第4話
看護師の方々に彼女のことを聞こうにも、当然、プライバシーを守るために、その口は堅く閉ざされてしまうだろう。ボクが彼女のことをそっくり知ってしまうには、日焼けなどは無視して、彼女の散歩に付いて行くしかないのだった。
「きょ、鏡花、こんにちは」
ひと回り年齢も身長も小さな彼女に、ボクはどうしても恐縮してしまっている。出会って間もない少女相手に、こうも話しかけづらいということは、社会人生活もきっと上手くはいかなかった事と思う。ここに来るべくしてきたんだろうな。
「‥‥詩音」
なついてきた野良猫を見るような目で、拒絶するでもなく、飼いならすでもなく、ただお供としてついてくるのを許す。
「私と居ても、淋しさは埋まらない」
「え?」
「彼氏、いないんでしょ?」
「う、うん」
以前のお茶会とは違って、今回は鏡花がベースに話し始めた。それも世間話なのか、あるいは尋問なのか、ともかくも誤魔化したが最後、私は一歩後ろ歩くのすら、断られるだろう。
「フラれたからここへ?」
「いえ‥‥そもそもいないです」
「そう」
ちらりとボクへ見返る。スカートと髪先が連動するように、さらさらと風に揺れている。一挙手一投足が、人を圧倒させるもののような気がしてならない。
「ボクと違って」
思わず口から出た言葉だが、鏡花は特に反応しなかった。
「でも、詩音は軽傷よ」
「そうかな?」
「えぇ。だって、ここでは人を避けに来ている人が大半だもの」
それは自明のことではあったが、彼女は分かりきったことなど言わない、そんな確信があった。ほんの数日前まで見たこともない相手だというのに。
「鏡花も‥‥そうなの?」
ボクだけ質問に答えないといけない義理はない。そんな思いも後押しして、彼女の隣へと進んで、少し顔を見つめながら尋ねてみた。
「知りたいの?」
隣と言っても、まだ、距離がある。『隣』などという積極的な表現よりも『横』という消極的な事実の方が適切だろう。
やり直しはできない。その思いが、うなづくボクの声を震わせた。
「私ね、ある人を殺したと思われているの」
その告白は、およそ人形然とした少女のものとは思えない。なるほど、彼女の眼光は時として、カエルを抹殺しかねない鋭さを放っているが、事実、そのようなことは現代では起こりっこない。いかに純粋な十代前半の世界であっても。
「それって‥‥」
「いいの? 今なら、みんなみたいに、知らないふりだって出来るよ?」
彼女の言葉が比喩なのか、それとも私の知る『殺人』に他ならないのか。いずれにしても、彼女は少年法の適用者であり、かつ、精神疾患と診断されれば、この山奥へと転居となっても不思議じゃない。
日差しは既に真上から降り注いでいるというのに、脳髄を這うかのような冷や汗をシャツの中で感じていた。
「ボクは‥‥鏡花のことが知りたい」
「そう」
やれやれといった具合でまぶたを閉じる。すると進路は反転。芝生の上を今度は足早に、病棟へと向かい始めた。
「ご、ごめんなさい! 嫌だったよね!?」
「いいから、ついてきて」
帰り道には、猫が反対になったかのようだった。ステッキと細い脚を駆使して、彼女は私を誘導する。だが、やはり足が悪いのだろう、時折、歩調を弛め、適度に、彼女なりに急いでいるようだった。
彼女の部屋は二階、6号室だった。
中へは入らせてもらえなかったが、すぐに部屋から出てきた彼女が持っていたのは、三枚のB5サイズの便箋だった。
「この人と、私は最後に出会ったの」
それだけ言ってボクに手渡すと、主は部屋へと戻っていった。二階の廊下には誰もいやしない。
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