第42話

 みさ緒は庭に出て、港の方を眺めていた。


 婆やには、大丈夫だからと言って中に入ってもらった。


 どうしてか…今は一人になりたかった…。




 昨晩も…あの夢を見た…

 この間から、何度も同じ夢を見る…



 今はもう、眠るのが怖い…

 眠れば夢に引き込まれて、また怖い思いをするに違いない。



 横浜に来てからずっと

 伯父様も婆やも優しくて、何の不自由もない生活を送っている…



 ただ近頃は……みんながれ物にさわるように接してくるのがわかる。


 …何だろう…この気持ち…なんだかもやもやして…どうしたらいいかわからない…自分のことなのになぜ、こんなにもわからないのだろう…


 自分の輪郭りんかくがぼんやりとしてしまっているようで辛かった。






「旦那様っ。みさ緒様が、みさ緒様がっ…」


 婆やがころがるように琢磨の部屋に駆け込んで来た。


「どうした、みさ緒に何かあったのか」


 婆やの様子に、すぐに琢磨も異変いへんを察した。


「いらっしゃらないのでございます、みさ緒様が…」


「なにっ」


「さきほどまで、お部屋で眠っておいででしたのに…申し訳ありません」


「屋敷の中は? 捜したのか?」


「それはもう…。ですが、みさ緒様はどこにも…」


「よし、すぐに勝五郎に知らせて手を借りよう。それから屋敷の者で手がいているものは捜しに出てくれ。ただし、くれぐれも騒ぎが広まらないように頼む」


 そう言うと、琢磨はすぐにみさ緒の部屋に上がって、ベッドを触ってみた。まだぬくもりが感じられる。


「まだ、そう時間はっていない様だ。婆や、みさ緒はどんな様子だったんだ?」


「頭痛がするとおっしゃって…。お着物のままで休まれました。日中にっちゅうに横になられるときは、いつも普段着のままでいらっしゃって…」


「わかった」

 そう言いながら、琢磨は勝五郎の言葉を思い出していた。


 …中をうかがっている様子が…誰かを探しているような感じでしてね…

 …どうも羽衣楼絡みじゃないかという気がしてるんで…



(みさ緒…まさか…羽衣楼の者に誘い出されて?…)



 一刻も早くみさ緒の行き先を突き止めなければならない…最悪の事態になることは絶対にけなければならないと強く思っていた。






 奥村組では勝五郎が辰治を呼びよせていた。勝五郎には珍しくあわただしい顔色かおいろをしている。


「たった今、冴島の旦那から知らせがあった。みさ緒お嬢さんがお屋敷からいなくなったそうだ」


 辰治は、ピクリとまゆを動かすと、早くも片膝を立てて、外へ飛び出そうという構えをしている。事態が切迫せっぱくしているとすぐに察していた。


「誰かに…連れ去られたってことですか」


「いや、まだ何もわからねぇらしい。だが、可能性は充分ある。この間、お屋敷に伺ったときに見かけたあやしい男は、間違いなく羽衣楼の指図さしずで動いていた、と俺は見ている。お前、松を連れてお嬢さんを捜しに出てくれ。何かあってからじゃ取り返しがつかねぇ。急いでくれ。だが、大騒ぎするんじゃねぇぞ。松によく言っとけ」


 辰治がうなずいて出ていくと、

「辰治、頼むぞ」

 勝五郎がつぶやいた。








 みさ緒は、ふらふらと高台たかだいにある琢磨の屋敷から下へと続く坂道を歩いていた。ぼんやりとした顔をしている。


 そのみさ緒のうしろを、二人の若い男が歩いていた。みさ緒のあとをつけているのだ。

 そのうち、あたりをうかがいながら二人で何事かささやき合うと、一方いっぽうの男が、その場を離れて走って行った。


 残った一人はみさ緒に気付かれないように慎重しんちょううしろを歩いていた。



 みさ緒は、どこに行くつもりか、立ち止まることなく歩き続けている。


 初めはふらふらとおぼつかなかった足取あしどりも、段々としっかりしてきていた。

 坂を下り切ってそのまま行けば、横浜港の方角だ。左手には伊勢佐木町などの繁華街が広がっている。


 すると…坂を下り切る少し手前で、みさ緒のうしろを歩いていた若い男が警戒するようにぐるりっと辺りを見回してから、みさ緒の横に並ぶと声をかけた。


「みさ緒さん、実は…お知らせしたい大事な話がありましてね…このままだと冴島のお家は大変なことになりそうなんで…」


 みさ緒の顔を見て、意味ありげにうなずいて見せた。


 みさ緒は無表情のまま、じっと男を見ている。


 若い男は、みさ緒の反応に一瞬、てがはずれたような顔をしたが、もう一度同じ言葉を繰り返した。


 それでも、みさ緒は表情を変えることなく黙っている。


 若い男はしびれを切らしてみさ緒の腕をつかもうと手を伸ばした。


「何なさるんですか! 人違ひとちがいなさってます」

 男の手を振り払うと、みさ緒が初めて声を出した。


「はぁ? 俺はあんたがお屋敷から出てくるところから見てるんだよ。人違いだなんてことがあるわけないだろ」


 男は嘲笑あざわらうようにして言い返した。


 そこへ…先ほど別の方へ走って行ったもう一人の男が、数人の男たちと一緒に戻ってきた。


「ちょうどよかった。騒ぎになるといけねぇから穏便おんびんに、と思ったが、っとぼけやがってあちかねぇ。ちっと乱暴だがこのまま連れて行くぞ」


 最初の男がそう言うと、男らはみさ緒を取りかこむようにして無理やりどこかへ連れて行こうとしていた。


「おい、娘に傷をつけるなよ。後でこっぴどく文句を言われるからな。約束の金をもらえなくなる」






「兄貴…みさ緒お嬢さんを捜すったって、横浜は広いですよ。雲をつかむような話じゃないですか?」


 勝五郎から騒ぎ立てるなときつく言われているから、大っぴらにたずね歩くこともできないのがもどかしい。


 松吉がつい弱音よわねくと辰治にじろりとにらまれた。


 松吉は慌てて首をすくめると、再びキョロキョロとみさ緒の姿を捜し始めた。



 辰治と松吉は、琢磨の屋敷から大体だいたいのあたりをつけて裏道を中心に捜し回っていた。もし、みさ緒が連れ出されたとしたら、人目ひとめに付きにくい道を通るに違いない。



「あ、兄貴、あそこ!」


 松吉が突然、指をさした。


 数人の男が若い娘を取り囲んでめている。若い娘はみさ緒のようだ。


「なんだ、お前ら! 真昼間まっぴるまからひとさらいか!」


 走りながら松吉が威勢いせいよく怒鳴どなりつけた。辰治と一緒だから気が大きくなっている。


(馬鹿野郎…大きな声を出すんじゃねぇ)

 チッと舌打ちすると辰治がゆっくりと近付いて行った。


「何の真似まねだ」


 辰治が声をかけても、男らはひるむ気配けはいもみせず薄笑うすわらいしている。

 この辺りで辰治の相手になろうという者はいない。どうやら、他所よそからやとわれてきた者らしかった。


 バラバラと辰治を取り囲むようにして男たちが動いた。一人はみさ緒の隣に立って見張っている。


 胸元から、白鞘しらさやをチラリとのぞかせてニヤニヤしながら辰治を見ている者もいた。

 こういう場にれている者たちだった。


 辰治の一言で、相手がすぐに尻尾しっぽを巻いて退散たいさんするとたかくくっていた松吉は、意外な成り行きに青ざめていた。


 辰治が負けるわけはないが、大した喧嘩けんかになりそうな気配けはいだった。

 しかも…みさ緒がいる。




 その頃…琢磨からみさ緒が屋敷からいなくなったと聞かされた恭一朗は、すぐに外へ飛び出していた。

 

 辰治が捜してくれていると聞いたが、居ても立ってもいられなかった。


 みさ緒…一体いったい何があった…


 必ず、必ず見つけ出す…もう二度と絶望させたりはしない…


 みさ緒…


 どちらが見つけてもいい、ただみさ緒の無事だけを祈っていた。



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