第21話「桜坂」
「
矩子の声はいつも丁寧で
「うん」
舞衣がそう返すと
「ではお山の
矩子は水衣と舞衣の手をゆっくりと引く。
二男四女の
所々がさつな
「私がお送りしましょう」
扉の横に立っていた
先導する片坂の後ろを舞衣が歩き、次いで水衣と矩子が並んで廊下を進む。
舞衣は見慣れない廊下を歩きながら
ましてや父の書斎へ足を踏み入れるのは
日頃の連絡事項も
そんな距離感にもかかわらず、今夜は父がわざわざ本邸に寄るように言ったという。
その行動はひどく
父の自分たちに対する接し方が今までとは明らかに違う、今日一日でそう感じ得るには十分であった。
玄関へ戻り片坂が玄関扉を開くと、車寄せにセダンと運転席の千秋が見えた。
左腕にはめた時計をしきりに気にしている。
自分がすぐ戻ってくると言ったのに、30分経っても戻ってこないことを心配しているのだろうか。
舞衣はそう思って「千秋!」と呼んでみる。
隣で半ば寝ながら歩いている状態の水衣がビクッ、と飛び上がる。
千秋もその声に気づき、
「遅かったですね」
靴を履き車の方へと
矩子は意識が
千秋が後部座席のドアを開けると矩子は水衣をなんとか積み込んだ。
舞衣は水衣が横たわる後部座席へと、矩子も助手席へと乗り込んだ。
「のりちゃんは非力だなぁ」
車のドアが閉まる間、千秋は矩子に話しかける。
「それなら手伝ってくださればよいのに、それに貴女がおかしいのであって私は普通の
「安全ベルトは着けました?」
千秋は話題を
「あぁ、まぁいいか……」
もうすっかり入眠してしまった水衣を見て千秋は
「いや、よくないでしょう」
矩子は後部座席へと身を乗り出し、水衣に安全ベルトを着けさせる。
「いやぁ、献身的だなぁ」
モーターのスイッチを入れながら千秋は感心したような声で言う。
「当然です」
矩子がそう言った
「お屋敷でお二人の身の回りのお世話をするよう旦那様に
急なアクセルにも動じず、矩子がそう言うと千秋は
「じゃあ帰ったらお風呂入るから、それもよろしく」
「いやそれは貴女もしてください、流石にお
「私そういう仕事じゃないから」
「でも貴女も
「まぁそうだけど...」
「じゃあ手伝ってください」
「……しょうがないなぁ」
千秋は言い負かされ、口を
二人が言い争っている間、舞衣は窓の外をぼんやりと眺めていた。
春になれば美しい花をつける
そんな真夜中の
よく人の命は桜の花のように
先ほどの父との会話で水衣が永遠の命というものに何らかの魅力を感じているのは疑う
しかし、そんなものに何の価値があるというのだろうか。
想い出は遠い
父や母はもちろん、
そんな思考の渦の中である考えが舞衣の
「みーちゃんは、私と二人きりになりたいんじゃないか」
人の
あまりにインセストな考えに舞衣は思わず頬を窓にくっつける。
ガラスは冷たく、少しだけ濡れた。
「ほら、着きましたよ」
矩子は安全ベルトを外すと後部座席の方へ来て、水衣の身体を
舞衣は視線を左に移し、水衣の身体に目を落とす。
水衣はうめき声を上げながらゆっくりと目を開ける。
「ん……うん?」
矩子は水衣に着けた安全ベルトを外す。
「お山の御屋敷に着きましたよ」
そんな言葉を意に介さぬように、水衣は身体をごろん、と座席の上で転がす。
そんな水衣を見かねて、矩子は水衣の
「ちょっと、桐野さんも手伝ってください」
水衣の身体を抱え上げた矩子は運転席の千秋へと助力を求める。
「そんなこと言ってもこの車を車庫に戻さなきゃ」
「結局お
「……ったく、世話が焼けるなぁ」
「まったくです」
「いや、人ひとり持ち上げられない事が」
「はぁ?では逆に
矩子は運転席の方へと振り返り、
「こっちが下手に出たらポッと出が
千秋も矩子の方へと身体を寄せ、反撃する。
「貴女こそ
「うっ……」
千秋は乗り出した身体を戻し、言葉を詰まらせる。
「し、しかし精二さまであれば私の父と全く面識がないという事は...」
「そこ、喧嘩しない」
一声、視線は水衣へと集まる。
水衣は
「申し訳ございません」
千秋は
矩子も水衣の腋に通した腕をさっと抜いて、千秋に
「みーちゃん、起きたならちゃんと自分で立って」
舞衣は水衣の手を引くと、右手のドアを開けて外へ出た。
水衣は黙り込んで、舞衣に手を引かれるままにセダンを降りる。
舞衣は玄関扉へと手を触れた。
手の平に埋め込まれたチップに反応し、短い機械音と共に扉の
朝ここから出る時にも重たかったが、今は何故かもっと重たく感じる。
舞衣が体重をかけて扉を押そうとすると、横から千秋が出てきて
扉がギィ、と
玄関の広間には使用人たちが待ち構えていた。
ここの使用人長を始め、
いつもはこの倍はいるが、今日は時間が時間なので昼夜二交替の夜の担当だけといったところ。
事前に千秋か矩子から連絡が飛ばされていたのだろうか、そんな考えが舞衣の頭をよぎる。
千秋と矩子が洗濯使用人たちに水衣と舞衣の上着や
右手の最前にいた使用人長の
「お
舞衣は
すると使用人の一人が声を上げる。
「は、はい、丁度よいお
舞衣はふと声のした方向へ目をやった。
年は舞衣たちと大差ないように見えるが、身長は水衣よりもずっと低い。140cmくらいだろうか。
前髪は厚く、肩ほどまでの黒髪を後頭部の低い位置で束ねている。
舞衣に使用人の顔を覚える趣味はないが、恐らくはこの子が風呂を用意する担当のようだ。
舞衣はやや
「ありがとう、頂きますね」
その手は
水場、特に重労働を強いられる食器洗いや風呂場の使用人には珍しくもないことだ。
使用人は
「そ、そんな私ごときに感謝なされるなんて...」
舞衣の手を振り払えないまま目を丸くして飛び上がり、最終的には顔を赤くして再び俯いてしまった。
舞衣はゆっくりと手を離すと、少しだけ
使用人の間を抜けると、今までずっと左肩に寄りかかっていた水衣を引き離して右手で水衣の
「みーちゃん、いつまで寝てるの」
頬を
「痛、ちょっ、取れちゃうから...」
水衣は舞衣の右手を振り払って左頬を押さえる。
目の端には薄っすら涙すら浮かんでいる。
「お風呂沸いてるって、冷めちゃわないうちに入ろ?」
舞衣は頬を押さえている水衣の手を強引に取り、玄関広間の両階段の横を通って廊下へと向かう。
水衣は廊下へと小走りで駆けていく舞衣に圧倒され、何回か
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