第7話 一緒に寝て欲しい

 ゴキブリ騒動の後、俺は七海ちゃんに頼まれて一緒に近くのコンビニまで買い出しに出ていた。


 まあこの暑い中、アイスを食べたいという気持ちは分からなくもない。


 オレンジ色のカゴを手に持ち、みかん味やらバニラやら色々と入れていく。


 その横では七海ちゃんがチョコチップの入ったカップアイスを選んでいた。

 俺は会計を終えて外に出ると、七海ちゃんがこちらに向かって手を差し出す。


 レジ袋を持っている俺の手を見て、そうしているのだ。

 どうやら持ってくれるらしい。


 俺は「ありがとう」と素直に七海ちゃんに渡した。


 夜の道を二人で歩く。


 都心といえど、住宅街なので人通りは少ない。

 たまに自転車に乗った人が俺たちを追い抜いていく。


 俺はふと、七海ちゃんの服装に目がいった。

 タンクトップに短パンというラフな格好をしている。


 七海ちゃんの寝巻きスタイルだ。

 アイスを食べ終わって歯を磨いたら、俺と七海ちゃんは今夜、同じベッドで寝ることになっている。


 なんでもゴキブリが怖くて一人で寝られないそうだ。

 家にいたやつは駆除したし、黒いキャップさんも設置したし、何も問題はないはずなんだけどな。


「あ、アッツイねなんか。いや~超アチイわ。ハハッ」

 

 七海ちゃんはわざとらしくそんなことを言う。

 明らかに動揺していた。


 いやまあ……そりゃ緊張するよね。

 俺だって多少は意識してる。


 七海ちゃんは、一緒に寝て欲しいとお願いしてきたあと、ずっとこんな調子だった。


 平静を装っているけど、顔が真っ赤だし、心なしか足取りもぎこちない。

 俺も何を話したらいいのか分からないし、お互い気まずさを感じながら歩いて行く。


 沈黙を破ったのは七海ちゃんの方からだった。


「あの、さ、昨日あんな話しといて、今日こんなこと言うのもなんだけど……その、幹久がしたいと思ったら、あたしはいつでもオッケーだから……」


 七海ちゃんは顔を赤く染めながら、そう言った。


「しないってば……。一緒に寝るだけだ」


「カノジョさんと別れたんっしょ、なら別に気にせんでもいいじゃん……」


 なぜか拗ねる七海ちゃん。

 なんというか、それは承認欲求を満たすためのお誘いにも聞こえた。


 この子を軽んじてはいけない。

 人を好きになることの意味を理解していないからこそ、そういう考えに至るんだろう。


 俺は立ち止まると、七海ちゃんの方に向き直った。


「今からありきたりなことを言うよ」


「うーん、どんな?」


「もっと自分を大事にしなきゃダメだよ」


 俺はそう言い残して歩き出した。


 七海ちゃんは一瞬足を止めたが、すぐに追いかけてくる。


 俺の隣に並ぶと、彼女は「むうっ」と不機嫌そうな声を出した。

 そして俺の腕をつねってくる。


 ちょっと痛い。


「やっぱ幹久はアタシのこと子供扱いしてる」


 七海ちゃんは頬を膨らませて俺を見上げていた。

 どうやらご不満らしい。


 俺は困り果てたように苦笑を浮かべる。


「まあそうだね」


「ほらやっぱり。アタシのこと魅力的とか言っておきながら、結局はそうやって線を引くんだ。アタシ幹久のこと好きだよ。もうね、好きになったらどうする? とか卑怯なことは言わないから」


 七海ちゃんは俺の服の裾を掴んで、下から覗き込むようにして睨んでくる。

 正直、可愛い。


 あざといくらいに可愛い。

 ただ、今の七海ちゃんは、ゴキブリ怖さに俺に甘えているだけのようにも見えた。


「勘弁してくれ。俺は今日恋人と別れたばかりなんだ。それにまだ七海ちゃんのことをよく知らない」


 俺はやんわりとした口調でそう告げた。

 すると七海ちゃんは俯き、「ふん」と唇を噛んで黙ってしまう。


 ……少し言葉が過ぎたか。


 気持ちは分かる。


 一緒に住み始めて、情、のようなものが芽生えてるのは俺も同じだから。


 だけど俺たちはまだお互いのことを何も知らない。


 過去や辛い思い出を共有したのかもしれないけど、それでも俺は七海ちゃんについて知らなすぎる。


 簡単に一線を越えるわけにはいかない。

 俺はそんなことを考えつつ、再び歩みを進める。


 七海ちゃんは俺の横をトボトボとついて来ていた。


「やっぱ軽蔑したんだアタシのこと……?」


「してない。それだけは違う」


「じゃあどうして抱いてくれないの……? することはそんなに悪いことなの? それを悪いことだっていうんなら、幹久はアタシのこれまでを拒絶してるってことだよ……。ねえ、答えてよ……」


 七海ちゃんは必死な様子で訊ねてきた。


 夜風が吹いて、彼女の髪が揺れる。

 その瞳からは少しだけ涙が溢れていた。


「拒絶してるからしないってのは七海ちゃんの勝手な解釈だと思うよ。俺はむしろ逆だと思ってる。七海ちゃんとこれから先も付き合っていきたいからこそ、安易にそういう関係にならない方がいいんじゃないかなって考えてるんだ」


「どういうこと……?」


「俺はキミに救われて、キミに感謝している。だからこそ幸せになって欲しいと思っている。俺がもし七海ちゃんに手を出して、それが上手くいかずに、七海ちゃんが傷つく姿なんて見たくないんだよ……。俺は七海ちゃんを大切に想ってるからこそ、自分の感情だけで突っ走っちゃいけないと思うんだ」


「でも、アタシはしてくれない方が傷つく。ううん違う。幹久には傷つく覚悟がないんだって思っちゃう」


 俺の言葉に反論する七海ちゃんの声は震えていて、どこか切なげだ。


「もう充分傷ついたさ。キミがいなきゃ俺は生きていけなかったと思う。キミがいてくれて本当によかった」


 俺はそう言って、七海ちゃんの手を握った。


「今はこれで許して欲しい」


「あ、うん……」


 七海ちゃんは力強く俺の手を握り返すと、目尻から小さな小さな涙をこぼした。

 夜の街頭に照らされてなければ、おそらく見逃していただろう。


 それから俺たちは家に帰るまで、一言も言葉を交わさなかった。


 でもお互いに気持ちは届いていたと思う。


 玄関を開けると、七海ちゃんは真っ先に靴を脱いで上がっていく。

 冷凍庫にアイスを収納して、食べる分だけを寝室へと持っていき、勢い良くベッドにダイブした。


 しばらくすると、布団を被って丸くなる。

 まるでミノムシだ。


 寝転んで食べちゃダメだとさんざん……注意したのになあ。


 掛け布団から顔と腕だけ出して、七海ちゃんはアイスを食べ始める。

 その表情は幸せそのものといった感じで、見ている俺も思わず笑顔になってしまう。


「へへ。うまし」


 そう呟くと、七海ちゃんは再びアイスを口に運んだ。


「随分とご機嫌だなあ。アイスひとつでそこまで喜んでくれると俺も嬉しいけど」


 そう言うと、七海ちゃんはムッと眉間にしわを寄せた。


「幹久、鈍感すぎ。アイスで喜ぶんじゃなくて、好きな人とこうして一緒にいる時間が嬉しくて仕方ないの!」


「……なんか開き直ったね。俺のこと好きって言うけど、思い当たる節がなさすぎて全然実感湧かないんだけど」


「だって幹久優しいし、お金持ってそうだし、一緒にいて楽しいもん」


「結局は金かぁ……」


 今どきの女子高生でもそう思うってことは、世の女性たちはどれだけ男に対して冷めているんだろうね。

 まあ中には本気の子もいるだろうけど、大半は打算的な考えがあるはずだ。


「ま、それだけじゃないよ。アタシだって人を試す。だってその人がどんな人なのか知りたいからさ」


「さっきのも駆け引きってことかあ……。そう思うと余計にキミとはこれ以上の関係になれない気がしてくるな……」


「そこが幹久の鈍感なところ。さっきのはマジじゃん。幹久のことをある程度信用した上で誘ってたの。でも、不覚だった。甘えて幹久に抱いて貰えればもっと好きになると思ったけど、断られたのにこんなに嬉しく思うなんて……」


 七海ちゃんは顔を赤くしながら、照れ隠しをするようにアイスをバクバクと口の中に放り込んでいく。

 そしてあっという間に完食してしまった。


 キーンと頭が痛くなったのか、こめかみを押さえながら悶える。


 ……不覚だ。


 七海ちゃんが正直になればなるほど七海ちゃんのことを魅力的に感じる自分がいた。

 この子を幸せにしてあげたいと思う反面、やはり踏み切れない自分がいるのだ。


 きっと俺は臆病者なんだろうなあと改めて自覚する。

 七海ちゃんは俺を見つめると、優しく微笑みかけてきた。


「幹久はアイス食べんの?」


「俺はいいよ。歯を磨いておいで。そろそろ寝よう」


「わ、わかった……すぐ磨いてくる。めっちゃ磨いてくる」


 七海ちゃんは慌てて洗面所に向かっていった。

 俺はその後ろ姿を見送りながら、ため息をつく。


 めっちゃ磨いてくる……って、まだあきらめてないんだな。


 今夜は用心しないと洒落抜きで俺の中の獣が呼び覚まされてしまいそうだ。


 しばらくぼうっと天井を眺めていると、七海ちゃんが戻ってきた。

 タンクトップに短パンというラフな格好のまま、ベッドの端でちょこんと正座をしている。


 その姿はなぜか緊張気味だった。


 俺はそれを見て「あはは……」と苦笑すると、電気を消して、ごろんと寝転ぶ。


 七海ちゃんは俺の横にぴったりとくっついてきて、横向きになった。


「……」

「……」


 慌てて、背中を向ける。


 間近で見る七海ちゃんの顔が色っぽすぎて向き合うのは流石に無理があった。

 七海ちゃんは俺の反応が気に入らないようで、俺の腕を掴んで引き寄せようとする。


「なんで逃げるの。こっち向いてよ~」


「逃げてはない。早く寝なさい」


「アタシ超怖いんだけど……後ろからくっついても怒らない?」


 七海ちゃんは不安げに訊ねてきた。


「もう充分そばにいると思うけど……?」


「でも……くっついてる方が安心する」


 沈黙を肯定と取ったのか、七海ちゃんは後ろから抱きついてくる。

 やばい。


 柔らかすぎる。


「幹久、あったかいね。ずっとこうしていたい……」


 耳元にかかる吐息がくすぐったい。

 もぞもぞと動くたびに、七海ちゃんの甘い香りが漂ってくる。


 もぞもぞもぞもぞ。


「な……なにをしてるんだ。くすぐったいよ……」


「なにってナニしてるだけ、だけど……? 幹久は目瞑って早く寝なさい……」


 七海ちゃんは俺の背中に胸を押し付けたまま、下半身をもぞもぞさせ続ける。

 いや……擦り付けるように動かしてるのかもしれない。


 ナニって……なんだ。


 いや、考えるのはよそう。

 俺は目を閉じる。


 今日は色々とありすぎて、疲れていたのが幸いしたのかもしれない。


 いつの間にか意識が遠くなっていくのを感じた――

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