第22話 水面下の駆け引き

 絵里香と別れたその後。彼女を救うべく紗希は戦いの準備をする。まずは情報だ。同級生から聞き出すのは怪しまれるので駄目。教諭なら猶更だ。ならば頼れる者は一人しか居ないと思い、文芸部へと向かう。


「やあいらっしゃい。……僕に何か用事かな?」


 部室で何やら難しそうな本を一人静かに読み耽っていた誠也。此方の入室に気付くや否や先輩は瞬時に此方の様子を察したか、先に訊ねてきた。


「高河先輩! 先輩ってここら辺りの事って詳しかったりしますか!?」

「随分と要領を得ない質問だなぁ。……まぁ、此処に移り住んで結構日が経ってると思うから詳しくない事は無い、のかなぁ?」


 今は一秒でも時間が惜しい。有耶無耶な返答をする誠也に痺れを切らした紗希は、迷う事無く例の物を突き付けた。


「……これは」

「このバッジの事! 何か知ってたりしますか!?」


 以前暴漢に襲われそうになった時、望が奪い取った金色のバッジ。穏やかな笑みを浮かべていた男は、それを手に取り凝視した途端に表情が一気に硬いものへと変貌した。


「……これ、結構危ないモノだよ。何で君が持ってるの」

「いいから答えて下さいっ!!」

「……それ、衣川組いがわぐみの代紋バッジだよ」


 有無を言わさず問い詰める紗希に観念した誠也は答えにくそうにしつつも答えてくれた。回答を受けた紗希は確信した。魅遊のバックには間違い無くヤのつく組織がついているのだと。


「ここら辺りを縄張りとしてる暴力団だよ。今は大人しくしてるみたいだけどちょっと前に隣町の敵対組織の組員を皆殺しにしたって噂を聞いた事がある。……危ないでしょ?」

「すみません。その、衣川組ってのは何処にあるのか分かったりしますか?」

「君、話聞いてた? 知ってどうしようって言うの」


 誠也が呆れた様子で見ている。だがその口振りは知っている様だ。嫌が応にでも答えて貰わなくてはならない。


「そ、その~、何ていうか、道で偶然拾いましてね? で、あまりにもフツーじゃない綺麗なモノだから高そうと思ったんです! 落とした人、きっと困ってるだろうし直ぐにでも届けてあげなきゃと思いましてネ!?」

「その理屈なら拾って直ぐに交番に届けてるんじゃないのかなぁ?」


 流石はこの学校で一、二を争う程の模範生。能天気そうに見えてそう簡単に騙されてはくれないらしい。咄嗟の嘘も看破されてしまい、紗希が言葉を詰まらせていると誠也は此方をじっと見つめて諭し始める。


「……風間さん。悪い事は言わない。そんなモノは直ぐに捨てて何も見なかった事にしておこうよ。君の想像以上に危険な目に遭うかもしれないんだよ?」


 先輩の言っている事は正論な上に、此方の身を案じて言ってくれている事は確かに理解出来る。けれどハイ分かりましたと引き下がる訳にはいかない事情というものは此方にもあるのだ。


「――お願いです高河先輩!! 知ってるなら教えて下さい!!」


 形振り構っていられず、紗希は大きく頭を下げた。食い下がってくるとは思ってもみなかったのか、誠也は分かりやすく動揺していた。


「やめてよ、顔を上げて」

「事情は言えませんけど! 私、どうしても其処の場所を知りたいんです!! 絶対に危ない目には遭わないって保証します!! だから……お願いします!!」


 誰かに頭を下げて物を頼むという行為は生まれて初めてなのかもしれない。だが想像していたよりも何て事はなかった。男は教えるべきか否かで大きく唸りながら悩んでいた。何を言っても引き下がらない紗希に誠也は根負けし、大きく溜息を吐いていた。


「……絶対にだよ。でないと鈴木君と京極院さんが悲しむ」

「勿論です! 有難うございます!」


 誠也は渋々スマートフォンを取り出すと重そうな指先で地図アプリを開き、お目当ての情報を与えたのだった。



 未だに納得はしていなかった誠也と別れた紗希は真っ直ぐホテルの一室へと戻る。誰にも尾けられていない事を確認した後、直ぐに父、義之に電話を掛ける。仕事中でなかったのか、ワンコールで繋がった。


『紗希か? 最近どうしたというのだ? メイド長から聞いたぞ、此方にソーニャを預けて望とホテル暮らしなどと――』

「ごめんパパ! それよりも急ぎでお願いしたい事があるの!」

『……話してみなさい』


 開口一番に長い長い小言が始まりそうだったので紗希は強引に話の腰を折って本題に入ろうとする。

 父ならば愛する娘の頼みとあれば素直に聞いてくれると思い、此れまでの経緯と要求内容を包み隠さず正直に話したが、彼女の期待とは裏腹に義之の反応は厳しいものであった。


『――大体の事情は分かった。しかし紗希。お前は賢い子だからそのお願いは全然軽くないし途轍もなく危ない事は理解しているのだろう?』

「分かってるよ! ……でも!!」

『それに、紗希の言う同級生の子の揉め事にお前は無関係な上に助けたって何の得にもならないじゃないか。何処かへ行ってしまう子の事なんてさっさと忘れなさい』

「無関係って……! さっさと忘れろって……!!」

『紗希。お前がなりたがってるはな、そんな危ない事に首を突っ込むような事はしないものだ』


 義之の言っている事は正論だった。そもそもに生活したいと望んでいる自分が風間義之膨大な金風間望絶大な力を使ってまで極悪人に一泡吹かせるって事自体普通ではない。寧ろなのかもしれない。


 ――けれど、本当にそれでいいのか?


「……パパの言う通りだと思う。こんなの……全然普通じゃない」


 ――京極院絵里香は泣いていた。あの涙は、助けを求めている様にも見えた。あのプライドの塊の様な彼女が、である。それを見て見ぬフリをして忘れろなんて、出来ない。


『分かってるなら――』

「……それでも! 私はあの子を助けたい!! 何とかしてあげたいって気持ちが普通じゃないってのなら! 私は普通じゃなくていい!!」

『……』

「だから……どうかお願い! 私に力を貸して!! パパ!!」


 紗希は渾身の想いと共に懇願する。しかし待てども待てども沈黙が続く。父の助力が無ければ絵里香を助ける事も、魅遊を倒す事も儘ならないだろう。


 やはり駄目だったかと諦めかけたが、先に静寂を切り裂いたのは義之の方だった。それも何処か明るい調子で、何処か嬉しそうな様子だった。


『……仁美ひとみに似たんだな、お前は』


 仁美とは義之の死んだ嫁の名前、つまりは紗希の母の名前である。まさか父からその名前を口に出してくるとは思いもしなかったので、紗希は驚きの余り言葉を詰まらせてしまった。


『私の負けだ。明日には必要なものをキッチリ準備しておこう』

「パパ……!! 有難う!!」

『その代わり、絶対に無事に終わらせてきなさい。いいな?』

「大丈夫! だって私には――」


 ――望がいるから! 紗希はそう言って近くに侍らせていた望の腕を掴んで手繰たぐり寄せ、通話中と表示されているスマートフォンを男の目前に突き付けた。


「旦那様」

『その声、望だな!?』

「命に代えても紗希は俺が護りますので、どうかご安心を――」

『そんなの当然の事だろうがたわけ!! キサマ、私が言った事を忘れていないのだろうな!? そもそもキサマはだな――!!』


 小言が長引きそうだったので紗希はうんざりした表情と共に終了ボタンを押して通話を終了させた。

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