幕間 レイヴァナとシャドラ

第46話

 この世界に来てどれほどの時が過ぎたのか、どれほどの人間たちが死んでいったのか、そしてどれほどの人を殺してきたのか、今ではもうほとんど覚えていない。自分がいつの時代に生きていたのか、どのようにして魔者になったのかすらも遠い時の果てへと記憶は消えてしまった。

 この世界で生きることにはすぐに飽きた。しかし自ら死のうとは思わない。魔者が自ら魔力を放棄して肉塊となり、朽ちて消えていく様はあまりにも醜く悲惨だ。あんな最期を迎えるなんてまっぴらである。


「おかえりなさい、レイヴァナ」


 魔力による空間転移で突然現れたレイヴァナをシャドラは驚くこともなくそう出迎えた。いつものように庭先のテーブルでお茶を飲みながら。


「あの子たちに会いに行っていたのですね」

「なんでわかるの」

「わかりますよ。あなたと心桜の魔力はわたしとも繋がっているのですから、だいたいの位置は把握できます。それで、どうでしたか? あの子たちの様子は」


 そんなことを言うシャドラにレイヴァナはため息を吐く。


「疲れた」

「でしょうね。瑠璃はともかく、心桜とあなたは相性が悪そうです。傍観する分には面白い子でしょうが」


 シャドラはそう言って笑うとテーブルに置かれていたカップに紅茶を注いでレイヴァナに座るよう促した。


「それにしてもあなたが自ら他人と関わるなんて珍しいですね。心桜のことが気になるんですか?」

「……別に」


 答えながらレイヴァナは椅子に座って紅茶を飲む。

 カップからふんわりと香ってくる柔らかな香り。口に含めば優しい味が広がっていく。人の子が淹れた紅茶も不味くはなかったが、やはりシャドラが淹れた紅茶の方が美味しく感じる。


「ねえ、この茶葉って何を使ってるの?」

「これですか?」


 シャドラは不思議そうにしながら「特別なものではありませんよ。馴染みの商人から定期購入しているものですので」と首を傾げた。


「たしか瑠璃も同じ茶葉を持って行ってるはずですが、お飲みになりませんでしたか? 旅の最中でそんなに紅茶を飲む機会はないでしょうからまだ持っていると思いますが」

「……ほんとに同じもの?」

「ええ」

「そんなはず――」


 レイヴァナは眉を寄せながら紅茶が入ったカップを見つめる。


「どうかしたんですか?」

「……別に」

「そうですか。あ、クッキーもどうぞ。今朝焼いたものなので美味しいですよ」


 シャドラは何も気にした様子もなく、クッキーが盛られた皿をそっとレイヴァナの前に差し出した。

 いつからだろう。彼女がこんな穏やかな暮らしを始めたのは。

 彼女が魔者になった頃は不安そうにレイヴァナにくっついて歩いていたものだ。あの頃の彼女はこんな表情を見せることはなかった。

 最初にこんな表情を見たのは、たしか彼女と会って少し経った頃。シャドラを置いて自分だけ別の場所に転移したときだ。そのときの彼女はレイヴァナが戻るまでの数十日、一歩もその場から動かずに待っていた。

 好きな場所に行き、好きなことをして何かをすることに飽きて気まぐれに戻ったレイヴァナに、彼女は安堵したように「おかえりなさい」と微笑んだ。今、目の前で浮かべているような穏やかな表情で。

 そのときに感じた不思議な気持ちは今もよくわからないままだ。


「瑠璃は元気そうでしたか?」


 シャドラの質問にレイヴァナは思わず眉を寄せた。


「あの人の子、魔力が見えるなんて聞いてないんだけど」

「――瑠璃が、魔力を?」


 シャドラが怪訝そうに首を傾げる。


「ココロが人間の怪我を治すのに魔力の加減がわからないって言うから面白そうと思ったのに、あの人の子がうまく誘導して怪我が治っちゃったの。ほんと面白くない」

「そうなんですか……」


 そう答えたシャドラは少し意外そうに目を大きくしている。


「なに。知らなかったわけ?」

「はい。そう言った話はしたことがなかったので」

「ふうん。はっきり見えてるわけじゃなくて感じてるって雰囲気だったから、てっきりあんたが教えたのかと思った」

「いいえ、わたしは何も。あの子は出来る子なので、わたしと暮らすうち自然と身につけたのでしょう」

「じゃなくて、あんたが怪我を治したときの魔力がちょっと残ってるんじゃないの?」


 するとシャドラはさらに目を丸くして「なるほど」と何かを納得したように頷いた。


「だとしたら色々と納得です。あの子、人間にしてはあり得ない身体能力だなと思っていたので。わたしの魔力の影響かもしれませんね」

「……あんたって意外と適当よね」


 シャドラは曖昧に笑い、誤魔化すように紅茶を口に含んだ。そして話題を変えるように「今日、あの子たちに会いに行ったのはいつもの気まぐれですか?」と言う。


「まあね」


 実際、気まぐれというのは間違っていない。

 あの子供の怪我を治す手助けは完全に気まぐれだ。もし失敗すれば面白い。そう思っただけ。しかし二人に会いに行ったときの気持ちは少し違う。懐かしかったのだ。

 二人の旅が、まるで昔の自分とシャドラを見ているようで。

 あの頃のシャドラはレイヴァナがどこへ行くにも一生懸命についてきた。レイヴァナが空間転移して彼女から離れても、戻ってくるまで何年でもその場で待ち続けていた。

 いつまで待ち続けるのだろうと面白がっていたこともあるが、何度も繰り返しているとさすがに面白みはなくなってくる。だから趣向を変えて放っておいたのだ。

 世界中を旅して周る間、わがままを言い続け、気に入らない者を殺してみたり、各国で国王にケンカをふっかけたりなどわざと問題を巻き起こし続ける。そんな自分からいつ離れて行くのか、それを試していた。

 しかし彼女は結局、世界を何周してもレイヴァナから離れることはなかった。


 ――それなのに。


「……レイヴァナ? どうしました?」


 じっとシャドラを見つめていると彼女は怪訝そうに眉を寄せた。それでも彼女のことを見つめ続けながら「あんたさ」と口を開く。


「なんでこの国に属したの? あんたなら世界のどこの国だって拒否しなかったでしょ? わたしと旅してる間はどこに行っても誰かを助けることはしても殺すことはしなかったんだから。わたしと違って」

「それはあなたが暴れまわるからわたしが止めていたってだけですよ」


 シャドラはそう言って笑ってから「でも、そうですね」と視線をどこか遠くに向ける。そちらは壊滅したバースの街がある方角。


「ここだから、です」

「ここ?」

「はい。あなたと一緒に世界を周り、色んな国を見て色んな人たちを見てきました。そして思ったんです。あなたと出会ったこの国がわたしのこの世界の故郷だと」

「……魔者にそんなものはないでしょ」

「そうですね」

「国の住人だって魔者が住みついたら迷惑だと思う。とくにこの地域は」

「ええ。その通りです」

「それでもあんたはここで暮らすの?」

「はい」

「なんで?」

「あなたに帰ってきて欲しいから」


 レイヴァナは意味がわからず首を傾げる。するとシャドラは懐かしそうに微笑んだ。


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