2-2 履修登録者リスト
何のことか一瞬わからなかったが、すぐに思い付いた。クイズと違って、わかっても全く面白くない。
「あの、もしかして、ミステリー研究会の人が……」
しかもパートナーって。
「うむ、執務から聞いたのだが、学内のことで何か困ったことがあればミステリー研究会の何とかいう人物に連絡してくれとのことだった。ただ文学部にも窓口があって、それが君だと」
真倫さん……まさかビラでも作って撒いてるんじゃ……そこまでするとは思ってなかったのに。
「それは学内でどれくらいの人が知ってはるんですか?」
「そんなこと、私が知るものかね。君が自分で知っているべきだろう」
はい、ごもっともです。後で真倫さんを問い詰めなければ。この数週間に宣伝活動をしてたんだろうけど、どうしてクイズ研の会員からは何も言われないんだ? 何かにつけて情報が早い連中が揃ってるのに。
それはともかくこの場はどう収めるべきなのか。
「僕は責任者やないので、責任者に確認してから回答するということではいけませんか」
「責任者に執務が確認して、受けると答えたから君に連絡したはずなのだが」
「内容や期限についても?」
「それは説明していない。今、君に言っただけだ。とにかくやってくれ」
話は終わり、とばかりに教授は立ち上がり、湯呑みを持ってデスクへ戻ろうとする。その背中に向かって僕は「すいません、もう一つだけ」。
「何か?」
教授は自席に座ってから答えた。もう僕の方を見ていない。紙の束――おそらく論文か何かを読むつもりだろう。論文って、電子より紙の方が読みやすいんだよなあ。
「講義の出席者を調べるということは、履修登録者リストを見せてもらえるということですよね?」
「無論だ。執務に、君に対して可能な限り便宜を図るよう言ってある。ただ、情報の取り扱いには十分注意すること」
「それはもちろん」
「ではすぐに始めてくれ。ああ、それから」
「……はい?」
お茶を口に含んでいたので、返事が遅れてしまった。まさか教授の方から「もう一つ」があるとは。
「何を調べているかは他言無用だ。執務にも学生にも」
「はあ、気を付けます」
履修登録者リストを執務さんに見せてもらうのに、その目的をはっきりさせないでいいものだろうか。しかし執務さんに言うと、自然に学生にも伝わるに違いない。話していいのは真倫さんだけということになる。
お茶を飲み終えて、「失礼します」と言って部屋を出る。執務さんのところへ行かねばならないが、その前に真倫さんを問い詰め、いや調査の趣旨を説明しなければならない。
電話すると「ただいま電話に出ることができません」の自動応答。講義に出席中か。しかたない、メッセージを飛ばす。
ちなみにアドレス帳で彼女は本名の〝麻生雅子〟で登録してある。甚だしくどうでもいいことだが。
よし、メッセージ送信完了。いつ返事が来るか。うわ、もう来た。はっや。
『人数を絞った上で、四限終了後ボックスにて報告』
めっちゃ偉そうな指示来たわ。
人数を絞る? どうやって? せめてそれくらい指示してよ。訊いておくか。送信っと。……返事がないなあ。自分で考えろってこと? 僕、クイズ研なんで、答えのあることだけが得意なんですけど。
まあいい。リストを見せてもらえるのは今日だけとは限らないだろう。絞り方が思い付かなかったら、後で指示を聞いて、明日の朝にでもやれば。
とりあえず事務室へ。美しい執務さんが優しげな笑顔で迎えてくれる。
「すいませんが哲学の講義の履修登録者リストを……」
「はい、用意してます」
なるほど、教授からちゃんと指示があったようだ。ノートPCを渡された。本来はウェブシステム上のデータベースに登録されているのだが、ダウンロードしてエクセルシートにしてあると。このファイルをもらうわけにはいかないんだよな、もちろん。
「ところで何を調べるんですか?」
執務さんが訊いてくる。え、それを訊いてはいけないと言われてないの?
「すいません、言えないんです」
「そうですよね。訊いてはいけないと言われたんですけど、気になって」
言われとんのやないかい。そんなお茶目な顔をしても言わへんで。
空き机を借りて、エクセルシートを見る。すごい数。100人以上いる。145人。哲学の講義で点呼を取らないのは、受講者が多いからだろう。大学生になるとやはり哲学というものに興味を持つ人は多いらしく、一昨年なら4月には大講義室が半分弱は埋まるほど座っていた。点呼を取ってたら十数分はかかってしまう。
ただし、内容は大多数の人の期待どおりのものではないようで、GWが明けると半分くらいに減り、6月に入る頃には4、50人くらいまで減ったのだった。それでも点呼を取るための時間はほとんど変わらないだろう。むしろ名前を呼んで返事がないことを確認する〝間〟が必要になり、伸びてしまうのではないか。
それはともかく、この中からどうやって絞ろうか。
……そうだな。まず〝既に4回以上欠席している学生〟は省こう。今さら代返しても無駄なので。
「エクセルの使い方、わかります? お手伝いしますよ」
執務さんが言ってくれた。なんて優しい。お友達になりたい。
それにどうしてこんなに若い人が執務なのか。東洋文化学科はオバフォーなのに。哲学科の連中が羨ましい。
もっとも、50代60代が多い教授連中にしてみれば、歳の近い人の方がいろいろと頼みやすい、というのはあるだろう。雑談するにも、若すぎると話題が合わないだろうし。
「何を手伝えばいいですか?」
すいません、余計な考えごとしてました。
「このファイルで出席も管理してるんですよね」
「そうですよ」
シートの最初の列に学籍番号がずらっと並び、その横に日付と〝出〟の文字が並ぶ。ところどころにある空欄は欠席ということだろう。
「出席、イコール、リアペを提出したってことでいいです?」
「そうです」
講義後に教授が回収してきたものと、5時に事務室(後で提出する場合はそこで受け付ける)から執務さんが持ってきたものを合わせて、シートを更新するらしい。
では表から〝4回以上欠席している学生〟を省いてもらう。列の最後に〝出〟の文字をカウントする式が入っていたので、それを先週までの講義数8から4を引いた〝4以上〟でフィルターしてもらう。……まだ50人以上いるか。一昨年の印象そのままだな。これでは多すぎる。
「エクセルの使い方、マスターしてはりますね。執務になって何年目ですか?」
「4年目です」
「どうしてここの執務に?」
「父の知人が、この大学の教授なんです。その伝手で」
「関戸教授ですか?」
「いえ、他の学部の方です」
やっぱりコネか。そうだろうな。学部の事務員は普通に採用試験を受けて採用されるはずだけど、学科の執務はパートタイマーで、学部か学科の偉い人の裁量ということだ。力が強いと他の学部にも送り込めるのか。
「ちなみに今、おいくつ……」
「どうしてそんなこと訊くんです?」
すいません、確かに失礼でした。でも4年目でこの若さ(23、4歳?)ということは、四卒ではなく短大卒ではないか。学生に大人気だろう。
「えーと、そしたら1回生を消してもらえますか」
1回生は代返しようなんて思わないだろう。4月に入学してわずか2ヶ月あまりで、そんな不埒なことは考えないだろうと信じる。
執務さんが「はい」と言って、学籍番号を見ながら行を消していく。真ん中辺りの2桁が入学年度なので、今年の数字なら1回生だ。
さて、結果はだいぶ減った。たったの10人。大成功。内訳は、2回生が6人、3回生が3人、4回生が1人。
3回生はともかく4回生になってもまだ人文学系の単位が揃ってないのか!
ほとんどの学生は、1、2回生の間に教養課程の単位を揃える。いわゆる〝教養科目〟は人文学系、社会科学系、自然科学系、外国語、スポーツの五つのテーマがあり、半期の講義なら2単位、通年なら4単位。テーマ毎の必要単位数は学部によって異なるが、合計64~68単位というところ。そして3回生に進級するには60単位以上取得しなければならない。
つまり4~8単位は落としても、3、4回生の間に取り戻せばいいのだが、たいていは3回生で揃えてしまうものだ。
それはともかく、代返をするには誰かからその日の講義内容を教えてもらわないとリアペが書けないので、たった一人しかいない4回生には難しかろう。
ちなみに学籍番号からは学部もわかる。法学部だ。法律に携わろうとする者が人文系の単位を落としてどうすると言いたいくらい。
ということで、犯人は2回生か3回生の中にいるように思うのだが。
「性別ってわかりますか」
学籍番号から性別はわからない。大昔は下4桁の頭が5以上が女子、となっていたそうだが、今は男女混合五十音順なので。
「隠してたんですけど……ちょっと目を閉じてもらえます?」
隠してた? ああ、性別を記載した列があるけど、非表示にしてたと。もちろん、学部、学科、入学年度、それから名前を記載した列もあるけど、全部非表示にしてたんだろうな。
非表示にした列を再表示するには、いったん全部の列を表示しなければならない。その作業中の状態を見られたら困るので、目を閉じろ、というわけ。
目を閉じるのではなく、後ろを向いている間に作業してもらい、「できました」と言われて向き直る。おやおや、性別だけでなく、学部、学科、入学年度の列もある。つまり名前だけが消えていると。
2回生は文学部が3人(男2、女1)、工学部が2人(男1、女1)、理学部が1人(男)。3回生は工学部が2人(男)、理学部が1人(男)。ふーむ、4回生同様に1人というのを省くと、2回生文学部の男2人か、3回生工学部の男2人が怪しいな。いや、〝返事〟は必要ないから声ではバレないので、男女の組み合わせという可能性もあるか。じゃあ7人のうちの誰かということにしよう。
「この7人の名前を知りたいんですけど、ダメですかね」
「困りますね。イニシャルだけじゃいけませんか」
まあ、そう言うと思った。今のところはそれでいいことにしておく。
また後ろを向いている間に、執務さんにメモを作ってもらった。一応、イニシャル以外にも学部、回生、性別も含めて。
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