第十三章 製錬
冷夏
閉橋での慰霊祭が行われてから五日後、文月十日余り七日。
黄都府箱城郡、
人里を見渡せる山肌に沿って建てられた百元家の屋敷は、各所に見張りや術師が配置され、物々しい雰囲気に包まれている。高い塀も相まって、屋敷というより城塞の様相をしていた。実際、小規模ながら山城として運用することもできる。
いつもより強い結界も張られた中、家主である百元
「こんにちはぁ、お邪魔しまーす」
音を零すなど憚られるそこへ、
夏の日差しを切り取った戸口の額縁に、光を透かさないほど黒い影が割り込んでいる。異国の意匠が入った衣服と長髪で横幅を取る影には、二本の角が生えていた。
「用件は何だ、雷雅」
「いつの時代もせっかちだねー、『増日』を襲名する人間は。それとも、鬼が特に嫌いだからー、さっさと帰ってほしいだけかなー?」
逆光を受けながら、薄月めいた黄金の双眸を光らせる雷雅は、増日と向き合う形で座る。長机の両端にそれぞれ座った熟年の人間と、美しいままを留めた鬼。一目で頑強と分かる増日と、しなやかな細身から不気味さを醸し出す雷雅。双方共に大柄で、対峙するだけでも迫力を伴っている。どちらも只者ではない。
「この前、
「随分歩き回ったようだな。少なくとも、北羽山脈と南羽山脈には行ったと見える」
「行った行ったぁ。でも、そんなに苦労はしてないよー。風晶がいたしー、
刀に手をかけていそうな気迫を声に潜ませた増日に対し、雷雅は気安くのんびりとした口調のまま。いつ殺し合いが勃発してもおかしくない空気は、二足先の冬が来たかと錯覚させるほど張り詰めていく。
「そこでねー、不思議な痕跡を見つけたんだよぉ。山小屋じゃない建物の残骸とかー、道具の破片とか。詳細は分からないけどー、何かの痕跡があったんだよねぇ。それだけなら別にー、気にしなくても良かったんだけどー」
「慧嶽が存在を感知しなかった施設があった、と」
伸びに伸びていく雷雅の口調を先取りして、増日が断ち切る。阻まれても、雷雅は気に障った様子もなく「そうだよぉ」と笑った。
慧嶽は天狗の祖たる神霊であり、拠点とした山一つを丸ごと異界へ変えたという力の持ち主。その際に山と存在を同じくしたことで、自分の膝元に集っていたモノたち、今日の天狗たちが移住し根付いた山での出来事を把握できる性質を持つ。鵬ノ峰にも天狗の集団が複数存在しているため、慧嶽は三つの山脈全てを知悉しているのだ。事実、色護衆への協力証明として、鵬ノ峰の完璧な地図が提供されてもいる。
加えて、慧嶽は過ごしてきた時間が数千に及び、そもそもは天から落ちてきた星という規格外の存在。それが力をそのままに、地上に合わせて変容したのだから、感知できないものがあるなら予想も絞られてくる。
「どこの誰かは知らないけどー、あの山に何かを隠した者がいる。術に通じる者なら、みーんな知ってる慧嶽の感知を逃れて。しかも、痕跡が見つかったのは一か所じゃないんだよー。鵬ノ峰全体に、合わせて十か所以上。さすがに慧嶽も不審がってたしー、確認のために呼び出した天狗たちも不思議がってたよー。どうして今まで気づかなかったんだろう、どうして、今になって気付くことができたんだろう、って」
神霊さえ気付けなかった、何者かによってなされた秘匿、隠蔽。不意に現れた空白の証人は、じっと不気味な視線を向けてきている。色護衆を始めとした人間にも、妖怪にも。
「……発見した建物や道具の残骸は、どれくらいの年月が経っていそうだった?」
「詳細はもっと調べないと分かんないけどー、数百年経ってるのは間違いないかなー。慧嶽もー、それくらいは経ってるって言ってたしー。色護衆にも資料として提供したから、そこはお互いの力で特定できればなぁって」
水滴の装飾をきらめかせる庭から隔てられ、薄暗く薄ら寒い客間で、大部分が無彩色の男たちは糸を張り巡らせる。触れられてもいい糸、触れられたくない糸、まだ
数多が不明瞭にして、光の差さない場所に隠されている中で。無彩色の人間と鬼には、どちらも分かっていることが一つ。
「内裏に関わる術師、術者が怪しいことに変わりはない」
「だよねぇ。技術と歴史、どっちも持ってるのは、そういう家の人間くらいだもんねー。まあ、多くは滅んじゃってるけどー。あ、そうそう。芳親を育てた仙女にも会ってきたけどー、彼女もそういう家の出身だったみたいだよー」
何でもないような音色に包まれた応酬は、どちらも重大でありながら、既知ゆえに馴染んでしまったこと。通常なら看過できない物事は、それ以上に看過できない暗影の前に霞んでいる。
「して、お前はどうしてこちら側に加担する」
脈絡のない問いに、雷雅は「んー?」と、愉快そうに笑って返す。揺れた黒髪に縁取られる顔は、月夜に咲き開く花の様相をしていた。
「どうしてって、そっちには志乃と芳親がいるものー。それに、俺は誰かの策略に組み込まれてるかもしれないからー、その通りに沿っていくより、外れて動いた方が面白いかなぁって」
「ならば、その策略通りが面白いとなれば寝返ると」
「えー、血判まで使って契約したのにー? 面白いことは大好きだけどー、それで仕事は放らないよぉ。俺たちにとって、約束事は絶対だものー。無かったことにして破るのは、いつだって人間でしょー?」
「重大な物事を隠すお前たちに言われたくはないな」
胸襟を開いても、その背に隠れたものまでは分からない。お互い様のやり取りは平行を保っている。けれど双方ともに、信頼も信用も必要ないのだ。利用できるのなら、それで。
「……まあ、良い。当主からも、お前は使って問題無いと達しが出ている」
「俺も、増日は大丈夫って教えてもらったよー。だから来たんだぁ。それに、増日を襲名した者は訳ありの守遣兵を支えてるしー、調査もしてるって聞いたからねぇ」
年を重ねて色味が変わってきた増日の目と、衰えない黄金色をした雷雅の目。交差する二つの視線に色はない。季節を忘れるほど冷え切った屋内では、色などあってないようなものだが。
「君に、直に言っておくのはこれくらいかなぁ。会ってくれて嬉しかったよー、増日。これからよろしくねー」
友好的な挨拶に、返される声はない。雷雅は気にすることなく立ち上がり、軽やかな足取りで客間を後にした。
強大な気配は、持ち主の姿が見えなくなっても感じられていたが、間もなく忽然と消える。客人が完全に帰ったことを察知して、張り詰めていた屋敷の空気も緩んでいく。増日も力を抜いて立ち上がり、書斎を兼ねた自室へ戻る。
夏模様の庭に目もくれず、必要最低限の物しかない部屋へ戻った増日が手に取ったのは、戸棚に入れられていた寄せ木細工の小箱。みな一様に「通信具」としか呼ばないそれを起動する。帰ったばかりの製作者が作った物でも、その模造品でもなく、色護衆側で改良を加えた品だ。
『――増日か。雷雅との会談は終わったか?』
「先ほど終了いたしました、当主。かねてより調査をしておりました、藍山府朋河郡出身の守遣兵にまつわる諸々と、〈特使〉として確認されました人妖兵二名に関して。雷雅と提携し、更に調査を進めます」
厳かな男の声に、剣呑が抜けて無機質になった増日の声が返される。必要事項しか乗らないやり取りは、人らしさに欠けて冷たい。
『了解。同時に、
「……ついに」
『ああ。〈特使〉の出現で時間を取ったが、ようやくだ。長らく
「降ろす最中にも気は抜けません」
『ふ、その通りだな。何事も注意して進めていかねばなるまい。では、これで失礼する』
「失礼いたします」
増日の返事を聞き届けてから、百元の当主が通信を切る。寄せ木細工が動いて、停止している時の模様に戻るのを見ながら、増日も通信具を棚へ仕舞った。
再び部屋を出れば、強まっていた結界が、通常の強さへ戻されていくのが感じ取れる。緊迫の残滓が漂う屋敷から、増日は空を見上げた。青にくっきりと白い雲の峰が浮かぶ空は、活力に満ちている。降り注ぐ日差しに照り映える草木の緑は活力に満ち、風に乗って聞こえてくる生き物の声も力強い。
――燦々とした夏の間、色護衆は刃を研ぐ。とうの昔に死にながら、現世に残り続けるモノを断ち切るために。
廊下の先へ視線を戻して、増日は薄暗い屋内へ歩き出す。長らく預けられていた、強大な物の怪討伐が、静かに幕を上げていた。
***
【伝令】
【伝令】
麗部直武に極大の物の怪〈屍群〉の核である〈
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