第9話 はろーはろーはろー

主人公はパソコンの前に腰を下ろすと、まずはメロディの断片を指先でキーボードに落としていく。軽やかさよりも、まっすぐな想いを届けることを重視して、コード進行はなるべくシンプルに、けれど力強さと温かさを残すように組み立てる。まるで「ありがとう」という気持ちそのものを音に変えるように。


指で打ち込むベースラインは地に足がついたような堅実さを持ち、ドラムパターンは淡々としながらも少しずつ熱を帯びていく。サビを意識してストリングス系の音色を重ねると、ぐっと胸の奥を押し上げるような響きが広がり、思わず「これだ」と口角が上がる。


ふと机の横に視線を落とすと、新しく購入したマイクが光っている。ヘッドセットのマイクではなく、椅子に腰かけたまま自然な姿勢で歌えるのは、自分にとっては小さな革命だった。ベッドに潜り込んで録音していた頃を思い出して苦笑しつつ、マイクスタンドを微調整し、座ったままの姿勢で軽く声を出してみる。感覚通りのクリアに響く音。コスパのいいと評判なだけある


何度かテイクを重ねるうちに、言葉が旋律にぴたりと寄り添い始める。声を張るところでは自然と背筋が伸び、サビに差しかかる頃には胸の内に溜め込んでいた「感謝」の気持ちが一気に音へと解き放たれる。録音ブースなんてない六畳の部屋なのに、その瞬間だけは世界中に響いているような錯覚があった。


完成した音源をエクスポートし終えると、主人公は深く息を吐き出した。今回ばかりは、制作中に浮かんだ熱量がそのまま形になったと感じられる。迷いは少なかった。


次はサムネイルづくりだ。AIイラストの生成画面を開き、テーマに合わせて「まっすぐ前を見つめる笑顔の人物」のイメージと補足を入力していく。候補として出力された何枚もの中から、最終的に選んだのは──笑顔で手を広げ、温かく迎えてくれるような雰囲気の人物の一枚。その姿に、聴いてくれる人たちへの感謝を自然に込められる気がした。


動画編集ソフトを立ち上げ、いつものように歌詞を丁寧にタイミングへ合わせて打ち込み、曲とサムネイルを重ねて動画を仕上げていく。作業の手順はもう慣れたものだが、今日はどこか特別な緊張感が漂っていた。

アップロード画面に進むと、タイトルを打ち込み、サムネイルを添付。概要欄の欄には、ほんの一言だけ書く。


「いつも聴いてくれて、ありがとう。」


その言葉を打ち込んでから、しばらく指先が止まった。もっと書こうと思えばいくらでも書ける。けれど、今の気持ちはシンプルなこの一行にすべて込められている気がした。あと、今まで長々とコメントを残さなかったのもある。


投稿が公開され、概要欄に添えた「ありがとう」の文字が拡散されていくのを横目で確認しながら、俺は椅子に深く沈み最近の自身へ向けられる視聴者の反応をどうするか思考する。



ここ数週間、目に余るほどに届いていたメッセージの数々が頭をよぎった。

「この曲の二番で歌ってる人は誰なんですか?」

「男性ボーカル多すぎません?ユニット?事務所?」

「作曲してるのは別の人でしょ?なんで情報出さないんですか?」

「メンバーの情報なんで発信しないんですか?世に出ちゃ不味い事でもあるんですか?脅迫でもして囲ってるんですか?それって犯罪ですよね?!」


肝心の音楽そのものより、存在しない“男性たち”に熱が注がれていく流れに、主人公は画面を見て、自然にため息が出る。

ダイレクトメッセージはあまりに膨大で、読むのも追いつかないほどだった。DM受信拒否を設定してからはひとまず静かになったが、今度は動画のコメント欄に同じような質問や、時には荒らしと見紛うような書き込みがあふれ始めていた。


──もう、曖昧なままでは収まらないだろう。


いろいろと面倒くさいし、自分が世に出した楽曲に荒らしの様になる視聴者が減って欲しいから。純粋に音楽を楽しんでほしい。

だからせっかくの「100万人」という節目に合わせ、ネタばらしも兼ねてリアルタイムで話す機会を作ろうと。YOYOtubeのライブ配信機能。まだ使ったことはないが、これ以上ない舞台になるはずだと。


PCの画面を切り替え、TwiSterの投稿欄を開く。指先を少しだけ迷わせてから、カタカタと簡潔な言葉を打ち込んだ。


「100万人記念、配信します。」

「投稿楽曲についての話もします。」

──そして日時。


送信ボタンを押した瞬間、もう後戻りはできない。画面に自分の短い告知が浮かび上がり、すぐに通知音が鳴り始めた。


ヘッドセットを軽く整え、心の中でひとつ呟いた。

「さあ、どうなるか。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る