第10回 作者の死後に作品が書き換えられている?

 どうやら自分が購入したKindle版The Mirror Crack’d from Side to Sideは作者の死後に書き換えられているらしい。


 恐ろしいことですが、アガサ・クリスティー作品に「検閲」による修正が行われたことは、数ヶ月前にニュースにもなって知っていました。当然に、批判の声もあがっていたのに、出版社側は無視したということも。

 ただ、その修正版――いえ、腹立たしいので検閲版と呼びましょうか。それとも無断修正版? Who-the-Fuck-You-Think-You-Are Edition?――が世に出るのは、もう少し先の話ではないかと思っていたのです。


 これだけは、どうしても伝わってもらいたいと思うので、あえて訳しますが、Who-the-Fuck-You-Think-You-Are Editionは「アガサ・クリスティーの原作に手を加えるとは何様のつもりだこのすっとこどっこいが・版」です。なんでそんな図々しくも恥知らずなことができるんでしょうか。こんな蛮行にかかわった人間は漏れなく指先からじわじわ腐って苦しみ悶えながら果ててほしいです。


 Mirror Crack’dのKindle版を購入する際、当然に件のニュースのことが頭をよぎりました。検閲版を掴まされるなんて、まっぴらごめん!

 Amazon.co.jpサイトの商品の登録情報を確認したところ、次のようになっていました:


出版社 ‏ : ‎ HarperCollins; Masterpiece Ed版 (2010/10/14)

発売日 ‏ : ‎ 2010/10/14


 2010年版! 検閲修正は今年春ごろのニュースでした。避けるべきは新版、2010年版なら、検閲が入る前のはず。そう思って胸を撫で下ろし、購入ボタンを押しました。

 それなのに、楽しく読み始めて、わずか8ページ目でこれが検閲の証だとしか思えない記述に遭遇してしまった。ショックのあまり一旦読むのをやめました。やめたというより、先に進むことができなくなってしまったのです。


 わたしが洋書を読むのは英語で小説を書く作家の生の言葉に触れたいからです。いかに優秀な翻訳家にも間に割り込んできてほしくありません。それなのに、どこの馬の骨だか出版元の編集者だかわからない輩の手によって修正されたテキストを掴まされた。まるで詐欺に遭ったような衝撃です。


 二日ほど放心している間に考えたのは、腹を立てたりがっかりする前に、まず本当に疑惑が正しいのか検証してみるべきではないかということです。自分はネイティブ並みに英語ができるってわけでもないし、もしかしたら勘違いかも。 


 ふと思いついたのが、先のKindle半額セールでタイミング良く入手していた和訳書『鏡は横にひび割れて』のことです。こちらでは、問題の箇所はどう訳されているのでしょうか。さっそく比較してみました:


 There wasn’t, Miss Marple reflected, anything wrong about the Miss Knights other than the fact that they were madly irritating. They were full of kindness, ready to feel affection towards their charges, to humour them, to be bright and cheerful with them and in general to treat them as slightly mentally afflicted children.

 ‘But I,’ said Miss Marple to herself, ‘although I may be old, am not a mentally afflicted child.’


 といっても、妙にいらいらさせられるだけで、ミス・ナイト流の女にもべつに欠点があるわけではない。親切だし、すぐに患者に愛情をよせ、ご機嫌をとったり、ほがらかな態度で接してくれて、たいていはこちらがででもあるかのような扱い方をしてくれる。

「だけど、わたしは年寄りかもしれないが、ではないのだから」とミス・マープルはひとりごとを言った。

(橋本福夫訳、早川書房2012年Kindle版より。傍点はわたしが加えました)


 ああー、the Miss Knightsを「ミス・ナイト流の女」と訳しましたか。興味深い。これがどう訳されてるのかも実は気になってたんですよねーって、そっちじゃない。

 いやでもしかし、原文を咀嚼して自然な日本語に置き換えているところは、さすがプロの技だと感心しますね。Miss Marple reflectedのreflectedを「といっても」に集約してしまうなんて芸当は、自分にはできません。


 わたしは原書を読む際に脳内で翻訳するようなことはしませんし、英語を勉強する際の「では訳してみましょう」を心の底から憎んでいます。英文を理解する能力とそれを日本語に訳す能力は別物だと思うからです。英文を正しく理解したかどうか確認するために正確に翻訳して見せることを要求するなんて、愚の骨頂だと思っています。ましてや、上記のようにプロの翻訳家による翻訳ともなれば、もはや職人技です。単に英語の高い能力を有する人、たとえばバイリンガルで英語も日本語も母語という人であれば誰でもできるというものではありません。

 そういう自分も仕事でなら翻訳をしますから、こういうプロの職人技には素直に感動します。わたしがやってきた翻訳はいわゆる産業翻訳というもので、主にビジネスに関する文書、文芸の翻訳とはずいぶん異なるのですが。


 話を元に戻しましょう。原文と訳文を必要な部分に絞ってみてみると:


. . . in general to treat them as slightly mentally afflicted children.

 ‘But I,’ said Miss Marple to herself, ‘although I may be old, am not a mentally afflicted child.’


たいていはこちらがででもあるかのような扱い方をしてくれる。

「だけど、わたしは年寄りかもしれないが、ではないのだから」とミス・マープルはひとりごとを言った。

(傍点はわたしが加えました)


 最初に出てくるslightly mentally afflicted childrenが「低能」、a mentally afflicted childは「低能児」と訳されています。


 完全にアウトです。


 和訳に使われている語は、今では完全に差別用語として使用を回避されるものです。アナウンサーがニュースでこの語を使うことはないし、世間話で平気でこんな言葉を口にすれば眉をひそめられるでしょうが、文学作品の場合は、少々事情が違います。

 文学作品には、様々な登場人物が存在する以上、その中に障害者を馬鹿にしたり差別する気満々の人間が含まれることも当然あるでしょう。そんな人間が使う言葉としては、Political Correctnessを意識した現代的に正しい呼び名ではなく、差別意識まる出しのこういう言葉、低能あるいはもっとひどい侮辱的な言葉が使われることは避けて通れないことです。


 わたしが参照した翻訳書『鏡は横にひび割れて』は、2012年Kindle版です(正確には、2004年に刊行された文庫本を底本として2012年に電子書籍化されたもの)。もうすでに19年もの時間を経た翻訳なのですが、当時ですら一般に「低能(児)」なんて言い方は避けられる傾向にあったのでは。

 それなのにあえて「低能」「低能児」という語が翻訳に用いられているのは、原書でそれに相当するような、差別的言語が使われていたからだと考えられます。そして、その差別的語は、絶対にmentally afflictedなんていう気遣いの権化のようなフレーズではありません。


 世の中に「絶対」なんて断言できることはそうない、なんなら絶対にないと言ってもいいぐらいなのですが、これは99.9%ぐらいの自信をもって言い切ります。


 原書のこの部分には、絶対に修正が施されている(99.9% positive)。


 もしもmentally afflictedを「低能」なんて明確な差別語で訳出する翻訳者がいたら、その人は相当なポンコツです。『鏡は~』の翻訳家やその訳文をチェックする出版社側の関係者が全員そのようなポンコツだったとは到底思えません。


 つまり、考えられる結論は一つ。翻訳家が翻訳をした際には、参照した原書の該当箇所に「低能」という差別的トーンに一致する強い差別語――例えばretarded――が使われていた。そうとしか考えられません。


 和訳書Kindle版をざっと確認してみましたが「本書には現代では差別的と思われる個所が含まれますが、当時の時代背景を考慮してそのままにしてあります」的な断りは見当たりません。つまりこれは、作中人物が障害者を引き合いに出して「低能」呼ばわりしてもOKだった時代になされた翻訳なのでしょう。この辺は、一般社会において差別用語を回避する傾向と比べて、文学作品――特にアガサ・クリスティーのように何十年も昔に書かれた作品――においては容認される傾向が強かったのかもしれませんが。


 いずれにせよ、「誤訳」と感じられるぐらいに原文と和訳のトーンに隔たりが生じてしまっているのは、翻訳家の責任ではありません。古典的名作の翻訳が時代の流れとともにどうにも古臭くなってしまい新訳を必要とするようになるということはままありますが、作家自身がとうに亡くなっている古い名作の原文の方がリニューアルして訳文が古く不正確になるなんて馬鹿げたことは、あってはならないことです。

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