20 『鬼畜の述懐』……①



 痛い。痛い。

 顔が痛い。

 身体中が痛い。


 環壁陽介は追いこまれていた。


 息が苦しい。

 殴られすぎて鼻の通りが悪いせいだ。

 がちがちに拘束されているためだ。

 

 関節が悲鳴をあげている。

 金属製の拘束具で四肢どころか首まで固定されていた。両手首を腰の後ろでかせめられ、そこから首と両足首に伸びた頑丈な鎖が伸びて繋がっている。


 手首、足首、そして首。

 首という首が鋼鉄の輪に固められ、互いを結ぶ鎖は張りつめて短い。たるみは皆無だった。こすれる音すら鳴らない。それぞれが牽引けんいんし合い、強い緊張を保っていた。

 

 結果、環壁は背を反らした正座のような姿勢を強いられている。

 肩が外れそうに痛い。喉に首輪が食いこんで苦しい。息継ぎのたびに関節がきしむ。黙っているだけでも悶絶しそうだった。情けない声が勝手に漏れてしまう。


 手足の感覚が薄いのも拘束具のせいだろう。

 手枷てかせ部分も足枷の輪も締めつけが強すぎる。

 末端に向かうにつれて痺れが甚だしい。まるで力が入らなかった。このままでは壊死えししてしまうのではないか。後のことを思うと不安の闇に呑みこまれてしまいそうだ。だが恐怖におびえる余裕はなかった。過酷な現状が思考のひまを許さない。


 とにかく辛い。

 ひどく苦しい。我慢できないほど痛い。

 とても耐えられない。

 一刻も早く解放されたかった。


 どう訴えても拘束を解かれる気配はなかった。

 泣いて懇願しても、交渉を働きかけても無駄だった。

 返ってくるのは容赦のない殴打と罵倒。


 つまるところ、拷問である。


 幾度も繰り返される同じ質問。

 答えに詰まると顔を張られる。

 態度が気に入らないと拳を振るわれる。

 強烈な一撃に耐えかねて床を転がれば、容赦なく腹を蹴られた。拘束具のおかげで反った姿勢で固定されているのだ。まったく威力を殺せない。たまらず胃液を吐けば罵られ、さらに蹴られて踏みつけられた。


 ……まるで地獄だ。

 みじめったらしい悲鳴が漏れて止まらない。

 苦痛に耐えかねて許しを乞うても、さらに頬を張られてしまうだけだった。


 いやだ。厭だ。厭だ。

 やめて。もう助けて。

 なんで、おれが、こんな目に。


 どうして、こうなった。

 わからない。何を間違えたというのか。

 おれは特別な人間なのに。


 ……また、はじめから説明し直さねばならない。

 今度は目の前に置かれた撮影器具カメラに向かって語れという。

 従わねば殴られる。蹴られる。


 意識を失ったところで文字通り叩き起こされるだけだ。

 ここに連れてこられてから、もう何度も経験している。

 この地獄に終わりはないのか。

 素直に応えれば、拘束を解いてくれるかもしれない。


 期待して、絶望して……。同じことの繰り返しだ。

 まさか、このまま、殺す気なのか。

 なぶり殺しにする、つもりか。

 こんなところで。特別な存在のおれが、死ぬというのか……。 


 いや……。あきらめるには早い。

 まだ希望はある・・・・・・・。 

 自分はこんなところで終わっていい人間ではない。かならず最後には勝つことになっているはずだ。それまでの辛抱だ。あと少し、あと少し耐えれば、かならず……。


 苦痛に息を切らしつつ、環壁陽介は自身の生涯を振り返りはじめた。



◇◇◇

 

 環壁は幼い時分から自分を特別な存在だと自覚していた。

 

 両親は凡百の子と同じように育てようとしたが、偉大な祖父は彼を一国の王子のごとく扱った。


 当然だと環壁は思う。

 祖父は帝王だった。

 経済界はもちろん、官僚や政治家、裏社会にまで顔が利く大物中の大物。黒幕フィクサーと呼ぶ者もいる。重要人物の孫であることが誇らしかった。そこらの有名人ふぜいとは格が違う。


 むろん、血を受け継ぐ自分も格別な存在であることは間違いない。

 事実、学力や運動能力という点で環壁は秀でていた。ほかの従兄弟と比べても優れているのは祖父の血が色濃く出ている証拠だ。彼はそう確信していたし、祖父の態度も同様だった。数多あまたいる子や孫の誰よりも環壁を可愛がった。


 生まれと能力に加え、容姿にも恵まれた環壁は無敵だった。

 幼少期から何もかも思うがままだった。

 気に入らない者がいれば皆が虐めるように仕向ければよい。周りは馬鹿ばかりだ。要領よく立ち回って操るのは簡単だった。この世は自分のために存在する。小学校を卒業するころには、そう確信して疑わなくなっていた。


 祖父を頼らざるを得なくなったのは中学生になってからだ。


 環壁は人一倍、いや何倍も性欲が強い。

 それも性癖が歪んでいた。

 厭がる相手でなければ高ぶらないのだ。中学高校と強引な性行、強姦を繰り返した。


 もちろん、問題にならないわけがない。

 補導、告発、逮捕。

 もろもろの回数や内訳は環壁自身、まったく覚えていない。発覚するたびに祖父が解決・・してくれた。『英雄、色を好む』。そう云って、祖父は最愛の孫を笑って許す。いつもの流れだ。


 優等生の仮面が剥がれても気にしなかった。

 取りつくろうのは学校や教師、下僕どもの仕事だ。

 地方の教員など働きありにすぎない。祖父の威光に平伏ひれふすしかない能無しどもだ。せいぜい盾としてはげめ。特権階級の歩く道の風除けとして生きろ。それが貴様らの役目だ。


 街を騒がせた数々の事件を学校が問題視することはなかった。

 悪びれもしない環壁に対し、素行不良の判すら押さない。被害を受けた生徒の親や友人たちの訴えも馬耳東風。学校のあずかり知らぬこと。知らぬ存ぜぬという態度で受け流した。


 力なき声が黙殺されるたび、環壁はわらった。 

 無駄な足掻あがきを。これが世の中というものだ。体制は常により力のある方へなびく。学習しない愚かな馬鹿どもめ。


 そもそも、騒ぎたてるのがおかしいのだ。

 命を失ったわけでもあるまいに、いちいち被害者面をするな。王者への道を歩む者の、ちょっとした憂さ晴らしなのだ。遊びに使用つかってもらえて光栄に思え。下層階級の愚図どもが。身分の違い、身のほどというものを知るべきだ。


 環壁の辞書に反省の2字は記されていなかった。

 選民意識だけが限りなく肥大していく。他者を見下す態度を改めるわけもなく、大学進学後は尊大な姿勢がさらに顕著に育っていった。


 大学生ともなると交友の意味も変わってくる。

 将来のための人脈づくりを目的とした友誼。すなわち社交を結ぼうと活動する者も珍しくない。全国でも学力上位の有名私大ならなおさらだった。


 祖父のもつ圧倒的な権力ちからにすり寄ってくる者たち。

 環壁は連中を便利な駒として利用した。


 サークル活動。

 飲みの席が多い運動系に一派閥を築いた。

 酒を用いればより容易に女性を誘えると考えてのことだ。 


 酒精アルコールだけでなく、眠りを誘う薬を併用する。

 酩酊めいていした状態の相手を拉致同然に連れ去り、強姦した。これは環壁お気に入りの手口となり、回を重ねるごとに巧妙化していく。取り巻き連中で席を囲い、ほかのサークルメンバーから隔離してしまう。あとは無理矢理にでも飲ませて前後不覚にするだけだ。介抱するふりをしてホテルに連れこめばいい。


 とはいえ、酔って意識のない女では物足りない。

 やがて環壁は辱めた写真や映像、暴行の際に奪った個人情報などを材料ネタにして脅迫を行うようになる。呼び出された娘は、環壁が飽きるまで弄ばれた。


 環壁による性暴力の被害者は数知れない。

 本人も記憶していなかった。

 その数も、名も。顔さえも。


 大学在学中に訴えられただけでも7件。

 声もあげられなかった者は、その何倍もいるはずだ。

 世間の目から心身を守るために。あきらめ。陰湿な形での目立たぬ圧力。心的外傷トラウマから自主退学せざるを得なくなった娘も1人や2人ではないだろう。


 逮捕はされても、絶対に起訴はされない。

 法で裁かれることのない環壁は大学でも無敵だった。

 事情や噂を知る者は彼を避け、あるいは媚びへつらう道を選ぶ。知らず毒牙にかかった哀れな被害者が救われることはなかった。


 とはいえ、誰しもが環壁の暴虐を見過ごしていたわけではない。

 卑劣で悪趣味な強姦遊戯による犠牲の関係者。その兄弟や交際相手が実力行使に出たこともある。法で裁けないのなら直接的な方法で。すなわち、暴力で仕返しを果たそうとした。


 1発だけ。

 環壁を殴ることに成功した者はいる。

 だが、そこまでだった。


 取り巻きの中には反社会的性質をもつ輩も少なくない。

 暴力に慣れている。

 そんな護衛たちを突破しなくてはならないのだ。単独での報復は無理というものである。環壁を襲った男は袋叩きにされた。大型の車に押しこまれ、その後は誰も姿を見ていない。いまだ行方不明のままである。

 

 付け狙っていた者も無事タダでは済まなかった。

 逆に複数人からの襲撃に見舞われる。一か月以上もの入院を余儀なくされ、いまも自分の脚で歩けないらしい。また、復讐をつぶやいただけで交通事故・・・・に遭った話もあった。


 陰惨な事例が積み重なり、環壁に敵対を表明することは禁忌タブーとなる。誰も手が出せず、罵声ひとつ浴びせることのできない存在。それが大学内における環壁陽介の立ち位置だった。


 この世は自分のために存在する。

 環壁は愉快でたまらなかった。


 やはり自分は特別な存在なのだ。

 凡百の餓鬼ども、愚民ごときとは身分が違う。

 何をしても許される。止められる者はいない。誰も自分を裁けない。世界とは環壁のために用意された楽園なのだ。


 増長し続ける環壁が自重など考えるわけもない。

 卒業まで強姦と脅迫による遊戯ゲームを愉しむつもりだった。その後は祖父の跡を継ぐべく、支配者層の一員として振る舞う。やがてはその頂点に立ってみせる。すべて順調だった。なにもかも予定通りに進むはずだった。


 しかし。

 犠牲者のひとりが命を絶ったことから狂いが生じる。


 想定を超えた騒動に発展したのだ。

 以前とは比較にならぬ規模で環壁の悪行が広まり、祖父が力を尽くしても情報の流出が止められない。死んだ娘の父親が学内で暴れたことで火が点いたようだ。


 抱きこんだ学長の命で大学内に緘口令が布かれるも、都合の悪い事実が次々とウェブ上に晒されていく。手がつけられなかった。


 取り巻き連中も環壁から離れはじめる。

 旗色が変わったことを敏感に察したのだろう。大半が無関係を装い出す始末だった。


 くだんの父親を拉致して片づける・・・・つもりだったが、荒事あらごとに強い輩が欠けてしまっては不可能である。残った手駒も以前のように協力的ではなかった。脅迫を命じても拒まれ、打つ手がなくなる。環壁の楽園は崩れつつあった。


 やがて、ついに祖父から命が下される。

 休学と帰郷。

 時間による噂の風化を待つという判断である。

 実家に戻り、しばらく大人しくするように。目立つ行動は控えねばならぬと。厳しい口調で言い渡された。


 帝王の命令である。

 環壁といえど、従うほかはない。

 しかし、内心は不服だった。

 この世で唯一尊敬する祖父だが、素直に頷けない。


 なぜ、自分が。

 たったひとりが自殺したくらいのこと・・・・・・・・・・で、あんな片田舎で隠棲しなければならないのか。


 そもそも、今回は訴訟沙汰にすら至っていない。

 無能な愚民どもに何ができよう。

 娘の父親が騒動の中心にいるなら、潰してしまえばいいのだ。祖父の人脈なら簡単に始末をつけられるはずなのに。なぜ、早く解決してくれないのか。


 血を沸騰させて憤るも、逆らうことはできない。

 祖父からの叱責は初の経験である。

 口答えが許される雰囲気ではない。謹慎を受け入れざるを得なかった。


 北の果てにある地元に戻った環壁は、鬱々としながら日々を過ごす。


 そして1年が経過した。

 環壁は我慢の限界を迎える。


 いつになったら返り咲けるのか。

 何度も祖父に電話で訴えるも、なだめられるだけ。

 隠遁生活を終える許可をくれなかった。「そのうちに」「もう少しの辛抱」など口にするだけで、おおよその時期さえ約束してもらえない。


 冗談ではなかった。

 自分は特別な存在なのだ。

 こんな北の果てに縛りつけられたままではいられない。田舎町でくすぶっていてよい人間ではないのだ。将来は政財界すべてを支配し、法すら超越した王となる男なのだ。


 この上は自力で解決するしかない。

 そうだ。騒ぎの原因を片づけてしまおう。それしかない。

 祖父もそれを期待しているのではないか。


 きっとそうだ。

 環壁が自立で解決する様を見たがっている。

 自慢の孫の活躍を待ち望んでいる。

あるいは試練のつもりかもしれない。自分の力で乗り越えてみせろ、ということか。これは祖父から与えられた課題なのだ。

 

 ならば、動くべきだ。

 祖父の血をもっとも濃く受け継いでいることを証明してみせる。


 決意した環壁は情報を集め、計画をたてはじめた。


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