18 『遺族の執念』……③ 



「……それからは、独力で環壁を追っていたのですか?」


 卓を挟んで対面する銀髪が問う。

 真剣な表情だった。

 この男には一通りの事情を説明してあるはずだが。聞き流すつもりはないらしい。要所要所で質問を入れてくるくらいである。


「まさか。素人がひとりでできることなんて、高が知れてる」


 賀崎かざき圭太郎けいたろうはしかし、熱心に耳を傾ける壮年と目を合わせられなかった。目どころか、その精悍な顔をまともに見ることさえできない。


 ブラウンカラーの細眼鏡。

 その奥を覗くには、あまりにも眼光が強烈にすぎた。色の濃いレンズ越しにも視線は鋭く、その威圧感ときたら鼻先に刃物を突きつけられているも等しい。視界の端に映るだけでも動悸が乱れる。


「大学周辺を探ろうにも、わたしは顔が割れてる。興信所に調査を依頼しました」


 環壁わかべ陽介ようすけ

 あの餓鬼がきは仇である。

 娘を死に追いやった鬼畜外道。直接手を下していないというのは言い訳にもならない。必ず見つけ出し、報いを受けさせる。必ずだ。賀崎自身の命に代えても。絶対に。


「探偵は、役に立ちましたか」


 受け答えは銀髪の極道――朔田さくた市太郎いちたろう――の役割なのだろうか。


 すぐ横でソファを深く沈ませている胴真どうまという男。彼に経緯を聞かせてやってほしいという話だったが、まるで反応がない。


 この男は何なのだろう。

 小さな巨漢というか。背丈だけは低い相撲取りじみた体型。アロハシャツなんぞ着てはいるが、朔田と同じ人種――極道――には見えない。野暮やぼったいというか……。むろん口にはできないし出さないが、なんだかにぶそうだ。


 話を聞いてはいるのだろうけれども、途中からずっとうつむき加減のまま姿勢を変えない。手の甲を目元にあてているために表情も窺えなかった。


「……これまでに興信所を4度変え、結局は7人の探偵や調査員を用いましたが……。さほど役に立つ情報は持ち帰らなかった」


 とはいえ、まったくの無駄だったわけでもない。

 環壁陽介に通学の形跡がないことが判明していた。賀崎が大学を訪れた直後かららしい。近くの賃貸マンションからも退去しており、姿を消した事実だけは知ることができた。


 学長から忠告された祖父から指示があったか、取り巻き連中から警告されたか。いずれにせよ、賀崎の追跡を察したであろう環壁は身をひそめた。その後の消息は知れない。どうにか行方を掴めたのはのちも後のことで、それも興信所の功績ではない。


「興信所を4社に7人。さぞかし費用がかさんだのでは?」


 抑揚に欠けた低い声が賀崎に緊張を強いている。

 呑まれてはならない。

 胸中で自身を鼓舞するも、やはりひるんでしまっているのか。調査と追跡につかった経費――つまり、金銭に関して――には触れるつもりはなかったというのに。与える情報と言葉を選ぶつもりが、気づけば口にしてしまっていた。


「目的のためです。……とはいえ、どぶに金銭かねを捨てたようなものだった」


 成果らしい成果を得られなかっただけなら、まだしも。


 買収の疑惑が生じていた。

 抱きこんだのが環壁の祖父か、その手先なのかは不明だが。調査があまりにも緩慢だったり、杜撰ずさんであったり。明らかに誤った情報を提出してきたところもあった。依頼する興信所を幾度も変えたり、答え合わせのために複数の探偵を雇わざるを得なかった理由である。


「そうですか。ところで、弁護士には相談されなかったのですか?」


 これも金銭がらみの話を引き出すための問いだろうか。

 賀崎の資産状況を探り、強請ゆするための――。


「……弁護士に頼るという選択肢はなかった。もちろん警察にも」


 疑念を抱きつつ、賀崎は顔を上げて答える。

 銀髪の極道が視界に入った。

 細面ほそおもての口元は、気のせいだろうか。少しばかり緩んでいるように見える。


「大学内に緘口令かんこうれいが布かれていた。学生からは証言を得られない。証言も証拠もないでは訴訟要件を満たせない。であれば、弁護士など何の役にも立たない」


 こちらの説明に朔田は頷く。


「警察も論外。環壁の祖父には検察を抑える力がある。逮捕されたところで過去と同じ手続きが繰り返されるだけです。検挙からの、不起訴か起訴猶予。警察にまで力が及んでいなかったとしても、検察が機能しないのでは意味がない」


 過去の逮捕記録を調査させるまでもなかった。

 ウェブに事件の記事が幾つも残っていたのだ。マスメディアによる元記事こそ削除されていたが、凄まじい数の転載コピーや引用にまでは手が回らなかったらしい。現在いまでも環壁陽介の生まれから経歴、多数の顔写真が公開されたままになっている。


 その卑劣な犯行の手口と、各事件・・・顛末てんまつについても。


 つまるところ、環壁陽介という鬼畜の所業を数多くの人間が知っていた。

 知っていて、しかし裁かれていない。

 裁くことができない。誰も手が出せない。

 裁かれない。報いを受けていない。罪を悔いることもない。


 祖父の力で起訴をまぬがれ、報復を怖れてどこかに逃げている。まず間違いなく反省もせず、のうのうと暮らしていることだろう。それどころか被害者を増やしているかもしれない。娘のような。醜悪な性暴力の犠牲者が出ているかもしれない。


「……なるほど。賀崎さん。つまり貴方あなたは法による裁きに期待するのをあきらめた」

 

「――そうです。この国にはもう、正義なんてものはない」


 賀崎は力強く頷いていた。

 むろん、個々の人間すべての倫理モラルが崩壊しているとまでは思っていない。だが、国家としてはもう駄目だ。救いようがない。公権力は強きになびき、大衆はやすきに流れる。すっかり堕落してしまっていた。


「……話を戻しましょう。興信所も頼りにならないと判断し、わたしはウェブで情報を集めることにした。自分でサイトを立ち上げて環壁の行方を求めた」


 環壁陽介に関する転載記事。

 賀崎はそこに活路を見出した。

 ウェブ上でなら活動を阻害されにくいのではないか。転載や引用の数の多さは注目を集めやすいあかしでもある。同情や義憤を抱く者も少なくないだろう。協力を得られやすいはずだと。


「収穫はありましたか」


 賀崎は首を横に振って応えた。


「邪魔が多くて……。労多くして益少なしって、ところです」


 現実はそう甘くはない。

 『法改正』前に施行されたSNS規制法は、これまで改正に改正を重ねられてきた。いまやSNSのみならず、ウェブ全般にまで規制が広がっている。もはやネット世界は以前のように自由な発言や主張が許される場ではなくなった。国家や権力者側に都合の悪い情報は消去され、影響力の高い発信者は罰せられる。


 力なき者の声はかき消され、告発は握りつぶされる時代になった。不義不正を訴える自由すら奪われている。


 ウェブ上には未だ多くの不満や訴えが散見されてはいるが、いずれも求心力の弱さから放置されているに過ぎない。負け犬の吐く愚痴くらいは目こぼししてやろう。体制側のおごった姿勢が透けて見える。しかし、無力な庶民によるガス抜きに終わらない場合は許されない。


 社会的運動ムーブメントに繋がる主張は活動の痕跡ごと抹消される。大規模デモや抗議のストライキなど、人々の記憶に残っていても記録・・から消えている例は珍しくない。なかったことにされてしまうのだ。


 賀崎もまた、苦労して立ち上げたサイトを何度も消された。

 まず法的効力を匂わせる警告文入り封書が送られてくる。そしてアカウント停止。プロバイダから契約解除を宣告される。


 そのたびに別の業者と契約し、また最初からサイトを作成し直した。抹消されにくくするため、一部情報を伏せたりと工夫を凝らすも結局は潰される。いま運営しているサイトで5代目だが、こちらも時間の問題だろう。


 実際に訴訟されないのが不思議だった。

 藪をつついて出てきた蛇に騒がれることを怖れたのか。

 とるに足らないはえくらいにしか感じていないのか。


 どちらにしろ、うるさい存在ではあっても脅威とまでは認識されていないようだ。賀崎はこれまで直接的な妨害行為に見舞われたことがない。

 

「――もちろん、朔田さんからの連絡は別です。最高の情報でしたよ。本当に、本当にありがたい。きわめて有力な情報たよりをお持ちくださった。……期待しています」


 もういいだろう。

 現在に至るまでの大筋は伝えられたはずだ。

 そろそろ話してほしい。環壁陽介のことを。

 身柄を押さえていると朔田は云った。


「そのまえに。……確認したいことが、ひとつ。情報提供には懸賞金をかけていましたね。決して安くはない額だった」


「しゃ、謝礼のことなら。サイトに載せていた以上の金額、いや、できるかぎりのお礼を約束する。だから――!」


 頭に血が昇っていた。

 騙されないようにと己を制していたつもりだが、どうしても急いてしまう。もう少しで掴みかかっていたかもしれない。凄まじい眼光を向けられ、賀崎は我に返る。思わず息を呑んでいた。


「もう少しだけ。こちらの質問におつきあい願いたい。時間はあります。環壁やつは逃げられない」


「あ、ああ……」


 知らず腰を浮かせていたらしい。

 賀崎はソファに着席しなおすと、卓上のグラスに手を伸ばした。やけに喉が渇いている。ごくごくと、音を立てて水を飲みこんでいく。


「す、すまない。……続けてください」


 銀髪が頷く。

 卓上に置いた手の中に携帯端末があった。


「では。懸賞金の話です。謝礼として金銭の提示が効果的だと判断したのはわかる。無償で他人ひとは動かない。しかし……諸刃もろはの剣だったのでは? 金銭目当ての曖昧(あいまい)な情報や誤報に悩んだのではありませんか」


 図星である。

 ため息をひとつついて、賀崎は口を開いた。


「……ご明察。いい加減な情報に何度も惑わされた。検証も必要だから、確認のために調査員を派遣しなきゃならない。無駄にした金銭と時間は少なくなかった。……わらってもらっても、かまいません」


 朔田は首を横に振る。

 表情からは同情も軽侮も感じとれない。もっとも真正面から見つめたわけではないが。


「ですが……。最終的に、こうして環壁の居場所を得ることができた。朔田さんから通報おしらせいただくことができた。……活動継続の甲斐はあったと考えるべきなのでしょう」


 ふいに。

 銀髪の極道の顔つきが変わった。

 

「環壁陽介の目撃情報……。この街で見かけたという連絡メールが届いたのは、先月のなかば。……正確には6月17日。そうですね?」


 平坦な口調は変わらない。

 ただ、肉づきの薄い頬がさらに引き締まって見えた。


「え、ええ。そうです。環壁の写真を幾つも添付してくれましたね。どれも少し遠いものでしたが……。隠し撮りだったのでしょう? どれも上手く撮れていた」


 いまさら何の確認なのだ。

 そもそも、報せてくれたのは朔田本人だろうに。まるで他人事のように語っているのは、なぜなのか。


「それからも、二度三度と連絡メールが届いた。街中まちなかのカフェで撮られた写真。郊外のビルに入っていく姿。環壁の所在に迫っていく続報に貴方あなたは狂喜したはずだ」


 そのとおりだ。

 はやる気持ちを抑えるのが難しかった。

 すぐ現地に飛びたかったが、せめて居場所を掴んでからだと自分に言い聞かせた。調査員を派遣するも成果を得られず、歯がゆい毎日だった。


「それらすべては、この携帯端末から送信されたものです」


 朔田は手の中の端末画面を向けてくる。

 送信済みのメールが次々と表示されていく。

 もちろん見覚えがある内容だが、これが一体なんだというのだ。 


「……電話でのやりとりはなかった。そうですね?」


「え、ええ。情報提供は常にメールでしたし。……お電話いただいた時には、正直いって驚きましたよ」


 つい先日の、前触れのない電話連絡。

 不意打ちに近いものがあった。

 メールの文面と朔田の声とでは、ずいぶん印象が異なると思ったのも事実だ。しかし、いや、まさか……。


「……これは手前てまえ携帯端末もちものではありません。この端末を用いてメールを送信したこともない。賀崎さん。貴方への接触コンタクトは、先日の電話が初めてだった」


 な、なんだって。


「ど、どういうことだ! だって朔田さん。あんた、電話では何度もメールを送ってきた当人の口ぶりだったじゃないか。はじめに確認したときも否定しなかった。それじゃ、わたしをだましたのか? も、もしや、環壁を捕らえたってのも――」


「嘘じゃない」


 唐突に。

 銀髪の横に座る寸胴体型ダルマが口を開いた。

 赤くした目で、こっちを見つめている。静かで、湿った声だった。


「あの餓鬼がきを押さえたってのだけは、嘘じゃない。とにかく、親父さん。話を聞こう」


 賀崎はその視線と声に促され、黙りこんだ。

 威圧感があるわけではない。朔田のような恐怖はまったく感じない。


 なぜかは、わからないが。

 胴真という男の言葉だけは、信じられる気がした。


「……メールの人物をかたったことについては、お詫びします」


 銀髪の極道が語りはじめる。

 いぶかしみつつも賀崎は口を挟まない。謝罪を受け入れたわけではないが、頷いてみせた。


「賀崎さん。……貴方あなたは殺されるところだった」


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