第18話 兆し

春臣side



 あの日から何週間たっただろう。

 足首を鎖で繋がれ、彩冷さんの出迎えを繰り返す毎日。これほど変わり映えしない日常を過ごす事で、俺の心は憔悴しきっていた。

 部屋で一緒の場合、互いの好きな部分を言い合う時間が流れる。少しでも返答を誤れば、その日の晩は体を貪られ、痛めつけられる。

 もう、堪えられない……。

 誰でもいいから、助けてくれ……。




「ただいま~。いい子にしてた?」




 あぁ……帰ってきた。でも、まだ機嫌がいいみたいだ。少しでも機嫌を損ねないように、明るく対応しよう。




「お帰り、彩冷さんっ」


「もぅ、疲れた~。慰めてぇ……」




 膝に頭を乗せ、猫撫で声で仰向けに笑顔を向ける。

 不意に綻ぶ視線を送られ、顔が引き攣る。俺にした仕打ちを記憶から消去しているのか、彼女の悪びれない姿に身の毛がよだつ。

 その嫌悪感をグッと押し殺し、艶やかな栗色の髪を撫でる。




「やっぱり春臣くんは撫でるの上手だね」


「いや、普通ですよ。誰が撫でても一緒ですよ」


「全然違うよっ!」




 この時より出る彼女の声量に毎度驚く。自分に向ける感情の吐露が恐怖でしかないからだ。

 瞳孔は開いているにも拘らず、光が射さない濁った湖面のような瞳。狂気じみた語調に言葉の羅列、俺にはノイズ交じりの機械音声にしか聞こえない。

 身を乗り出す彼女に後退ると、その行為が気に食わなかったのか、更に肉薄してくる。




「何で近付いただけで逃げるの……? ねぇ、何で?」


「い、いや……」




 本当の事を言えば殺される……。

 恐怖に気圧され、本能的に体が避けようとしたとは、死んでも言えない。たじろぐ事で、彼女の顔面は凍ったように微動だにしない。




「またお仕置き……して欲しいの?」




 また寝室に連れて行かれる……。

 あの日の夜の事を思い出す度、早鐘を打つ鼓動。

 無抵抗な体に打ち込まれる欲望。延々と続くような時間を、彼女といつまでも繰り返さなければならない。彼女が満足するまで……。

 美春……情けない兄を許してくれ。






























美春side



 はぁ……。最近、お兄のメールが素っ気ない。くだらないやり取りが、すぐに打ち切られる。

 それに家に行っても、姿を見せずに帰れの一点張り。

 わたし、なんかお兄にしたかな……。

 買い物の帰り、見覚えのある女性――ではなく、男を見つける。




「あ、ビッチ」


「あ、貧乳」




 会いたくもない相手と鉢合わせるなんて、最悪。まぁ、あっちも同じ事思ってると思うけど。名前は何だっけ……? 氷鞠、だっけ。

 開口一番、汚い言葉で挨拶する。

 互いに見つめること数十秒、わたしはビッチの表情が暗い事に気付いた。目の下のクマ、食べていないと分かる程の頬の凹み。どことなく声にも覇気が無いように感じた。




「春臣は元気?」


「え……?」




 どういうこと? この人はお兄と同じ会社で働いてるんじゃないの?

 毎日顔合わせしてるはずの同僚に、何故その言葉が出てくるのか分からなかった。




「何でそんな事聞く必要が? 仕事で会わないんですか?」


「……三週間、連絡が取れないの」




 連絡が取れない?

 無断欠勤、ってことは無いはず。熱でもない限り、休む事は先ず無い。仮病も使う性質ではないのは、わたしがよく知ってる。熱を出した日は、必ずお見舞いに行くし。

 じゃあ、何で……。




「貧乳が家に閉じ込めたんでしょ……。妹だからって、何でもして良いわけじゃないっ……」


「兄妹だからって、安易に決めつけるのはどうかと思いますけど? 整形しても、その偽乳に栄養っていくんですね。だから安直な思考しかできないだけでは?」




 つまりコイツも、お兄の行方は分からないのか。犯人はコイツじゃないとすれば、誰なんだ。

 お兄の家に居た、あの変な上司? それともアトラクションで、お兄が口を滑らせた時の女? それとも……。

 わたしが腕組みをしながら指を動かしていると、氷鞠が額に青筋を立てながら睨む。




「勝手に黙らないでくれる……? こっちは春臣が居なくて気が気じゃないんだけど?」




 それはわたしだって同じだ。これ以上、お兄の匂いが嗅げないこの精神状態でいつまで堪えらるか分からない。

 禁断症状なんか出始めたら、自分でもどうなるか。





「こっちだって同じです。兄妹なんだから尚更狂いそう――」




 そうだ。

 会話の最中、わたしはある考えが思い浮かぶ。

 こんな奴に頼むのは癪だけど、今の危険性を考慮すればお兄との時間を取り戻せば安いもの。

 わたしは行き交う買い物客が鬱蒼とする街路で、氷鞠を見つめる。




「わたしに、協力して」




















氷鞠side



 協力? 僕に何の要求をするつもりだ、このブラコンは。どうせ上手い話で持ちかけて、春臣を独り占めする算段でしょ。全く、そんな手には乗らない――。




「協力してくれれば、お兄とデートした時は邪魔しない」


「良いでしょう!」




 なぁんだ〜。春臣の妹も案外、話が分かるじゃない。兄を溺愛する崇拝者じゃ無かった訳だ。うんうん、兄離れが出来たんだな妹――。




「但し、お兄とエッチしたら殺します」


「は?」


「逢引は容認しますが、それ以上の行為は性転換したアナタだと不快です。論理的に受け付けません」


「兄妹でする方がよっぽど倫理観崩壊してるわっ!」


「愛でカバーするので問題ないです」




 はぁ……。コイツに何を言っても、全部自分の都合の良いように改変される。喋るだけで頭が痛くなってきた。

 取り敢えず、本題に入ろう。




「……それはいいとして、何をするの?」


「それは――」





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