見つめ合う志乃と紀定に、向かい合わせの誠吾と知俊が怪訝な顔になる。その二人もまた、紀定から手短に説明を受けた途端、頭を抱えそうになっていたが。


「……、……志乃ちゃん、自分、ほんっっっまに、難儀やなぁ」

「難儀ですねぇ……」


 全員が思っているだろう気持ちを総括した知俊の言葉に、志乃は途方に暮れた声で返事をする。が、何か別のことを思い至ったとばかりに、志乃は弾かれたように紀定の方へ顔を向けた。


「となると。知俊さんの見た方が、本当に西守隊の方だった場合、俺はバレないように立ち回らなければならないのでしょうか」

「……その方が、いざこざは起こらないでしょうね。こうして我々とだけ接している以外の時は、しばらく男として立ち回った方が良いかもしれません。誠吾殿、志乃殿が男を装っている時の名前は孝信たかのぶというので、お間違えの無いよう」

「分かった。けど、何で吾だけに言うんだ?」

「手前はもう教えてもろたからね。な、志乃ちゃん。いや、孝信くん」

「えへへ、そうですねぇ」


 すぐに男の声へ切り替えた志乃に、誠吾の両目が見開かれ、口もあんぐりと開く。声の切り替えには自信を持っている志乃としては、連続で驚かれたことに胸を張りたくなる心地がした。

 要点を押さえれば別性を装える。慣れ親しんだ志乃の武器は、性能充分。兄貴分というか山内が知ったら落ち込ませてしまうだろうが、仕方ない。仕事なら兄貴も分かってくれるはず。密かに心の中で頷き、志乃は喉を整える。


「それでは。志乃としても孝信としても、お世話になります」


 にこやかに言い切る志乃こと孝信に、三人の真正なる男たちが、それぞれ返事を言ったり見せたりする。性別を偽るという、軽やかでも確かな負担を抱えてしまった志乃だが、なんてことはないといつもの笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る