神のご加護が届く場所
しろがね。
プロローグ
第0話-受け継がれし風-
ここは世界の西側。風を司る神、イェティスが舞い降りたという伝承が残る国、クリミナード公国。空にはいつも澄んだ風が吹いている。そして、その風が運ぶ運命の中に、一人の少女がいた。
♢
それは少女がまだ4歳だった日のこと。
「お誕生日おめでとう。はい、お婆ちゃんからのプレゼントよ」
祖母の手から誕生日プレゼントとして貰い受けたそれは、祖母と自分の瞳の色と同じターコイズブルーに輝くペンダントだった。日の光を浴びて煌めくそれは、この国の秘宝、
「その笛はね、我がクリミナード公爵家に代々伝わる “ 御守り ” なの。大切にしてね」
キラキラと光り輝くそれに否応なく目を奪われていると、
「しかも、それはただの御守りではないのよ?」
と、話す老婆はいつになく真剣な面持ちで、さらにこう続けた。
「その笛には、“ 風の神様が宿っている ” の」
「カゼノカミサマ…?」
小さく首をかしげた。
この国は風の神様に護られているということは散々聞かされてきたが、実際に見たことはないし半信半疑でいた。けれど、祖母の瞳の奥には確かな祈りの光があった。本当にいるのではないかと、そんな思いにさせてくる。
「その笛を吹くとね、風の神様があなたの願いをなんでも叶えてくださるのよ」
「ほんとう?!」
願いがなんでも叶う———そんなパワーワードは幼い好奇心を満たすには充分だった。
「ねぇお婆さま、吹いてみてもい〜い?」
今までとは違い、水を得た魚の如く目をキラキラさせながら聞いてくる孫娘に、祖母は小さく笑いながら頷く。
高鳴った胸に思い浮かべる4歳児の願いと言ったら、いっぱいお菓子が食べたい!とか、夜ご飯のデザートはケーキがいい!とか、そこらへんが妥当だろう。
はてさて、何が叶うのだろう?
夢と希望に胸を躍らせながら、少女は勢いよく笛に息を吹き込んだ。
【プス———】
聞こえてきたのは息が吹き抜けるだけの見すぼらしい乾いた音だった。
期待はずれの現象に、「ねぇお婆さま、」と口を尖らせる。
「もしかしてこれ、壊れて———」
「決して壊れてるとかじゃないのよ?断じてそれはないわ!そこは安心して?」
祖母は食い気味に言葉を遮り、力強くそう言ってのけた。そしていつもの落ち着いた声でこう続けた。
「きっとまだ “ その時 ” じゃないのだわ」
“ その時 ” って?と首をかしげて問うと、真っ直ぐ自分を見据えた老婆は目を細めた穏やかな顔で口を開いた。
「あなたが “ 慈悲の心 ” を使う時よ」
———その言葉は、風よりも静かにこの小さな胸の中に沈んでいった。
「お婆さま、ジヒノココロってなぁに?」
「フフッ、あなたが生まれながらに持っているものよ。心配いらないわ。その笛が鳴らせるようになる頃には、きっとわかるはずだから」
「お婆さまは鳴らせるの?」
「いいえ。お婆ちゃんはとうとう鳴らせなかったわ」
祖母は小さく息をつくと困ったように笑いながら言う。だがそれが、あまりにも残念そうなものには感じられなかったのだ。
「お婆さまには、“ その時 ” が来なかったの?」
「…そうね。その頃にはもぅ、お婆ちゃんにはお爺ちゃんがいてくれたから」
祖母は近くの棚に飾ってあった写真立てを見やった。そこには今は亡き祖父と並んで微笑み合う2人の若き頃の姿が写っていた。幸せそうな2人の表情はいつ見ても目を奪われてしまう。
それからまた改めて老婆は少女に向き直る。
「シーちゃん、この世界はね、良いことをしても、そうじゃないことをしても、
“ 巡り巡って必ず自分の元へ還ってくる ” の」
「めぐりめぐって、かえる??」
その言葉がやけに素直に心の中にストンと落ち込んだ。
それがどんなものでも、例えどれほど時間がかかっても、どれほど姿形が変わろうとも、必ず自分の元へ戻ってくる———。
それはどこか恐ろしくて、どこか安心感を覚えさせた。
祖母はそのまま私の髪を優しく撫でた。その手はあたたかく、風のように柔らかかった。
「嫌なことが返ってくるよりは、良いことが返ってきてくれた方が嬉しいでしょう?だから、できるだけ良いことがたくさん返ってくるように、あなたもできるだけたくさん、良いことをしましょうね」
“ 良いこと ” ?
フワッとした表現にただただ首をかしげるしかできない少女に、
「生まれ持った慈悲の心を正しく使うこと。
あなたがあなたでいてくれること。
———ただ、それだけでいいのよ」
祖母は相も変わらず、優しい笑顔で答えた。
「ほら、よく聞いて?
これからあなたにどんなことがあろうとも、その笛が、
だからどうか、あなたが生まれ持ったその慈悲の心を、決して忘れないでいてね———。
祖母はあえて声には出さず、表情だけでそう語っているかのようだった。
穏やかで優しくて、普段から大好きな声。それなのにこの時だけは、どこか違って聞こえてしまったものだから、思わず聞かずにはいられなかった。
「お婆さまは———?」
「っ…」
真っ直ぐな声が飛んできて、祖母はふと、孫娘の顔を見た。
「お婆さまがそばにいて!風の神様じゃなくて、シーアはお婆さまがいてくれたらいい!!」
祖母はその言葉に、そっと少女と同じターコイズブルーの瞳を伏せる。
それを見た途端胸騒ぎがした。影を潜めていたはずの、忘れていたはずの “ 何か ” が、また音もなくじわじわと心に忍び寄って来るかのようだった。
少女は縋り付くように椅子に深く腰掛けた祖母にギュッと抱きついた。
「大丈夫。あなたはあなたのお母さまに似て、誰よりも優しい、慈悲の心を受け継ぐ子だもの。その心があれば、いずれはその笛も必ず鳴ってくれるはずよ」
「お母、さま…?」
「だからきっと大丈夫。大丈夫よ」
老婆は変わらず穏やかな口調でそう言いながら、孫娘の中に巣食うモヤモヤを消し去るように、その手でまた頭を優しく撫でてやるのだった。
それは雲一つなく、空が青く澄んで、よく晴れた日だった。ふいに窓の外から吹き込んだ風がふわふわとカーテンを押し上げて、目の前の祖母の美しい金色の髪をキラキラと揺らしていた。それが、少女が見た祖母の最後の元気な姿だった。
その姿はまるで、風をその身にまとった女神のように、少女の瞳には映っていたのだった———。
♢
これは、神の力を手に入れた一人の少女が、“ 本当の願い ” を見つけ、叶えるまでの物語。
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