(胸糞展開)第44話 女子校教師「今行くよ」

「くそ、また留守電かよ……」


 職員室の固定電話の受話器を乱暴に置く。本人のいないところとはいえ、生徒に悪態をつくなど我ながららしくない。

 チリチリと胸に焦燥が広がるのを落ち着けたく、天井を仰いで大きなため息をついた。


「五十嵐さん、連絡がつきませんか?」


 帰り支度をする美墨先生がか細い声で尋ねてきた。時刻は二十時を回り、子供はおろか大人も家路につく頃合いだ。


「はい、何度かけても留守電になります」


「困りましたね。五十嵐さん、親御さんと離れて一人暮らしでしょう? こういう時スマホの連絡先を把握できていれば良いのですがね……」


 性別問わず、教員がスマホなど生徒個人の連絡先を入手することは禁止されている。もっとも、この措置は親の目を盗んで交流するのを防止する策であり、五十嵐のように親元を離れて一人暮らしするケースは想定されていない。

 例外を作ってくれればやりやすいが、学校組織というのは腰が重く、依然として連絡先交換の禁は布かれたままだ。


 もっとも、俺がその気になれば架電できるのだが……。


「居留守という可能性もありますがね」


「居留守されるようなこと、したんですか?」


 美墨先生は小さくため息をついて呆れ顔で尋ねてくる。いや、咎めているのか。

 墓穴を掘ったな。


「いやはや……叶いませんね」


 誰かからそのうち詮索されると腹を括っていたため、俺は冷静だった。そして淡々と嘘をつく。こんな歳で嘘が上手くなるなんて、死んだ親父に顔向できないな。


「進路調査票の件で五十嵐を頭ごなしに叱ってしまいまして。そのせいで自分の顔を見たくないんですよ、きっと」


「五十嵐さんの進路ですか。彼女はなんと?」


「お嫁さん、だそうです」


 誰の、とは言わない。というか言えない。


 ため息ついて明かした俺とは対照的に、美墨先生はコロコロと微笑む。


「可愛らしい夢ですね。私はそういうの好きですよ?」


「だからって進路調査票に書いちゃダメでしょ」


「確かに、主任にそのまま見せるわけにはいきませんからね。それで、能登先生はなんと答えたんですか?」


「あー……えーっと……。『こんなの認められない』と……」


 これも大嘘だ。実際は「ふざけるな」と大声出して否定した。しかし真っ向から突っぱねたことに変わりはない。


「それはいけませんね。夢を真っ向から否定されてすんなり気持ちを切り替えられる人間はいませんから。それに女の子にとってウェディングドレスは夢ですからね」


「だとしても、高校卒業してすぐに結婚だなんて早すぎます。十代でライフプランの全てを決めちゃうなんてせっかち過ぎますし、勿体無いですよ」


「勿体無い、なんて考えは感心しませんね。我々教師は道を歩む助言はしても、歩む道を決めつけてはいけませんよ」


 はっ!? しまった、またしても俺は凝り固まった考えに支配されていた。

 それは五十嵐の心の傷で、俺は癒えない傷に塩を塗る真似をしたというのに。


 しかしながら卒業して結婚という早計な将来像には賛同しかねる自分がいる。


「だったら自分はなんと言えば良かったのでしょう? 高校卒業して間も無く結婚なんて、お子様を嫁がせるのと変わりありません。社会のことを何も知らなくても結婚すれば幸せになれるだなんて、甘っちょろい考えです。むしろ、結婚してからの方が大変なのに……」


「それを伝えれば良いのではありませんか?」


「へ?」


 俺の考えを、伝える? それがなぜ五十嵐の薬となるというのだ。こんなバツイチアラサーの考えなんて、あの子の幸せに役立つとは思えないが……。


「結婚して幸せになるにはどうするれば良いか。能登先生の……能登夫妻の経験談を話してあげれば良いと思いますよ。結婚の現実と、それを踏まえて良い結婚生活を送るために必要なこと。この際、愛とか思いやりではなく、仕事やお金など大人が語りたがらないリアルな話をしてあげれば良いでしょう」


「現実的な結婚の話が五十嵐に響くと?」


「はい。のお話だからこそ、響くでしょうね」


「ふぁ!?」


 大好きな俺だから打ち明けた!?

 確かに五十嵐は他ならぬ俺だからこそ結婚したいと言っている。

 しかしどうしてそのことを美墨先生は勘付いたのだ?


「五十嵐さん、能登先生のことを信頼してるんだと思います。先生はお優しいですし、ご結婚もしてますから自分を分かってくれる、と」


 ニコニコ微笑んで補足する三角先生。

 対して俺は「そういうことか」と胸を撫で下ろした。単に信頼している先生だからという意味か。

 俺は脛の傷を隠すように曖昧な愛想笑いを浮かべた。同時にここまで親身に相談に乗ってくれていることが心苦しかった。


「五十嵐さんが欲しいのは『教師の美辞麗句や凝り固まった考え』ではなく『能登数彦の本心』だったのではないでしょうか? あの年頃は難しいですが、だからこそ気持ちを露わにして寄り添ってあげてみてはいかがでしょう?」


 大事なのは先生の本心ですよ、と最後にそう助言を残して美墨先生は帰ったのだった。


 *


 一人の人として、本心から寄り添う……か。


 美墨先生は何も知らないのに、でも的を射ている。不思議な人だ。


 俺はあの子に寄り添う努力を怠ってしまった。思考放棄したと言っても良い。


 男としてあの子からの愛情を受け取れないから、教職なのを理由に頭から断ってしまった。

 そして断った理由は至極真っ当に聞こえるが、その実、五十嵐の気持ちには全く寄り添っていない。

 一方的に拒絶し、いたずらに傷つけただけだ。


 慕われるのを喜びながら、深淵が垣間見えた途端、どう対応して良いのかわからずに臆病風に吹かれて逃げ出した。


「俺は教師失格だ……」


 机に肘をつき、深く項垂れる。

 散々偉そうに説教した自分が恥ずかしい。


 ではどうすれば良いのか。


 正直なところ最善策など見えない。

 未熟な五十嵐の結婚計画は応援できないし、俺があの子の人生を背負うわけにもいかない。かといって美墨先生のアドバイス通り結婚生活のリアルを語る時でもない。

 重要なのはあの子の好意に俺がどう向き合うかだ。


 じっくり考えても答えは出ず、時計の針ばかりが歩みを進める。

 座っていてもダメだ。時間が過ぎれば過ぎるほど、あの子の傷は深くなる。


 職員室に誰もいないことを確認し、俺はスマホを取り出してLINEを開く。五十嵐とのトークルームを開き、電話アイコンをタップしようとして、指を止めた。

 生徒とSNSで繋がった負い目からこちらから電話はおろかメッセージも送ったことがない。

 だが今は躊躇っている場合じゃない。


 意を決して通話を開始する。端末を耳に当て、呼び出し音が途切れるのを待ち続けた。


「もひもひ〜」


 電話が繋がった。瞬間、心臓が暴れ回る痛みに襲われ、すぐに声を出せなかった。

 丸二日間聞かなかっただけで妙な恋しさに襲われ、目の奥がツンと痛む。


「五十嵐、能登だ。今、ちょっと話せるかな?」


「うひ〜。おはなひ〜? 今じゃなきゃらめれすかぁ?」


「……なんだ、その喋り方は? 熱でもあるのか?」


 電話口でも分かる呂律の回らない話し方に緊張を忘れた。身体を壊したかと心配すると同時に、なぜか理由のない不安を感じさせる。


「熱なんてないれすよ〜。むしろぜっこ〜ちょ〜れす〜」


 いや、どこが絶好調だよ。絶対変だぞ。


 突っ込もうとしたその時、電話の向こうから電子的な音楽がかすかに響いた。一瞬の後に途切れたことから音楽のかかっているところとは別な場所にいると察せられる。

 あのアップテンポなビートの音楽はきっとEDMだ。


「五十嵐、お前今どこにいる?」


 五十嵐は答えない。が、ややの沈黙を置いて、


「…………歓楽街の『ラングレー』ってクラブです」


 存外素直に答えたのだった。


 いや、歓楽街って……。あの辺りはキャバクラやホストクラブ、風俗店などの大人のお店がひしめく風俗街だ。先日俺が栗林に紹介された『セイントヌルヌル女学院』もそのエリアに店を構えている。子供が、しかも夜に行く場所ではない。


「なんでそんなところにいるんだ、お前は! 今から迎えに行くからお店の前で待ってなさい!」


「えー。これからパーリーナイトでウェーイな時間なのにー。あ、せんせーも一緒に踊ります?」


「踊るか、バカ!」


 子供のくせにナイトクラブに入るなんて。よく入口で止められなかったな。


 俺は乱暴に電話を切り、帰り支度を済ませて学校を出た。

 表では湿気を含んだ横殴りの風が吹いている。今夜は朝方にかけて天気が大荒れになると予報されていたな。


 嫌な予感がする。


 にわか雨の予感と共に俺は薄ら寒いものを感じ、歓楽街への道を急いだ。

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