第6話
※※※
あなたが神の花嫁になるべきよ、と、数日ぶりにやって来るなり熱弁を振るうちひろに。
黒髪の娘は、はあ、としか言えなかった。
彼女の言葉は熱意ばかりが先走って、肝心の中味は要領を得なかったけれど。時間をかけて、質問をひて、なんとか理解できた。
神の花嫁は不老不死のようなものだ、だから、神に嫁げばあなたの病も癒えるし、苦しい思いをすることはなくなる――と。
わたしなんかより絶対にあなたに必要だから、あなたが花嫁になるべきなの。
一片の迷いもなく、本心からそう語るちひろが、黒髪の娘にはまぶしく見えた。
ちひろは何不自由なく育てられた娘だ。村長の長女に生まれ、裏表のない真っすぐで快活な性格ゆえ皆から好かれる。それでも驕ることなく、神の花嫁という名誉な地位をたやすく他人に譲ってしまえる。
――自分には、到底そんなことはできないと、黒髪の娘は思う。その心根の、呆れてしまうほどの真っ直ぐなうつくしさを思えば、花嫁になるべきなのはちひろの方だ。まさしく、神にふさわしい無垢な存在なのは。
そして、当人だけがいつまでたっても自覚していないところも。
『ちひろ。わたしは花嫁にはならない。なれないよ』
黒髪の娘は微笑んだ。対し、ちひろの表情は凍りつく。
『なんで。どうして?』
『ちひろの方がふさわしいから。それに、わたしは親兄弟もいない。せっかく花嫁になっても、よろこんでくれる人は誰もいない』
『わたしがいる! わたしがよろこぶわ、あなたが健康で幸せで、何の心配もなく一緒に外に出られるようになったら!』
黒髪の娘はますます笑みを深くした。
無垢で純粋なちひろと違い、黒髪の娘は、神に嫁げば永劫の幸福があるなんて信じてはいなかった。そんなものは僧侶の語る死後だの来世だのと同類のおとぎ話、絵空事だ。
だいたい、人間が不老不死になどなれるわけがない。神なんてものも、いるのかどうか。巨大な鉄の塊が空を飛び、海を泳ぐこの時代に? 黒髪の娘は目に見えない神など信じない。黒髪の娘にとっての現実とは、肺病みの血統、日に日に悪くなってゆく胸、起き上がることさえしんどい体、そういったもので彩られている。
それでも、ちひろがこんなにも一所懸命になっているのだから、その夢をぶち壊すことはできなかった。
ちひろは、黒髪の娘がただひとり交流を持つ、友人なのだ。
もしかしたら、そう思っているのは黒髪の娘だけで、友情だと思い込んだだけの一方通行の感情かもしれなかったけれど。
黒髪の娘は、自分なりに、ちひろを大切に思っていた。だから否定はできなかった。けれど肯定もできない。神などなく、不老不死など絵空事だと知った時、疑いなくちひろが傷つくだろうと、わかっていたから。
※
何を語ったところで、黒髪の娘がそれを実現不可能な夢物語だと思っていることに、ちひろは気づいていたし、それゆえに傷ついた。今の自分が何を言っても夢想でしかない。信じてもらえるだけの力が、信頼が、ない。ちひろにとって、直視したくない現実だった。
実際、ちひろに出来ることはほとんどない。神の花嫁は夏の終わりに決められる。選ぶのは村人と村長の総意――つまりはちひろの父の思い通りになる。
父はちひろを花嫁にしたがっている。一族から神の花嫁が出るという名誉に取り憑かれていて、ちひろが花嫁になれないならば、あの黒髪の娘が選ばれる。
ある日の朝、まだ空が白みかけている時刻に、ちひろは山へ行って神をまつった社に足を踏み入れた。
『神様! あなたにふさわしい、うつくしく誇り高い花嫁を献上します! だからどうか、わたしのたくらみを支援してくださいませ!』
その直後、ふいに強い風が吹いた。ちひろは腕で顔をかばい、目を閉じた。すぐ吹き抜けていくかと思った風は、嵐のように吹き荒れて、舞い上がる木の葉や砂利がびしびしと全身を打ちつける。その痛みと風圧とで息もできなくて、やがて立っていられなくなって、ちひろはその場にしゃがみ込んだ。
やがて唐突に風は止んだ。ちひろはおそるおそる顔を上げ、あたりを見渡し、息をのむ。
『……うそ、なにもない』
あれほどの風が吹いたというのに、周囲には落ち葉ひとつない。ちひろが来た時と同じ、きれいに掃き清められたままの状態だ。
こんな事はあり得るのか。ちひろは思ったが、すぐに思いついた。尋常ならざるこの出来事こそ、神の手によるものの印。それこそ、神がちひろの言葉を受け入れたに違いない。
ちひろは微笑んだ。
確信があった。言葉の通り、神は美しく誇り高い花嫁を受け入れるだろう。誰よりも美しく、誰よりも気高い少女を。
※
魂、重たくって 二枚貝 @ShijimiH
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