第18話─高ぶる緊張、高鳴る心臓
歓談の時間。あまりに平和で、穏やかな時間。
騎士の仕事などは当然なく、ある程度の自由も確保されている。そんな中、オーキッドは辺りをきょろきょろと見渡していた。
一見すればあまりにも挙動不審だが、元々の存在感の薄さや服装も相まって、特に周りからは気にされていないようだった。
『いない』
テオドールのそばに近寄ってすぐに、オーキッドが言葉を漏らした。テオドールは目線をオーキッドの方にやる。
テオドールは普段は下ろした前髪をオールバックにして、かっちりとした深い青色のスーツを着用していた。とはいえ普段の顔立ちの幼さが消えたかと言われればそうでもなく、だいぶ背伸びをした服装をしたような印象を受ける。
「何が」
『あの人もだし……あと、精霊が、いない。一匹も』
オーキッドの息が震える。オーキッドは未だ、シレーネを見つけられていなかった。もしかしたら、推理が間違っているのかも、という不安に駆られたのだ。
テオドールは小さく笑って、オーキッドの頭に肘を置いた。オーキッドは眉を顰める。
「あの人ならさっき見かけたぞ。今はどこにいるか分からないが……」
『あ、そうなんだ……よかった』
『あれ?僕が見つけられてないだけで、もう彼女いるの?』
「あ、何か食べるか?」
『何か食べたいのはやまやまだけど、勤務中だよ。まぁ、別に雇い主は何も言わないだろうけど』
テオドールは料理を一つトングで取って、皿に乗せた。フォークですくって、オーキッドの口元まで持っていく。オーキッドはそれに対して特に何かを言うでもなく、あっさりと口にした。
『あぁ、うん、美味しいね。流石は公爵家の料理って感じ』
「な。どうせこの後食べる時間なんか無くなるだろうし、今のうちに食べておこう」
『……スイーツしか取ってないよね、さっきから』
「バレたか」
テオドールの皿には、ケーキだのクッキーだの、とにかく甘いものしか乗っていなかった。今更それに対してとやかくは言わないが、それにしたって偏りが甚だしすぎる。
オーキッドは苦笑いを零しながら、ぐるりと会場を見渡した。
『あ、ねえ。あれ、ほっといていいの?』
オーキッドが指を指した先を、テオドールも見た。そこには、猩々緋色のドレスに身を包んだアンと、紺色のスーツを着たバルディオの姿があった。会話こそ聞こえないが、どうやらバルディオはアンを口説いているらしかった。
「あいつ……はぁ、行くか」
『行ってらっしゃい』
オーキッドはひらひらと手を振った。テオドールがん?と首を傾げる。
オーキッドは何秒かテオドールの目を見て、頬を軽く引き攣らせた。
『……え、僕も行くの?』
オーキッドは結局、テオドールのあとをついていくことにした。いた所で何か出来る訳でもないのだが、単にテオドールも不安なのだろう。安心出来る人のそばにできる限りいたいのだろうと、オーキッドは考えた。
案の定、バルディオはアンを口説いているらしかった。それも、テオドールの婚約者だと知っている上でだ。アンは冷めた態度であしらっている様子だが、バルディオは鋼のメンタルか、あるいは話を聞く耳を持っていないのか、全く堪えていない。
テオドールは溜息をつきながら、二人に近寄った。
「お断りするわ」
「え〜?いいじゃん別に、ワンナイトしたってバレね」
ピタ、とバルディオの動きが止まった。バルディオの肩に、テオドールの手が回される。バルディオはブリキのごとく、ぎぎぎ、と首を回して後ろを見た。
「誰に、何が、バレないって?」
「あ……」
地を這うような低い声に、バルディオが肩を跳ねさせた。
バルディオは静かに目を逸らした。
「怒ってないから聞かせろよ。なあ、誰にワンナイトがバレないって言ってるんだ?」
「ぜってえ怒ってるやつじゃん!すみません!すみませんでした!」
「怒ってないって言ってるだろ?」
バルディオが顔を青ざめさせる一方で、テオドールはいっそ恐ろしいほどの笑みを浮かべている。
「良かったなぁ?手を出す前に俺にバレて。気づかれてなかったら多額の慰謝料支払うことになってたぞ。たとえば、お前の臓器一個売らなきゃ手に入らない額の慰謝料、とか」
「……っすね〜」
笑顔で末恐ろしいことを言うテオドールに、バルディオは幽霊のように透き通った震え声で返した。
ふっ、と誰かの笑う声がした。アンが声のした方を向けば、オーキッドが肩を震わせて笑っていた。かっちりとした騎士服に身を包んで、髪をバレッタで纏めたオーキッドは、小柄ではあるが童話に出てくる王子様のようだ。
アンがじっとオーキッドを見ていると、オーキッドは不思議そうに首を傾げた。
「へん?」
アンは緩やかに首を横に振った。オーキッドはそう、と返すと、くあぁ、と欠伸をこぼす。
テオドールはバルディオの肩から手を離して、呆れ顔でため息をこぼした。
「お前、手当り次第声かけるのやめろよ」
「いやー、しゃあなくね?それは。ベルちゃんいたら一身に口説いてたけどさあ」
「いるぞ、そこに」
「え?」
テオドールが親指でオーキッドを指さした。オーキッドはこんにちは?と声を作りながら答える。バルディオの動きが固まった。
「は、えっ」
「はぇ〜?」
オーキッドが間抜けな声を上げた。まったりとした様子は可愛らしく映る。男だと知らなければ女性にも見えそうだ。
「俺男でも行ける気がする」
「あ、僕が無理、です……」
オーキッドの申し訳なさそうな言い方に、テオドールがケラケラと笑った。
「余計惨めに見えるだろ、やめてやれよ」
『僕にだって選ぶ権利はあるんだよ』
「そりゃあもちろんあるけど」
オーキッドはにこにこと笑って、バルディオを見上げた。
「根に持つよ、僕は。悪魔の子って言われるの」
バルディオがぐ、と唸り声を上げた。アンも少し気まずそうな顔を見せる。
オーキッドにとって、改心は助ける要素にはなり得ても、そばにいる要素にはなり得ないのだ。
テオドールは怪訝そうな顔をした。それはオーキッドの発言と言うよりも、悪魔の子自体に引っかかっているものだった。何かを言おうと、口を開く。
「あ〜!テオドールサマとバルディオサマ…………と、アン様だぁ。偶然ですねぇ!」
酷く甘ったるく、間延びした声に、テオドールもアンも眉をひそめた。
アンは嫌悪感を隠す事なく、ピンクのフリルが大量に着いているドレスを着ている黒髪のボブカットの女を睨みつけた。
「偶然も何も、招待されたパーティで鉢合わせるのなんてそう不思議じゃないわよ、アルメリアさん」
「やだ、こわぁい……そんなに睨みつけなくてもいいじゃないですかあ。それともぉ、盗られるのが怖いんですかぁ」
「盗られる心配は一ミリもしていないわ。あるのはそうね、親友を傷つけた怒りかしら」
「なんのことかわからないですぅ……そ、れ、にぃ……」
女、もといシレーネは、腕をテオドールに絡めようとした。テオドールは反射で避けて、アンの傍に寄る。目線をアンにやると、アンも同じように目線をテオドールにやった。
オーキッドはきょろきょろと辺りを困惑顔で見渡している。
シレーネ、わざとらしくよろけて、転けかけた。もっとも、転ける寸前でバルディオが支えに入ったのだが。
「おいおい、いくらなんでも女の子を振り払うことはねえんじゃねえの?」
「ううぅ、いいんですぅ……あたしがわるいから……」
「全くもってその通りだから被害者ヅラするのやめてもらっていいか」
テオドールが腐った生ゴミでも見るかのように、シレーネを見下す。シレーネは怯えたようにバルディオにすり寄って見せた。深い青色の瞳は、わざとらしい涙を浮かべている。
オーキッドは口を開こうとした途端、シュベルが近寄ってくる。
「随分と騒々しいけど、どうかしたカナ?」
「シュベル。そこの女が挨拶も何もかもすっ飛ばして俺にくっついてこようとしたから避けたら被害者ヅラしてきたんだ」
「むしろよく避けたネ、キミ」
「一応実家は騎士家なんでな」
テオドールがなんてことないように欠伸をして見せた。右手の薬指が唇に触れる。
シュベルは口角をやや上げて、バルディオを見た。
「バルディオ、女の悪魔を知っているカナ?あぁ、悪魔と言っても人間だケドネ」
「はぁ?」
「男を取っかえ引っ変えして遊ぶ女のことサ。純情ぶって、実は二股三股……いや、もっとカナ?かけてましたってタイプの女だネ。まあ、キミからしても遊びだろうし、ボクはキミにそういう女に手を出すのはやめておけ、なんてコトは言わないケド……」
シュベルは眼鏡を押し上げた。薄く開いた目は、暗く光を灯す。やはり蛇のようだ、とオーキッドは感じた。
「一応王族として、それで貴族がまたその女に殺されちゃ、溜まったものじゃないんだよネ」
「……は?」
「ほら、つい二ヶ月前、アマリリス・フォーサイス嬢が亡くなられたことがあったよネ?心臓を背後から一突きされて即死。どう考えても他殺だ。そして、そのそばにあった悪魔召喚のあと……クク、調べてたら、面白いことがどんどん見つかってネ?うん、だから、その女からは手を離しなヨ。悪魔に魂でも盗られたいのカナ?」
バルディオは顔を青くして、シレーネから距離を取った。シレーネは傷ついたような顔を見せる。白々しい表情に、アンは密かに舌打ちをした。
「そ、そんな……あたしが、アマリリス様を殺したって言うんですか……?それに、その言い方だと悪魔召喚もあたしがしたみたいじゃないですか!」
「みたい、じゃなくてしたんだよネ?紛れもないキミが、キミの手で」
「ちょっと待ったぁ!」
割って入ったのは、いかにも王子ですとでも言わんばかりの豪華絢爛な衣装を身にまとった男だった。ベイ・フェルエーヌ。今回の舞台の役者の一人だ。傍にはハルトも控えている。控えている、というよりも、連れ回されている方が近いかもしれないが。
これで役者は揃った、とシュベルはしたり顔を見せた。
オーキッドは相変わらず、困り顔できょろきょろとしているのみだったが。
「そのような濡れ衣を彼女に着せるのはいくら従兄弟の君でも許さないぞ!」
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