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レ・プレリュードへの応援コメント
プレリュード、と聞くとまずまっさきにバークレスト社謹製パチスロ「プレリュード2」が思い浮かびます、あははw
小説のタイトルといわれてもパッと浮かぶのは「死に向かうアダージョ」「ピアニッシモ」ぐらいですかね?
ゲームとか漫画だと意外と使われてるような気も……ねこねこ幻想曲は……違うかw
クラヴィフィリアはなんなんでしょうね、正直スプリングウォーのほうが人を選びそうな気がしますが。わからん。世間の意向はわからんw
またぐ、といえば猫またぎが、未だにマグロなのかシャケなのか判然としてませんw(調べない)
作者からの返信
毎度の理解にあふれたコメント、ありがとうございます!
パチスロにそんなタイトルが! w
ざっと調べたけれども、どこが前奏曲なのかさっぱりわからん。まあそんなものだよね。
>小説のタイトルといわれてもパッと浮かぶのは「死に向かうアダージョ」「ピアニッシモ」ぐらいですかね?
どこの洋物ロマンスだっけ、と思ったら、小池真理子と辻仁成なんですね。これは両方とも知らなかった。しかしアルビノーニのアダージョかぁ w。小説とは関係ないと思うけど、実は「アルビノーニのアダージョ」って偽作だったんですよ。アルビノーニの作品ではない、バロック期の作品ですらない、バリバリの二十世紀作品だったんですねえ。クラシック界ではちょっとしたスキャンダルになって ……ま、あまり高尚な話ではありませんが。
>またぐ、といえば猫またぎが、未だにマグロなのかシャケなのか判然としてませんw(調べない)
ああ。そういえばこの慣用句って「猫もまたぐ」が正しいんでしたっけ。完全に取り違えてました 笑。でもここまで堂々と書けば、シャレのつもりで書いたようにも見えるかな? というわけで、この箇所はこのままにしておこうかと。
テンポ・ディ・ヴァルスへの応援コメント
すっかり出遅れました (;´Д`)
1と2を聞き比べると、単純に2の方が聞いてて気持ち良いというか、もう一度聞きたい! と思いました。なので2の方が音楽性が高いということに異論はないんですが。
でも、もし全ての音を寸分の狂いも無く、2と同じタイミング、強さで弾いて完コピできる人がいたとしたら、すごい超絶技巧ですよね。
聞こえてくる演奏も2と全く同じなんだから、音楽性もある。
でも演奏者が高い音楽性を備えているかというと、ちょっと違うかなって気がします。
逆に、機械のようなテンポ、ばらつきの無い音でも「この曲にはこの演奏方法がベスト!」と判断された上でそうしてるなら、それは音楽性があると言って良いような気がします。他人に好かれるかどうかは別ですが。
音楽性があるとか、魂があるとか心がこもっているとか、結局は「一生懸命考えて作ったか」だと思うのは、僕が甘ちゃんだからかも知れませんが。
んー、なんか作品とあまり関係ないコメントになっちゃいました😅
作者からの返信
コメントありがとうございます!
本連載は一応どういう順番で読んでもらってもいいという建前ですんで、どこからでも気が向いた段階でコメントしてください。よっぽどのフザケた書き込みでない限りは、ありがたくちょうだいしますので 笑。
> でも、もし全ての音を寸分の狂いも無く、2と同じタイミング、強さで弾いて完コピできる人がいたとしたら、すごい超絶技巧ですよね。
> でも演奏者が高い音楽性を備えているかというと、ちょっと違うかなって気がします。
いやいや、なかなか鋭いコメントです。
ぶっちゃけ、普通の聴き手を欺く程度に2のアシュケナージの物まねやるぐらいなら、そのへんの腕自慢クラスでみんなできるとは思います。問題は、それをもってその演奏者に「高い音楽性」を認定していいものかどうか、ということですね。
まあ、議論としては堂々巡りかもなあ。例えば、他のショパンのワルツもアシュケナージ風に弾くよう求められたら弾ける、というところまでコピーが出来たら、それはもう一つの芸ではあると思います。もっとも、アシュケナージ本人ですら、CDによってあちこち違いが出るのに、何をもって「アシュケナージそっくり」と判定できるのかという問題もありますけどねー。
>逆に、機械のようなテンポ、ばらつきの無い音でも「この曲にはこの演奏方法がベスト!」と判断された上でそうしてるなら、それは音楽性があると言って良いような気がします。
いやねえ、マジで今回のサンプル音源選ぶの、苦労したんですよ。最近だと、DAWの打ち込みデータの自動演奏でも、曲によってはそこそこ聞けてしまうんで。むしろ、稚拙なムラが出てない分、機械の方がむしろブリリアントなイメージがあるとか、そこまで言えそうで 笑。
心がこもってる/こもってない、みたいな話は、これもあけすけに書いてしまうと、百年前にリアル楽器と錯覚するほどの録音技術が完成された時点で、一応美学の世界だと結論は出てるんですよね。私もこの辺は理解がいい加減ですが、確か結論部分だけ言えば、「人間の心のこもった録音も、AIが計算ずくで仕上げた音源も、物理的な音響を論じる限り、美学的に優劣は論じようがない」ということだったと思います。一方で、それでも人が介在している演奏行為にこそ美的価値を見出したいという姿勢は、それはそれで美学のテーマにはなる、という議論もあったはずなんで。
まあ、難しいこと言っていも、要は「自分がええと思うんやったら、それでええやないか」というひとことに集約できるのですが ^^。
束の間の幻影第十一番、あるいはデカ指作曲家の悪意への応援コメント
ピアノをコンパクト化させるなんて発想、初めて知りました。
関係ないかもですが――例えば「C13」ってコードはC、E、G、B♭、D、F、A の7つの音で出来ていると本には書いてある。素人的には「7つも同時に弾くなんてやっぱりピアニストは凄いな」と単純に思っちゃうけど――
実際の演奏では、ベーシストが居るならルート(C)はベースに任せて良い、5度(G)は省略して良い、9th(D)も11th(F)も要らない、3th(G)、7th(D)、13th(A)の3つを押さえれば充分――
この例は音の濁りの問題からの間引きかもですが、「弾くのが大変なら弾き易く工夫する」っていうのが実践の世界みたいですね。クラシック界隈ではどうなのか分からないですけど。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
ポップス方面だと、現実に弾きやすい音の並びとか、「弾きにくいほど複雑だったらどうせ聞きにくいだろ」という割り切りとかのおかげで、十三の和音をフルで鳴らすってことはまず考えないですよね。でもクラシックの場合だと、単純に両手使うか、はたまた連弾にするとか、二台ピアノ版にするとか w して、「作曲家のワシがこの響きを欲するのだから、なんとしても鳴らすのじゃっ」みたいなノリになりますねえ 笑。
そういう意味では、細幅鍵盤の普及はポピュラーの方で先に広がるのかもとも思います。それか、ジャズの方かな? あっちはクラシック的なテクニック尊重の空気がある一方で、合理的な変革はどんどん取り入れる柔軟さがありますし。ジャズ→ポップス→クラシックの順で、スモールサイズ鍵盤が普及していく、というのがありそうな未来図でしょうか。まあ、未来にクラシックというジャンルが残るものならば、ですが。
束の間の幻影第十一番、あるいはデカ指作曲家の悪意への応援コメント
このお話を読んで真っ先に思い浮かべたのが、ご存じかもしれませんが、「ドカベン」の殿馬君のエピソード(笑)。本当にあんなことをする人がいるのか、と思う一方、水島先生が実際にあった出来事から想を得たのか? とも思います。確かに、小柄なアジア人にあったサイズのピアノがあってもよいですよね。スポーツでも自分にあった道具を使うし、職人なんかでも手に馴染んだ道具で技が発揮できる。やっぱりピアノは、持ち運びできるサイズではないというところがネックでしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
「ドカベン」はさわりだけテレビで見た、という程度で、殿馬君にそんなエピソードがあったと初めて知りました。指の水かきを切って手を拡げた、という話ですよね? あれはね~、私も確か学生時代だったと思うんですが姉から聞いたことがあって、「そこまでやるもんなんだ」みたいな風聞が一時期広まってたみたいですねー。「ドカベン」の影響なのか、その逆なのかはよくわからないんですが。割合最近でも、ピアノ習ってる同僚の(同年輩の)おばちゃんが切るの切らないのって言ってたから、その時に初めてちゃんと調べたんですけど
実例が全然出て来ないんですよね。
結局都市伝説だったのか。でも「伯父さんがそれやった」っていうぐらいの話なら拾えるし。どこまで真に受けてええもんなのか。
殿馬君は熱血野球部でピッチャーで、でも芸術家肌のピアニスト、という、すごいミスマッチのキャラクターで、「ピアノ男子=病弱なひ弱かお金持ちのキザ男か」という世間のステレオタイプに一石を投じてはくれましたが、私に関して言えば焼け死に水という感じでした 笑。やっぱり彼の真似して野球部に入ってぶいぶい言わせないとダメだったんでしょうね。
ぼんやりした感覚から適当に言葉をつないで書いただけの文章に、さまざまな角度からみまさんお話をお寄せくださり、書いた当人も日々新しい発見に目を見開いております ^^。いつも楽しいコメントを感謝です。
編集済
束の間の幻影第十一番、あるいはデカ指作曲家の悪意への応援コメント
湾多さんの熱い思いが!
ピアノ、奥が深いです。
たしかに、他の楽器と違ってピアノって持ち運びは難しいから、普段の弾き慣れてるピアノではなくてその会場に備え付けのを常に弾くわけですよね。そう考えると、ピアニストってすごいなあ。
分散和音て、そういう弾き方があるのをはじめて知りました。
そういえば友達が中学の時に、こいぬのワルツ?を弾いてくれて、今これを練習してるんだ〜とか言っていたなあ……というのを思い出したんですが、指の成長に合わせて習っていく曲とか、作曲家によっても様々なんですかね。
わたしの手はもうずっともみじ饅頭みたいな小さい手なので(笑)ギターもFコードが押さえられなくてやめてしまったんですが^_^;でも、そうか、小さいギターを弾けばまだ望みはあるのかもですね^_^
ちなみにまんぞーも、負けず劣らず手は小さいですw
作者からの返信
コメントありがとうございます!
そうなんです。プロのピアニストって、その日に会場入りして、多くの場合生まれて初めて触れる楽器と一発勝負って日常なんで。
リハーサル時間が十分とれればいいんですけど、まあ取れたとしてもあまりに平素の感覚とかけ離れた楽器だと、もう冷や汗もので済まないですよね。でも、トッププロともなると「そういう一期一会を楽しむ」ぐらいじゃないと務まらないらしくて。
一つきりの楽器を十年近く弾いてるのに、並の曲でも一発撮りなんて無理、という湾多にはとても想像がつかない世界ですわ w
少々手が小さかろうと、それぞれあつらえたキーボードでめいめいが楽しめるようになったらいいのにと思うんですけどね。3Dプリンターとかもできてるし、今はそういうことだってできる世の中のはずなんでしょうが、ピアノのハンマーアクションなんて、子供の夏休みの工作で作れるレベルじゃないからなあ。
>そうか、小さいギターを弾けばまだ望みはあるのかもですね^_^
まあ、ウクレレとか鍵盤ハーモニカとかアコーディオンとか。なんならトイピアノってのも、近年はそうそうバカにできない楽器のようで、選択肢だけは豊富に広がってますよね。あとは……うん、この続きはまた別の回で取り上げるということで 笑。
束の間の幻影第十一番、あるいはデカ指作曲家の悪意への応援コメント
これ朝読んだ時思ったんですけど、ジャンプ世代(どの?)だとまっさきに思い出す『ff(フォルテッシモ)』(樹崎 聖)って漫画が——お。漫画図書館Zで読めるやん! ——あるんですよ!
それにしても分散和音で弾く、なんてやり方があるとは知りませなんだ。教授(坂本龍一)が指伸び過ぎてるし演奏は……みたいな話があったように、ただ届きゃいいってもんでもないんでしょうしねえ🤔
ギターは(キッズ用なのか?)小さいサイズもありますが、そういえばピアノって……安いキーボードだと細いのありますけどねえ。やはり、あの形であってこそピアノ、みたいな理想形があるんですかねえ。普通に採算の問題なのか?🤔
作者からの返信
二作にまたがってのコメント、ありがとうございます!
>ジャンプ世代(どの?)だとまっさきに思い出す『ff(フォルテッシモ)』(樹崎 聖)って漫画が——
すいません、作者含めて全然存じ上げません。とりあえず扉絵にあしらってあるのがショパンの二番ワルツだってことはわかるから、その手の作品なんでしょうけど……タダ見出来るのはいいとして百何十ページも先送りするのも気が引けるんで名前だけ憶えておきますね w。
>それにしても分散和音で弾く、なんてやり方があるとは知りませなんだ。
シューマンの「謝肉祭」聴いてもらったら、最初の十秒程度で「ああ、こういうことか」ってわかると思います。ベース音を装飾音符みたいに引っ掛けるように先出しする、みたいな感じ。あれはあれでかっこいいスタイルにも聞こえるんだけど、あまり連発されるとね。
>安いキーボードだと細いのありますけどねえ。やはり、あの形であってこそピアノ、みたいな理想形があるんですかねえ。
オルガンとかチェンバロのつもりで弾くんなら、そういうのでも使えるんですど、ピアノってやっぱり強弱を幅広く出してこそのピアノなんで、フォルテシモでがんがん叩くような弾き方に耐えられるキーポじゃないと話にならんのですよ。逆に、楽にフォルテが出るような構造にしてしまうと、弾き手の方でピアニシモに落としきれなくなりますしね。そこそこ重みのあるキーアクションがどうしても求められるから、安くて軽い作りだと「ピアノにならん」ということです。
改めて概観すると、ほんとにおかし……いや、ユニークな楽器ですわ w。指先の加速度変化でこれだけ幅のある強弱を出せる楽器ってのがね。そういう仕掛けが八十八音分もあるんですから。
Want some beat ?への応援コメント
高校のときちょっとだけバンドやってたんですが、ドラマーがいわゆる「はしる」ドラマーで、曲の後半になるとどんどんテンポが早くなる。そのうちギターが「弾けるか!」とキレ出す。
しょうがないので、ドラムが走り出したらボーカルがドラマーに合図して、テンポ戻してました。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
ああっ。なんかありそうな話 笑。っていうか、数人でアンサンブルやってると、やたら走り出すやつ、一人はいますよね。
今どきのバンドってどうしてるんでしょう? メトロノームみたいなのをバックアップ的に常時鳴らしたりしてるもんなのか、基本的に野性の感覚で押し切ってるのか。なんにしろ、テンポ感が不安定なリズムセクションって、まあそのバンドの味つけにもなるんでしょうけど、厄介ではありますよね ^^。
編集済
ショパンのチェロソナタへの応援コメント
この、この楽器はこういう音だ、というのを認識する以前と以後でまったく曲の聴こえ方が変わる(……とまではいってないか😅)というのは、クラシックとは無縁の私にもあって、最初私は「サンプリングされたディストーションギターの音」というのがどこを指してるかわからないぐらい、よくわならないまま聞いてた過去がございますw
(中一ぐらいの話)
まあ、そんな人種でも数年経てば、ウワモノはグロッケンだなとか、あーいかにもM1のピアノの音〜とかなったりしたので、年齢経験問わず、本人がどこで何を気づくかというのが、案外大きいのかもしれません。知らんけどw
ところでチェロというと、分島花音が……ええっ、シンガソングライターで、専門とはいえライブのステージでソロ鳴らすのがチェロなの!? みたいなw
あまりに衝撃過ぎて、おそらくライブの動画、YouTubeで度々観てますw
しかし、そう考えるとピアノってほんと万能というか、一台選べとなったらピアノだよなあ、みたいな。まあ巧い人だと楽器関係なし(管楽器は無理かw)に一台で複雑なシンフォニー鳴らしたりもしますがw
一人で複数楽器鳴らすだと、背中にパーカス背負って、バイオリン(フィドル)、歌or笛みたいのもおおーっ、ってなりますけど、あれは大道芸だよなあ……😅
追加:エレクトーン弾きののシンガーソングライターだと、パット浮かぶのが部屋とワイシャツとわたしの平松絵里ぐらいか、確かにw
作者からの返信
5/27追記済み
コメントありがとうございます!
お話の例は単純に「聞くべき焦点が合ってきた」というパターンではないかと思いますが、まあそれとて、小さな発見とか驚きの積み重ねでそうなってるのかも知れませんね。
コルグのM1ですか。たぶん触れたことぐらいはあるような気がするんですけど、音色まで「これ」と判定できるのはすごいですね。正直、私はピアノのブランドの聴き分けができるようになった(ような気がしてきた)のって、四十過ぎてからですよ。ピアニスト個々のタッチの違いなんて、もう全然 笑。だから、自分が弾いてても音色の変化なんて全く意識向けてなくて。我ながらひどくつまらない音楽やってたもんだなと。
>ところでチェロというと、分島花音が……
おかげさまでまた一つ固有名詞の引き出しが増えました w。はあ、そういう人がいるんですね。古楽経験者でJ-popに進んだって経歴がすごいですね。今はそういうアーティストもいるのか……。
>しかし、そう考えるとピアノってほんと万能というか、一台選べとなったらピアノだよなあ、みたいな。
今日的な音楽作りやるんなら、キーボードが万能って感じにどうしてもなりがちですが、その実、ピアノ弾きは歌手とか管弦楽器奏者を一生嫉妬し続けているというのも、よく聞く話だったりします。強烈なクレシェンド一音で観客を黙らせるのなんて、ピアノには絶対できませんからね。「複雑な合奏はシミュレートできるけれども、素朴なソロひとつ満足に歌えない」のがピアノです。
ってことは、つまりキーボードの弾き語りだったら無敵なのかなとも思うんですが、一方でピアノは長々と伸びる音とかできませし、リズム楽器としては手法が限定されるし、音色もどうかすると単調になりがちです。
という要素も重ね合わせて完全解を求めるとなると、多分エレクトーンの弾き語りが唯一無二の選択になるはずなんですけど、該当するシンガーってほとんど例がないような気がするんですよね。なんでだろう?
5/27追記
平松絵里! 懐かしい名前 笑。
思うに、エレクトーンってスタジオ備え付けの楽器とかまずないから。自前を持ってくるしかないんですよね。でも機能が充実してるやつだと、アップライトビアノ並みに重たいからねえ。アレ一式を毎回ひっさげて巡業するのは、ちょっとしんどいかなと。
そういう意味では、ピアノって一応現代ならどこでもある楽器ですから。やるとしたらこれかギターかの弾き語りになるんだろうなあ。
憾みへの応援コメント
絶対音感があると「移動ド」の感覚が掴み辛いって話は聞きます。「ドはドだろ、レはレでしょ」って。他方で共感覚のある人も居る。「ドを聴くと赤を連想する、レは青に見える」という。
一つお訊きしたいんですけど、音楽教室とかでクラシックを学ぶ際、一般的に「コード」から勉強するものですか。ポピュラー音楽だと、例えばギターを弾きたいとなった時にコードネームから入る事になると思うのですが。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
絶対音感ってどうしても「固定ド」に偏りがちですからね。まあ、絶対音感があるわけでもないのに、「固定ド」しかできないって人もいますが。あのへん、相当ソルフェージュをやりこまないと、なかなか使い物になるレベルまでは上げづらいんじゃないかと。
さて、ご質問の件ですが、私の乏しいレッスン歴からの返事ですが、そもそもクラシックではコードも和音も話題に出ません 笑。
幼稚園の頃に「ヤマハ音楽教室」ってやつに通ってて、私は三年コースのところを親の転勤で二年どまりだったんですけど、そこでは歌(ソルフェージュの基礎かな?)とかリズム打ちとかキーボードとか、各種の基礎に加えて、和音のパターンなんかも一応やりました。Ⅰ、Ⅳ、Ⅴの和音とかね。
ところが、その延長線上にあるはずのヤマハのピアノレッスンだと、分析的なことは全く話に出てこないんですよね。ここが弾けてない、しっかり部分練習して、とかわかりきったことの繰り返しで。この曲は何調、ぐらいの会話はあるけれども、それだけですね。
個人でピアノ教室開いてるところも、まあ例外はあるでしょうが、基本的には理論は最低限しかやらないんじゃないかな。あ、でもエレクトーンは上級だとアレンジを自前でやらなきゃならないので、だいぶん理論寄りの内容になってたのかも。
この頃の「ポピュラーピアノコース」とかだったら、ちゃんとコードを基礎から教えてるのかもしれませんが、クラシックピアノでなおかつコードとか和声理論とかを込みで教えてくれるコースってのは……個人で作曲もピアノもまとめて教えますって言う、作曲科受験生専門みたいな先生なら、あるいはそれに近いかも。それか、ジャズとクラシックを並行して教えるような珍しい先生だったら。
なにしろ、ピアノって理屈なんか何も知らなくても、完全丸暗記すればドヤ顔で完奏できますからねー。
憾みへの応援コメント
なんだよ、無理にでも叩き込んでくれればよかったのに! というのは案外あるあるなのかもしれません。
考えれば絶対音感教育盛んでそこらじゅうに絶対音感の持ち主が出てきた結果、逆に絶対音感の持ち主は創作性が云々、みたいな言説もあったような(近年はどうだか知りませんが)。
どうなんでしょう? どっちが正しいのか。日本人の自虐だか嫉妬(による足の引っ張り合い)だかすらも、よくわからない……🤔
でも、大体、「型」って大事ですよね。基礎を基本を知ってこそ、そこから離れたり飛躍したりできる。本当にごく一部の天才とか除けば、型破りじゃなくてとんだ音痴、って惨事になりかねない……😅
なんか私も、高校生ぐらいのときかしらん? 成人してたか? 妹の使ってたソルフェージュ使って少しは真面目に音符読めるようになろうかな、としたことがございました。すぐ飽きましたw
そういう精度の話してないんだろうなと気づきつつも、大まかにいえば共感の嵐でございますw
作者からの返信
コメントありがとうございます!
おまけのツッコミ待ちで入れたつもりの一言に、なぜだかみんな真面目に食いついてくれるのはなんでだ 笑。
今回の論旨は、私の年代だと音楽ファン以外でも割と共有できるテーマかなと思っていたんですけど、そうでもなかったのかな。まあ日本人が完全アウェーな分野って、クラシック以上のものはそうないですからね。少し目算が狂っていたかもです。
>絶対音感の持ち主が出てきた結果、逆に絶対音感の持ち主は創作性が云々、みたいな言説もあったような
「絶対音感」をめぐってはまた色々と書けることはあるんですけど……はっきり言えることは、「みなさん、なにか誤解していらっしゃるのでは?」ですね 笑。あれって一種の霊感なんかと同列に見られてるんじゃないかな。霊が見えるって便利ですね、色々おしゃべりできて楽しいでしょう? みたいな w
違うっての。そりゃあれば便利ではあるらしいんですけどね。あのスキルは菅野よう子氏に言わせると「呪いのようなもの」なんだそうで、今日びのように「ドでもㇾでもない音」が氾濫するような音楽の時代になると、やりにくくてしょうがないんじゃないかな。必要に応じてオフにできる訓練もしとかないと発狂しそうになるなんて話も聞くし 笑。
適当に書き散らしていたら大上段に構えたような文章が続いてしまったので、次はもっと身の程をわきまえた内容にしようと思います ^^。この先もよろしくです。
編集済
憾みへの応援コメント
【追記あり】
「日本人にクラシックは理解できない」、面白い文言ですね。
詳細がわからない門外漢からすると、『日本人を排除したい欧米側の差別性』と『それに対するの日本側のルサンチマン』の合わせ技に見えます。
そもそも、何を持って『良い』か『理解した』かを定義しないで好き勝手に文句つけてたら、どうとでも屁理屈が成り立つ循環論法にしかならんだろうに、と思ってしまいます。無知で循環論法に陥っているのに気づいていないのか、気づいていて循環論法を意図的に悪用しているのかは知りませんが。
この機序を逆にみれば、日本人の演奏を排除するための『ナラティブ』を作っている/作っていたのではないでしょうか。
故に、これは『神話』であり、それを信仰する人々の間で共有されていた幻想に過ぎないのでしょう。これは初期に西欧クラシックに挑戦した日本人にとっては挑むべき壁だったのかもしれませんが、そうでない人々にとっては『意味不明の世迷い言』に見えても何の不思議も無いかと。
>機械的な練習も大事だろ!?
魂の叫びですね。:-)
これは前段の、クラシックを真摯に追求した人のルサンチマンが、下手くその言い訳にも親和性が高かったので氾濫したように見えます。
バカには見えない服じゃないですけど、根拠の無いナラティブが自己正当化の材料に使う人々の共犯で成立していたと。現代ポップス等で「何で王様は裸なの?」とようやく指摘され始めた、というのが一連のエッセイのテーマだと解釈しました。
音楽に限らず、『既成概念』という『偏見』は、もう少し客観的な視点から再考して、過度に囚われないようにしたいですね。
【追記】
>総論としてはまったくごもっとも
前段の粗さを誤魔化してかなり強引にオチに繋げたので、あまり褒められた話じゃないですが。:-)
>全面的に信用いただけたうえで
ええと。過度に鵜呑みにされたのかと心配されてますか?
私に関しては、面白い仮説に乗っかって思考実験で遊ばせてもらったつもりなので、ご心配なく。
この辺りの命題を真剣に知りたいのであれば、きちんと図書館で入門書や解説書を何冊か読んで、特定のバイアスが掛からないようにとか気をつけるのも、読者側の責任だと思います。作者側だけが責任を負わなくても良いんじゃないでしょうか。
>クラシックを手掛ける日本人の永遠のテーマ
理系寄りの思考体系なので、客観指標の無いものについては、主観で評価するしかないと思ってます。
なので、主観=自分がどう納得するか、の話で、それぞれの主観が人生とともに変化・成長すのに合わせて、死ぬまで模索するしかないんじゃないかな、と。最後に天に拳を突き上げ、一片の悔い無し、と思えれば『勝ち』じゃないでしょうか。:-)
>とりあえずここの三回分ぐらいはすぐに書けます 笑。
コレはコレで読んでみたいですね。:-)
ぶっちゃけ、音楽知識を得ようというよりは、湾多さんの思考と文章を味わいたくて読んでいるので、どちら側でも美味しく頂けます。お邪魔でなければ、それに合わせて思考実験的な感想も書きますよ。
理系よりのたとえで済みませんが、関数が収束するまでに、アンダーシュートやオーバーシュートを繰り返して次第にサチっていくように、思考もある程度の幅で振れながら次第に結論に落ち着いて行くのではないでしょうか。その過程をいっしょに書いて/読んで行くのがエッセイの楽しみだと思うので、読者としては大歓迎です。
>やれるところまでやるしかないんですけどね。
私もカクヨム初めてから、何が『面白い』なのか? とか、謎に深い命題抱えてしまってビックリしてますし。
老後の金の掛からない暇つぶしくらいのつもりで気軽に書いたのに、想定外に自分の深い部分に刺さってきて。そこが興味深いんですけど。
>甘えの上塗り
うーん、クラシックのトップレベルを外野から眺めると『求道者』に見えますが、遊びのない歯車の様でキツくないかな? とか思っちゃいますね。大谷翔平みたいに、仕事が野球で趣味が練習、みたいな特例もありますけど。
『求道者』に見える人も、他者からは分からなくてもその人なりの遊びがあるはずで、それが人間なんじゃないかと思ってます。そうあって欲しいという信仰? も混ざっていますが。:-)
長々と失礼しました。次の話も楽しみにまっています。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
総論としてはまったくごもっともな意見をいただきましたが、何と言いますか、こちらの書いた文章を全面的に信用いただけたうえで丁寧に考察を加えていらっしゃるので、書いた本人としては冷や汗がにじみ出る思いに駆られるところも何か所か。いえ、これはもう全部湾多の責任ですけど w。
>これは初期に西欧クラシックに挑戦した日本人にとっては挑むべき壁だったのかもしれませんが、そうでない人々にとっては『意味不明の世迷い言』に見えても何の不思議も無いかと。
うーん、こんだけ大きなテーマを駆け足で済ませると、話の展開がかなり乱暴になってしまってたんだろうなあと思いながら読みました。ぶっちゃけた話、「日本人にクラシックはマスターできるのか?」という問いは、今なおクラシックを手掛ける日本人の永遠のテーマです。私自身も、折に触れて「こういうことがうまくできないのはやはり日本人だからか?」と悩んでばかりですし、なんなら「日本人が真にクラシックを理解するのは不可能」のスタンスに立って論を展開しようと思えば、とりあえずここの三回分ぐらいはすぐに書けます 笑。
まあ、仮に今さら「我々にクラシックは無理」なんてことが証明されたとしても、やれるところまでやるしかないんですけどね。そこは他のプロもアマも、みんな同じ気持ちだと思います。そういう意味では、こういう問いを設けること自体、不毛そのものに見えるかも知れませんが……。
とにもかくにも、外の視点で見るとそういうイメージなんだなあと新鮮な気持ちでコメントを拝領しました。案外、日本の言論空間の中では、クラシック関係者がもっとも前時代的な空気の中で生きているのかも知れませんね。実質、明治時代から変化していない命題ですからね。
>>機械的な練習も大事だろ!?
>魂の叫びですね。:-)
いやー、これはほんとうに八つ当たり百パーセントなんですよ。「メトロノーム使いなさい」って言われたこと、実際には何回もありましたらね。ただ、メトロノーム鳴らして曲の最初から終わりまで何十回も繰り返し通すだけって、それはさすがに違うだろうと思って無視してたんですよね。
とりあえずそういう練習もやってみる、ということにすれば正解だったのか。でもそういう訓練でテンポ感がほんとに身に着いたのかっていうと、どうもねえ。
発言としては、ここまでの話を全部ちゃぶ台返しするぶち壊しの一言ですね。まあ甘えの上塗りを許してもらうなら、「"メカニカルで、なおかつ音楽的な演奏"は現実にあるんだから、それを目指しましょう」とか目標を示してくれていたら、ピアノもうまくなって時代も先取りできたのかもしれないなあ、とは思います。いや、そんな先進的なビジョン持てていたら、その人、そもそも街のピアノの先生風情に甘んじていたりはしなかったはずですけど w。
編集済
テンポ・ディ・ヴァルスへの応援コメント
いやいや、ドラマツルギーの方法論としては、正しいんですよ、正確無比だが味のない演奏ってのはw
某湾多氏という作家の書いてる某クラヴァフィリアという作品に出てくる、ドルミオ・ウィンドバーンという演奏者がそれに当たるかとwww
というつかみのジャブはあれとして、私が思い浮かべるのは、『プルートゥ』(浦沢直樹)のノース二号ですね。読んだことある人なら、おそらく皆、あのエピソード好きだと思うんですけど、楽譜通りに正確に弾くだけでは足りない、所詮機械だ、というのは事実に即してるかはともかく、多くの人が思ってしまうことなのではないかと。
そこに、機械(アンドロイド)が、ついに人の心を震わす演奏を獲得する、……のが皆、好きなんですよw
私は、そもそもゲームミュージックから音楽入った派なんで、基本、正確無比なテンポがベースになってるんですが、それだけの観点だと、「え、指揮者って何やってる人?🤔」な感覚だったんです。で、後に、指揮者とは(その作品の)リズムマスターであり、ミキシングをリアルタイムでしていく人なのだ、と気づいたわけですが。
小説や漫画などでも、クライマックスになるとテンポが上がる、上げすぎてしまうことも多々あるから、敢えて落とすとか、むしろ流れに任せるとか、作者・作風・その他諸々の要素で選ばれていく、あるいは選ばされてしまうと思うんですけど、読み手や書き手の期待するモノに応えるときに、本当にそのテンポでいいのか、というのはあるかと。そこへ一律一定のテンポ(メトロノーム頼り)なのは、間違いなのではないかと。そういう感覚なのかと思ったりします。
えーと、だから、なんだ?🤔
そうそう、「感性と語彙が未成熟な音楽マニア」ばかりでなく、そういう方法論を選ぶ作者は、いると思いますよ?
これはまあ……考え抜いた末に選ばれた「素材の味を活かす」と、下手くそ料理人がやってしまう「単に素材の味」みたいなモノなんじゃないですかw
追記:そうざさんの感想読んで、ああっと思ったことがあったんで追記ですw
ああっ、なるほど、ユーロミュージック(四つ打ち)の流れがあって、トランスだレイヴだみたいな、瞑想(?)的な流れがあってのいまなのかもしれません。あれですよ、木魚のリズムw
ただ、BPM一定の音楽から入った者としては、そこで急に入るシンコペーションや、ブレイク、拍子の変化(槇原敬之のSPYみたいな)とかに気持ちよさを感じるところがあって。
澤野裕之なんて、まさにそこだけ(とかいうとファンから怒られそうですがw)というか、そこの気持ちよさ狙ってね? ていう気がしますね。個人的な所感としては、YOASOBIなんかがまさにその路線かと。
リズムだけの話でもないんですがね。
作者からの返信
コメントありがとうございます! もう大体において湾多のキャパを超えた内容なんでさらっと流しますが w、とりあえずウィンドバーンのスタイルは、今回の本文に即して言えば「機械的に正確で、なおかつ音楽的にも上等」なタイプにしたつもり。まあ、他のサホとかビーチェの演奏に比べると、「マジメ一本すぎて面白みに欠ける」という嫌いはあるんですが。
「プルートゥ」は、読んどいた方がいいのかなと思いつつ、ちょっと手が回らないままになってる作品ですね。ググっと感じだと、いわゆるこの手のエピソードではないようにも見えるんですけど、「機械がピアノ弾いてる」ってところから、暗黙の裡にそういう読み方を求めてるというのはあるかもです。
でも、まさに日本人の浦沢さんがそういうストーリーを構想したということで、また別のアングルからこの問題を切ることもできるんではないかと。詳細は、このテンポ問題の完結編に当たる(笑)次回分をお読みください。まあ、
>「感性と語彙が未成熟な音楽マニア」ばかりでなく、そういう方法論を選ぶ作者は、いると思いますよ?
湾多はあくまでこの問題を音楽のビート感覚の範囲のみで語るつもりではあるんで、方向性としては話が収縮する方に行ってしまうかもですけど。
しかしまんぞーさんの原点ってゲーム音楽だったんですね。もっと軽音寄りのアプローチかと思ってたんですが。なるほど、あっちの方向性なら、BPM一定のビート感が基本感覚になるのかなあ。ちょっとこれは民族音楽学的に興味深い問題 w。
もともとが、拍の間隔が自在に変動する楽曲の方が、ワールドワイドで見ると例外的だと思うんですよ。だから、BPM揺れっぱなしのロマン派音楽なんて、ある意味異常。わかっちゃいるんですけどね。まあそのあたりの話も含めて、次をよろしく。
Want some beat ?への応援コメント
いつの頃からかライブ映像の感想に「口パクじゃなくて凄い」「CDと変わらないクオリティー」なんて声を聞くように。これって「ライブならではの」なんて要素は要らないって感覚なのか。歌い回しが変わる事、キーが変わる事、アレンジが変わる事、そういった要素も忌避され勝ち。
これまたいつの頃からか、イヤモニから聞こえるクリック音が聞きながらの演奏&歌唱が当たり前になった(技術的に可能になった)事も、正確さ重視の風潮に寄与しているように感じます。
昔の歌番組って、それぞれの番組にバンドが控えていて、結構オリジナルのアレンジで生演奏する事も多かったけど、こういった事も今は忌避される気がする。思い出したけど、『8時だョ!全員集合』だったか、放送時間が押してしまって、急遽バンド演奏のテンポを上げるなんて事までやってた。
ポピュラー音楽界がビート全盛になった事も大きいと思う。最初から最後までBPMを変えない事が忘我的ノリを提供する事になるという偏重。視聴(歌謡)音楽から体感(ダンス)音楽へ、そんな流れの帰結でしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
ろくにポップス界の事情も知らんのに口先だけで理屈をこねたがる知ったかの妄言にお付き合いいただき、実に持って恐縮です w
>これって「ライブならではの」なんて要素は要らないって感覚なのか。
ありましたね、そういう議論。クラシック肌の人間から見ると、ある意味ポピュラー音楽のクラシック化とも呼べそうな現象で、まあテレビとかコンサートなんかの一回性の強い演奏よりも、CDから聞く機会が圧倒的に増えたリスナー層ならではの、「原典」尊重の感覚なのかなと考えたりもしますが。
>イヤモニから聞こえるクリック音が聞きながらの演奏&歌唱が当たり前になった
あー、やっぱりステージでもそういうことやってるもんなんですね。ライブ会場だと、観客の声援がアレ過ぎてバックバンドの音そのものが聞こえないから、みたいな話も聞いたことがありますが……まあクラシック肌の人間としては、静かに聴けばいいだけなんでは、という身もフタもないツッコミをどうしても入れたくなりますけれど 笑。
>昔の歌番組って、それぞれの番組にバンドが控えていて、結構オリジナルのアレンジで生演奏する事も多かったけど、こういった事も今は忌避される気がする。
敬遠されるようになったのは確かだと思います。ただ、新たにアレンジ譜を作る手間と費用がバカにならん、というのがより大きな理由ではないかとも思います(rf 「編曲の美学: アレンジャー山川恵津子とアイドルソングの時代」2024)。ステージごとにミュージシャン集めて練習組むのも、今の時代はおおごとですからねー。
>『8時だョ!全員集合』だったか、放送時間が押してしまって、急遽バンド演奏のテンポを上げるなんて事までやってた。
ありましたありました ^^。あの当時はぼーっと聞いてただけでしたけど、あんだけの演奏を生で、安定的に提供し続けるのって、実はとんでもないレベルの技術力なんですよね。「岡本章生とゲイスターズ 」って、日本を代表するビッグバンドなんだってだいぶん後になって聞いて、愕然とした覚えが。
>ポピュラー音楽界がビート全盛になった事も大きいと思う。最初から最後までBPMを変えない事が忘我的ノリを提供する事になるという偏重。
これ、ビートが不変になったことが先なのか、「忘我的ノリ」を求めんがためにそうなっていったのか、よくわからないんですけど(などと追及すること自体、多分不毛なんでしょうが)、改めて考えると、コンピューター音源が楽曲の構成要素に完全に繰り入れられたことも大きいのかなとも。シンセキーボードでアコースティック楽器とセッションしてるうちはよかったんですけど、90年代以降から「コンピューター音源」としか言いようがないサウンドが"楽器"の一部になってしまいましたからね。お互いの目を見てテンポを落とす、なんてことも不可能になってしまい……まあ、そういうのもあくまで要素の一部なんでしょうが。
>視聴(歌謡)音楽から体感(ダンス)音楽へ、そんな流れの帰結でしょうか。
あ、なんかすべてをひとことで説明しきってしまえる強力なフレーズが。なるほど、音楽史っぽく見ると、その流れがいちばん大きい気がしますね。ってことは、暗いホールの中でじっと"音"だけに聴き入るクラシックの鑑賞スタイルは、ますます時代遅れなものになっていくのか――
示唆に富んだコメントの数々、実に興味深いです。いやもう、ちょっとしたテーマと思ってましたけれど、イメージが果てしなく広がっていきそうですね ^^。
編集済
テンポ・ディ・ヴァルスへの応援コメント
また全然話がズレてるかもですが、ユーチューブの聴き比べ、1の方はカラオケボックスの精密採点のお手本みたいな感じですね!
テレビでやってるのも観たことあるのですが、良い点を出すためにリズムも音程も正確さを重視するから、なんか味気ないカクカクした歌になるんですよね^_^;
1は、それに似ている……正確で音はいいし、別に悪くはないけれど、単調に聴こえますね。
2は、なんていうか、溜めたり走ったり、音の強弱とか、聴いていて心が踊るし楽しいなって印象です。
聴き比べるとこんなに違うんですね。
***
前回のリズムの話の続きで申し訳ないのですが^_^;
自分ではリズム音痴ではないと思いつつ……
よく楽曲とかで、盛り上がりの所で無音になって、数秒後にドン!と入るような箇所があったりするじゃないですか(説明が下手ですみません^_^;)
歌を歌ってる時、あの、ドン!の箇所で、入れないんですよねw
でも歌いたい歌は、だいたいあれが入ってるっw
いつもあの箇所で必ずずっこけます^_^;
作者からの返信
コメントありがとうございます!
1の方は、チュートリアル、つまりズブの素人さん相手に、どの鍵盤をどう押さえたらこの曲が弾けるようになるか、というデモンストレーションやってる動画なんで、意図的にカクカクした演奏にしてるんです。が、それにしてもちょっと出だし部分が音でかすぎかなと w。
もっと打ち込み感あふれる非人間的な 笑 音源はないかとだいぶん探したんですけど、さすがにこの頃はそういう露骨すぎるのは出てこなくて……まあ言いたいことは何とか伝えられたと思うんで、それはそれ、ですね。
>よく楽曲とかで、盛り上がりの所で無音になって、数秒後にドン!と入るような箇所があったりするじゃないですか
あー、澤野弘之さんの曲なんかでよく出てくるパターンですね。サビの直前でブレイク(無音部分)入れるって言う。近年はそのパターンの曲多いですよね。
ブレイクに差し掛かる前の四小節前ぐらいから、1234、1234……って感じで頭の中でカウント取って(なんなら体ごとビートに揺らせて)、「4」で小さく吸って「1」であせらずに歌い出したら、そうそう外れないと思います(ちなみに四拍子の曲の場合ですね。もし数え方を勘違いしてたら、当然失敗します ^^)。
それでどうしてもうまくいかないなら、スマホでメトロノームアプリをゲットして、発光モードでカウント確認しながら練習するとか、ですかね。あ、「1」でポンと歌い出すような単純なリズムの曲でないのなら、そら難しいと思いますけど。まあ、楽にカウント取れる曲からレパートリー広げていかれてはと。
編集済
テンポ・ディ・ヴァルスへの応援コメント
【追記あり】
Youtube聴いてみました。音痴なのでまっっったく自信が無いのですが、1.はオルガン?みたいに聞こえました。譜面通りの打ち込みでテンポが全く揺らいでいないだけではなく、音色や強弱などの他の要素も単調過ぎるという問題が絡んでいませんか? 創作ラーメンなのに混ぜた全要素が残念、みたいな印象です。
出来ることなら、ちゃんとしたプロの演奏家でテンポだけを正確にした比較演奏を聴いてみたいですね。もしかしたらそれは、上記の1.ほどの差は感じられないかも知れない。だとすると、音楽性の無さを責めるべき要因は『テンポの正確さ』では無い、事になるのかも。
前回からの2話を読んで感じたのは、湾多さんの静かな怒りというか、諦観のこもった無念さみたいなイメージですね。
なんらかの作品中で、わかりやすく端的に表現されたフレーズが独り歩きしはじめて、いつしかそれが一般化してしまった。テンポが正確であることは悪くないのに、それが全ての悪のように受け取られかねない演出があちこちで見られるようになって。フィクションなんだからあんまり野暮なツッコミを入れるのもと躊躇しつつ、「湾多さんは音楽するからこういうの好きでしょ」とか不用意に勧められたら悶絶してしまう、とか?
と、いうふうに解釈すると。非専門家で耳の超えていない素人としては、『正確だけど音楽性が無い』みたいなテンプレフレーズを正しいと思い込まないのと同時に、自分の知識や耳では理解できないところは素直に『わからない』とするのが誠実な気がします。
自分の理解度が雑だと自覚するのは難しいですけどね。努力することは諦めたくないなぁ、と。
……全然関係ない方向にブレた気もしますが。思考を楽しむ題材として凄く興味深かったです。
【追記】
>にじみ出てました? w
にじみ出ていたというよりは、私の方にある問題を投影しちゃっていないかと心配しています。技術ネタで酷いのを目にすると悶え苦しむ質なので、フィクションだからその世界ではそうなっているんだと自分に言い聞かせて堪えることがちょくちょくありまして。勝手に共感を感じてしまった、と。
>なんとしても次で延長戦やらんと。
ファンとしては楽しみですが、エッセイなんだからもっと気楽に思いついたときまで放置で別ネタ書いても良いと思いますよ。いろんなネタを右往左往していたら、連載が続くにつれて点描的に繋がっていくのも素敵ですし。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
前のコメ欄で伺った話も反映させようとは思ったんですが、三千字程度でまとめるこの連載のスタイルだと、ちょっときれいにまとめきれませんで、まああのお話はいずれ何の機会にということで、失礼させてください。
>音色や強弱などの他の要素も単調過ぎるという問題が絡んでいませんか?
全くその通りです。私もこれで話を都合よく誘導するつもりではなったのですが、さすが、鋭いところを突いていらっしゃる w
>出来ることなら、ちゃんとしたプロの演奏家でテンポだけを正確にした比較演奏を聴いてみたいですね。
ええ、まあ、対照実験するのならそれが筋ですよね。でも、強弱とかタッチとかは伸び伸びと、テンポだけ機械的に厳密に、なんていう妙ちくりんな演奏、それこそこういう趣旨のエッセイの付録音源として作るのでなければ、誰もあえて録音しようなどと思わないでしょうね 笑。いっそのこと、自分で作ってもよかったんですが、まあ今回は何とか既製の音源で最低限の説明になるかと思い、手を抜かせていただきました。
>前回からの2話を読んで感じたのは、湾多さんの静かな怒りというか、諦観のこもった無念さみたいなイメージですね。
あ、そんなものがにじみ出てました? w そこまで怨念を込めたつもりはなかったんですが……これだけしつこく書いたらそうも読めるか。
あるいは、自分一人の中で割り切ったつもりになっているところとか、充分に書き込まないまま流してしまってて誤解に近い形になってるのかな、とも思いますんで、今回の続編みたいなのはまた機会を見てお話しできれば。私も最後は分かりやすい形にしようとするあまり、やや強引に道筋を作ってしまってるところとか、ありますからね。
っていうか、前回で「音楽の聴き方自体がここ三十年ほどで変化してる」とか書いといて、全然そういう話題になってへんやん 笑。あかん。これはなんとしても次で延長戦やらんと。
一話完結のわかりやすい連載にするはずだったのに、なんということでしょう。というわけで、次もよろしくお願いします……。
Want some beat ?への応援コメント
音楽にはまったく疎いのですが、なるほど、と楽しく読んでいます。湾多さんの目指す方向になっていると思います。実は私も子供の頃、アコーディオンを習っていました。親に無理矢理やらされた感じで、数年でやめてしまったので何の音楽的知識も身についていませんが。教室に通ったわけではなく親父に習っていて、これが絵に描いたような昭和の頑固おやじなのでスパルタで(笑)。それとこのお話と関係ないのですが、最近「違国日記」のオープニングが頭の中でよくリフレインしてしまいます。
作者からの返信
コメントありがとうございます! みなさまのお寄せくださるコメントで、なんとかエッセイとしての面目が保てているという状況です w
え、アコーディオンですか? それはなかなかレアな。
一昔前は、ギターほどじゃないにしても、合唱の伴奏とか、流しの弾き歌いの商売道具とか、それなりに活躍の機会があった楽器です。改めて路上パフォーマンス向けのソロ楽器としてみると、音域こそ狭めですが、強弱の変化が自在に出せるし、和音も得意だし、ミニサイズのパイプオルガンと言ってもいいぐらい可能性の広がりが感じられる……失礼、つい興奮してしまいました 笑。
我々から上の代になると、何かを学んだ際にいかにスパルタな試練に遭ったかという話は避けて通れませんね。楽器はもちろん芸道、スポーツ、学問に至るまで、良くも悪くもピリピリした空気の中で生きてきたような印象です。というか、そのお父上はどこでどんな習い方をしたのか、いささか興味を感じますね。
「違国日記」をアコーディオンアレンジするならどんな音の並びにしたらいいか、尋ねられるものならお父上に尋ねてみたいです。事実上のオルガンアレンジになるのか、それともアコーディオンならではの譜面の作り方があるのか――。
Want some beat ?への応援コメント
ま、間違えて消えてしまった……
全然話がずれちゃうんですが、湾多さんから聖飢魔IIの話題が出ていてちょっと意外というか、面白かったです(笑)
デーモン小暮の印象でコミック系とか思っていたクチですが、洋楽好きの姉が熱烈に「聖飢魔IIの楽曲はよい」と語っていたのを思い出しますw
「お前も蝋人形にしてやろうか」ですよね(笑)
まんぞーとケンカした時などについ口走るセリフです……
メトロノーム、ダイヤル?を1番下に合わせるとすごく速くカチカチ鳴るのがなんだか好きで、音楽室にあったメトロノームでよく遊んでたダメな小学生でした^_^;
ちなみにわたしも辺根さんと同じでリズム音痴らしいです……自分ではそうは思わないんですがねえ……
作者からの返信
コメントありがとうございます! あ、書きそびれておりまたが早々のレビューもありがとうございました!
実は各話のタイトルをどうするか、三話目ですでに悩むようになりまして 笑。
今回は某ベートーヴェンのちょっと訳ありな曲名を持ってこようかと思ったんですが、話の中身がクラシック領域に行き着かず、説明がムダに長々しくなったので一旦却下。さてどうするか、と考えた湾多の脳裏に、突如この曲の冒頭の歌詞がよみがえり、ああそういえばピッタリだなあと w
聖飢魔Ⅱは事実上このアルバムしか聞きこんでないんですけどね。まあその昔に武道館だ全国ツアーだと一世を風靡しただけのことはありますよね。……あ、今も現役か。お姉さまもお目が高い ^^。
「リズム音痴」って自称する人は多いんですけど、だいたいは人に合わせようとしすぎるか、難しく構えすぎのケースだと思います。ライブでペンライト振り回す周期がどうしてもズレてしまうとか、そういうことでなければ大丈夫じゃないでしょうか。っていうか、ズレてもご愛敬で済むでしょうし(まあ会場によりますが)。
Want some beat ?への応援コメント
あー、私は(勿論)専門家でもないどころか、間違いなく湾多さん以上にアマチュアなわけですが、湾多さんがいってるテンポ(というかビート)の話って、おそらくジャズミュージシャンのいうところのクラシック畑の奴にはグルーヴがない、みたいな話なのかと。
ポップスなら自在にテンポを揺らすか、というとそんなことはおそらくアイドル全盛の40年前でもなかったのでは……?🤔
ティック音ってのは私は初耳なんですが、メトロノームならぬドンカマに合わせて土台作って、そこにスタジオミュージシャンが併せて演奏して、って形が主流だったのでは、と思いましたw
まあ実際がどうだったかはそれこそ専門家でもないし調べてないし、なんなのですが、いわゆるポップスで土台のリズムを動かすようなものはごくごく少なかったのでは、と思います。
一発録りとか、アーティスト風味を売りにしたようなやつ以外は。
ましていまは打ち込みをわざわざ売りにしたりするようなのはないと思うので、ごく普通にPCでデモ作って、差し替える形で生演奏を差し込んだりが普通そうなんだよなあ🤔
なんならボーカルすらメロダイン(すんません、ここらへんの知識アップデートされてません)で矯正するようなのが普通っぽいので、テンポが一定なのは、ごく当たり前、むしろそうでないほうが特殊なのでは、という印象です。
……まあ、二十ン年ぐらいまえのポップスの現場、みたいなドキュメントで、アイドル(?)に4〜5テイク歌わせたやつの、最良の部分を継ぎ接ぎにしてボーカルトラックを完成させるというのも見たことあるので、そこらへんは時代もあるんだと思いますが。
というか高橋幸宏が機械みたいな正確なビートで叩いてすげえ、なのが80年代前半なので、その頃は単に技術の問題で揺れない、動かない、のが特殊だっただけ、という可能性もあるのかと……。
なんな何書いてるのかよくわからなくなってきましたし、次の項? への妨害工作になってなけりゃいいんですがw
コメントにあった、辺根さんの実は雑味は風味に関係してるのではないか、というのは、普通にある話かとw
酒だって、雑味無くすぐらい蒸留すれば、もうそれはただのエチルアルコールですからね、ぐらい普遍的な話かと私は思ってますw
(相変わらず)酔って書いてるんで、意味不明なこと書いてたらすまんす……😅
作者からの返信
コメント並びにレビュー、ありがとうございます! てか、こんな怪しげな話題扱ってる回に星三つとか、ほんまにええんですかとつい確認したくなります w
ええと、ポップスとかバンド関係の知識なら、湾多はたぶんそのへんの高校生にも負けると思います。とにかく全部耳学問ですから。そういえば吹奏楽でドラムセット使ってるの見てたから、形は知ってるぞ、とかそういうレベルですよ。五人のバンドにギターがなんで二本入ってるのか、なんて理由もだいぶん後になるまでわかってませんでしたからね(ベースギターというものをまともに認識できたのは、アニソンのアレンジ始めてから)。私の下の世代だったら、基礎教養として色々と"けいおん"的なあれこれがインプットされてるのかもしれませんけど。
ので、ドンカマとか、何それ何の料理ができるの、て最初思いました 笑。「ティック音」って言い方はしてないんですかね。確かにささっとサイト巡った範囲だと「クリック音」が普通なのかな。まあ「ティック」はDTMでまた特別な意味があるし、ここは修正しておきます。
>いわゆるポップスで土台のリズムを動かすようなものはごくごく少なかったのでは、と思います。
>テンポが一定なのは、ごく当たり前、むしろそうでないほうが特殊なのでは、という印象です。
おっしゃる通りです。ここのくだりは、もしかしたらすごくボケたことを口走ってる印象に映ってるのかなと、論点を整理しててちょっと焦りました 笑。
ただ、八十年代より前の録音とか音楽だと、少なくともBPMにして0.1単位でビシッとテンポを管理しているという印象はなかったと思うんですよ。アニソンの歌部分にしても、心もちあおり気味に歌い出してるとか、譜面に書き表せないぐらい微妙なリズムでディレイをかけてるとか、歌手の方でいろいろ工夫してました。あと、これはアニソンより歌謡曲でよく見られた例ですが、曲の山場の手前でちょっとリタルダンドかけてタメを作るとか、曲の最後でテンポをぐっと落とすとか、割に普通だったと思うんですよね。でも今はそういうのも全然聞かなくなりましたよね。
が、そこはとりあえずいいです。そもそもドラムセットが入り出したあたりから、ポピュラー音楽はクラシック以上にテンポの取り方が"メトロノーム的に"なっていったのは確かでしょうから。その区切り目を三十年前ぐらいと取るか、五十年前と取るか、もっと前からかとするか、その違いだけだと思います。
湾多の目下の論点は、「結局のところ、"メトロノームみたいな非人間的な音楽"って何よ!?」という、どことは言わないけれども某音楽系コミックでさももっともらしく出てきたフレーズについて、ちょっとちくちくつついておきたいという、実に次元の低い議論であります 笑。いや、その記述を全否定しようという話ではないのですけれどね。まあ……続きは次回で。
編集済
Want some beat ?への応援コメント
【追記あり】
重度のリズム音痴なので、今回のテーマを全く理解出来ていないのかも知れませんが。非常に興味深いネタなので勝手に分かる方向で解釈してみました。
母親が働いていた一時期、めんつゆ調理にハマっていた時期がありました。なんでもめんつゆで味付けすれば簡単に美味しいという奴で、看護師と主婦業をこなすのにちまちま調味料計って作るのは面倒だ、という動機だったと思います。かぼちゃの煮物などは悪くない感じでしたが、それを食べ続けていると、次第に虚無感に襲われるようになって来ました。若干ワンパターンな感じはあるけどまぁまぁ美味いと身体は反応するのに、精神が拒否を始めるのです。曰く、食っても『味』がしない、『虚無』を食っているような気がする、と。
結果、めんつゆ料理だけは止めてくれ、多少まずくなっても構わないからと懇願することになりました。これと同時に時々炊事を代行するようになり、家事の負担がへるなら良いかと脱出することが出来ました。このとき、母の雑調味や、不慣れな自分の料理でも、めんつゆ料理より『味』が感じられたのですよ。少なくとも『虚無』感は無くなった。
料理にも慣れて、暇な時には出汁などもマジメに取ったりする用になりましたが、美味い出汁を取ろうとアク取りに精を出しすぎると風味が足りなくなるんですよね。旨味は十分にあるのに、何だか物足りない。かといってアクを取らなさ過ぎると雑味が酷い。ここでふと仮説を思いつきます。もしかして、風味と雑味は同じものではないのか? 適切な濃度の雑味を風味として評価し、その範囲を外れると雑味と呼んでいるだけではないか。
この仮説、文章にも当てはまるんじゃないかと思っていて。
少し前まで、『AI本文利用』『AI本文一部利用』とかのタグ付き作品を意識的に読んでいた事がありました。何となく共通する点として、最初は面白そうだなと思って読んでいても、次第に『虚無』感が増してきて精神的に読めなくなってくるのですよ。読めなくなった辺りの一話を取り出して理性で評価してみると、これといって悪い点は無い。下手くその書く文章より遥かに上手いとさえ思う。だけど、虚無感がひどくて読むのはツラいと感じてしまうんですよ。ちょいと調べてみると、心理学の馴化というのが該当しそうな気がします。
で。ここから無理やり音楽に嵌めてみますが。
無知な素人の雑理解で、クラシック方面は「作曲家」と「演奏家」が離れている印象があります。故に、演奏家の表現は基本的に「楽譜」を守りつつ出来る範囲に制限されており、その一つが「テンポ」なのかな、と。ポップスなどは「演奏家」に合わせて作曲されたり、アレンジもかなり自由な印象で、クラシックよりも楽譜側に表現を込める余地が大きいような気がします。
出された音楽(料理)を鑑賞(味わう)側が、馴化しないだけの『表現としてのノイズ(雑味)』を感じられるかどうか、なのではないか?
そのノイズを、どの領域に、どれだけ込めるかの違いではないだろうか?
……という感じに、仮説を転がしていたらたどり着いたんですけれども。音楽方面の知見に乏しいのでどれだけ的外れな事を言っているのか自分で判断できません。音楽方面に対して失礼な内容だったら済みません、はっきりバカだと言ってやって下さい。
という妄想が空回りするくらい興味深いお話でした。次話も凄く楽しみです!
【追記】
>そういう方向の仮説
まさにそんな感じです。言葉足らずでしたね。
音楽に疎いので食べ物になりますが、和風のお吸い物だと味を構成する旨味と雑味の種類が限定的で、その中で技の極地を目指すみたいな方向性と。それに対して創作ラーメンみたいな何でもアリだと、基本の昆布だし成分の雑味が無くなっても他の部分の雑味の組み合わせで個性とか味がでてくるのではないか、みたいな感じです。
ますます次話が楽しみになりました。期待して待ってますね!
作者からの返信
5/7追記済み
コメント並びにレビュー、ありがとうございます!
興味深いお話です。少なくとも失礼な部分はないです ^^。めんつゆの味付けに虚無感、というのは私にも覚えがあります。私自身は虚無感というより飽和感というイメージですが。
料理にしろ、文芸にしろ、音楽にしろ、集団的な仮の共同認識の中で、その認識を揺らがせるようなほどよいノイズが、作品の魅力になっているのではないか、という(把握にズレがあったらすみませんが)視点、なかなか面白いですね。
が、本稿のテンポの話に引きつけると、後段の論旨は本稿の内容とやや食い違う印象も。演奏の現場では、クラシックは楽譜に比較的忠実に、ポップスは比較的自由に、という一般論は正しいと言っていいと思います。が、私の今回の言い分は、「にも関わらず、楽譜解釈の自由裁量が大きいはずのポップスでは、ここ数十年、非常に厳格なテンポの統制が当たり前になっている」という内容で、実は次話の要旨もその延長上にあります。
たとえばですが、「ポップスではテンポ領域の雑味(揺らぎ)をゼロにした分、他の要素、たとえばメロディーやダイナミクスの振れ幅に聴き手の意識を向かわせる形になり、"非音楽的な"ビートに乗せた音楽であってもエモさマックスな聞き方ができるような仕組みになっているのではないか?」という議論であれば、前段とのお話ともつながるし、本稿の趣旨とも重なると思うのですが、そういう方向の仮説でしょうかね? そっちはそっちでかなり説得力のある主張だと思われます。次話の構想に急ぎ取り入れたいぐらいの w
5/7追記
十二分に納得できました。たぶん総論としては割と普遍的な話なんじゃないかなと思いますね。せんじ詰めれば閾値の設定を「広く・浅く」か「狭く・深く」のどちらにするか、という問題のように思われます。
しかし、今回の話題は全員スルーするだろうと思っていたんですが、わからんもんですね w。広がりのあるコメントの差し入れ、感謝です。何とか次もマニア性を抑えたわかりやすい話に収めたい、とは思うんですが――。
楽興の時(やや意味不明)への応援コメント
私ごとで恐縮ですが、大学生の頃、シンセを買って弾く練習してました。結局、全然弾けるようになりませんでしたけど。
『ト音記号ってキレイなデザインやなぁ〜』っと思った僕は、授業中もト音記号描く練習ばかりしてましたw
モノ書き以外のジャンルでも創作活動してるんですけど、色々手を出しては中途半端になってしまうのが、僕の煩悩かもw 趣味だから良いか😅と、最近は開き直ってます。
『イントロはE♭6で』を読ませていただいたとき、付け焼き刃の知識じゃ書けないよな〜と感じてたんですが、やっぱりガチな人だったんですねw
小説、音楽コラムとも楽しみにしてます!
作者からの返信
コメントありがとうございます!
とりあえずシンセ買ってはみたんだけど、という過去をお持ちの方、多いですよね。私も思い付きで畑違いの楽器をふらっと買ってしまったり、きちんと始めるつもりで結局埃かぶったままなのが結構あるんですが……
>モノ書き以外のジャンルでも創作活動してるんですけど、色々手を出しては中途半端になってしまうのが、僕の煩悩かもw
もうこういうご時勢ですから、基本は「浅く広く」でいいんじゃないでしょうか。かつては一つの道を極めた先に何かを見る、という風潮だったんですが、これからは、さまざまな世界を巡るうちにその人なりの悟りを得る、あるいはその気づきを仲間たちと交換する、というのがトレンドになるような気がします。というか、トレンドになってほしい w
>やっぱりガチな人だったんですねw
いやいや、「ガチな振りもいくらかできるガチではない人」です 笑。でも、こういう文章を書き始めると、そういう立ち位置が逆に色々と有利になってるのかもと思うことはありますね。詳しくは次の回で(多分)。
楽興の時(やや意味不明)への応援コメント
今やカクヨム内でもAI生成でイメージイラスト、イメージソングを作ったり(作ってあげたり)楽しんでる人達が居るけれど、多分ほとんどは「だって絵が描けないから」「だって楽譜も読めなければ楽器も弾けないから」だろうと想像。
特権階級(技術がある人)だけでなく、あらゆる人々に創作が解放されたという意味では良い事とは思う、が、「下手でも良いから自らの手でやってみたい」という願望は消えて行くのかなぁ。
僕にしても、音楽ソフト(無料レベル)がなければ曲作りは出来ないし、漫画アシスタントの端くれだった過去はあれど絵に対する欲求は消えてるしで、正直「下手でも良いから自らの手で」の情熱が削られそうになるのよ。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
AIイラストは私も興味津々なんですけれど、思い通りの図柄にするのがなかなかしんどそうで、あんだけ揉めるんならドローソフトのデータ形式で出力してもらって、自分である程度微調整可能にもなるオプションとかつけてくれたらな、と思いました。でもまあ、「自分だけのライトノベル冊子が作れた!」っていうレベルで喜んでる人も多いんでしょうね。ぶっちゃけ、プロデビューしてイラスト担当がついても、自分好みのタッチで自身満足できるような挿絵が入るとは限らないし。
>「下手でも良いから自らの手でやってみたい」という願望は消えて行くのかなぁ。
うーん、そこは残るんじゃないかなと思います。というか、この先のクリエイター界隈って、「創る側の満足」を前面に出すような仕掛けが現れてくるんではないかなと。確かに大出版社やコスト重視の制作会社なんかは全部AIに任せられる方向にしたいんだろうけど、たとえばドラムマシーンが出来てドラマー志望が減ったかというと、そんなことはないですよね? もちろんデータ打ち込みで全部済ませてる例は相当数ありますけれど、一方で「金を払ってもライブやりたい」というハイアマチュアはそれなりにいるし、逆にAIを援用して素人がレベルの高い音楽楽しむことだって出来そうだし、元より人間って「聞きたい」「読みたい」というのと同じぐらい「聞かせたい」「読ませたい」って需要があるもんなんでは w
>正直「下手でも良いから自らの手で」の情熱が削られそうになるのよ。
まあ楽観論だけで何とかなるような問題でもないですから、なんでしたらそのへんのお気持ちなど、エッセイにまとめるなりしていただければ。改めて長文でお邪魔させていただきますので ^^。
編集済
楽興の時(やや意味不明)への応援コメント
煩悩……わたしもいっぱいあります……
子供の頃、ピアノを習ってるお友達に時々くっついてレッスンを見学したりしてました。懐かしい(笑)
もちろんわたしはピアノ弾けないんですが、メロディだけを右手で弾いて友達が左手で弾く、みたいなこともさせてもらってたなあ^_^
猫踏んじゃったもよく弾きましたw
そのうちわたしがその子のピアノに合わせて歌う、というよく分からないレッスンになっちゃって^_^;
あれはあれでよい思い出だったりします。
でも、音符がねえ、わたしは音符がほんとにダメでした・涙
作者からの返信
コメントありがとうございます!
なんだかその昔の「ピアノ教室」風景っぽいですね。いや、今でもそんなものかな? ヤマハとかのレッスンだったら、多分見学は見学できっちりスケジュールが決まっていて、いつまでもタダで"付き添い"を決め込むことは出来んだろうなとは思いますが。
>メロディだけを右手で弾いて友達が左手で弾く、みたいなこともさせてもらってたなあ^_^
右手でメロディーが何とかこなせるんなら、簡単な曲をドヤ顔で弾けるようになるまですぐだと思います w。
>でも、音符がねえ、わたしは音符がほんとにダメでした・涙
一昔前のピアノレッスンだったら、「楽譜抜きで」なんて注文出したら「なめてんのかキサマ」と返されたでしょうが、今の時勢で成人向けのレッスンだったら、「じゃあなんとか工夫してみましょうか」ってことになるんじゃないかな。耳とアクションで覚える方が、多分より音楽的になると思います。むろん、曲種とスタイルをそれなりに選ぶことになりますけれど。
後期高齢まで行くと、短期記憶にかなり制約が出てくるので、聞き覚えのやり方で成人コースに通うのなら早い方がいいですよ、ととりあえず申し上げておきます ^^。ええまあ、そういう気持ちを抱えていらっしゃるならですが。
楽興の時(やや意味不明)への応援コメント
キーボードはまだしもピアノは、やっぱり幼少の頃にやってないと、という印象の私。弾けもしないくせに、教授(坂本龍一のことですw)は作曲家だからピアノはあまり上手くないよね、みたいな情報ばかりが入ってくるような、生半可以前の者なので、まがりなりにもピアノ奏者を夢見たことのある人の話は、ほへぇ、なのでありますw
妹がピアノ習いたいとか言い出した時には、ピアノだって、みたいに思ったぐらいなのに、そのあとゲームミュージックにハマってカシオトーンから始めてからは、ああ、俺もやっておけばよかったな、みたいな。ギター始めたいな、と思ったら(勿論、想像してたのはエレキ)親父が突然、ガットギター買ってきたりとか、なんか色々思い出しますわw
作者からの返信
コメントありがとうございます!
楽器はなるべく早いスタートを、とはよく言われることですが、一方でショパンとかリストとかをバリバリ弾くには大人の指になってないと危険だとも言えるわけで、その意味では「キーボード幼児スタートベスト論」はどこまで説得力があるのかなとも。だいたい今日びはみんなワープロ使うのに相当複雑な指の訓練してるんだし……いや待て、これはなんかネタになりそうな気がしてきた 笑。あとでまとめてみよう。
>なんか色々思い出しますわw
ちょっと斜め横からの意見になりますけれど、たぶん当時は日本全体が楽器の消費ブームになっていたので、なんか楽器始めよう、楽器できるってかっこいい、みたいな空気にみなさんそれと気づかないうち中てられたんではないかと思いますね。器楽はスポーツ以上に「できる/できない」の差を見せつけやすい種目だし、「下手でも自分一人楽しければいい」という免罪符もあるし、エコノミックアニマル批判が出て、文化教養の何たるかが叫ばれていた時節にもぴったり……うわ、なんか、本編以上に文章がすらすら出てくるぞ w
夢のあとにへの応援コメント
夢に出てくるちょっとしたビルのような、あちこちに書庫のあるお家って、なんか良いですね。
手に入れて来た知識やらいろんな感情やらが家の形になって夢の中に鎮座している図。ファンタジー映画になりそう。
とか思いながら、まんぞうさんとのコメントのやり取りを見て「えっ?」ってなってます。
湾多さんて「弟」だったんですか? 私は勝手に「姉」感を感じてたんですけど。
私はリアルでは長女なので、湾多さんのようなアドバイスをくれる姉がほしかったなあと時々思ってたんですけども(笑)
いや、年だけでいうなら私の方が超絶年上なのは承知してますがw
作者からの返信
コメントありがとうございます! ちょっとお久しぶりです。お元気でいらっしゃいましたでしょうか。
>あちこちに書庫のあるお家って、なんか良いですね。
ええまあ、本当に湾多の夢の中の家みたいなのが現実化したら、ほんとにファンタジー映画ですよ。たぶん本の収納場所に頭を抱えている日本中のご同輩諸氏が泣いて喜びますね 笑。でも、仮に湾多がそういう家を持ったらただただ本が雑然と並ぶだけで、「手に入れて来た知識やらいろんな感情やらが家の形になって夢の中に鎮座している」なんて賢者の住まいみたいな情景にはならんでしょうけどねえ。
>私は勝手に「姉」感を感じてたんですけど。
えっそうなんですか? ちょっと嬉しいかも ^^
たぶんですが、末っ子タイプって、「自分の下」っていうものを持ってないんで、下の立場で振る舞ってくれる相手が現れたら、はりきって年長者ぶろうとするメンタルが自然と出てきてしまうせいじゃないかなと。事実、私も学生時代の後輩とかに対しては、自分がやたら「面倒見がいいお兄ちゃんタイプ」のロールプレイやってるな、なんて自覚がありましたし。
逆に長女長男は、末っ子みたいにべたべたに甘やかされたいという願望を持っているんで、自分の「上」の立場でリードしてくれるタイプなんかには好意的になることが多いんじゃないかと。
ですから、こういう場でリアルの家族ポジションと真逆のイメージがにじみ出ることは、むしろありがちなことだと思います。まあ、あくまで見せかけなんですけどね。
プレアンブルムへの応援コメント
なるほど、こういう経緯が🤔
不定期連載なのに、先の展開とか伏線とか考えてるからなかなか先に進まんのでは、といい加減な私は思いましたw
これも弟気質のなせる業か……(多分違うw)
作者からの返信
続けてのコメント、ありがとうございます。今思い出しましたが、「クラヴィ」のこっそり報告もありがとうございます。
>先の展開とか伏線とか考えてるからなかなか先に進まんのでは、
いやそん通りだと思います 笑。
単発読み切りのはずなのに、なんか続き物の話題を考えてしまうんですよね。だから、しばらくは意識的に一発ネタ的な話を続けようかとも。
>これも弟気質のなせる業か
「弟気質」の定義にもよるでしょうが、あの姉の元で弟やってきたがための、この作風であり、この執筆の癖、というご指摘なら、割と正鵠を射ているんではないかと。あれはもう周囲の人間全部を苦労性にする、姉の皮をかぶった妖怪です。……あ、これで書けるか? でも書きたくないな。
編集済
夢のあとにへの応援コメント
夢の中でのパニックって、なんでこんなにってくらい焦りまくりますよね^_^;
わたしはよく電車に乗り遅れて遅刻する夢を見ます。目覚めて、現実よありがとうってなりますw
>全くの未知の曲
これは面白いですね。
夢の中ではそう思い込んでるんですよね(笑)
似た話で、現実とは全然違う顔なのに、夢の中ではその本人と思って話してるとか^_^;これは結構自分あります。
連載楽しみです♪
作者からの返信
コメントありがとうございます!
私の現在の日常は、鉄道とほぼ縁がないので、電車に乗り遅れって言うのはないですねー。焦って速足で歩きたいのに、異様に足が重くて、やきもきしてるって言うのはよく見ますが。で、起きると足の筋肉がぱんぱんに張っている、と w。時々「脚を使うから遅いんだ! 念で空中浮遊だ!」って展開になって、そのままふわふわ飛び回ることもあります。ごくたまに世界の涯まで旅してる夢も見るなあ。
>似た話で、現実とは全然違う顔なのに、夢の中ではその本人と思って話してるとか^_^;
ああ。夢の中に出てくるものの外見と自分の中の認識が完全にズレてるってこと、よくありますよね。深読みするといくらでもおもしろいことが言えそうですが w
とりあえずという感じで二話だけ放り投げてみましたが、お楽しみいただけるようがんばってみます。よろしくお願いします。
夢のあとにへの応援コメント
わーい、湾多さんの新作だー、と思って通知欄からクリックして読み始めました。
最初は、キャッチとかを読み落として1話に飛んだので、エッセイとは気づかずに小説のつもりで読んでました。途中で湾多さんが登場しても、作者が登場するタイプの小説だと思って読み進めて、『連載エッセイ』表記も作中の湾多さんが音楽ライターで雑誌連載とかを持っている設定だと思ってました。次話でようやく気づきますが。:-)
そういう胡蝶の夢的な、もしかしたらバカSFに行くのかも? 的な読書感は結構面白かったです。100%私の誤読で幻覚なんですけども。
後は、端々に見える自分語りに照れている感じが愛嬌があってよかったですよ、と。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
ああ、フィクションとお読みになりましか。いや、自己紹介的な文をすっとばして始めたんで、まったくの新規読者が読むとちょっと不親切な流れになってるのかな、と気にはなってました。じゃう次は少しそういう話題も意識した話、入れておきましょうか(遅いか?)。
>バカSFに行くのかも? 的な読書感は
いや、そういう話も書けたらいいなあとは思ってます。短編にするほどではないものの、ボツにするのはもったいないようなネタをサカナにする感じで w。エッセイ形式ならなんでもありですからね。
.>後は、端々に見える自分語りに照れている感じが愛嬌があってよかったですよ、と。
ありがとうございます……というべきなのかどうか。多分、どこからどこまでを情報開示するべきか、悩みながら慎重に進めているというだけだと思うんですが 笑。まあこのへん、調子に乗ると即個人特定に行き着きかねないネタでもあるんで、この先も照れたように見える文章が頻繁に出てくるかも知れません ^^。
夢のあとにへの応援コメント
拝読。
例によって音楽のことはろくにわかりませんが、私もオトナになってから、必須単位を取り損ねて大学卒業できない夢を何度か見たことを思い出しました。人間そういうもんなんですかねw
前半は読ませる反面、後半は「発端の発端の説明は次回」という、かなり詰まる構成。まあ次読んで納得できるなら、これはこれでいいフック……なのかな?
作者からの返信
コメントありがとうございます!
今回はこういう夢でしたが、XXから卒業できない、あるいは入学できない、なんて夢は、私も年がら年中見てますね。いったいあれは何なのか。
>前半は読ませる反面、後半は「発端の発端の説明は次回」という、かなり詰まる構成。
ですよね。いかにもエッセイの材料になりそうな夢を見てしまったんで、この機を逃してなるものかと一日でこの文を書き上げて、長らく放置していた序文へ強引につなげた、というのが実態なんで、その印象は当然強いかと w
改めて読むと、次の話とやや断絶が出来てるような気もしますが、フックになりましたかね?
レ・プレリュードへの応援コメント
プレリュードというと車が思い浮かびました。ラルゴも音楽用語な車ですよね。
変な例えですけど、あるテレビCMが話題になったのをきっかけに、15秒の尺で、観て面白い、宣伝目的じゃない『15秒動画』っていうジャンルが出来たんだけど、15秒じゃない動画が増えて来ちゃったし、もう『ショートムービー』で良いじゃん、みたいな話ですかね?
「クラヴィフィリア」、少しづつ読んでみますー。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
そういえば自動車にもそんなのがありましたね。ちょっとした高級感と、そこそこの教養のイメージと、文化的香りってやつを演出したつもりなんでしょうが、実際にその語感で「プレリュード」「ラルゴ」選んだ人も多いんだろうなあ w
十五秒じゃないのに十五秒動画って呼ぶ風潮が残っているんなら、ご説明の通りだと思います。中身が微妙に変化していって、でもネーミングだけ前のものを引きずってるってパターンですよね。おそらくはこの「前奏曲」も似たような理由で言葉が残ったのでしょうけれど、他にもいくらでもネーミングの候補があったはずなのに、なんで、という疑問を払拭しきれませんで、こんな粘着質な文章が生まれました 笑。まあ、あらかた答えは見えてもいるので、そのうち続きを書きこともあるかも。
>「クラヴィフィリア」、少しづつ読んでみますー。
恐縮です。「裏六甲」同様、話が全然まっすぐ進まない、ムダだらけなプロットの作品なんですけれども、ぼちぼちお付き合いくださると嬉しいです^^(うん、泣きついてみるもんだなー)。